『朝日新聞』社説 2007年5月2日
憲法60年—戦後からの脱却より発展を
日本国憲法はあす、満60歳になる。
60回目の記念日を迎える環境は、これまでとはだいぶ違う。時の安倍首相が「改憲を政治日程に乗せる」と明言し、7月の参院選挙では争点にしたいと意気込んでいるからだ。
そのための手続き法である国民投票法案が、間もなく国会で成立する運びだ。これだけ空気がざわつくのは初めてのことだろう。
なぜ憲法改正が必要なのか。安倍氏は雄弁に語ってきた。そのポイントは次のようなものだ。
◇祖父譲りの改憲論
いまの憲法は占領時代に、GHQ(連合国軍総司令部)の素人が短期間で書き上げ、日本に押しつけたものだ。時代は移り、9条など現実にそぐわない条文も出てきた。国の基本法である憲法を、国民自らの手で白地から書くという決意と精神によって、この国に改革の気概がみなぎってくる。そうすることで精神的に占領を終わらせることになる——
占領時代とか、GHQの押しつけとか、今の若者世代にはぴんとこない表現だろう。それもそのはずだ。こうした論法は、首相が尊敬してやまない祖父、日米開戦時の閣僚だった岸信介元首相らが半世紀も前に言っていたことだった。「占領の後遺症の根絶」「真の独立の回復」などがキーワードだった。
そもそもは敗戦や米軍による占領への屈辱感が根底にあったに違いない。だが、憲法ができて年月がたつうちに、攻撃の対象は「押しつけ憲法」「占領」から、それに基づいて形づくられた戦後日本の歩みそのものにも向かざるを得なくなる。
「戦後レジームからの脱却」を言う安倍首相から、「戦後」に否定的な視線が感じられるのもそのためだろう。
さて、そんな安倍氏とはまったく逆に、憲法によって戦後日本は世界史にもまれな幸運なスタートを切ったという見方もある。
◇「日米合作」の反論
お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんは、ベストセラー「憲法九条を世界遺産に」のなかで、憲法の制定過程についてこう語っている。
「日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだ」
「この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思う」
こうした言葉からはっきり読み取れるのは、戦後日本社会に対する太田さんの肯定的な視線であり、楽観主義だ。
太田さんも読んだという「敗北を抱きしめて」の著者で、米国の日本史研究者ジョン・ダワー・マサチューセッツ工科大教授は、次のように書いている。
「なんと多くの日本人が平和と民主主義の理想を真剣に考えていたことか! もちろん、平和と民主主義こそ、私自身の国がたたかい取ろうと努力している当のものにほかならない。日本人も私たちと同じ夢と希望をもち、同じ理想とたたかいを共有しているのだ」
憲法を米国の「押しつけ」ととらえるのではなく、理想に突き動かされた日米両国の人々による「合作」と見る。そんな柔らかな見方でふたりには共通するものがある。
憲法によって、私たちの社会は大きく変貌(へんぼう)した。
男女の平等が保障され、だれもが選挙権をもつ。何を主張をしようと、どんな宗教を信じても自由であり、不敬罪や治安維持法などは存立しえない社会になった。天皇から国民へ主権が移り、国民が主人公になった。
太田さんたちが評価するのは、この自由と民主主義の価値が憲法によって日本にもたらされ、さらには戦後社会に深く根付いたということだろう。
◇外交政策の十八番
不思議なのは、憲法について否定的なことを言う安倍氏が、自由や民主主義の価値を語るときはうってかわって肯定的な姿勢に転じることだ。いまや、外交政策の「十八番(おはこ)」に使っている。
「日本と米国は普遍的な価値を共有している」として、日米同盟の強化を言う。「共通の価値」を持つ豪州やインドと連携して中国を牽制(けんせい)する。NATO(北大西洋条約機構)とも連携する。総称して「価値の外交」とも呼ばれる。
こうして首相が高くうたい上げる「価値」は、実はいまの憲法が日本社会にもたらし、国民が戦後60年をかけて培ってきたものにほかならない。そのことに安倍氏は気づいているのだろうか。
この「戦後」と、首相が脱却を言う「戦後レジーム」とはどこで重なり合うのだろうか。「精神的に占領を終わらせる」と言うけれど、終わった時、どんな展望が開け、社会がつくられていくのだろうか。戦前的な価値を重んじる社会に戻ることにつながらないのか。
「戦後」に問題がなかったわけではないし、憲法に改めるべき点があってもおかしくはない。しかし、憲法がもたらした自由と民主主義の価値は、発展させるべきではあっても、脱却するものでは決してない。
首相は雄弁に改憲を主張するものの、9条改正以外に、目指すべき方向はほとんど語ろうとしない。だが、改憲を言うなら、まず「戦後」をきちんと語るのが先だろう。
それなしに新しい「美しい国」へ誘(いざな)うのは、国民を惑わすだけだ。
『北海道新聞』社説 2007年5月2日
憲法施行から60年*(上)*国家主義への回帰危ぶむ
施行六十年の憲法の足元が大きく揺らいでいる。
昨年九月の安倍晋三政権の発足以降、改憲への動きが、かつてなく強まっているからだ。
首相は「自分の任期中に憲法改正を目指したい」「時代にそぐわない条文として典型的なものは九条だ。日本を守る観点や国際貢献を行う上で改正すべきだ」と明言した。
戦後の民主主義を支えた教育基本法を変え、「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に掲げた。
防衛庁を省に昇格させ、自衛隊の海外活動を本来任務に格上げした。そして改憲手続きを定める国民投票法の参院選前の強引な成立を図る。
米国など他国への攻撃にも日本が応戦する集団的自衛権の行使を、憲法解釈の変更で可能にする研究まで促した。
従軍慰安婦問題への首相発言や、沖縄戦の集団自決をめぐる政府の教科書検定などで、先の大戦への反省を無にしかねない対応も続く。
「占領下に素人が起草した憲法で、古くもなった。二十一世紀にふさわしいものにしなければ」との首相の物言いは、民主主義国家として再出発した戦後日本の否定でもある。
*戦争する国を目指すのか
「憲法改正の中身を示さないとよく言われるが、新憲法草案で中身は立派に示している」
首相は、自民党の「新憲法制定推進の集い」でこう強調し、党の草案を基本に、改憲を必ず政治スケジュールにのせると述べた。
草案前文は、憲法にある国民の「平和のうちに生存する権利」を捨て去り、「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」を書き込んだ。直接的ではないが「国防の責務」につながる表現だ。
また戦力不保持、交戦権の否認を規定した九条二項を削除し「自衛軍」の保持をうたった。
軍を公然と持ち、国際的に戦闘に参加できる国、米軍とともに戦争のできる国に国家体制、統治体制をつくろうとする。
武器輸出、核保有論議を容認しようという動きも、軌を一にしていると言えるだろう。
国家利益のために戦争に突き進んだ反省の上に、憲法は二度と戦争はしないとの不戦の誓いをした。
草案は、その誓いを葬り去ることを意味する。侵略したアジア諸国への背信行為ともなる。
*人権より公益優先の発想
草案のもう一つの眼目は、国家や社会の利益を優先し個人の人権に制約を課す方向への転換だ。
憲法の基本理念は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義にあり、個人の尊厳を保障するために、国家権力に踏み外してはならない枠をはめている。
多様な人間が、ともに暮らし、社会を構成する上で便宜を分かち合うため国家を認めるが、主権者の国民は憲法で国家の権力を限定する。
これを立憲主義と言うが、草案はこの考え方と正反対の、国家主義的傾向が色濃い。国家が国民の権利を縛る力を強めようとする。
国民の自由と権利には「責任及び義務が伴う」とし、「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」として、国家的利益の優先を明示した。
個人より全体に価値を置いた大日本帝国憲法型に近く、憲法観が、現行の憲法とは全く違うものを目指している。
現憲法は改正の場合、「この憲法と一体を成すものとして」公布することを定めているが、憲法の基本理念を損ないかねない草案は、そもそも「この憲法と一体を成すもの」とはならないのではないか。
*国民が問い直すことこそ
憲法をどうするか。それは国民に委ねられている。改正権は国民にある。いま進む改憲論に対し、どう意思を示すかだ。
憲法は一人一人が人間として生きる自由を保障している。それが脅かされない限り、憲法は人々の意識に上りにくい水や空気のような存在かもしれない。
しかし、国民が現在置かれている状況は違うのではないか。平和的生存権が脅かされ、人権制約の方向へと社会を作り替える力が強い。
歴代政権が、改憲をこれほどまでに語らなかったのは、国民の支持が得られなかったからだ。いまは参院選の争点にもできると首相は考えている。
共同通信社の最近の世論調査で改憲賛成は57・0%だった。抽象的に問えば、環境権などの新しい権利の追加などで賛成は当然多くなる。
だが戦争放棄と戦力不保持を規定した九条については、改憲必要の26・0%に対し、反対が44・5%だ。
平和主義が揺らぐことを、国民は恐れている。
ただ、憲法が私たちの生活の中に真に血肉化されてきたと言えるだろうか。
自民党の草案より、さらに国家主義的な主張も活発に出ている。
すでに広がった閉塞(へいそく)感が社会への関心を失わせているにしても、主体的判断をしてこその主権者である。
憲法が岐路に立つ今だからこそ、国民があらためて憲法に相対し、その意味を問い直すことが必要だ。
『中日新聞』社説 2007年5月2日
憲法60年に考える(中) 統治の道具ではなく
安倍晋三首相らの改憲論には、憲法を統治の道具に変える発想があります。九条論議に目を奪われていると、公権力を縛る本来の理念を見失いがちです。
安倍首相は今年の年頭会見で任期中の憲法改定を宣言し、今度の参院選の争点にすると言いだしました。世論調査では改憲賛成が多く、若者もかなり支持しています。
国際協調主義の理念をうたった前文、戦争と軍備の放棄を定めた第九条と既成事実との隔たりに、戦後世代の多くはしらけ、憲法を“嘘(うそ)”と感じるのではないでしょうか。
理念と冷厳な現実との乖離(かいり)が、一般論として改憲を容認させる傾向がみえるようです。
透けて見える国家像
しかし、改憲論議の対象は第九条だけではありません。多くの人がそこをつい見落としがちです。
早く憲法を変えたい首相の思いはさまざまな形で伝わってきますが、新たな憲法像が具体的に本人の口から語られることはありません。
それでも安倍カラーを出そうと次々繰り出す首相指示、政策、法案などから憲法観や国家像が透けて見えます。国民を支配し統治する道具としての憲法であり、正義や真理を所与のものとして国民に教え、ときには押しつける国家、社会です。
それはまさに首相が言う「戦後レジームからの脱却」であり、公権力と国民との関係の大転換です。国家の役割の転換は、著書「美しい国へ」でも随所で主張されます。
近代憲法は、政府・公権力ができることを制限し、好き勝手にさせないために生まれました。それを細部にわたって調整するのが法であり、立憲主義、法の支配とはそうした政治、統治のあり方をいいます。
「憲法を設ける趣旨は君権(公権力)を制限し、臣民(国民)の権利を保全することである」−明治憲法制定の際、枢密院議長だった伊藤博文がこう話しました。
内面に踏み込む権力
実際にできた明治憲法は、天皇が主権を握り、国民の権利は「法律の範囲内で」しか認めない統治の道具となりましたが、最高の権力主義者といわれた伊藤でさえ憲法の理念は正確に理解していたのです。
新教育基本法に盛り込まれた愛国心育成、教育に対する国家の関与強化、道徳の教科化…権力が個人の内面まで踏み込んでもいいとする姿勢が、安倍内閣になってからますます鮮明になってきました。
改憲は統治の基本ルールにそれを反映させることになるでしょう。公権力が国民に対して優位に立ち、思い通りに統治する道具に憲法を変えようとする発想です。
それは戦後日本の復興と発展を支えてきた“粒あん社会”を否定することも意味します。
敗戦後の日本人は、正義や真理を自明のものとは考えず、互いに主張し、反論し、対立し合う自由と活力を原動力として豊かな国をつくり上げました。一粒一粒が個性を発揮しながらも全体としてハーモニーを醸し出す粒あんのような社会が、復興、発展の基盤となったのです。
現行憲法は、一人ひとりが個性的に振る舞いながらも調和することを制度的に保障してきました。
憲法を統治の道具とし、教育勅語を核とする教育で国民の個性を封じて、あたかも練りあんのように一色に染め上げようとした戦前、戦中の日本は、これと対照的でした。
この六十余年間、一人として軍事力で殺したことも殺されたこともない実績を、政府の行動を制約している憲法の性格と第九条の効果として尊重するか、憲法を現実と合致させて「戦争のできる国」になるか。日本は岐路に立っています。
その九条を変え、憲法の位置づけも逆転させると、公権力に対する国民によるブレーキの利きは悪くなります。かつてブレーキのないクルマに何十万、何百万の若者が乗せられて戦場に送り出されたことに思いをはせながら「美しい国へ」を再読すると、これまでとは違った理解になるかもしれません。
安倍首相には、改憲を策して果たせなかった祖父、岸信介への思い入れがあります。本音を抑えソフト路線で出発したのに支持率が低下したことから、最近は「それなら思う通りに」という、いわゆる開き直りも感じられます。ですから、国民投票法が成立すれば、小休止中の改憲論議も活発化するとみられます。
去る三月に亡くなった作家の城山三郎さんは「敗戦で得たものは憲法だけだ」が口癖でした。「だけ」とは大事な財産であることを訴えるための強調表現でしょう。
生き残った者の実感
城山さんの口癖は、特攻隊員として死の淵(ふち)に臨み生き残った者の実感です。戦陣の厳しさや悲惨さも知らず、戦火に追われて逃げ回った経験もなく、恵まれた環境、豊かな家庭で育った政治家たちの威勢のよい改憲論とは対極にあります。
支配され、死を迫られた側の憲法観と、統治、支配する側の憲法観、国民は選択を迫られます。
『西日本新聞』社説 2007年5月2日
「不戦の理想」は色あせない 憲法施行から60年〈上〉
俗に、「10年一昔」と言います。そこには、10年もたてば世の中はすっかり変わってしまう、という感慨が込められています。人間社会の有為転変の定めを言い表す言葉です。
今、この国はまさに、変化の真っただ中にあります。きのうまで通用していた技術や常識が時代遅れとなり、社会の仕組みが変わり、価値観までもが揺らいでいます。
「改革」こそが正義であり、変化を拒むことは悪である‐そう言わんばかりの風潮がさして抵抗もなく人々に受け入れられているかのようにみえるのも、今が変化の時代だからでしょう。
でも、そんな時代だからこそ、時には立ち止まってみることが大切です。そして、何十年たとうが決して色あせることのない理想があることに、思いをはせてみてはどうでしょうか。
日本国憲法が施行されてから、あすで60年が経過します。
■改憲の動きに現実味
還暦を迎えた現行憲法を改正しようとする動きが、徐々に現実味を帯び始めています。
安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲の是非を問う考えを表明しました。改憲の手続きを定める国民投票法も、今国会中に成立しそうな情勢です。
なぜ、憲法を変えようとするのでしょうか。改憲論者たちの口から、必ずといっていいほど出てくるのは「今の憲法と現実の間にずれが生じている」という言説です。
そうした言説はとりわけ、戦争の放棄と戦力不保持を定めた憲法9条に向けられています。60年が経過して、日本の安全保障をめぐる環境も大きく変わり、現行の9条では国家と国民の安全は守れない、という考え方です。
果たしてそうでしょうか。
平和が、人類にとって普遍的価値をもつ理想であることに、だれも異存はないでしょう。「不戦」を守り通せばおのずと平和が実現するはずです。
改憲論者たちが言う「現実」とは、いったいなんでしょう。ひとつには、日米同盟強化の流れがあります。
冷戦終結後、唯一の超大国となった米国は、米国型の価値体系に基づく世界秩序の再構築に動いてきました。そして日本に対し、軍事面を含めた一層の協力を求めるようになりました。
