今回は、spiral氏のブログ『新・へっぽこ時事放談』で紹介された伊勢雅臣氏の『国際派日本人の情報ファイル』3/21号より『チベット ・ホロコースト50年〜アデの悲しみ〜』のダイジェストです。どの章もすでに抜粋された内容であり、またどの段落にも中国政府の残虐な弾圧に50年も耐え続けた、チベット人の信じ難いほどの精神の強靭さと、そうした逆境にあっても「自然と生命を慈しむ仏心(ぶっしん)」が感受される箇所では、しばしば涙を禁じ得ませんでした。
この記事で伊藤雅臣氏のメルマガの記事を転載してくださったspiral氏、
チベットのひとびとへの思いで、こころの声がつながっていった縁を感じます。
以降、全14章を5回にわたって連載します。
特に、中共の目をおおいたくなるような残虐な侵略の実態と、地球破壊ともいえるほど
すさまじい環境破壊を数値で報告する部分は、必読です。 ………… 編集人
■ 1|「花の土地」に生まれたアデ ■
アデは1932年、チベット東部、中国との国境に近いカム地方
メトク・ユル(花の土地)にタポンツァン家の末娘として生まれた。
いまでも目を閉じれば、子どもの頃の日々が鮮やかによみがえる。
はてしなく広がる空の下、花でいっぱいの野原を笑いながら走ったり、
転げ回ったりしていた日々。
遊び疲れた遅い午後には、父のひざの上に座るのが大好きだった。
父はよくカワロティ山脈の峰のほうを見つめていた。
この山々の姿を見ると、父はしばしば乾杯のために杯をささげ、歌うのだった。
・・・父はカワロティ(万年雪)とは、ヒマラヤの神で山の中に住み、
私達が立っているこの土地もカワロティの領土なのだと教えてくれた。
この幸福な少女が、後に父も兄も、将来の夫も子供も、侵略者に命を奪われ、
さらに27年も牢獄で暮らすことになるとは、この時、誰が予想し得たであろう。
私たち子どもがいうことを聞かないとき、大人たちはよく中国人を持ち出して
子どもたちをおびえさせた。大人たちはこういった。
「いうことをきかないと、劉文輝将軍が来て連れてかれちゃうよ」
劉文輝将軍とは、1920年代に四川省のほとんどを制圧した軍閥で、
チベットの国境地域を侵略し、残虐な行いでチベット人から恐れられていた存在だった。
しかし、実際にやってきたのは、もっと恐ろしい毛沢東の共産党軍だった。
彼等は、日本の6.5倍もの広さを持つチベット全土を蹂躙し、山林を乱伐し、
核廃棄物の捨て場とした。600万人のチベット人のうち、120万人の生命を奪い、
さらに産児制限や中絶・不妊手術の強制を行った。
今日では750万人もの中国人が移住した結果、
チベット人はチベット本土でも少数民族にされてしまった。
■ 2|中国人は我々からすべてを奪い去るつもりだ ■
1948年の晩春、16歳になっていたアデは、3歳年上のサンドゥ・パチェンと結婚した。
やさしく思いやりのある夫と その母親にアデは暖かく迎えられた。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
1950年春には、中国共産党軍がアデの住むカンゼ地区にやってきた。
この地方だけで、3万人の中国兵であふれかえった。中共軍はこう発表した。
私たちは、みなさんが一般の人々の生活を向上し、過去の過ちを正して、
真の人民による政府を築き上げるのを助けるために来ました。
・・・私たちの義務を遂行したら、私たちは自分の国に帰ります。
やがて占領軍は、貧しい子どもたちのために小学校を作り、
中国共産党の講師たちが教え始めた。
チベット人は彼等の偉大なる母国中国の少数民族であり、
はるかに卓越した中国文化を学ぶべきだと教えた。
アデの父親は、地域の有力者として選ばれ、派遣団の一員として中国視察に送られた。
彼はそこで 国民党員の囚人をあふれるほど載せて処刑場に向かうトラックを見て、
中国共産党の正体を知った。
戻った父は、信頼できる友人を訪ねては、中国人は我々からすべてを奪い去るつもりだ、
と語った。中共軍は父に「再教育を受けるように」と命じた。
帰国時から健康のすぐれなかった父は、その時すでに病床に伏しており、
中国兵に病院に連れて行かれた。父ははじめは頑固に治療を拒否していたが、
アデの兄たちのすすめに従って、薬を飲み始めた途端、
見る間に体力が衰えて、亡くなってしまった。