むかし、歌志内で始末

むかし、歌志内で始末

昨年BSで美空ひばり特集が組まれていた頃、古い写真が入った箱をひっくり返した。もともとその箱は祖母の
もので、家族の誰かのアルバムに貼り損ねた写真や誰かから送られてきた写真がいっぱい詰まっていた。散乱し
た写真を何枚か手に取ってみると、昔のいろんな記憶が蘇ってきた。それが始まりであった。
その時の気持ちをかぜ耕士さんがDJを務めるFMさがみの「人生を変えないラジオ」に投稿した。幸いにも
その投稿は、昨年の8月25日の放送の冒頭に読んでいただけた。映画フィルード・オブ・ドリームスのごとく、
とうもろこし畑で突然「それを作れば、彼が来る」という声を聴いたわけではないが、昨年の秋、諸事情で
一年早められた祖父の七回忌の辺りから、妙に「作らないと」「作らなければ」という思いに駆られた。
しかし、どんな風にどんな形で、わが心の中の歌志内を自分のホームページに残そうか。
横浜の放送ライブラリーで、倉本聰さんの「幻の町」を観たせいもあるだろうし、
山下公園付近で道に迷って案内図を何度も見たこともあるのだろう。
その晩南行徳の叔母の家で、手書きで描き始めたのは、
昭和40年頃の歌志内中村西区の地図であった。
叔父や叔母の記憶と、自分の記憶が入り交じり、
その晩は結局完成には至らなかった。
釧路に戻り、たまたま電話をくれた熊本の叔父と
話しながら、その地図を描き続けた。地図の内容
を確認するため昔の写真を見ていると、再びいろ
んな記憶が蘇ってきた。
この40年一度も思い出したことがなかった記憶まで蘇ってきたから不思議だった。幼い頃暮らした四件長屋の
間取り。家具の配置。文珠のモルタル住宅での母との語らい。幼い日の記憶の数々....
そうして始まった作業であった。作りながらいつも誰かと会話していた。
亡くなった両親、祖父。若き日の叔父や叔母。幼い頃の自分自身。幼なじみたち。
「そうでないッテ」
「そうでなかったショ」
「いやこうだったベサ」
「イヤイヤたまげたもナァ」
「よくそったらことまで覚えてるネェ」
そんな声がしてくるようだった。時には気持ちが入り過ぎて涙が止まらなくなることもあった。そして、そう
しながら、ずっと考えていることもあった。
きぐみのTF君から
旅行の報告をしようと、ホームページのBBSで
photoshopで「↗」を加えた横浜山下公園付近
の地図を貼ったその時、それらが心の中で一つ
につながりはじめた。
あの頃の歌志内中村西区の地図から、懐かしい
時代の懐かしい写真へとリンクするものを作れ
ないだろうか。そこに 我が心の内に蘇ってきた
記憶もリンクさせる....
☆☞むかし、歌志内で