小泉純一郎前首相とブッシュ米大統領が築いた日米蜜月関係を背景に、日本がイラクに自衛隊を派遣するに至ったことが象徴的です。
米国側には、軍事面での日米協力緊密化へ向け、日本に憲法改正を期待する空気もあるようです。
アーミテージ元国務副長官らが2000年秋にまとめた日米関係に関する報告書は、「日本が集団的自衛権行使を禁じていることが日米同盟関係の制約になっている」と断じ、暗に憲法改正を求めています。
日本国内の改憲論は、米国の世界戦略と表裏一体の関係にある、とみることもできそうです。
北朝鮮の核の脅威など、この国の安全保障をめぐる「現実」を考えると、米国の力は不可欠です。でも、現実を理由に理想の旗を降ろしてしまっていいのでしょうか。
■平和主義変質の懸念
9条の理想と現実のずれは、自衛隊の存在に集約されているかのようにもみえます。
9条2項は戦力の不保持をうたっていますが、自衛隊は予算ベースで米国、ロシア、中国に次ぐ世界第4位の軍事組織です。諸外国からみれば、強力な軍隊にほかなりません。
一方で大多数の国民は、日本の防衛に必要な実力組織として、自衛隊の存在を認めています。ならば9条2項を変え、自衛隊を軍隊として認知した方がすっきりする、という発想が出てきても不思議ではありません。
自民党が一昨年まとめた新憲法草案は、戦争放棄をうたった9条1項はそのまま残す一方で2項を全面的に変え、自衛軍保持を明記しています。
でもそうなれば、自衛隊が専守防衛の則(のり)を越えた普通の軍隊と化し、この国が戦後一貫して掲げてきた平和主義までもが変質してしまう懸念も、なしとしません。
いっそのこと、こう解釈してはどうでしょうか。9条2項は国民の生命、財産を守るための実力組織をもつことまで禁じているわけではない。「実力組織の役割は専守防衛に限定し、その規模もなるべく小さい方がいい」という方向性を示す規定だ、と。
そうでないと、自衛隊を合憲とする政府解釈は成り立ちません。
9条2項の存在が自衛隊の活動を制約し、日本の軍事力の無原則な膨張に歯止めをかける効果をもっていることは、紛れもない事実です。
憲法は、現実にどう対処するかを定める文書ではないはずです。むしろ、国民が共有できる理想の表現、と解釈したいものです。
不戦の理想は、戦後日本の出発点であり、今も大多数の国民が支持しています。軍隊が不必要な世界は、究極の理想ともいえます。
私たちが、現実をその理想に少しでも近づけたい、という意志を持ち続ける限り、9条に込められた精神は輝きを失わないはずです。
『神奈川新聞』社説 2007年5月2日
憲法60年 再確認したい人権の意義
日本国憲法が五月三日に施行六十周年を迎える。自らと世界に多大な惨禍を与えた侵略戦争への反省に基づき、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を定めた日本国憲法は、うちひしがれた国民に新たな希望と針路を与えた。戦後の日本が国際社会に復帰し、世界第二位の経済大国となった土台には、この憲法があった。
ところが現在、憲法と日本社会は大きな岐路を迎えている。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍晋三首相は、任期中の憲法改正に強い決意をみせている。国会では、憲法改正手続きを定める国民投票法案の国会審議が大詰めを迎えた。何より重大なことは、国民の義務や安全保障を強調する憲法改正論と連動して、基本的人権の軽視、平和主義の後退が顕著になっていることである。六十周年を機に、憲法の意義をあらためて考えたい。
まずは基本的人権である。憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」(一三条)、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(一九条)、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(二一条)と規定している。個人の尊厳と精神的自由は、世界人権宣言や諸国の憲法に明記された人類普遍の価値である。
ところが日本の現状はどうか。自衛隊イラク派遣に反対するビラを配布すれば狙い撃ちで逮捕される。戦前の治安維持法の再来を思わせる権力の暴走だ。学校現場では、教職員を処分してまで日の丸・君が代の「強制」が行われる。そして、改正教育基本法の下で、「愛国心」教育が進められようとしている。権力が個人の心に土足で踏み込もうとしている。
また、憲法は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(二五条)とうたっている。生存権を規定し社会保障制度の確立を求めたものだ。しかし、現在の日本は、構造改革と規制緩和の下で「格差」と「貧困」が拡大し、米国流の弱肉強食の社会になりつつある。
経済協力開発機構(OECD)報告書によると、日本の相対的貧困率は米国に次いで二位だ。生活保護世帯は百万世帯を超えている。非正規雇用労働者の増加は、懸命に働いても貧困から抜け出せない「ワーキングプア」を生み出すなど、格差のさらなる拡大と固定化を招こうとしている。巨額の財政赤字があるとはいえ、医療福祉予算は厳しく抑制され、容赦ない弱者切り捨てが進んだ。
国民が抑圧され、分断される社会。富と権力を持つ側のための社会。恐ろしげな未来像が見える。私たちは今こそ人権規定の意義を再確認したい。憲法は個性と人権が尊重され、安心して暮らせる社会への道を示している。問われるのは憲法ではなく政治である。
『八重山毎日新聞』社説 2007年5月2日
岐路に立つ平和憲法 施行60周年、加速する改憲の流れ
■5年後に改憲?
あす5月3日は「憲法記念日」でわが国の憲法は施行60周年を迎える。人間でいえば“還暦”の節目に当たるが、しかし任期中の改憲を目指す安倍首相の登場で改正手続法の国民投票法も今国会で制定される見通しであり、さらに憲法で禁じられている集団的自衛権の行使も一部容認に向け、有識者会議を設置するなど国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を基本としたその憲法も大きな岐路に立っている。
しかも安倍首相は5年後の改憲実現を目指しているが、これに対し平和憲法を守るという護憲政党の力は二大政党制の前で衰微。草の根の市民運動で「九条の会」が全国でがんばっているが、各種の世論調査でも改憲賛成が多数を占めるなど、歯止めがかからないというよりむしろ加速する「改憲」の大きな流れの中で危機感とともに無力感も出ている。
ただ改憲に多くの国民が賛成しているとはいえ、憲法の根幹である戦争放棄の九条改正には逆に半数以上が反対しており、平和憲法が守れるかどうかは今後の市民運動にもよる。若者や子供たちに平和の大切さをいかに伝えていくか、粘り強い地道な活動が必だ。
■他国民の命、1人たりと奪わず
国会は先月25日、憲政記念館で衆参両院主催による憲法施行60周年式典を行った。席上安倍首相があらためて改憲の意欲を語ったのに対し、河野洋平衆院議長は、「憲法の下でわが国の部隊が海外で1人たりとも他国の国民の生命を奪うことはなかった。この平和の歩みは誇っても良い実績だ」と強調。「憲法は国家の命運を左右する。憲法論議は幅広い視野に立ち、謙虚に歴史に学ぶ心を持ち、国家と国民の将来に責任感を持って行われることを切に望む」と慎重な議論を求めたという。
まさにその通りであり、この世界に誇る平和憲法をなぜ改正しなければいけないのか。表向きには「新しい時代に合わせて」とか、「米国に押し付けられた憲法」とかいろいろ理由が挙げられているが、しかし九条に関していえば、変えなければ不都合な人がいるのだろうか。
確かにいまの日本の実態は、自衛隊のイラク派遣など既に憲法九条をなし崩しにして、「戦争をしない国」から「戦争をする国」に確実に突き進んでいる。そしてそれをさらに進めて安倍首相は、いよいよ米国など同盟国が戦争をするとき、日本も一緒になって自衛隊が海外の戦闘行為に参加する集団的自衛権の行使見直しにも着手した。
この集団的自衛権の行使は憲法九条で禁じられ、これまでの政府見解でも否定されてきたものだが、これが解釈見直しで認められると事実上憲法改正の前倒しともなるものだ。しかし思うになぜに安倍首相はこうも自らが唱える「美しい国づくり」とは逆の、わが国を再び破滅と荒廃に導く「戦争をする国づくり」に一生懸命なのだろうか。
■九条の会が意見広告
改憲に関しては、国民投票法案をめぐる安倍内閣の衆院での強行突破で民主党の反発を受けたことから、一部で改憲は遠のいたという見方が出ている。しかしそれは速いか遅いかで流れは止まらないだろう。
憲法施行60周年の3日には全国各地でさまざまな催しが予定されているようだが、八重山では「九条の会やえやま」が新栄公園の九条の碑前で「憲法が危ない、緊急集会」を開催するほか、憲法改正に反対して「いしがき女性九条の会」が意見広告を同日の新聞に掲載する。同広告は1人500円を募って行われたが、1000人余が応募したという。
イラクに派遣される自衛隊の出発のシーンが何度かテレビで映し出されたことがあった。そのさい直接戦闘に加わらない後方支援といいつつも、見送りの家族らは無事に帰ってきてと不安を口にしていた。しかし憲法が改正され、集団的自衛権が容認されると、後方支援でなく直接戦闘に参加することになるのである。そうなると九条の会などがよく言うように、自衛隊に応募する人がいなくなり、必然的に日本も韓国などと同じく「徴兵制」はあながち否定できない現実になるだろう。改憲の大きな流れの中で「護憲」の市民運動も大きな岐路にある。
『佐賀新聞』有明抄 2007年5月2日
日本国憲法が公布されたのは1946年11月3日。そして施行されたのは6カ月後の47年5月3日である◆これは憲法第一〇〇条に「この憲法は、公布の日から起算して6カ月を経過した日から、これを施行する」と定められているからである。だから5月3日は「憲法記念日」として国民の祝日となっている◆憲法は、その国の統治のあり方を定める国の最高法規で、日本国憲法は前文と11の章(全一〇三条)からなっている。主権者を天皇から国民へ。それまでの大日本帝国憲法から大きく変えられたにもかかわらず「大日本帝国憲法の改正」という形で公布されたのは、法としての継続性が必要だと考えたGHQ(連合軍総司令部)が、そう政府に求めたからだとされている◆憲法の3大原則は「国民主権(主権在民)」「基本的人権の尊重」「平和主義(戦争の放棄)」。国民主権は国の政治を最終的に決める力は国民にあるということで、基本的人権は「誰をも侵すことのできない永久の権利」。そして平和主義は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」こと◆“侵略戦争の禁止”を掲げた憲法は他の国にもあるが、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と戦力不保持まできっぱり明文化しているわが国の憲法は他に例をみない格調高さである◆今、憲法の見直し、改正の議論が盛んだが、その是非を考えるにあたって、現行憲法のことをよく知っておくことが大切である。憲法に何が書かれ、どのように暮らしの中に生きているのか。あすは憲法記念日。いま一度、憲法を読んでみよう。(賢)
『沖縄タイムス』社説 2007年4月30日
[憲法世論調査]「九条」見直しに警戒感
なぜ「集団的自衛権」か
憲法改正については「必要ない」(46%)とする人が「必要ある」(43%)を上回り、平和憲法の理念である九条は「改正すべきでない」(56%)が「改正すべき」(24%)の二倍以上に上ることが分かった。
本社世論調査からは、改正論議に理解を示しつつ日本国憲法の「平和主義」の柱である九条「見直し」には警戒感が広がっていることが読み取れる。
井端正幸沖国大教授が指摘するようにNHK、読売新聞などの調査でも「非改正派」が増えており、県民意識は同一線上にあると考えられる。
これは安倍政権になって加速する改憲論議に、国民が慎重さを求めているとみていいのではないか。
復帰して三十五年。県民意識の上で「本土化」が進んだのは確かだ。
だが、県民には日米両政府が約束した「負担軽減」より、「機能強化」が目立つ在沖米軍基地の存在が改憲論議と重なるのも間違いあるまい。
注目すべきなのは、「戦争放棄、交戦権の否認、戦力不保持」を唱える九条について「改正すべきでない」とする声が「改正すべき」を二倍以上も上回っていることだ。
自衛隊の認知度については、災害復旧活動や救急医療搬送などで高まってきているのはいうまでもない。
任務についても、憲法の範囲内で認められた「専守防衛」の枠内での行動形態が容認されたといっていい。
だが、防衛庁が「省」に格上げされ、今また国民的な論議もないまま有識者だけで「集団的自衛権」の解釈改憲に取り組もうとする安倍晋三首相の姿勢は「まず九条の改正ありき」で突き進んでいるようにしか見えない。
日米軍事同盟の強化が背景にあり、米軍に対する支援、協力をしやすくするための解釈改憲であるのは確かだ。
九条で禁じられている集団的自衛権の行使について51%が「使えない立場を堅持する」と答えたのは、拡大解釈の動きに対する懸念だと言えよう。
一方で「憲法解釈で使えるようにする」が24%、「九条を改正して使えるようにする」も15%あった。これは県民意識の変化と言うこともでき、その意味で注視する必要があろう。
「投票法案」は拙速避けよ
衆議院で与党単独採決され参院に送付された国民投票法案与党修正案は、憲法を改正するための手続きを定める法律だ。
しかし、法案の趣旨がきちんと国民、県民に浸透しているかどうか、疑問と言わざるを得ない。
罰則規定はないが、特殊法人職員や公務員、私立学校教員などの「便益を利用した(憲法改正をめぐる)運動の禁止」規定は、国民として憲法をどう考えるのかに網をかぶせるものにはならないのかどうか。
同法案を「早く定めるべきだ」としたのは七十代の29%が最も多かった。低いのは五十代の23%にすぎない。
全年代で20%台だったのは「憲法改正論議が不十分」(全体で54%)というのが最大の理由であり、国民の理解を得ていない証しと言えよう。
つまり七割もの人が法案に疑問を呈しているのであり、その意味を政府はきちんと分析する責務があろう。
この問題では安倍内閣の支持層でも「(論議が)十分でない中で決める必要はない」が49%。自民支持層でも「早く決める」と「決める必要はない」が45%と同率だった。
ここは性急に事を運ばず、国民の声に耳を傾けながら国会でもしっかりと論議することが求められているのだということを自覚してもらいたい。
「平和主義」の理念守れ
沖縄は一九七二年の復帰から現在まで、約束された米軍基地の整理・縮小がほとんど進んでいない。
普天間飛行場と同じように県内移設条件付きの返還が多いためで、九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で返還合意された十一施設のほとんどがなお滞ったままだ。
安保条約を肯定し自衛隊容認派が増えたことで、県民意識が変化してきたのは事実である。
だが、だからといって「戦争放棄」をうたう九条を守る意識に変化が生じたわけではない。
むしろ沖縄戦に続く二十七年間の米軍支配、復帰後も存続する巨大基地が逆に憲法の必要性を意識させていることを忘れてはなるまい。
県民の思いは憲法の平和主義の理念に込められているのであり、その意義をこれからも大切にしていきたい。
『陸奥新報』時事随想 2007年4月29日
日本国憲法「簡単に変えられぬ最高法規」
今年の憲法記念日は特別の意味を持っているように思う。日本国憲法が施行されてから、今年はちょうど60年の節目だ。人間で言えば「還暦」に当たり、お祝いの会が持たれても不思議ではない。しかし今日、憲法をめぐっては「改正」の動きが強まる一方、戦後日本の平和と経済繁栄の象徴として「擁護」する世論も根強くある。
このような中で安倍首相は7月の参院選の争点に憲法改正を挙げており、現に今「国民投票法案」が参議院で審議中であるが、これほどの重要法案にもかかわらず国民の関心はいまひとつという思いがする。与党の絶対多数の国会の中で既に可決が前提になっているかのように伝えられるが、一国民として黙っているわけにはいかない。
