Welcome 長島義明
 
 
このブログ、ホームペイジを公開する目的は過去、および、現在、写真を撮りながら、その時どきに出会った人や景色から、僕が感じた事、学んだ事、その思いを伝え、自分も歩いた道を振り返る作業をする為です。このブログを見る人に少しでも安らぎ、笑い、共感を得る事が出来れば幸いです。www.apple.com





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長島義明の略歴
日本写真家協会会員
文化庁芸術家在外研修員の会会員

1942年ー大阪生まれ
1963年ー日本写真専門学校卒業
      GT SAN(株)3ヶ月、Nフォトスタジオ(3ヶ月)入社退職
      以後フリーになり、同年、秋より日本各地を撮影、約3年間
1966年ーこの年より海外撮影旅行を始める
      アジア、インド、中近東,エジプトを回り、その後パリに拠点をを置き、ヨーロッパ各
      国,モロッコを撮影。1年半後、帰国
1968年ー結婚、スイス,チューリッヒに住み長女誕生
      スイス、チューリッヒを拠点にヨーロッパ各国撮影
1969年ー1月、妻と子供を日本、大阪に帰し、ギリシャ、トルコ、イランを撮影
      イラン、テヘランで車にはねられ入院、3日後目覚める。その後ネパールに行き休養、
      そして帰国。スタジオ サンパブリシティー(株)設立に参加。その後、カナダ、アメ
      リカ、中南米、アフガニスタン,アフリカ、中国、ソ連、モンゴル、オーストラリア、
      南太平等、と毎年、世界各地を撮影旅行する。現在も続く。
1970年ー大阪万国博覧会を撮影。岩宮武二、北尾順三、達と写真集「日本万国博覧会、建築と造
      形」黒川紀章監修、ノーベル書房。を出す
1971年ー長島義明個人のフォトライブラリー「ブレーンセンター」設立。スタジオ サンパブリ
      シティーは解散
1977年ーアフガニスタン各地を撮影
1984年ー初めての個展「人間の旅」を東京、麻布のペンタックスホーラムで行う。
      それを見たアメリカ人の実業家、ロバート、ホワイト氏により、アーク インターナ
      ショナル社から写真集「ONE  WORLD ONE    PEOPLE」が英語版、日本語版で
      出版される。後に「ONE  WORLD  ONE  CHILD」も同社から出版される
1985年ー写真集「ONE  WORLD  ONE  PEOPLE」がアメリカ芸術雑誌協会最優秀賞を受賞
      世界100人の写真家によるイベント「日本の24時間」に招待され参加撮影
1987年ー文化庁より芸術家在外研修員に選ばれフランス、パリに派遣、1年間滞在
1993年ーキューバ、ハバナにてフィデル、カストロを彼の執務室で撮影。その後キューバ政府の
      招待で車、運転手、通訳、ホテル、食事など無料で20日間キューバ各地撮影
1995年ー阪神大震災を撮影。写真集「阪神大震災」バーズアイ出版を出す
      写真展「阪神大震災」を大阪、神戸、東京、ニューヨーク、イラン、ほか各地で行う
1996年ー北朝鮮を撮影。
1998年ー8月、阪神大震災で被災した子供6人(8歳から13歳)をスリランカに招待して
      井戸堀りをし、井戸を完成する、21日間。被災した子供たちを勇気ずけるためにした
      行為で、写真展の会場で呼びかけ、それに応募して来た子供たちである。
2000年ー中国、北京を撮影するイベント、「世界の写真家50人が撮影する北京」に中国政府
      から招待される。写真集「北京」に写真とプロフイルが掲載される
2001年ー政治家、元首相羽田孜、石原伸晃,河村たかし 起業家、ソフトバンクの孫正義、HIS
      旅行の澤田、パソナの南部 達と世直し時代劇「よみがえれ松陰」に出演、役は幕末の
      写真家、上野彦馬。 この劇は2年に一度、今も続いている、演目は毎回変わる
      2003年は「敬天愛人、隆盛のごとく」2005年は「幕末、早慶戦ー福沢諭吉と大
      隈重信」2007年9月には「高杉晋作」と決定している
2001年10月ーアメリカのアフガニスタン空爆を切っ掛けに、写真展「平和だった頃のアフガニ
         スタン」を日本各地で行う。東京、大阪、広島、長野、高知、京都、神戸、岡山
         沖縄,別府 など30カ所で行う
2003年ー北朝鮮による拉致事件が表面化した事により、写真展「38度線を越えてー北朝鮮ー」
      を大阪、東京、京都で開催
2003年9月ー阪神タイガースが優勝、写真展「阪神、虎ファン大集合」を開催
        写真は田原総一郎、太田大阪府知事、ダンカン、音武、枝野衆議院、岡田真理子
        横山ノック、等、有名人多数 
2005年ー北京オリンピックを開催する北京の変貌する姿を撮影する、中国、北京市のイベント
      「世界の写真家10人が撮影する北京」に選考され、招待作家として北京を撮影。
2006年ー5月、別府市で行われた、国連60周年記念イベント、国際平和映画祭の特別招待作家
      として同会場で写真展「平和だった頃のアフガニスタン」および、講演を行う
2006年ー7月から8月にかけて、ロシア、モスクワの実業家、イワン氏の招待により、極東ロシ
      ア、サハリンのまだ北西にある無人島シャンタールに行った。熊の多い自然いっぱいの
      島で1メートルもあるマス、シャケが幾らでも釣れる釣りキチには夢の島

