concepts
「揺らぎ」の空間性
 
観念の一方通行の作用から生まれた「コンセプチュアルアート」。その枠に私の作品は収まりはしない。なぜならば対象としての私の作品が、観者つまりは表象主の認識作用、思考方法を引き受けない、つまり対象は「対象を越えた事物」だからだ。
では「ミニマルアート」とはどうか。それも答えは否である。ミニマリズムは「意味」も「無意味」も対象となる事物から排除され断念され、それがいわゆる「それ以外のなにものでもない存在」と言われる所縁である。
 
私は「意味」も「無意味」も互いに同居し、互いに互いを問い続ける関係性、つまり「揺らぎ」の空間性を現出させたい。
しかし、それは一般的に見て徹底的に断定的でなくどちらつかずで曖昧模糊としているがため、「意味」を見出せるようで見出せず、「無意味」さえも見出せそうで見出せない。「意味」があるのかないのかわからない。常に「意味」と「無意味」が交錯した「揺らぎ」の場。そうした特徴が故に一部の観者に違和感を与え、苛立たせ、そうした人達はあげくの果てに無理矢理にでも「意味」を接着させようと必死だ。我を信じて疑わぬ自我傲慢主義者、自己陶酔主義者には不向きと言える。
 
私は内面と外界の関係性を今一度考え直したい。対象という名で切り取られ断片化した他者ともう一度接触していきたい。もはや自明であるといった「認識」に疑問の余地が大いにあると考えたい。対象との距離のとり方を問い直したい。つまり常識や決まりきった価値観に「揺らぎ」を与え、不安定にさせたいのだ。しかしそうした「揺らぎ」の場は元々作り出す必要はない。何故ならばそれが元来の、私達が接しているはずの世界だからである。世界は常に揺らいでいる。
私は、世界が表れるのを作品の前でただ待つのみである。
 
また、一方的に決めつけられた『意味』の蓄積によって起きた世界の破綻。
『無意味』として勝手に措定された出来事や事物への尽きない疑問。
私を突き動かすものと言えばそんなところだ。