国民投票法案の制定については「現憲法には憲法改正の手続き法がないので整備は当然」「国民投票法案は改憲手続き法であるので法制定は憲法改正の一里塚」の見方がある。参議院憲法調査特別委員会や地方公聴会でのやり取りを見ていると、こんなに急いで結論を出して良いのかと疑問に思わざるを得ない。言うまでもなく憲法は国の最高法規であり、憲法尊重擁護の義務があるのは一般国民ではなく為政者=権力者である(憲法第99条)。立憲主義に立てば首相や国会議員が憲法を一番守らなければならないのに、むしろ憲法改正を急いでいるというのが実際のところである。繰り返すが、憲法とは国民を縛るものではなく、権力を有する者を縛る法規なのである。憲法はこの国のあり方と仕組みを定めたものであるからこそ、簡単に変えてはならない最高法規なのである。
ところが今回の国民投票法案では最低でも三つの疑問点が浮かび上がっている。第一に、投票成立に関する最低投票率の規定がないこと。第二に、公務員・教員の運動に規制があること。第三に、宣伝の規制の三つである。このうち、特に一番目の最低投票率が明示されていないことについて違和感を持つ方も多いのではないかと思う。一般社会では何事を決めるのにも成立条項の規定がある。一般に会合の成立は過半数(委任状を含む)で、重要条項の賛否は三分の二というのが常識なところだろう。ましてや今まな板に乗っているのは国の最高法規としての憲法である。最低投票率を定めなければ、理論的には投票率50%と仮定すると有権者の25%の賛成で成立することになる。これでは憲法改正のハードルを低くするためのものであるという批判に反論できないのではないか。
最近の世論調査では、憲法改正が必要だという方の中にも「戦力不保持」と「交戦権」を否認した第九条二項を支持する世論が多い傾向にある。現憲法とともに育ってきた「団塊の世代」の私などは、現憲法があったからこそわが国は「平和国家」を維持し続けることができたと考える。集団的自衛権を容認し、米軍との共同行動枠を広げることが本当に日本の利益になるのか冷静に考える必要があろう。施行60周年を前に、憲法を次世代にも継承することの重要性を再確認したい。
(弘前大学教授 神田 健策)
『社会新報』主張 2007年4月18日
「国民投票法案」
国民の意思正しく反映せぬ欠陥法
与党は12日、国民投票法案(改憲手続き法案)を強行採決するという暴挙を行なった。ここに至る間、民主案との一本化がなるのかどうかにマスコミの注目が集まった。しかし、民主的な意思表示を保障せず国民の意思を正しく反映しない制度設計という点で与党案と民主案との間に大差はない。自公民3党協議では議論の対象にすらならなかった論点も多い。あらためて、ほとんど両案に共通する主な問題点を与党修正案に則しておさらいしてみる。
第1に、最低投票率規定がない。投票率を50%と仮定すれば全有権者の4人に1人強の賛成で改憲が承認される。これでは主権者の意思の反映とは言えまい。
第2に、公務員・教育者の運動が規制される。罰則は設けないとされたが、禁止行為は違法行為である以上、刑事罰より乱発されやすい行政処分の対象となり、強い萎縮効果を持つ。また、国家公務員法・地方公務員法の公務員の政治活動の制限規定適用が排除されず、法施行までに「必要な法制上の措置を講ずる」とされた。刑事弾圧を伴う運動規制導入のおそれは大きい。「組織的多数人買収・利害誘導罪」の構成要件のあいまいさという問題も、依然として解消されていない。
第3に、有料広告がほぼ野放しのままだ。「持てる者の自由」を保障することで「カネで憲法を買う」という不平等を容認しているのだ。テレビスポットCMの料金は、市民運動がカンパで賄うといったレベルではない。ちなみに、AC公共広告機構の無料広告を有料に換算すると年間300億円超といわれている。
第4に、議席数に応じて委員数を割り振る「広報協議会」のあり方だ。政党等の届出団体による無料意見広告が賛否平等の扱いとされたことに隠れる形で、同協議会は「公報」(改憲案と要旨、新旧対照表、賛成・反対意見を掲載)を作るだけでなく、いつのまにか改憲案の広報放送・広告を行なう主体とされ、無料意見広告はこれと一体化された。この点は国会できちんと議論されておらず、重大な懸念を持たざるをえない。
第5に、「過半数」の分母は何かという問題。修正案では「投票総数」とされているが、これは賛成・反対票の合計のことであり、原案の「有効投票総数」の言い換えに過ぎない。
法案は総じて、主権者が自主的かつ公正な判断を下す条件を整備するという発想を欠いている。欠陥法案であり、廃案こそ妥当だ。
『香川新聞』コラム 2007年4月27日
「総意」のリスク
憲法改正の手続きを定めた国民投票法案の審議が続いている。単なる手続き法とは言うが、考えさせられるものはある。
国民投票のあり方は、国の政治文化を反映している。欧州では広く行われているのだが、ナチズムを体験したドイツは基本法(憲法)によって、事実上封印している。ヒトラーは国際連盟脱退や領土併合などの際、世論を扇動し、国民投票によって「総意」を作り上げた。
これとは対照的に、国政の重要課題で国民投票を頻繁に実施するのはスイス。最近では昨年九月に移民規制の強化が、十一月には東欧諸国への経済援助継続が国民投票で可決されている。こちらは国民の総意を問う直接民主主義の手段とみなしている。制度を支える背景には、強固な個人主義と地方分権があるといわれる。
フランス大統領だった故ミッテラン氏は、国民投票に不信感を持っていたという。投票の結果には、問われている問題への賛否ではなく、その時々の政治全般への信任や不満が表れるとの理由からだ。
二〇〇五年にフランスとオランダの有権者が、欧州憲法の批准を否決したのはその好例かもしれない。欧州連合拡大による移民問題や、経済自由化による労働条件悪化などへの不安が、直接には関係のない欧州憲法の否決につながった。
今回の国民投票法案は、有効投票総数の過半数で憲法改正が承認されると定める。最低投票率の規定がなければ、仮に投票率が40%とすれば、その半分、有権者全体の二割程度の賛成で「総意」が形成されることがある。
国民投票は、使い方によっては民主主義を破壊するリスクもあると肝に銘じておきたい。
『神戸新聞』社説 2007年4月27日
集団的自衛権/「結論ありき」でないのか
安倍首相の強い意向を受け、政府は憲法九条の解釈で禁じられている集団的自衛権について研究する有識者会議を設置した。来月中旬に初会合を開き、秋には結論を出すという。
研究といいながら、憲法改正を内閣の目標とし、憲法解釈についても度々疑義を唱えてきた首相の指示でスタートする会議が、どんな結論を出すのかは、ほぼみえているのではないか。「結論ありき」の議論が独り歩きする懸念を抱かざるを得ない。
自国が攻撃されていなくても、密接な関係にある外国への武力攻撃を自国への攻撃とみなして阻止する国家の権利を、集団的自衛権と呼んでいる。国際法上も認められているが、日本は戦後一貫して、その行使を禁じてきた。
「憲法で許されている自衛権の行使は、日本を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権はその範囲を超えると解釈する」。これを、政府の正式見解としてきたからだ。
しかし、それで日米同盟は効果的に機能するのか。疑問をぶつける形で昨年秋、首相に選ばれて早々の所信表明で、安倍首相は「どんな場合が憲法で禁止されている集団的自衛権に当たるのか、個別具体的に研究する」と表明した。
首相のいう個別具体的なケースとして、米国を狙った弾道ミサイルを日本のミサイル防衛システムで迎撃▽公海上で自衛隊艦船と並走する米艦船が攻撃された場合の反撃▽PKOなどで共に活動する他国軍への攻撃に対する反撃▽多国籍軍への後方支援-を有識者会議で研究するという。
結局、自衛隊が米軍と共同行動を取るために、改憲には時間がかかるから解釈による制約を緩めようということではないか。
しかし、すでに小泉政権時代にインド洋に自衛艦を送り込み、イラクには「非戦闘地域」という無理な理屈をつくり出してまで、陸上自衛隊を派遣した。現実には、憲法の枠を次々に踏み超えている。
一方で、米軍再編に伴う日米の軍事連携が進み、防衛省発足で自衛隊の海外派遣が本来任務にかさ上げされた。「時代に合った新しい安全保障」が首相の主張だが、際限のない解釈改憲は、米国の戦争に巻き込まれるおそれを、さらに大きくする。
共同通信による最近の世論調査で現行の憲法解釈を「今のままでいい」とする回答が過半数を占めたことは、国民の中に危機感が広がっていることの裏付けだろう。有識者会議を“お墨付き”にして、憲法を空洞化させることがあってはならない。
『西日本新聞』社説 2007年4月27日
強引な手法が目に余る 与党の国会運営
最終的には多数決で物事を決するのが民主主義のルールである。だが、そこに至る過程では、議論を尽くさなければならない。
最近の国会運営をめぐり、そんな当たり前の原則を無視したかのような与党の強引な手法が目立つ。
衆院で国民投票法案や米軍再編推進法案、少年法改正案の採決を強行したことが典型的な例だ。
いずれも、国民の賛否を二分するような内容を含んでおり、野党は徹底審議を求めていた。それを押し切っての強行採決である。結果として、各法案とも多くの疑問点を残したままだ。
国民投票法案については、最低投票率制度の導入を求める声や、公務員の政治活動制限を疑問視する声もある。
衆院段階で与党がこうした疑問に十分答えたとは言い難い。
国会での改憲発議には衆参両院それぞれ3分の2以上の賛成が必要なことを考えると、与党単独で押し切るような手法にはなおさら疑問が残る。
米軍再編推進法案には、自治体の協力度に応じて交付金の額に差をつける制度の創設が盛り込まれているが、金の力で基地受け入れを迫るような手法には、自治体側の反発もある。
米軍再編に伴い日本側に巨額な負担が生じるとみられるのに、その全体像が不明確なのも問題だ。野党側が見積もりやその積算根拠を明示するよう求めても、政府側は一切答えなかった。
少年法改正案をめぐっては、厳罰化の流れを疑問視する声や、少年の権利侵害を懸念する声もある。
こうした疑問に十分答えないまま一方的に審議を打ち切って採決するようでは、国会審議が空洞化してしまう。
夏の参院選を控え、今国会の会期延長は事実上、不可能である。その参院選をにらんで与党との対決姿勢を強める野党側には、審議を引き延ばして与党を追い詰め存在感を示す思惑もあるだろう。
与党が強引な手法もいとわず法案処理を急ぐ背景には、会期延長ができない時間的制約に加え、「野党に得点を与えたくない」という計算もあるようだ。
もちろん、政治の世界に駆け引きはつきものである。選挙をにらんで与野党の政治的思惑がぶつかり合っても不思議ではない。
だがそれにしても、与党は性急にすぎる。米軍再編法案の処理を急ぐ理由は推測できる。対米関係重視の政府方針を踏まえているからだろう。
ただ、国民投票法の成立や少年法の改正が遅れたとしても、にわかに国民生活や社会秩序維持に支障をきたすことはないはずだ。
ここはやはり、数頼みの強引な手法は慎むべきだ。審議時間が足りなくなれば、次期国会で仕切り直してもいいではないか。
『熊本日日新聞』新生面 2007年4月27日
解釈改憲
時節柄もあり、生まれて初めて憲法の全文に目を通した。と言っても十七条までだから、それほど時間はかからない。聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのみこ))が六〇四年に著したとされる「十七条の憲法」だ▼千四百年前の憲法も読んでみると奥が深い。広く知られた第一条は「和をもって貴しとなす」。つまりは「争うな」だが、平和宣言から始まるのは、ちゃんと理由がある▼日本書紀によれば、十七条憲法に先立つ六世紀末は豪族同士の戦乱の時代。聖徳太子に近い蘇我氏が物部氏を滅ぼす過程で、時の天皇まで命を奪われてしまう。美術史家の上原和氏はこの条文に、太子の深い反省の気持ちが込められていると指摘する(半藤一利編著「日本史が楽しい」)▼太子の憲法はまた、政治に携わる者の志を説いた。第五条では私利私欲を捨て、庶民の訴えに公平に耳を傾けるよう勧める。第七条は職分の十分な掌握と、権限乱用への戒め。今の政府が時々出す通達にそっくりだ▼現代の日本国憲法は、法解釈の変更がにわかに話題に上ってきた。過去の法解釈で違憲とされてきた集団的自衛権の行使を、一部容認する方向で有識者会議が検討するという▼渡米中の安倍晋三首相はきょう、ブッシュ大統領との首脳会談に臨む。日米同盟強化へよい手土産になるとの考えだろう。ただ、改憲手続きを定める国民投票法案の成立を急ぐのは、これ以上の“解釈改憲”が限界に来たからだったはずでは▼十七条憲法の最後の条文は、重要なことこそ衆議にかけて決めるべきだと強調している。漢文の原文を眺めていると「不可独断」の四文字が目についた。
『琉球新報』社説 2007年4月27日
集団的自衛権・新たな派兵の道開く愚行/民主国家といえない解釈改憲
安倍晋三首相が、憲法が禁じている集団的自衛権の行使に向け、有識者会議を発足させた。「日米同盟の強化」のために、憲法9条の解釈変更で、集団的自衛権の行使の一部容認を打ち出すのが狙いという。世論調査では国民が改憲に慎重、9条の堅持を支持する中で、「解釈改憲」とは、民意を無視した、あまりに姑息(こそく)な手法と言わざるを得ない。
集団的自衛権について政府は、1981年の鈴木善幸首相時代以来、「保有しているが行使できない」との統一見解を、政府答弁として閣議決定し、堅持してきた。
違憲状態の是正を
だが、政府のこの見解自体も「憲法解釈に無理がある」との批判を浴びてきた。原点に立ち戻ろう。日本国憲法を読み直せば、批判や疑問はおのずと出てくる。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
紛争の解決手段としての戦争を否定し、武力の行使は「永久に放棄する」と書いてある。
9条の2は、こう続く。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条に難解な言葉はない。中学生でも理解できるよう明快な文書で書かれている。
現実は「戦力を保持しない」はずが、まぎれもない戦力と認知されている「自衛隊」を保持。「交戦権を認めない」はずが、交戦せざるを得ない事態に巻き込まれる恐れのある海外の「非戦闘地域」にまで自衛隊を派遣している。
憲法の条文を、そのまま読めば、明らかに現状は違憲状態にある。
現状が憲法の規定と異なるとき、現状を憲法に合わせ、是正するのが「法治国家」であり、違憲状態を放置するような国家は「法治国家」とは呼べない。
そして世論調査で国民が望まない「9条改正」を、国民投票もなく政府が「解釈」で実質改憲するような国家は、法治国家どころか「民主国家」ともいえない。
安倍首相が設置した有識者会議は具体的な検討項目として(1)日本のミサイル防衛(MD)システムで米国を狙った弾道ミサイルの迎撃(2)公海上で自衛隊艦船と並走する艦船が攻撃された場合の反撃(3)共通の目的で活動する多国籍軍への後方支援(4)国連平和維持活動(PKO)などでともに活動する他国軍への攻撃に反撃するための武器使用—の4類型を挙げている。
うがった見方をすると、検討項目そのものが「集団的自衛権の行使はやむなし」と思わせるような項目設定に思える。
憲法違反を重ねたツケ
設定される問題の本質を問い直すと、なぜ米国は弾道ミサイルで狙われるのか。自衛隊が「反撃」するために武器を使用するケースは、いずれも専守防衛の枠をはずし、自衛隊の海外派遣を可能にするイラク特措法やテロ特措法を強行成立させたツケで生じた問題とみることもできる。
軍隊の保持を禁ずる憲法に反し、自衛隊という軍隊を持ち、武力行使を禁じる憲法を持ちながら「大量破壊兵器の保有」という情報を信じ、日米同盟の強化のために海外に自衛隊を派遣する特措法を制定し、専守防衛の枠も取り去ってしまった。
「改憲」しなければならない理由も、「解釈改憲」で言い訳をつくらなければならなくなったのも、すべては憲法に反する行為が源流にある。憲法違反を重ねたツケがそこにある。
安倍首相は、改憲に向けた国民投票法を強行制定しようとしている。しかし「憲法記念日」までに改憲が困難とみるや、今度は「解釈改憲で」と有識者会議を発足させる。ここまでくると姑息を通り越して、背信行為ではないか。
戦争を否定し武力を放棄し、集団的自衛権の行使を禁じ、「同盟」や「国際貢献」の名の下で武力紛争に国民が巻き込まれる危険を防いできた憲法9条を、「解釈改憲」という手法を使ってまで、安倍首相が実現したいという「日米同盟の強化」とは何なのだろうか。
憲法は、政治家、行政など「権力」の暴走を抑制する行動規範としての役割も強調される。「法律は国民を縛り、憲法は権力を縛る」ともいわれる。いま、国民を守る憲法の力を信じたい。
『毎日新聞』社説 2007年4月26日
集団的自衛権 公正で開かれた議論を望む