出版ーーー「One   World   One   People」「One   World   One   Child」
     「阪神大震災」,「ヨーロッパの城」ほか
CD-DOM   「ベニス幻想」「世界の子供達」「阪神大震災」
個展ーーー「平和だった頃のアフガニスタン」「38度線を越えてー北朝鮮ー」
     「キューバ」「アメリカの大地」「パリ」「阪神大震災」など多数」
受賞ーーーアメリカ芸術雑誌協会最優秀賞1985年

現住所ー大阪府門真市下島町18−24   

    

長島義明の自己紹介
1942年大阪で生まれました。父の仕事は大工でした。戦中生まれと云うことになりますが、もちろん戦争のことなど知りません。ただ、戦後、焼け野原になって、疎開から大阪にもどり、家を建て、暮し初めてからの事は薄すらと記憶に残っています。ドラム缶を利用した五右衛門風呂や大きい木の盥で行水したことがありました。父が大工なので薪には困らなかったのでしょう。父に連れられ、鞍馬天狗、丹下左膳、無法松の一生等多くの映画を観ました、当時は三本建ての映画が多く、いつも客で満員でした。又、父はプロレスの力道山が好きで近所で一番早くテレビを買い、僕は友達を呼んで観ていました。また父は愛媛県の出身の為か、山歩きが好きで休みの度に生駒山から信貴山へ連れてくれました。花や木の名前、ジョロウグモやトンボや蝶、蝉に小鳥、いろんな事をしりました。今も自然が好きなのは父の影響があると思います。桜の咲くころは家族でお弁当を持って花見をするのは毎年でした。母は横浜育ちでモダンな所が少しあり、洋画が好きでシェーン、風と共に去りぬ、など見に行きました。勉強にうるさく、よく口答えしてしかられたことを覚えています。小学生の頃はDDTという白い殺虫剤を頭、首すじに撒かれたことがあります、当時はまだ皆まずしく、衛生状態も悪かったのでしょう、毛ジラミを退治する為でした、又、虫下しを飲むと、ギョウ虫、回虫が下って来る子供も大勢居ました。野菜の肥料は人糞が主だったのでそれが原因でした。このように書いて行くと思い出す事が多く先に進めません。子供の頃はこれでストップします。
長島義明、写真家への道
高校を卒業して、日本写真専門学校(現、日本写真映像専門学校)に入り
昭和38年卒業後、G,T,SUN(戦前の写真家、名取洋之助が創立した、SUN  NEWS の後進)に入社するが暗室のカラー研究部に回され3ヶ月で退社。後,コマーシャルスタジオに入るがここも3ヶ月で退社。同年9月から、北海道を50日間ほど初めての撮影旅行をする、その写真を持ち、印刷会社、カレンダー専門会社へ、コネもなく、飛び込みセールをする。初めてカレンダー会社が僕の写真を買い上げてくれる。その後、日本各地を撮影、
そして飛び込みセールを繰り返す。印刷、カレンダー、絵はがき、等の会社が主であった。1965年初めての沖縄旅行、まだパスポートが必要で通貨もUSドルであつた。(1ドル、360円) この旅でほとんど日本国内を見た事になり、外国に行く決意をする。だいたい3年間日本各地を見て回ったことになる。65年初めての海外旅行は台湾だった。現地で友人の東京の写真家丹治さんと落合い、北投温泉で遊ぶ。岩宮武治さんの知り合いの台湾人写真家、宗さん、長さん、等と交流する。同年9月、パリ迄の飛行機の片道航空券(大阪ー羽田ー台北ー香港ーバンコックークアラルンプール、シンガポール,マニラ、ジャカルタ、バンコック、カルカッタ、ヴェナレス、ニューデリー,カラチ,テヘラン、バクダット、ベイルート、カイロ、イスタンブール、アテネ、ローマ,ミラノ、パリ)を買い日本を飛び出した。
当時の若者がヨーロッパに行くルートはソ連のナホトカからシベリア鉄道でモスクワを経由して、ウィーン、またはフランクフルトに入り、パリ、ローマ、ロンドンを目指した。もう一つのルートは横浜から客船に乗り、香港、シンガポール、ボンベイ、からスエズ運河を抜け、マルセーユ港に上陸するか、ボンベイから南アフリカの喜望峰を回りマルセーユ港に上陸して、各々の目的地の都市へ向かった。船の旅はすいぶんと日にちがかかり、スエズ経由で35日、喜望峰経由だと50日もかかる旅になる。シベリヤ経由だと10日から12日。飛行機は今の様な安売りチケットがなかったので利用する若者は少なかった。でも僕は少しでも多くの国を見たかったので飛行機の旅を選んだ。チケットは1センチほどの厚さになつた。旅費は飛ぶ距離で計算されるので、日本からダイレクトにパリに飛ぶ費用とそんなに差はなかったように思う。日本を出て5ヶ月ほどかけてパリについた。その間いろんな国で多くの友と思いでが出来たので、航空券はそんなに高いとは思わない。
とにかくそのようにしてパリに入ったのだ。この後のことはいずれ書きます。今日の所はこれで終わりにします。ーーー続く。

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