『ダライ・ラマ平和を語る』ルイーゼ・リンザー
Wednesday, April 2, 2008
 
milestaさんのありがたいお申し出のおかげで、空っぽだった図書館の本棚にぴったりの本がひとつふたつと入ってきました。うれしい限りです。 またその本も、サイトの「魂」のような内容なので、 ライブラリーの骨子になってくれるものと信じます。 
……今回のも、深いですね。 どのパラグラフにもダライ・ラマ法王の精神性というか、
こころの芯の落としどころが読み取れて、なるほど、だからあれだけ攻撃されても、
「反撃」という同レベルの行動に堕さないのだな、と納得がいきました。 
まさに悟りを拓いた方の言葉ですね。 ありがたく頂戴してまいります。……… 編集人 



著者のルイーゼ・リンザーは、ナチスに抵抗して死刑判決を受けたことのある
ドイツの女流作家。カトリック信者であると共に、文中からは
社会主義、共産主義へ幾ばくかの期待を抱いている人物であることがわかる。
そのルイーゼ・リンザーが、一週間にわたってダライ・ラマ14世と対話をした記録が
本書である。
著者自身は、ダライ・ラマ14世とは前世でも関わりがあったのではないか
と書いているほど、ダライ・ラマに惹きつけられ共感を覚えている様子だが、
私にはむしろ、宗教も思想もダライ・ラマとは全く異なる立場であることが、
対話の内容を興味深いものにしていると感じられた。

例えば、著者は共産主義に関して同情的なニュアンスを込めてこう質問する。

私の質問: 当初の理念を実現するために、
十分な時間を共産主義に与えなかっただけなのではないでしょうか。
共産主義を野蛮で闘争的にさせたのは、
西側諸国のほとんど全体の抵抗だったのではないでしょうか?
イエスという平和創造者の意志に反してキリスト教徒に武器を取らせたのは、
「異教的」ローマ人によって奴隷化されていた
地中海世界の抵抗だったのではないでしょうか?
世界の何ものも不変のままではありません。中国の共産主義も変化することでしょう。
キリスト教も変化しつつあります。チベットも変化するのでしょうか?

それに対する答えは、驚くほどキッパリとしている。

ダライ・ラマ: 確実に変化します。しかし、中国人の圧倒的な圧力を受けても、
チベットは共産主義にはなりません。仏教は個々人を尊重します。
マルクス主義があまりに権威的であるのは、チベット人にとってばかりではありません。
マルクス主義は、すべての人間の基本的な権利を擁護する、と主張していますが、
その反対のことをやっています。
人間から、自分の頭で考えるという基本的な権利を奪っているのです。

「個々人を尊重します」という仏教の基本的な考えとマルクス主義とは
相容れないことを断言しているのだ。
前回紹介した『思いやり』という本の中で、ダライ・ラマは
「絶対的なものなど存在しない」「違う考えを受け入れる」と語っているが、
それもマルクス主義への批判を込めていたのかもしれない。

また深読みに過ぎるかもしれないが、一神教のことも念頭に置いているのではないか、
とも感じた。世界の紛争は、マルクス主義か一神教のどちらかが絡んでいることが多く、
そして、どちらも絶対的なものの存在に肯定的であるからだ。

ルイーゼ・リンザーは、この対話の目的を「具体的・政治的な会話をするため」だ
としている。そのため、さまざまな具体的・政治的な質問を繰り出し、
ダライ・ラマから興味深い答えを引き出している。
我が国の政府があまりはっきりと言うことのない、国連の民主性への疑問も、
次のように単刀直入に語っている。

そこには拒否権の問題があります。五つの国がいつでも優遇されています。五大国です。
国連が一つの決議を行おうとすると、そのためには三分の二以上の多数の賛成、
つまり約一五〇の加盟国のイエスかノーを必要とします。
そのような多数が形成されないと、大国の拒否権に対しては何もすることができません。
これではどこに民主主義があるというのでしょうか?

チベットへの弾圧を国連が解決してくれることは全く期待できない。
弾圧している国が拒否権を持っているのだから。ダライ・ラマ14世は、
このように現代社会を洞察し分析する政治家としての目を持っている。
では次のような挑発的な(?)質問には、どのように答えるのだろうか。

■ 中国人は彼と彼の民族を追放したのではなかったか?
彼らは彼女たちを、尼僧までをも強姦し、子供たちを殺さなかったか?
彼らは非常に古い仏教の礼拝所を破壊しなかったか?
彼らはたえず脅かす危険ではないのか?
彼らは憎むべき存在ではないのか?

いいえ、彼らもまた私たちと同じように心の中に仏性を持っているのです、
とダライ・ラマは言います。

■ しかし、中国人側ではなぜチベット人を憎むのでしょう?
彼らは私たちを憎んでなどいません。
彼らは指導者達の煽動的なプロパガンダに踊らされているだけです。

■ それでは、これらの指導者は憎むべき存在ですか?
彼らもそうではありません。彼らも仏性を持っているからです。
しかし、彼らを憎まないということは、人間には無理なことです。

■ 誰がそんなことをできますか?
誰でもできます!自他平等視の秘密を知る者は誰でもできます。

■ どうやって?
敵の立場に自分を置いてごらんなさい。私たちの場合は中国人の立場です。

■ 彼らは本当に私たちチベット人を害そうとしているのでしょうか?
もともと彼らは、自分たち自身の民族を豊かにすることによって、
自民族に善を施そうとしたのです。
そして、チベットの僧院封建主義に対する闘争を通じて
東洋的世界を共産主義に変えることによって、
政治的にポジティブな影響をつくりだそうとしたのです。

彼らの動機を理解すれば、彼らを憎むことはできませんし、
彼らの暴力行為に暴力行為で応えることはできません。
暴力に対し暴力で応える者は、世界の中に暴力の連鎖を存続させます。
それでは決して平和は生まれません。

しかし、いかなる復讐もいかなる暴力も断念する者は、
新たな世界、平和の世界をつくり出すのです。
ただ自他平等視によってのみ私たちは慈悲の心に到達し、
ただ慈悲心によってのみ平和へといたるのです。

ここでの答えは、完全にチベット仏教の法皇としてのものである。
世界情勢をどのように分析していても、その行動規範は仏教に基づくというのが、
ダライ・ラマ14世の外交姿勢なのだろう。
チベット仏教の頂点に立つ立場として、仏教の教えに反する行動は起こせない。
自らが仏教の理想像となることで、チベットの求心力になり、
チベットの団結を促し、チベットの消滅を防いでいるのではないだろうか。
著者の言うように、

仏教の導入以来、チベットでは世俗的・政治的指導性と宗教的最高指導性は、
いつの時もただ一人の男性の手にあり、それがダライ・ラマだったのです。

というダライ・ラマの役割は、独立を保っていた時には
ごく自然に何の問題もなく果たされていたのだろうが、
異なる考えをもつ他国に翻弄される今日では、高度な指導性が求められる。
15才の時からこの最高指導者の役割を果たしてきたダライ・ラマ14世を、
著者は「どれほど多面的で多彩であるか」と表現する。

ジャーナリストの記事とは違って、全般的に構成や文面にややわかりにくいところがあるが、多面的で多彩なダライ・ラマの魅力がよくわかる内容となっている。


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■ milestaさんの書評ブログ『本からの贈り物』より