集団的自衛権に関する「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が25日発足した。5月に初会合を開き、今秋に安倍晋三首相に報告書を提出するという。
首相は就任直後に集団的自衛権の研究について言及しており、懇談会設置も首相の強い意向によるものだ。
政府は集団的自衛権の行使は憲法上認められないという立場で、自衛隊の活動は厳しく制約されてきた。その制約があったからこそ戦後、日本は戦争に巻き込まれず平和を守ることができたという主張は根強い。
一方でこの制約は日米安保体制や国際貢献活動の上で、阻害要因になっているという指摘がある。
特に米同時多発テロや北朝鮮のミサイル発射・核実験などの国際情勢変化を受けて、日米の安全保障面での関係は深まってきた。有事における米国の支援を担保するには、日米はさらに双務的な関係であるべきだという意見もある。
防衛省昇格に伴い海外での自衛隊の活動も本来任務に格上げされた。日本は国連安保理の常任理事国入りを目指しており、国際貢献活動を積極的に果たさなければならない立場にある。
懇談会はこれらの点を踏まえて、これまで憲法上認められないと解釈されたり、グレーゾーンであった分野について個別具体的に検討するという。
例えば、米国に向けて第三国から発射された弾道ミサイルを自衛隊のミサイル防衛(MD)システムで迎撃することができるか。国際平和協力活動で一緒に活動する他国の軍隊が攻撃された場合、駆けつけて援護できるか−−などのケースだ。
私たちは時代の変化に合わせ集団的自衛権についても研究することは必要だと考える。ただし、初めに結論ありきの議論は避けなければならない。
懇談会には、安倍首相に近く集団的自衛権の制約に疑問を投げかけるメンバーが顔をそろえている。塩崎恭久官房長官は「結論ありきは決してない」と強調している。そうならば懇談会の議論は国民に開かれたものであるべきだ。
私たちは教育再生会議に対しても議論の公開を求めてきた。教育と同様に安全保障は国の根幹の政策であり、国民理解があって初めて成り立つものである。
懇談会設置は首相の訪米直前に発表された。米国向けミサイルの迎撃問題などで米政府の要望に配慮する姿勢を見せたいという首相の意向の表れだろう。
ただこの問題は国内でも議論が深まっていない。首脳会談で集団的自衛権の解釈変更や憲法改正が対米公約になるような踏み込んだ発言は慎んでもらいたい。
首相は憲法改正を政治目標に掲げ、参院選でも争点にする意向を示している。分かりにくいのは今回の集団的自衛権の研究と憲法改正との関係だ。憲法解釈の変更で済むのなら、憲法9条改正は不要になるのではないか。その点をていねいに説明してもらいたい。
『北海道新聞』社説 2007年4月26日
集団的自衛権*結論ありきの研究では
政府が、集団的自衛権について研究する有識者会議を設置した。
安倍晋三首相は、その行使は許されないとする憲法解釈そのものの見直しも会議の検討課題にする方針だ。
行き着く先は改憲である。平和主義を掲げてきた日本という国のあり方にかかわる問題だ。決して前のめりで議論すべきではない。
私たちは、集団的自衛権は使えないという従来の政府見解を支持してきた。先の戦争の反省に立ち、再び過ちを繰り返してはならないという強い決意を具現化したものだからだ。
自衛隊の海外活動を厳しく制約してきたのもそのためだが、政府は国際貢献という名目で自衛隊を海外に送り出してきた。
他国の軍隊と活動をともにすれば、一緒に攻撃から身を守ることもあるだろう。集団的自衛権の不行使原則は現実に合わない−。
政府・自民党内ではそんな発想から、憲法解釈の見直し論がくすぶり続けていた。それを勢いづけているのが米国と共同開発を進めるミサイル防衛(MD)だ。
政府は有識者会議で事例研究する自衛権について、米国を狙って発射されたミサイルの迎撃、公海上で自衛隊艦船と並走する他国の艦船が攻撃された場合の反撃など、四つの類型を示している。
しかし、ここは冷静に考える必要がある。MDにせよ、自衛隊の海外活動にせよ、賛否が分かれる国内世論を振り切るようにして政府は実績を積み重ねてきたのではないか。
MDに限らず、各類型で想定されるほとんどのケースが米軍との共同行動であることも見過ごせない。実態は米国のため、といっていい。
そんな現実が憲法解釈を踏み外しつつあるのなら、まず現実を見直すべきだろう。解釈を変えるという理屈は、まるで筋が違う。
MDについては「第三国のために用いられることはないので、集団的自衛権の問題は生じない」とした二○○三年の福田康夫官房長官談話もある。政府は国民に約束したその重みを忘れてはいけない。
集団的自衛権の解釈見直しは、首相が目指す改憲への道につながる。
だが、国民は憲法の前文と九条が規定する平和主義を誇りに思っている。国際社会でも高い評価と尊敬を集めてきた。各種世論調査をみても九条改憲を求める人は少数派だ。
首相には、こうした国内外の声に謙虚に耳を傾けてもらいたい。
有識者会議には、首相の政治信条に近いメンバーが名前を連ねている。これで客観的な議論や研究ができるのだろうか。はじめに結論ありきの会議なら必要ない。
『中国新聞』社説 2007年4月26日
集団的自衛権見直し 米国追随に陥るばかり
安倍晋三首相の指示で、集団的自衛権の憲法解釈の見直しを検討する有識者会議が五月十八日に初会合を開く。米軍再編に伴う自衛隊と米軍の「一体化」を加速させようとする狙いがある。長期的には改憲へ地ならし役を担うと受け止められても仕方なかろう。国会の外で政府がなし崩しに「改憲」をリードするのは越権行為だ。
歴代政府は集団的自衛権については国際法上、日本も当然有しているとする。一方で、日本が直接攻撃されていないのに他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法九条下で許容される実力行使の範囲を超えると解釈してきた。平和憲法下、その規範が続いてきたのは当然である。
ところが近年、米の軍事政策が大きく変化し、解釈の変更を日本政府に求めている。世界規模の臨戦態勢を取りながら、テロにも即応して機動力を発揮できる軍再編への「協力」である。その結果、極東とされていた日米安保条約の範囲も事実上中東まで拡大した。
イラクへの自衛隊派遣について政府は「双務的同盟の強化」と強調してきた。しかし実情は米の軍事戦略に歯止めなく組み込まれて「軍事一体化」を深める道行きになっている。
米が日本への要請を実効性のあるものにするために、一段の法整備を求めているのが今の構図だろう。安倍首相が北朝鮮の脅威などを理由に「同盟のさらなる強化」を掲げることは、裏を返せば米の要求を留保なくのみこんでいくことにもつながる。
ほかに選択肢はないのだろうか。先日、広島で講演した経済同友会終身幹事の品川正治さんは「日米の価値観は同じではない」と述べていた。米は過去も現在も戦争をしている。一方の日本は戦後、戦争をしない国になった。
双方の価値観に違いがあると認識すれば、いろんな選択肢が出てくる。現在の日米関係の足りない点を突いているように思われる。
集団的自衛権の問題を考える場合、忘れてはならないのは敗戦後に国民が肝に銘じた「もう戦争はしない」という決意である。
有識者会議の設置は集団的自衛権の解釈の拡大に加えて、それによって現憲法との食い違いがさらに広がる現実を示す狙いもあるのではないだろうか。いわば国民に具体的な事例を印象づけることによって、改憲への機運を高めていく手法である。事態は一段と緊迫してきている。
『佐賀新聞』論説 2007年4月25日付
憲法世論調査 首相の改憲意欲と落差
共同通信社が実施した全国電話世論調査で、憲法改正に関して小幅だが賛成派が減り、逆に反対派が増えるという結果が表れた。改憲の動きが具体化する中で、慎重な検討を望む人が増えたものとみられる。別の調査も同様で、世論の変化を注視する必要がある。
調査では憲法改正に計57・0%が賛成、反対の計34・5%を上回った。2005年4月の調査では賛成計61・0%、反対計29・8%だったので、賛成派が4ポイント減り、逆に反対派が4・7ポイント増えた。
改正に賛成と答えた人に、理由を聞いたところ「時代に合わない規定があるから」が54・0%で最も多く、ほかの理由に比べ群を抜いていた。
戦争放棄と戦力不保持を規定した九条は44・5%が「改正する必要があるとは思わない」と回答、「改正する必要がある」の26・0%を大きく引き離した。九条問題は、憲法改正論議の核心部分ということを考えると、ここは注目すべき結果といえる。
読売新聞が3月に実施した全国世論調査では憲法を「改正する方がよい」は46%で、「改正しない方がよい」が39%あった。賛成派は昨年調査に比べ9ポイント減り、反対派は7ポイント増え、共同通信調査同様、賛成が減り、反対が増えるという傾向を示した。
安倍晋三首相は在任中に憲法改正をすると公言している。その改憲志向は九条改正を軸にしている。今夏の参院選挙でも、憲法改正を争点とする意向だ。
しかし共同通信世論調査結果は、「時代に合わないから改正は必要だが、九条の改正は必要ない」と考える国民が多数であることを示した。
安倍首相はまた、憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使についても、解釈の見直しを念頭に、容認する具体的な研究を進めている。
これに対しても「今のままでよい」が54・6%で、「解釈を変更して行使できるようにするべき」18・3%、「憲法を改正して行使できるようにするべき」18・7%の合計を上回り、国民多数の考えは首相の目指す方向とは違う。
今回の世論調査で九条改正を必要としないとの回答が必要論を大幅に上回ったことは、平和憲法、戦争放棄といった、現憲法が持つ理念を変えたくないという意思を示したものだ。
共同通信社が参院補選の福島、沖縄両選挙区で実施した出口調査で最大争点を聞いたところ、いずれも「景気と雇用」との回答が最も多く、安倍政権が意気込む「憲法改正」や「教育」は一けた台だった。
「憲法改正」は沖縄で9・3%、福島で6・2%だった。その数字にしても、安倍内閣を支持しない層で争点とした人が多く、改憲反対の立場での関心とみられる。
両選挙区に共通して「景気と雇用」に続くのは、「格差」「少子高齢化・福祉」だった。国民が政治に今最も求めるものは雇用、経済、暮らしをよくしてしてほしいという切実な問題である。
憲法に関しては、改正への期待は低下、逆に安倍政権のタカ派姿勢に警戒感が広がっている。
参院で審議入りした憲法改正の具体的な手続きを定める国民投票法案に関しても「今国会成立にこだわる必要がない」が過半数の55・6%を占め、「早く成立させるべき」は19・9%にとどまった。
憲法改正論議は急がず慎重に進めてほしいとの意識の表れとみるべきで、世論と安倍政権との姿勢に溝ができていることを真摯(しんし)に受け止めねばならない。(上杉芳久)
『中日新聞』社説 2007年4月22日
歴史から学ぶ姿勢を 週のはじめに考える
大きな川は水辺ではよどんでいるかのようです。そこから離れて高台から眺めると流れがわかります。「時代の流れ」も歴史の大河から学び取る姿勢が大切です。
「戦前の日本の転換点は満州事変から昭和十年前後。国の“かたち”が戦時体制になりました。現在の日本も状況が似ていませんか」
先月開かれた全国各紙の論説記者の会合で、作家の半藤一利さんが語りかけました。半藤さんは昭和史を中心とした執筆に取り組み、多くの優れた著作で知られています。
昭和十年前後と今の日本を比べると、次の点でよく似ているのだそうです。補足説明して紹介します。
「戦前」とよく似ている
一番目は、教育の国家統制です。昭和八年に教科書が変わり、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」など忠君愛国が強調されました。
<今は、「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正です>
二番目は、情報の国家統制です。昭和八年に新聞法の強化、出版法の改正があり、マスコミの自主規制も激しくなりました。
<今は、通信傍受法や個人情報保護法です>
三番目は、言論規制の強化。特高警察が昭和七年に設置され、大本教など宗教団体にも弾圧が広がりました。大防空演習を批判した信濃毎日新聞の桐生悠々が迫害され、作家の小林多喜二が拷問死しました。
<今は、共謀罪への動き、そして憲法改正への歩みです>
四番目は、テロです。昭和七年に起きた犬養毅首相暗殺の五・一五事件をはじめ、政財界要人の暗殺、暗殺未遂事件が相次ぎました。
<今は、靖国問題絡みでの日本経済新聞社への火炎瓶投入、加藤紘一・自民党元幹事長の実家放火、そして伊藤一長・長崎市長射殺です>
政治家や論壇、民衆レベルのナショナリズム鼓舞も共通です。昨今では曰(いわ)く、「日本に自信と誇りを持て」「自虐的な歴史観はいけない」。
こうして並べてみると、確かに類似点が見いだせます。
異を唱える声も予想されます。当時と今では政治、経済、国際的な状況がまるで違うのに、こじつけで戦争への不安をかき立てるのは強引すぎる、といった反論です。
「攘夷の精神」の危うさ
論難を承知のうえで、半藤さんはこう言いたかったのでしょう。「あの時と同じ過ちを繰り返してはならない」、そのためにも「歴史を学んで歴史を見る目を磨いて」と。
日本が排外的ナショナリズムに傾いていく「時代の空気」への警告でもあります。半藤さんによると、日本人の精神の奥には外国人を打ち払えという「攘夷(じょうい)」があるそうです。しかし、「攘夷の精神」は日本の孤立、戦争につながりました。
よくいわれるように、「平和」や「反戦」を唱えるだけでは国民の生活は守れません。「平和のための軍事力が必要」という意識を持つ人が増えているのも現実です。
北朝鮮、イランの核開発問題、イラクなど混迷の続く中東情勢、軍事拡大の中国、在日米軍の再編、さらにテロの脅威と、日本を取り巻く安全保障の現状は厳しく、直面する課題は少なくありません。
でも、武力頼みの危険性や国際協調主義の重要性は歴史が証明しています。指導者には、謙虚な歴史認識に立った冷静な現状判断と明敏な将来ビジョンが求められるのです。
米コロンビア大のジェラルド・カーティス教授が本紙寄稿で、近く訪米する安倍晋三首相の歴史認識を質問しています。「日本の戦時責任についての見解」と「戦後日本をどう考えているのか」の二つです。
特に、首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」に疑問を投げかけます。「敗戦の灰の中から立ち上がり、世界第二の経済を持つ、民主主義と平和の国になった」日本の「戦後レジームの何がそんなにひどいのか」。
安倍首相は憲法改正を夏の参院選の争点にすると言いました。改憲への手続きを定める国民投票法も今国会で成立する見通しです。
日本人は、戦争の悲惨さと愚かさを身をもって知りました。この体験と反省から生まれたのが現憲法に基づく体制、価値観です。それを否定して目指す体制とは何なのか、戦争責任と戦後日本への見解と併せ、国民に語る責務が首相にはあります。
「時代の流れ」はどこに向かっていますか。戦争への再びの道を警戒するのは思い過ごしでしょうか。
歴史を繰り返させるな
世情はどこか重苦しいムードが漂っています。あるアンケートで、太平洋戦争で米国とは戦っていないと答えた学生が二割を超えたそうです。若者たちの間で広がる「体制には逆らわない、政治にはかかわらない」という空気も気になります。
かつては新聞も誤りました。戦争への坂道を転げ落ちたのは、軍部の独走のせいだけではありません。マスコミが民意を煽(あお)ったのです。今の新聞にも厳しい批判があります。
自戒して「繰り返してはいけない歴史がある」とかみしめます。
『千葉日報』忙人寸語 2007年4月22日
▼他にも立候補者はいた。しかし、下馬評は圧倒的にこの人だった。予想通り安倍晋三氏が選ばれた。この時、日本国憲法改正への道が開かれてしまったのではないか、と遠くもない過去を振り返っている
▼逆に、反戦平和を唱える人々、護憲派にとって『出城は攻め落とされた』と受け取っても良かったのではないか。憲法改正への手続きとなる国民投票法案が先ごろ、自民、公明両党の賛成で衆院を通過した
▼すでに参院で審議入り。五月三日も視野に入れ、同月中の成立を目指すという。もはや昔日の堅固さはない“護憲城”は内堀も外堀も埋め立てられた—は過言だろうか
▼この法案に対して憲法改正に前向きな民主党は修正案を提出。野党の中には、絶対反対を表明した党もあった。しかし、今なぜ憲法擁護が重要なのかを強調し、法案成立に強力に抵抗した勢力はなかったように思う
▼『審議のための時間が不十分である』が反対の主な理由のように聞こえた。防衛庁が省に昇格。自衛隊にとって海外派遣が本来任務となった。戦後レジームからの脱却が、普通に戦争ができる国家へと変貌しはしないか。そうした危惧を感じさせる流れがある
▼核保有国は核放棄も軍縮も忘れたかに見える。その中で独り日本が平和憲法を堅持。その理念を世界に発信していくことは、過去の歴史を総括し、平和国家に再生したことを世界に刻印することになる…。
『産経新聞』産経抄 2007年4月22日
周囲から「還暦を迎えまして」とあいさつされることが多くなった。「団塊の世代」のトップバッターである昭和22年生まれがいっせいに「還暦」になったからだ。60歳定年制の企業が多いこともあって、人生のひと区切りと感じている人が多いようだ。
▼満60歳をもって「還暦」ということもあるが、正確には数え年61歳の異称である。例えば昭和22年は干支(えと)でいえば丁亥(ひのとい)だった。今年もその丁亥の年だ。61年目に回ってくる同じ干支を迎えるまで無事に生きてきた。そのことをめでたいと祝うのだ。
▼還暦と言えば「赤いちゃんちゃんこ」である。女性から赤いネクタイをプレゼントされ、やに下がっている人もいる。還暦にこの「赤」を身に着けるのは、生まれ変わって赤ちゃんに戻るといった意味だそうだ。人生の再スタートへの願いをこめた風習なのである。
▼ところで今年、その還暦を迎えた世代には、名前に「憲」のつく人が多い。やたらと言っては失礼だが、憲一さんをはじめ、憲太郎さん、憲男さん、女性では憲子さん、憲代さんたちである。言うまでもなく、同じ22年5月3日に施行された日本国憲法にちなんでいる。
▼当時の人々の新憲法への期待の大きさがわかろうというものだ。しかしその憲法も「憲坊」や「憲ちゃん」とともに齢を重ね「還暦」である。その間の役割に敬意を払わないわけではない。だが国内外の変化の激しさを考えれば、60年はあまりに長い歳月だ。
▼改正手続きを定めた国民投票法案も近く成立の見込みだ。憲法も還暦を機に「生まれ変わり」を真剣に考えるときにきている。ちょうど列島を見渡してみても、枯れ木から花、そして新緑へと鮮やかな「生まれ変わり」の季節である。
『東奥日報』天地人 2007年4月17日
「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました」(あたらしい憲法のはなし)。文部省が同年に発行した中学一年用の社会科教科書は、こう書きだす。
国の仕事の柱と国民の権利から説き起こした文章は、あの時代の初心を伝えて平易な中にも熱気が漂う。民主、平和、人権という言葉も若々しかった。改正にも触れている。「国の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません」と。
その憲法改正手続きを定める国民投票法案が衆院を通過、参院で審議が始まった。法案が成立すれば、改正の是非を問う具体的な手順が動きだす。かつて教科書が言った厳重の意味について、国民一人一人が新たに問われていく。施行から六十年の節目にして、憲法は大きな岐路に差し掛かっている。
戦後体制からの脱却を掲げる安倍政権は、改憲に積極姿勢だ。見据える先は非戦の要となってきた九条だろう。一方で「憲法九条を世界遺産に」という主張もある。同名の本(太田光、中沢新一著)は、奇跡の輝きをいかに守るかと訴え、ベストセラーになった。問題を残す法案の審議や国民的な機運をはじめ、慎重な議論が求められる。
六十年前に歩み始めた憲法は、もうくたびれてしまったのか。それとも理想の旗はなお色あせずと見るべきか。戦後史を振り返りつつ、それぞれの場所で考え続けたい。
『福井新聞』論説 2007年4月16日
国民投票法案 憲法改正への一里塚か
憲法改正と密接な関係にある国民投票法案は手続き法ではあるが、重要な法案だ。与党の修正案が野党の反発にもかかわらず自民、公明党の賛成多数で参院に送られた。今国会中の成立が確実視されている。与党と民主党の法案修正協議が決裂し、対立点を残したままの採決は見切り発車といっていい。極めて遺憾だ。
国会が発議する憲法改正案への賛否を、主権者である国民に直接問いかける仕組みづくりの同法案は、与野党が民意をくみつつ審議を重ね、「公正、公平、中立」な制度実現に向け合意するのが筋だったはずである。ところが、これまでの政治プロセスでは、任期中の改憲実現へ同法案の今国会成立を「改憲への一里塚」ととらえるかのような安倍晋三首相の前のめり姿勢が見られた。
1政権の政治的思惑に左右されてはならないのはいうまでもない。これを無視した安倍政権とそれを許してしまった民主党など野党の責任は批判されても仕方ないだろう。法案内容は十分な審議を尽くしたとはとてもいえない。問題点の検討を先送りするような「付則」が何カ所もあることが、それを物語っている。
国民投票の対象を与党修正案は「憲法改正」に限定する一方、民主党が主張する「一般的国民投票」制度については対象にするかどうか、付則で「間接民主制との整合性の観点などから検討を加え、必要な措置を講ずる」とした。民主党の修正案で「適用除外」とされた「公務員の政治的行為の制限」も原則そうするが、「賛否の勧誘や意見表明は制限されないよう検討」との付則が付けられたことなどがその例だ。
投票権者の年齢やテレビCMの規制期間をめぐっては、与党と民主党で最終的な歩み寄りができず、平行線のままに終わっている。
昨年来、与党は衆院憲法調査特別委員会で民主党と修正協議を続けてきた。憲法改正案の発議には衆参両院で「3分の2」以上の賛成が必要であることから、民主党の協力が得られなければ発議は不可能であり、国民投票法が成立しても「砂上の楼閣」となってしまう。
しかし安倍首相は憲法改正を参院選の争点にする意向を早々と明らかにし、民主党の小沢一郎代表も与党との対決姿勢を重視するあまり、修正協議の進展にストップをかけたことで、国民投票法案は「政局マター」となってしまった。民主党が土壇場で独自修正案を国会に提出したのも、党内の「造反封じ」を狙っただけだった。
法案審議は参院へと舞台を移す。衆院に対し抑制・均衡・補完を旨とする参院が、良識と独自性を発揮するしかない。
『南日本新聞』社説 2007年4月21日
[世論調査] 改憲への動きに警戒感
共同通信社の世論調査で憲法改正に「賛成」「どちらかといえば賛成」と答えた人は57.0%だった。2年前の調査では61.0%だから賛成派はやや減った。逆に「反対」「どちらかといえば反対」という反対派は29.8%から34.5%に増えた。
賛否の揺れは5%前後である。小さいといえば小さい。だが、侮ってはなるまい。国民は政権の向かうところに敏感である。今回、改憲賛成派が減ったのは、最近、安倍晋三首相が憲法改正を任期中に実現したいという思いを前面に押し出してきたからに違いない。
安倍首相は防衛庁を省に昇格させたのをはじめ、北大西洋条約機構やオーストラリアと安全保障分野での連携を強化しようとしている。米国を狙った弾道ミサイルの迎撃を可能にすることなどを念頭に、集団的自衛権行使に関する憲法解釈見直しにも着手する方針である。
そこから浮かび上がるのは、首相が目指す改憲の方向性だ。憲法解釈の見直しで集団的自衛権の行使ができないとなれば、行使を縛る憲法九条そのものを改めようとするだろう。果たせれば自衛隊の海外派遣は容易となり、日本の軍事的国際貢献に道を開くことになる。
ただ、多くの国民は九条改正に積極的でない。今回の調査でも、44.5%が「改正する必要があるとは思わない」と回答、「改正する必要がある」の26.0%を大きく上回った。改憲を支持する人は多いものの、その主眼が九条改正でないことを示しているといえよう。
注目したいのは集団的自衛権行使に関する結果だ。憲法で禁じられているとの政府見解に関して「今のままでよい」が54.6%だった。「解釈変更で行使すべきだ」18.3%、「憲法改正で行使すべきだ」18.7%の合計を上回った。集団的自衛権行使に国民の目は厳しい。
改憲の手続きを定める国民投票法案についても「今国会での成立にこだわる必要はない」が55.6%を占めた。逆に「早く成立させるべきだ」は19.9%にとどまった。手続き法の成立を急ぐことはないとする意思表示は、改憲への性急な動きを警戒してのことだろう。
憲法に問題点があれば改正すべきである。ただ、改憲は十分な論議の上でなされなければならない。安倍首相はその目指すところを丁寧に説明してほしい。
『佐賀新聞』有明抄 2007年4月21日
ドイツでは憲法ではなく基本法という。1949年に制定されたもので、当初、東西ドイツ統一までの暫定名称として、そうしていたが90年の統一後も呼び方は変更されなかった◆その基本法でドイツは国民投票を禁じている。かつて熱狂的な民心を集めたアドルフ・ヒトラーは国際連盟脱退や領土併合などの際、世論を扇動し、国民投票によって「国民総意」の虚構をつくり上げた。ナチズムを体験した反省からドイツは国民投票を封印したのである◆対照的なのはスイス。昨年だけでも「移民規制の強化」(9月)、「東欧諸国への経済援助の継続」(11月)を国民投票で可決した。スイスは国民投票を直接民主主義の最良の手段と見なしているのだ。ことほどに国民投票のあり方はその国の政治文化を反映している◆わが国の憲法改正の手続きを定める国民投票法案が今国会で成立する見通しだ。これからの国の形に密接に絡む重要法案。「過半数」の定義の見直しや最低投票率の必要性などもっと論議しなければいけない問題がいっぱいある◆有効投票総数の過半数となると投票率によって「総意」のハードルがぐっと低くなる。投票率が50%ならば、その半分、有権者全体から見れば25%の賛成で「総意」が形成され、これで国家存立の基本的条件を定めた国の最高法規が改正されることになる◆投票権者を「18歳以上」として若者に改憲の是非を判断する機会を与えたのは意義あることだが、若者の政治離れがある中で投票率がさらに低くなることだって考えられる。果たしてそれで「総意」といえるだろうか。いろいろ問題をはらんだ法案審議の舞台は今、参院にある。参院の良識を見せてもらいたいところである。(賢)
『北海道新聞』卓上四季 2007年4月21日
九条改正(4月21日)
「お父さん、いつまで震えて泣いているの」。亭主関白というのに奥さんにどやされた。強がって言い返す。「震えたんじゃねえや、武者震いだよ。泣いてたんじゃァねえ、煙が目にへえりやがったんだ」▼古今亭志ん生さんが東京で空襲に遭ったのは一九四五年四月だ。防空壕(ごう)は危険とみて表に逃げたが、一面火の海だ。田端や駒込の街をさまよった。空襲が終わったのも気付かず震えていた▼後に「戦争ほど大きなバクチはありません」と回想する。「憲法だか法律だか難しいことァ知りませんが、戦争やっちゃァいけねえ、バクチもやっちゃァいけねえってのは、こりゃァ当たり前のことですよ」。口述の自叙伝「びんぼう自慢」(ちくま文庫)の中で語っていた▼志ん生さんが感じたのと似た思いが、いま広がっているのだろうか。先の世論調査で、戦争を放棄し戦力を持たないと規定した憲法九条の改正を不要と答えた人が44%を占めた。必要とする26%を大きく上回った▼それでも憲法改正自体には57%が賛成している。環境権などの新しい権利を認めることには積極的ということだろう。さまざまな改憲論議に触れた上で、平和の原点である九条はやはり守るべきだ、という判断に落ち着く人が増えてきたようにみえる▼憲法は来月、六十歳になる。九条改正の必要はあるのか、平和が長く続いた重みからあらためて考えたい。
『岩手日報』論説 2007年4月14日
国民投票法案衆院通過 数の論理で押し切るな
憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案は、13日の衆院本会議で採決が行われ、自民、公明両党の賛成多数で可決、衆院を通過した。
これにより同法案は参院に送付され、今国会での成立が確実になった。施行から60年を経て初めて憲法改正手続きを定める法整備が対立点を残したまま与党だけの賛成で決まったのは残念な事態だ。法案提出時期が夏の参院選に向けて与野党が対決姿勢を強めている今国会が適当だったのかどうか疑問が残る。
憲法改正に関する協議は、2000年に衆参両院に初めて憲法調査会を設置。与党、民主党がそれぞれの案を持ち寄り、政局とは切り離して審議が進められた。与党、民主党は昨年末の臨時国会で共同提案に向けて大筋合意にこぎつけた。
それが一変したのは安倍晋三首相が今年の年頭会見で持論の憲法改正を参院選の争点にしたいとする考えを表明。参院選で野党共闘を重視する民主党の小沢一郎代表らの反発を招いた。それぞれの党の思惑が互いに積み上げた大筋合意の道筋をほごにしたといえる。
規定ない最低投票率
衆院を通過した与党修正案は▽投票の対象は憲法改正に限定▽投票権者は18歳以上(当面は20歳以上)▽公布から3年間は憲法改正案を提出、審査しない—などが骨子。一定の投票率を下回った場合に投票全体が無効になる最低投票率の規定は結局盛り込まれなかった。
しかし、一定の歯止めがなければ国民の多数が賛否を明らかにしないまま、少数の有権者の賛成だけで憲法改正が行われてしまう事態が想定される。外国の例を見ても国民投票に最低投票率を定めているケースは多い。
また憲法96条で「過半数の賛成を必要とする」としている過半数についてはこれまで「総有権者」「投票総数」「有効投票総数」のいずれかはっきりしなかったが、法案では最も条件が低い有効投票総数を採用した。ならばなおさら最低投票率規定が必要だろう。
全国の約110人の憲法学者らは11日、与党修正案について「法案には看過できない重大な問題点があり、これらの解消なしに成立することは大きな禍根を今後に残す」と声明を発表。最低投票率制度が盛り込まれていない点を「制度として根本的な不備」と指摘したのは当然のことだ。
民意は反映されたか
最低投票率規定が法案に盛り込まれていない点などについては中央、地方で合わせて4度開催された公聴会でも発言者から繰り返し指摘されていたが、法案の中身にそうした意見は反映されることはなかった。
では公聴会はなんのために開かれたのだろうか。安倍内閣はタウンミーティングでのやらせ質問が問題になった際にもそのまま教育基本法を成立させた。今回に限らず、公聴会などの場を法案を提出する前に国民の意見を聴いたという単なる手続きに終わらせてはならない。
憲法96条は憲法改正には「特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票において、その過半数が必要」としている。だが、具体的な手続きは規定されておらず法律上の問題はかねてから指摘されてきた。
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を持論に、憲法改正を視野にすえる安倍首相にとって国民投票法案の成立はその第一歩となる。だが憲法改正は国民の幅広い支持と理解が必要であり、数の論理だけで押し切るべきではない。
小笠原裕(2007.4.14)
『岐阜新聞』編集余記 2007年4月20日
統一地方選のさなか、憲法改正手続きを定めた国民投票法案が今国会で成立する見通しだ。法案は野党側が反発する中、衆院を通過し参院で審議入りしている。
▼国民投票のあり方は世界でもさまざま。ナチズムを体験したドイツは基本法(憲法)で事実上は封印している。その背景にはヒトラーが国際連盟脱退や領土併合などの際、世論を扇動し国民投票で「総意」の虚構をつくり上げてきたことがある。
▼対照的に、国政の重要問題で国民投票を頻繁に実施するのはスイス。昨年は移民規制の強化や東欧諸国への経済援助継続が国民投票で可決された。こちらは国民の総意を問う直接民主主義の手段とみなしているわけだ。
▼今回の国民投票法案は「戦後レジームからの脱却」を掲げ改憲を悲願とする安倍政権が成立を目指している。白票等を無効とした投票総数の過半数で改正が承認されるといい、仮に投票率が60%とすれば、その半分、有権者全体の30%程度の賛成だけで「総意」が形成されることになる。
▼共同通信社が先ごろ行った世論調査では、改憲賛成は57%と2年前の61%から減少。また、その理由は「時代に合わない規定がある」は半数余で、「米国押しつけだから」は6%。9条改正では「必要とは思わない」が44・5%と「必要がある」の26%を大きく上回った。
▼国民投票は使い方によってはリスクも伴う。安倍首相は憲法改正の「機は熟した」と強調するが拙速であってはならない。最大限に国民の「総意」が尊重されるべきであろう。
『中国新聞』天風録 2007年4月18日
押し付け憲法?
戦争に負けた日本には、まず憲法を改めなければという空気がみなぎっていた。民間有志が次々に私案に取り組み、その一つが「憲法研究会」だった。在野の学者、鈴木安蔵を中心とするグループ。明治の自由民権運動の流れもくむ「主権在民」などの原則を掲げた▲その案が今の日本国憲法の下敷きになっている、というエピソードが映画になった。「日本の青空」(大沢豊監督)。六月の公開を前にした試写会では、憲法草案を伝える新聞を手にした鈴木が「私たちの案が生きている。ここも。ここも」と叫ぶ場面が印象的だった▲憲法は、実質的には連合国軍総司令部(GHQ)案がもとになっている。「押しつけ」と言われるゆえんだ。しかし実はその中に多くの「日本人の英知」が盛られていたことを、遅まきながら知った▲九条の「戦争放棄」について「米国が押しつけたのではない」と回顧録に書いたのはマッカーサーである。当時の幣原喜重郎首相の来訪を受け「軍事機構は一切持たないことを決めたいと提案され、腰が抜けるほど驚いた」と記す。異説はあるものの大筋で誤りはなかろう▲改憲論の中に根強くあるのは「押しつけられた憲法だから」との主張である。しかし歴史を丁寧にみていくと別の側面が浮かび上がる▲共同通信の世論調査では、憲法改正に賛成する人の中でも「押しつけ」を理由にしたのは6%にすぎない。押しつけ論はそろそろ終わりにしたい。
『琉球新報』社説 2007年4月18日
憲法世論調査・民意は「9条」の現状維持
憲法改正の手続きを定める国民投票法案が与党の賛成多数で衆院を通過し、参院で審議が進められている。憲法をめぐる論議が熱を帯びてきているが、国内世論は慎重だ。
とりわけ、改憲の焦点となっている九条については改正に否定的で、現状維持を求める声が強い。
任期中の憲法改正に意欲を示す安倍晋三首相に対する警戒感が広がっているようにも見える。
共同通信社の全国電話世論調査で、戦争放棄と戦力不保持を規定した九条について「改正する必要があるとは思わない」との回答は44・5%で、「改正する必要がある」の26・0%を大きく上回った。
2005年の同様の世論調査で「九条を改正する必要がある」と答えたのは31・3%、「改正の必要があるとは思わない」は41・3%だった。九条の改正派が減少し、維持派が増えているのは特徴的だ。
九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記している。
とりわけ「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた九条二項は、戦力の不保持にまで踏み込み、平和主義の集大成ともいえる内容だ。
戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも堅持すべきである。
同盟国への攻撃を自国への攻撃と見なして実力で阻止する権利、すなわち「集団的自衛権」の憲法解釈についても54・6%が「今のままでよい」と答え、「憲法を改正して行使できるようにすべきだ」の18・7%、「憲法の解釈を変更して行使できるようにすべきだ」の18・3%を大きく引き離している。
九条の規定に照らし「防衛のための必要最小限度の範囲を超えている」と解釈し、集団的自衛権は行使できないとする政府見解を過半数が肯定した。
安倍首相は、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃を可能にすることを念頭に置き、憲法解釈の見直しを有識者会議で検討する姿勢だが、民意に逆行するようなことがあってはならない。
現在の政府解釈は多くの国民の理解を得て、既に確立された見解である。時の政権に都合のいいよ
うに変えられたのではたまらない。
世論調査の結果は、タカ派的姿勢の安倍首相に対する国民の懸念の表れではないか。
沖縄は、去る大戦で住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われ、20万人余が犠牲になった。県民は、平和の尊さを身に染みて知っている。再び戦争のできる国にすることだけは願い下げだ。
『デーリー東北』時評 2007年4月17日
国民投票法案が衆院通過 注目したい参院の「良識」
今国会の重要法案で、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案が衆院を通過、参院での審議が始まった。
国家百年の大計にかかわる改憲の先導役とされる法案だけに、慎重な取り扱いこそ肝要だった。議論を熟成させて国民の理解を深め、コンセンサスを最大限にまで高めるのが、国会や政党に課せられた責務だからだ。
にもかかわらず、与党側が単独で性急に採決を強行した。極めて残念と言わざるを得ない。
与党修正案の骨子は(1)国民投票のテーマは憲法改正に限定(2)投票権者は十八歳以上。公職選挙法や民法が改正されるまでは二十歳以上(3)賛成が、無効票を除く投票総数の二分の一を超えた場合に承認(4)国家公務員法の「政治的行為の制限」を原則適用、公務員と教育者の「地位利用」の運動も禁止—などだ。この内容には、民主党修正案と比べて大きな相違点は見当たらない。昨年から続いてきた自民、公明両党と民主党の与野党協議で、既に大筋合意に達していたからだ。
ところが、土壇場になって対立法案のような事態になったのは、安倍晋三首相が、今年に入ってから在任中の改憲に強い姿勢を打ち出し、「憲法改正を参院選でも訴えたい」と争点化する意向を明言したからだ。党内に早期成立を求める意見の多い民主党も、選挙戦略上、対決姿勢に転換せざるを得なくなった。改憲の是非を決めるのは国会ではなく、国民である。そのルールを決める法案をめぐって政党が党利党略に走り、政治的駆け引きを繰り広げるのは、傲慢(ごうまん)のそしりを免れない。
しかも、与党修正案には疑問点が少なくない。その一つは、国民投票が一定の投票率に届かない場合には無効とする「最低投票率」制度の規定が抜け落ちていることだ。これは民主党修正案にもない。
最低投票率が設定されないまま国民投票が実施され、仮に国政選挙並みの投票率(60%程度)だったとすると、実質的には全投票権者の三分の一程度の少数によって改憲が承認されることもあり得る。
改憲の発議には、衆参両院のそれぞれの三分の二以上の賛成という高いハードルが憲法で定められているのに、国民投票に最低投票率を組み込んでいないのは、いかにもちぐはぐだ。
この点は衆院憲法調査特別委員会の公聴会でも強く指摘された。市町村合併など地方自治体の住民投票条例にも導入されており、国民投票に全国民的な意思を反映させるためには、最低投票率を盛り込むべきだろう。
同法案は、今国会での成立がほぼ確実視されている。だが、共同通信の三月の電話世論調査では、国民投票法案に賛成した56%のうち、三人に二人は「今国会での成立にこだわる必要はない」と答えている。
本来なら白紙還元するのが筋だが、「良識の府」を自任する参院の対応をじっくり注目したい。
『朝日新聞』社説 2007年4月19日
国民投票法案—最低投票率を論議せよ
憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、無視できない世論が明らかになった。
「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79%にも達し、「必要がない」の11%を大きく引き離した。朝日新聞社の世論調査である。
国民投票法案の審議は参院に舞台を移したが、衆院を通過した与党案にも、否決された民主党案にも、投票が成立するための投票率に関する規定はない。
共産、社民両党は一定の投票率に達しなければ投票自体を無効にするという最低投票率制の必要性を指摘してきた。しかし、これまでの審議では突っ込んだ議論にならなかった。
たとえば韓国では、有権者の過半数が投票しなければ無効になる。英国では、有権者の40%が賛成しないと国民投票は成立しないという最低得票率のハードルを設けている。
国のおおもとを定める憲法の改正では、主権者である国民の意思をどれだけ正確に測れるかが重要な論点のはずだ。憲法96条は国民投票で過半数の賛成による承認が必要としているが、あまりにも少数の意見で改正される恐れを排除するには最低投票率制は有効だ、と私たちも考える。
仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい。
与党や民主党には、否決を狙ったボイコット戦術を誘発するとか、国民の関心が低いテーマでは改正が難しくなりかねない、といった反対論が根強い。だが、主権者の意思を確かめることが、いちばん大切なのではないか。
どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない。与野党の合意が得られない今回の法案は参院で廃案にし、参院選のあとの静かな環境のなかで改めて議論し直すべきだ、と私たちは主張してきた。
今回の調査では、この法案をいまの国会で成立させることについて、「賛成」が40%、「反対」が37%と二分された。
1カ月前の調査では、今国会で成立させるという安倍首相の考えに「賛成」の人が48%、「反対」が32%だった。ふたつの調査を単純には比較できないものの、時間をかけてでも与野党の合意を求める世論の広がりがうかがえる。
国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている。なのに、国会でほとんど議論がなされていない現状は、これまでの審議から重要な論点が抜け落ちていたことを与野党に突きつけている。
この問題のほかにも、メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限など、論議が不足している点は数多い。
参院選で安倍カラーを打ち出すためにといった与党の思惑で、強引に成立を急ぐようなことがあってはならない。
『信濃毎日新聞』社説 2007年4月19日
憲法世論調査 九条堅持の民意は明白
憲法改正を考えるのは構わないとしても、九条は守るべきだ−。国民のそんな意思がはっきりと読み取れる。
共同通信社が行った全国電話世論調査の結果である。国会で審議中の国民投票法案について、慎重な扱いを求めるものとも言える。
改正への賛否では、「賛成」「どちらかといえば賛成」を合わせた賛成論が57・0%を占めた。2年前の同様の調査に比べやや少ないものの、改正を是とする人が半数以上を占める状況は変わらない。
目を向けたいのは、その理由である。多かったのは「時代に合わない規定があるから」の54・0%、そして「新たな権利や制度を盛り込むべきだから」の17・1%だった。「米国に押しつけられた憲法だから」は6・0%にとどまった。
自民党内には“憲法押しつけ論”が根強い。安倍晋三首相も著書「美しい国へ」の中で、憲法が米軍の占領時代につくられた経過に触れつつ「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない」と述べている。
今度の世調で見ても、国民の多くは首相らの“押しつけ論”から一線を画している。
戦争放棄をうたった九条については、44・5%が「改正する必要があるとは思わない」と答えている。「改正する必要がある」の26・0%を大きく上回る。
集団的自衛権行使を禁ずる憲法解釈は「今のままでよい」とする答えが半数以上を占めた。
憲法の平和の理念は、揺るがしてはいけない−。国民の意思は明快である。
国民の多くは、知る権利、プライバシー、環境権など新しい権利を盛り込むための改正は容認しても、九条の見直しは望んでいない。国会がいま、国民に九条改定の是非を問い掛ければ「ノー」という答えが返ってくるはずだ。
そこで問題になるのが、憲法改正の手続きを定める国民投票法案だ。九条見直しも環境権の新設も一緒くたに賛否を問う方式では、民意を正しくくみ取るのは難しい。項目ごとに問う方式が必要になる。
参院に送られた法案は、そこがあいまいだ。発議は「関連する項目ごとに」行う旨がうたわれているものの、何と何を「関連する項目」とするのか、政治の思惑が入り込む余地がある。このまま可決・成立へと進むのは問題が大きい。
国民投票法案はこのほか、最低投票率の規定がない、発議から投票までの期間が短い、といった問題も抱える。成立を急いではいけない。
『東京新聞』筆洗 2007年4月18日
二十一世紀の社会の在り方をテーマにした読者アンケートを行うため、質問と回答の選択肢をつくったことがある。回答では「賛成」「反対」「分からない・無回答」の三択を考えたが、相談した専門家に見直しを勧められた。「どちらかといえば賛成と、どちらかといえば反対を加えた方がいい」と▼答えにくい質問、難しそうな質問、関心が低そうな質問で三択にすると、「分からない・無回答」が増えてしまうというのが理由だった。言い換えれば「どちらかといえば」の回答者は「分からない・無回答」に回る可能性があるということだ▼昨日の朝刊に載った共同通信社の世論調査には、憲法改正に賛成が57%、反対が約35%とあった。いずれにも「どちらかといえば」が含まれている。差し引くと約27%対17%。半数近くの「どちらかといえば」の回答者が、どの程度の思いなのかはうかがい知れない▼もし憲法改正を問う国民投票が行われた場合、「どちらかといえば」の人はどうするだろう。積極的な意思表示ではないので、投票に行かない確率が高くなる▼論戦の舞台を参院に移した与党提出の国民投票法案には、一定の投票率を下回れば投票が無効になる最低投票率の規定がない。仮に40%の投票率なら、有権者全体の五人に一人程度の賛成で改正が決まる▼与党案では条件付きながら、投票権を十八歳以上に引き下げる。改憲しやすいか否かではなく、一人でも多くの民意を反映させるルールを追求したい。改憲か否かの決定権は国民にあるのだから当然だろう。
『日本農業新聞』論説 2007年4月17日
国民投票法案/先を急ぎすぎてないか
憲法改正の手続き法である国民投票法案の参議院での審議が16日、始まった。自民・公明の与党は特別委員会で集中的に議論を重ね、5月中の成立を目指している。しかし、憲法は国の大本をなすもの。衆議院特別委員会での混乱の中での採決や法案それ自体のいくつかの問題点を考えれば、成立を急ぐより議論を尽くすことが先決である。
今年の5月3日で還暦を迎える現行憲法は、その第九六条で改正のための手続きを定めている。発議するのは国会。衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成が必要になる。その上で改正案は国民投票にかけられ、過半数の承認を得て成立する。国会で議論されている国民投票法案は、投票の対象年齢や過半数の定義などを具体的に定めるもので、これによって憲法改正の手順が法的に出来上がる。
衆院で可決した法案の主な内容は次の通りだ。1.投票年齢は18歳以上。公職選挙法などの改正によって選挙権年齢などが変更されるまでは20歳以上 2.投票方式は自書方式をとらず、投票用紙の「賛成」「反対」欄に○や×を記入する 3.有効投票総数(賛成・反対票の合計)の過半数の賛成で成立とする 4.改正案は関連する項目ごとに区分して提案する——など。
このうち最も気になるのが「過半数」の定義だ。憲法第九六条では確かに不明確だが、その前段として衆参両院の総議員の3分の2以上で発議という高い壁を設けた。なぜなら、国の礎である憲法を変えるには多くの国民の賛意が必要だと考えたからにほかならない。しかし、今回の法案では有権者総数でもなければ投票総数(白票を含む)でもない有効投票総数の過半数と決めた。最も低いハードルだ。これでは賛否両論の中でどちらとも決めかねて、仕方なく白票を投じた人の意思はまったく反映されない。
さらに言えば、法案には最低投票総数の規定がない。多くの有権者が強い意思で棄権した場合でも、国民投票それ自体は成立してしまう。有効投票率がもし、50%であるならば、国民の4分の1の賛成で憲法は改正されることになる。果たしてこれでいいのか。少なくとも、一定の投票率を下回れば国民投票を無効とする、最低投票率制度を設けるべきではないか。
憲法を今後どうしていくか、議論することは間違っていない。国内外の情勢の変化に対応した政策と憲法にずれが起きている以上、議論にふたをすることはない。ただ、憲法を改める必然性が国民にまだ広がっていない。憲法のあるがままの姿を国民の前に明らかにするためにも、ずれをずれとして議論することが先決だ。国民投票法案をみると、何か先を急ぎすぎている感じがしてならない。
『陸奥新報』社説 2007年4月16日
国民投票法案「審議不足で大きな問題残る」
憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案が衆院本会議で可決され、今国会での成立が確実となった。しかし、政局絡みの拙速さが目立った審議不足は問題を残した。国民は憲法改正に対して、これまで以上に慎重な対応が必要だ。
与党修正案と関連の国会法改正案は注目すべき幾つかの点がある。その一つは、両院での憲法審査会の設置だ。
これまで憲法論議の場は憲法調査会だったが、今度は憲法審査会が重要な場となる。調査会が調査を主としていたのに対し、審査会は改憲案を提出できるため大きな権限を持つ。
改憲案は議員も発議でき、その場合衆院で百人以上、参院で50人以上の賛成が必要だ。いずれも本会議の三分の二の賛成で他院へ送付できる。衆参両院を通ると、国会が憲法改正を発議することになり、最長で180日後に国民投票が行われる。
この過程で、憲法審査会が改憲への重要な機関となる点に留意しておかなければならない。
国民投票が行われるとしたら最短でいつになるかというと、4年後の2011年秋と予想される。
与党修正案は5月3日の憲法記念日までに成立し、夏に国民投票法が公布されたとする。秋には衆参両院に憲法審査会が設置され、3年間の発議凍結後、10年夏に同法が施行される。
その後憲法改正案が提出され、衆参両院での採決も通ったとしよう。すると11年に憲法改正を国会が発議し、最長で180日後の同年秋に国民投票が行われる。
だが、これは審議や手続きがすべてスムーズにいった場合の話で、実際はあり得ない経過だろう。
今回の与党修正案には民主党など野党が反発した。衆院憲法調査特別委員会では、与党が数の力で押し切り同案を可決した。今後も与野党の歯車がかみ合わないと改憲案の成立は難しい。
同案の重要なポイントの一つは、投票権者を18歳以上とした点である。民法で20歳と定めている成年・成人年齢の18歳への引き下げは、論議の分かれるところだ。
国民投票法案に合わせて民法で成人年齢を引き下げると、連動して18歳以上に普通選挙の投票権も与えなければならない。また酒、たばこの解禁年齢引き下げにつながり、これも賛否両論が起きるだろう。
与党修正案の基本的な部分での問題は、国民投票で改正案に対する賛成が投票総数の二分の一を超えた場合、国民は憲法改正を承認したものとする—としている点だ。最低投票率を決めないと、例えば投票率50%として半数が賛成だと実質、有権者の四人に一人の賛成で憲法が改正されることになる。
イギリスは憲法改正には有権者の40%以上の賛成が必要としている。そのような線引きがなければ、改正された憲法は重みを失ってしまう。再検討が必要な問題だ。
このように国民投票法案の衆院通過は、審議不足の問題点と与野党対立を残したまま見切り発車の形となった。国民の方は慎重に構えるしかない。
『岩手日報』論説 2007年4月14日
国民投票法案衆院通過 数の論理で押し切るな
憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案は、13日の衆院本会議で採決が行われ、自民、公明両党の賛成多数で可決、衆院を通過した。
これにより同法案は参院に送付され、今国会での成立が確実になった。施行から60年を経て初めて憲法改正手続きを定める法整備が対立点を残したまま与党だけの賛成で決まったのは残念な事態だ。法案提出時期が夏の参院選に向けて与野党が対決姿勢を強めている今国会が適当だったのかどうか疑問が残る。
憲法改正に関する協議は、2000年に衆参両院に初めて憲法調査会を設置。与党、民主党がそれぞれの案を持ち寄り、政局とは切り離して審議が進められた。与党、民主党は昨年末の臨時国会で共同提案に向けて大筋合意にこぎつけた。
それが一変したのは安倍晋三首相が今年の年頭会見で持論の憲法改正を参院選の争点にしたいとする考えを表明。参院選で野党共闘を重視する民主党の小沢一郎代表らの反発を招いた。それぞれの党の思惑が互いに積み上げた大筋合意の道筋をほごにしたといえる。
規定ない最低投票率
衆院を通過した与党修正案は▽投票の対象は憲法改正に限定▽投票権者は18歳以上(当面は20歳以上)▽公布から3年間は憲法改正案を提出、審査しない—などが骨子。一定の投票率を下回った場合に投票全体が無効になる最低投票率の規定は結局盛り込まれなかった。
しかし、一定の歯止めがなければ国民の多数が賛否を明らかにしないまま、少数の有権者の賛成だけで憲法改正が行われてしまう事態が想定される。外国の例を見ても国民投票に最低投票率を定めているケースは多い。
また憲法96条で「過半数の賛成を必要とする」としている過半数についてはこれまで「総有権者」「投票総数」「有効投票総数」のいずれかはっきりしなかったが、法案では最も条件が低い有効投票総数を採用した。ならばなおさら最低投票率規定が必要だろう。
全国の約110人の憲法学者らは11日、与党修正案について「法案には看過できない重大な問題点があり、これらの解消なしに成立することは大きな禍根を今後に残す」と声明を発表。最低投票率制度が盛り込まれていない点を「制度として根本的な不備」と指摘したのは当然のことだ。
民意は反映されたか
最低投票率規定が法案に盛り込まれていない点などについては中央、地方で合わせて4度開催された公聴会でも発言者から繰り返し指摘されていたが、法案の中身にそうした意見は反映されることはなかった。
では公聴会はなんのために開かれたのだろうか。安倍内閣はタウンミーティングでのやらせ質問が問題になった際にもそのまま教育基本法を成立させた。今回に限らず、公聴会などの場を法案を提出する前に国民の意見を聴いたという単なる手続きに終わらせてはならない。
憲法96条は憲法改正には「特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票において、その過半数が必要」としている。だが、具体的な手続きは規定されておらず法律上の問題はかねてから指摘されてきた。
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を持論に、憲法改正を視野にすえる安倍首相にとって国民投票法案の成立はその第一歩となる。だが憲法改正は国民の幅広い支持と理解が必要であり、数の論理だけで押し切るべきではない。
小笠原裕(2007.4.14)
『東奥日報』社説 2007年4月15日
国民がしっかりしないと/「投票法案」参院へ
衆参両院でそれぞれ三分の二以上の議員が賛成した憲法改正案は、国会として発議して国民に是非を問うことができる。国民が投票し、過半数が承認したら憲法は改正される。
その投票手続きを定める国民投票法案が、自民・公明の与党だけの賛成で衆院を通過した。参院に送られ今国会で成立しそうだ。法案には賛否両論がある。
ただ、成立すると改憲は現実の問題になる。法案の施行は早くても四年後だが、改憲論議は活発になるだろう。論議の中心になるのは二度と戦争しない、海外で武力行使しないと国を縛る九条改正の是非とみられる。
九条は、六十年前の一九四七年五月に施行された平和憲法の要。変えるか変えないか、どう変えるかは、先の戦争を猛省して再出発した戦後日本の今後を左右する。その意味でも投票法案の成立は重大なことだ。私たち国民も無関心でいられない。その点を深く自覚したい。
憲法に対する政党などの見解を見極め、自分の考えに近い候補に投票する。国会に改正案発議を望むなら改憲派に、改正に反対なら改憲派が三分の二にならないように一票を使う。
投票法案が成立すると、これからはどんな国政選挙でも改憲問題が重要な争点になる。国会の勢力図にかかわるからだ。国民投票でも態度決定を迫られる国民は、最終判断する主権者としてしっかり考えておきたい。
憲法問題は、七年前に国会に憲法調査会が設けられ二年前まで議論されてきた。自民・公明と、野党第一党の民主は、それを受けてそれぞれ投票法案をつくり、約一年前から修正協議を重ねてきた。手続き法案だから党利党略は排そうとしてきた。
ところが、安倍首相は今年一月、投票法案を今国会で成立させ、七月の参院選では憲法改正を争点にすると表明した。これに反発した民主の小沢一郎党首は、参院選なども意識して対決姿勢を鮮明にさせる。
幅広い政党間の合意を目指すはずの修正協議が壊れ、与党も民主も修正案を出して与党案が可決される。政治的思惑が絡む決着になり、互いを党利党略と批判する。問題が残った。
投票法案によると、有効投票の過半数の賛成で改憲できる。これでは投票率が四割以下なら国民の二割が賛成するだけでいい。国の最高法規がこんなに変えやすくていいか、最低投票率の規定を設けるべきだ。そんな意見が強く出ている。
投票法案は、公務員や教育者が地位を利用して投票運動をするのを禁じている。学校の授業で憲法を教えにくくしないかという心配がある。資金力がある団体にとって有利な形で改憲案に関する有料広告ができる規定にも異論がある。法案には問題や課題が少なくない。
安倍政権は、愛国心を盛り込む改正教育基本法や防衛庁を省に昇格させる法を成立させた。さらに、改憲に直結する投票法案の成立を急ごうとしている。 だが、改憲の機運は肝心の国民の間で高まっていない。投票法案の早期成立を望む声も多くない。参院は時間をかけて慎重に審議すべきだ。大きな問題が残ればつくり直す必要がある。それほど重要な法案である。
『北海道新聞』卓上四季 2007年4月14日
国民投票法案
その宿屋は、客の体にぴったりのベッドが自慢だ。実は秘密がある。背の高い客が来たら首や足を切り落とし、小さな客なら引き伸ばして、体を無理やりベッドに合わせていた。当然みな死んでしまう。ギリシャの伝説「プロクルステスのベッド」である▼改憲に道を開く国民投票法案が衆院を通過した。審議が不十分だとする野党を、自民、公明両党が押し切った。憲法改正は、国民の総意に基づいてこそ正当となる。その手続きを、一方的に決めていいはずはない▼そもそも急ぐ必要があるのだろうか。最近の世論調査(NHK)では、国民投票法案への賛成は三割弱しかなかった。賛成者でも、今国会にこだわらず時間をかけて論議するべきだと七割が考えている▼「戦後体制からの脱却」を目指す安倍首相の政治信念が、大きな推進力となっている。愛国心教育を盛り込んだ教育基本法改正は、既に実現した。交戦権を認めない九条二項の削除を含む改憲が、次の課題である▼その賛否は分かれるかもしれない。それでも、いま多くの国民が政治に望むのは、たとえば格差解消であり医療や教育の充実だ。「なんとか還元水」に象徴される政治とカネの問題も未解決ではないか▼国民の望み、世論の動向がどこにあろうとも、自らの信念に合わせ力ずくで政治を進めてゆく。このベッドの上で息絶えるのは、おそらく民主主義なのだ。
『秋田魁新報』社説 2007年4月14日
投票法案衆院通過 拙速かつ強引に過ぎる
拙速かつ強引。そう指摘せざるを得ない。「国民投票法案」のことである。自民、公明両党は野党の強い反対を押し切り、衆院通過を強行、今国会での成立が確実となったのだ。
国民投票法は憲法改正の手続きを定める法律。手続き法とはいえ、重要性はどんなに強調しても過ぎることはない。国の根幹をなす憲法の改正に道を開く法律だからである。
その分、慎重にも慎重を期した議論が欠かせない。憲法の改正に賛成にしろ反対にしろ、国民の意思を正確に反映する手続き法が必要であり、広範な合意が得られた投票法でなければならないからだ。
衆参両院に憲法調査会が設置されて7年余り。与野党、中でも自民、公明、民主の3党は協調して論議を重ねてきた。投票法案の内容もかなり歩み寄っていた。しかし、今回の自公の強硬姿勢により、広範な合意形成は葬り去られたといえよう。
何より投票の当事者である国民の理解が深まったとは言い難い。投票法案がどんなものなのかという最低限のことでさえ、心もとないのではないか。
今後、論戦の場となる参院は「良識の府」だ。投票法制定の是非や中身の審議はもちろん、国民の関心を高め、理解を促す工夫も怠れない。
自民、公明両党が法案成立を急ぐ理由にも首をかしげざるを得ない。「日程ありき」の側面が極めて強いのである。
憲法改正を掲げる安倍晋三首相は、憲法記念日である5月3日までの成立に意欲を示した。確かに一つの節目ではある。しかし、憲法改正につながる法案の重さと比べれば、いささか矮小(わいしょう)な動機だ。
夏の参院選対策も絡む。安倍首相は憲法改正を争点にする考えで、投票法成立をその「地ならし」にしようという思惑が透けて見えるのである。
民主党も似たり寄ったりだ。水面下でぎりぎりまで続けられた自民と民主の法案修正協議。民主は結局、福島、沖縄の参院補選を控え、野党共闘を崩したくないといった選挙対策を優先させたきらいがある。
憲法改正が絡む投票法案をどうするかより、目先の政局を重視したとすれば、政党・政治不信は一層強まるばかりだ。
法案自体にも問題点が少なくない。憲法改正を承認する「過半数」の母数が、有権者総数や投票総数ではなく、最もハードルの低い「有効投票総数」とされたのである。
もっと問題なのは国民投票を有効とする「最低投票率」の規定がないことだ。仮に投票率を40%とすれば、有権者の20%余りの賛成で憲法改正が成立することになる。
投票日14日前からテレビやラジオの有料広告を禁止したことも、「表現の自由」との関係から容認できない。
与野党協議で修正された点があるとはいえ、改憲を目指す自民側に有利な形で決められたとも受け取れるのである。
憲法改正には賛否両論が渦巻いている。それだけに手続きを定める投票法には、何らの不公平さもあってはならない。参院では今度こそ徹底論議を尽くさなければならない。
『愛媛新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案 参院では禍根を残さない審議を
国民投票法案の与党修正案がきのうの衆院本会議で可決され、参院に送られた。
憲法改正に必要な国民の承認を得るための投票制度を定める法律だ。それほど重要な法案でありながら与党は衆院憲法調査特別委員会と本会議採決を数の力で押し切った。「拙速」「強行」のそしりは免れない。
審議を尽くしたとはとても言えない法案を参院ですんなり成立させていいはずはない。将来に禍根を残さぬよう、掘り下げた審議が必要だ。
自民、公明の与党と民主党は昨年五月にそれぞれ法案を提出し、共同で修正作業を続けてきた。合意目前までいったが、改憲を悲願とする安倍晋三首相の意向で様相は一変した。憲法施行六十周年となる五月三日までの成立を掲げたからだ。これに民主党が反発し、参院選への思惑もからんで修正案一本化はならなかった。
憲法改正は国のあり方を変える重大な問題だ。その手続き法を決めるからには与野党の幅広い合意は欠かせない。ここにきて与党と民主党の協調関係があっさり崩れたのは残念だ。
民主党の対応にも問題はあった。最終決定権限を持つ小沢一郎代表は参院福島、沖縄両選挙区補選の野党共闘を最優先する姿勢を崩さなかった。続く本番の参院選で法案の成立が安倍首相の「得点」になることを警戒した面も否めない。
参院に送付された与党修正案は▽国民投票の対象を憲法改正に限定▽投票権者は十八歳以上(当面は二十歳以上)▽両院に憲法審査会を設置するが、公布から三年間は憲法改正案を提出、審査しない—などが柱だ。数多くの問題点を残したままといわざるを得ない。
法案をめぐって全国の憲法学者らが批判する緊急声明を出したのもうなずける。投票を有効とする「最低投票率」の規定がないのはどうしたことか。このまま成立すれば、例えば投票率が四割を下回る場合、有権者の二割を超しただけで改憲が認められることになる。与党もこれで民意を反映した結果と胸を張るわけにはいくまい。
「公務員、教育者の地位利用による投票運動の禁止」にしても法案に罰則規定はないが、懲戒処分の懸念はぬぐえない。教育現場に警戒感が広がるのも無理はない。またテレビ、ラジオなどの有料広告に関し「投票期日前十四日間は禁止」としている以外に具体的な制限はない。資金のある側が改憲を訴えるCMを盛んに流すこともあり得る。果たして公正が保たれるのか、疑問は大いに募る。
共同通信社が三月に行った全国電話世論調査では、法案に「賛成」が56・2%だったが、うち67・5%は「今国会にこだわる必要はない」と回答した。慎重審議を望んでいる証しにほかならない。国民の理解を深めることがなにより重要だ。
法案の審議は週明けから参院に移る。七月の参院選で半数が改選になるが、ここで浮足立ってはならない。じっくり腰を据えて審議を尽くすべきだ。
『山陰中央新報』論説 2007年4月14日
国民投票法案/衆院可決は「見切り発車」
憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案は、民主党など野党が反発する中、自民、公明両党の賛成多数で衆院を通過し、参院に送られた。今国会中の成立は確実とみられる。
国民投票法案は手続き法とはいえ、憲法改正と密接に絡む重要法案だ。与党と民主党の法案修正協議が決裂し、対立点を残したままで採決されたことは遺憾だ。
ここに至る政治プロセスでは、安倍晋三首相の「前のめり」の姿勢が目立った。任期中の改憲実現を目指し、同法案の今国会成立を「改憲への一里塚」ととらえている節がある。
しかし同法案は、国会が発議する憲法改正案への賛否を、主権者の国民に直接問いかける仕組みを決めるもの。与野党が民意をくみ取りつつ、粘り強く審議を重ねて「公正、公平、中立」な制度の実現に向け合意を達成するのが筋ではなかったか。
一政権の政治的思惑に左右されてはならないことはいうまでもない。基本を無視した安倍政権と、それを許した民主党など野党の責任を厳しく指摘しておきたい。
法案内容も、生煮えの点が多く、十分審議を尽くしたとはとてもいえない。問題点の検討を先送りするような「付則」が何カ所もあることが、それを物語っている。
与党修正案は国民投票の対象を「憲法改正」に限定する一方、民主党が主張する「一般的国民投票」制度については、対象に加えるかどうか、付則で「間接民主制との整合性の観点などから検討を加え、必要な措置を講ずる」とした。
民主党修正案で「適用除外」とされた「公務員の政治的行為の制限」に関しても、原則として制限するが「賛否の勧誘や意見表明は制限されないよう検討」との付則が付けられたことなどが、その例だ。
投票権者年齢や、テレビCMの規制期間をめぐっては、与党と民主党とで最終的な歩み寄りができず、平行線のままに終わっている。
それだけではない。国会の外からも、有効投票数の二分の一とされた「過半数」の定義の見直しや、最低投票率制度の必要性を強調する意見など、改憲派、護憲派の双方から問題点の指摘が相次いだ。今回の採決は時期尚早の「見切り発車」との批判を免れないだろう。
昨年来、与党は衆院憲法調査特別委員会を舞台に、民主党との修正協議を続けてきた。憲法改正案の発議には衆参両院で「三分の二」以上の賛成が必要なことを考えると、民主党の協力が得られない限り発議は不可能であり、国民投票法が成立しても「砂上の楼閣」となってしまうからだ。
しかし、安倍首相が憲法改正を夏の参院選の争点にする意向を早々と表明。民主党の小沢一郎代表も与党との対決姿勢を重視して修正協議の進展にストップをかけたことから、国民投票法案は「政局マター」となってしまった。
民主党が土壇場で独自の修正案を国会に提出したのも、党内の「造反封じ」が狙いという体たらくだった。
法案審議はこれから参院に舞台を移す。衆院に対して「抑制、均衡、補完」を旨とする参院が良識と独自性を発揮することを強く望みたい。
『中国新聞』社説 2007年4月14日
こんな議論でいいのか 2つの重要法案
重要な二つの法案がきのう、衆院本会議で可決された。憲法改正の手続きを定める国民投票法案と、在日米軍基地移転などに協力する自治体への交付金支給を柱とする米軍再編推進法案である。いずれも安倍晋三首相の強い意向を受け、与党が委員会で審議を打ち切るなどして採決を強行した。
国民投票法案は「大事な問題だから」と自民、公明、民主が議論を重ね、拙速を避けてきた。が、安倍首相が憲法改正を参院選の争点に掲げ、「今国会で法案成立」と述べて潮目は変わった。
米軍再編法案は、安倍首相の初の訪米となる二十六日に間に合うよう成立を急いでいるとみられる。日米同盟を重視する首相の、米国へのアピールというわけだ。
中身よりも、首相の示した「締め切り」を優先した印象が強い。国の進む道を左右する法案だけに、これでいいのかとの思いがぬぐえない。それなのに民主党の対応は腰が定まらなかった。
憲法を改正する際の手続きを定めた法律がない現状は、政治の怠慢とされてきた。法的不備を解消するため、与党と民主党は政局を絡めないよう神経を配って一致点を見いだす作業を続けてきた。与党案にあった「メディア規制」の撤廃もその果実である。
法案処理を急いだ結果、議論のあった最低投票率は定めなかった。投票率がどんなに低くても成立することになる。地方公聴会はわずか二回。それも大阪と新潟で同じ日に開いた。国民的議論があまり盛り上がらないように済ませたとも映る。
米軍再編法案は「アメとムチ」を制度化したといえる。岩国市や沖縄県名護市などを対象に、(1)受け入れ表明(2)環境調査—など、協力度合いを四段階に分けて交付金を出す。財政難にあえぐ地方を、カネの力でねじ伏せるようなやり方には批判も多い。住民の意思はどうあれ、国の命令は聞け—ということか。
沖縄に駐留する米海兵隊のグアム移転費用を負担する枠組みも盛り込む。日本分は約七千億円で両政府は合意している。そもそも日本が負担する根拠、金額の積算根拠や使途を政府は説明できなかったが、押し切った。
安倍政権は数多くの批判を浴びながらも、改正教育基本法など重要法案を圧倒的多数を頼みに成立させている。週明けの参院が議論をおろそかにしては、存在意義を問われることになろう。
『東京新聞』筆洗 2007年4月14日
中立的な手続きルールを定めるだけなのだから、成立は当然だ。遅すぎたぐらいだという論調が、メディアの中にもあることに正直驚く。それならなぜ、与野党一致の合意のもとで行われなかったのか▼「憲法改正の手続きを定める国民投票法案」が、前日の特別委に続き、衆院本会議でも与党だけの賛成多数で可決、参院に送付された。今国会での成立は必至という。憲法改正への第一歩がついに踏み出された。歴史の節目をこんなふうに越えてもいいのか▼施行は公布から三年後、それまで改憲案の審査は行わないというが、「三年」という改正への時限スイッチが入り、コチコチ時を刻み始めたことには違いない。就任以来「戦後レジームの脱却」を唱えてきた安倍政権だが、この政権を支える衆院の絶対多数は、憲法改正への信任として与えられたものではない▼一昨年九月、郵政民営化法案を参院に否決された小泉前首相が、その是非を国民に問う、いわば「疑似国民投票」として行われた衆院解散で与えられたものだ。それをまだ国民の合意形成もない憲法改正の手順に使うのは筋違いだ▼その負い目があるから、最後まで民主党を含めた与野党共同提案が模索されたのではないか。安倍首相は、憲法を改正したかったら、七月の参院選といわず、前首相に倣ってその是非を、解散総選挙で問うてはどうか▼防衛庁を省に昇格させ、手続きルールだと言っては改正への国民投票法をつくる。そんな外堀を埋めてから本丸を攻めるような姑息(こそく)な方法で国家百年の計を決めるな。
『産経新聞』主張 2007年4月14日
国民投票法案 民主は共同作業に復帰を
施行から60年にして、憲法改正手続きを定める国民投票法案が衆院を通過し、今国会で成立しようとしている。
遅きに失したとはいえ、改正を事実上阻んできた立法の不作為を是正するものであり、憲法論議が新たな段階を迎えることを歓迎したい。
採決された与党修正案に、民主党は反対した。自民、公明、民主の3党は協議を重ね、昨年末には大筋で共同修正が可能な方向となっていただけに、対決法案となってしまったことは残念だ。責任の多くは民主党にある。
衆院での採決段階が近づくと、民主党は「一般的国民投票」を含む修正案を提示して「丸のみしなければ、採決には応じられない」と、棒をのんだような態度をとり始めた。
共同修正案をまとめる段階では、投票年齢を20歳から18歳に引き下げるなど、与党が民主党の主張を大幅に取り入れたのに、不可解な対応だ。参院選を控えて対立の構図を演出したものだとすれば残念である。与党が審議を打ち切って採決したのは妥当だろう。
対立劇の背景として、安倍晋三首相が今年に入り国民投票法案の早期成立方針を示し、憲法改正を参院選の争点の一つに挙げたことがある。野党側は、これで与党が「成立ありき」の姿勢に転じたとして、阻止を図るしかなかったと主張している。
しかし、党是として自主憲法制定を掲げる自民党の総裁が、国政選挙に際して憲法に対する明確な姿勢を打ち出すのは当然といえる。
もとより、憲法改正発議には衆参両院の3分の2以上の議員の賛成が必要であることから、自公民3党の共同作業は引き続き欠かせない。民主党は今回の事態を理由として、憲法論議から撤退することなく、野党第一党として責任ある取り組みを再開すべきだ。
国民投票法案が成立した後も、公務員の政治活動の制限をどこまで明確にできるかや、投票権年齢である「18歳」を民法や公選法などほかの法律にどれだけ適用するかなど、検討すべき課題は多い。すでに新憲法草案を作った自民党も、最近は党内論議が低調になってきたという。
在任中の憲法改正を目指す安倍首相は、さらにリーダーシップを発揮して議論の方向性を示してほしい。
『新潟日報』社説 2007年4月14日
国民投票法案 こんなやり方は間違いだ
憲法を改正するための手続きを定める「国民投票法案」が衆院本会議で可決された。参院での審議を経て、大型連休前に成立することがほぼ確実になった。
安倍晋三首相はかねて、「憲法記念日までには成立させたい」と述べている。その日程に沿って事が運ばれているように見える。審議時間はともかく、内容についての論議は深まっていない。衆院可決は拙速だ。
憲法は国の基本法である。改正について国民の意思を問う国民投票の仕組みづくりの論議が、通常の法案以上の慎重さを求められるのは当然だ。
与野党対決ではなく、幅広い合意を得ながら法案審議を進めるはずだったのではないか。衆院特別委での強行採決など、論議を尽くすよりスケジュールを優先した与党の手法は、数のおごりと批判されても仕方あるまい。
独自の修正案を提出して抵抗した民主党も、参院選向けのファイティングポーズであることは見え見えだ。国民の疑問や要望に応え、有権者の意向が反映されやすい法案に練り上げることこそ野党第一党の責任であろう。
国の形づくりに密接なかかわりを持つ法案が、政局や選挙の思惑絡みで扱われたのは残念である。憲法改正論議に与える影響も懸念される。
参院にはもっと冷静で慎重な審議を求めたい。与党内には、十六日から連日六、七時間審議すれば憲法記念日までに成立させることは可能だ、との声がある。駆け足で論議するテーマなのかどうか、しかと考えてほしい。参院の重みと良識を示す時だ。
法案の中身も問題だらけである。その最たるものは、最低投票率の規定がないことだ。新潟市など全国で開かれた公聴会でも多くの陳述者が「致命的な欠陥だ」と指摘している。
仮に投票率が50%を割った場合、有権者総数の25%以下の賛成で憲法が改正されることになる。棄権という意思表示を切り捨てていいのか。現行憲法が改憲の発議要件に厳しい条件を課している理由に思いを致したい。
発議から投票までの期間は六十日以上、百八十日までとなっている。これで改正案が国民に周知されるのだろうか。投票は改正条文ごとに個別に行われる。十分に理解して投票するとなると半年から一年の期間が必要だ。
国民投票法案は党利党略に左右されてはならない。どこから見ても公平公正で客観的な基準が要求される。安倍首相の「信念」とは別次元の話である。
国民の間に憲法改正を求める声が広がっているわけではない。法案を急いで成立させる必要性はどこにあるのか。強引なやり方がまかり通るようでは、腰の据わった憲法論議など望むべくもない。国会に猛省を促したい。
『北日本新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案/なぜ急がねばならぬのか
憲法改正の手続きを定める国民投票法案が自民・公明の与党賛成多数で衆院を通過した。参院に送付されるが、国の最高法規の改正にかかわる重要法案である。与党は憲法記念日の五月三日までの成立を目指しているというが、参院では拙速を避け、十分に審議を尽くすべきだ。
法案は、国民投票のテーマを憲法改正に限定している。投票者年齢は当面二十歳以上にし、公職選挙法や民法の関連法改正後に十八歳に引き下げる。公務員の政治的行為の制限は原則適用する。投票では白票は無効とし「有効投票総数の過半数」で賛否を決するとしている。
憲法九六条で憲法改正は「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とあり、承認には「特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」とある。だが、発議や国民投票をどういう形で行うのかといった手続きは未整備のままだった。
与党と民主党は当初法案の共同提出を目指し、相違点を絞り込んできた。しかし、今年の年頭会見で安倍晋三首相が「憲法改正を私の内閣で目指したい。参院選でも訴えていきたい」と発言、協調ムードは吹き飛んだ。小沢一郎民主党代表は「民主党案の丸のみ」を主張、独自の修正案をまとめた。
投票のテーマを憲法改正に限定する与党案とは異なり、統治機構や生命倫理に関する問題なども盛り込んだ。参院選を控え、憲法改正手続きの重要法案は政争の具になってしまった。
与党の法案には多くの問題点がある。まず投票率に関する規定がないことだ。もし投票率が40パーセントだった場合、全有権者の20パーセント超の賛成で改憲が実現することになる。ごく少数の国民の意思が国を左右してしまう。こうした事態を防ぐため、韓国やロシアなどは有権者の過半数の投票がなければ効力を発しない「最低投票率」を設けている。こうした措置が必要ではないか。
公務員や教育者がその地位を利用して投票運動をすることを禁止していることも問題である。主権者の一員として意見表明は原則自由とすべきではないか。大学の教官らが過剰反応して、講義で自らの主張を自粛させてしまうことにもなりかねない。
さらには報道機関も制限を受ける。テレビ、ラジオでは政治的公平をうたう放送法の規定に「留意する」との文言が盛り込まれている。日本新聞協会は意見広告について「自由な意見表明、情報流通を阻害するような規制には反対」との意見書を提出している。
何よりも世論の盛り上がりがないままに、事が進んでいることが問題だ。共同通信の最近の世論調査では、国民投票法案に賛成する人でも、七割が今国会での成立にこだわる必要はないと答えている。憲法改正に国民の関心が高いわけでもない。参院では、この時期に手続き法が必要なのかという根本の議論からやり直すべきだ。
『岐阜新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案 「政局マター」のいけにえだ
自民、公明両党は、憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案を衆院本会議で賛成多数で可決し、参院に送った。今国会中の成立は確実とみられる。
民主党など野党が反発する中、与党は憲法改正と密接に絡む重要法案を対立点を残したまま採決に踏み切った。その背景には、議論よりも政局優先があった。極めて遺憾である。
ここに至る政治プロセスでは、任期中の改憲実現を目指し、同法案の今国会成立を「改憲への一里塚」ととらえる安倍晋三首相の「前のめり」の姿勢が見受けられる。
同法案は、国会が発議する憲法改正案への賛否を、主権者の国民に直接問いかける仕組みづくりだ。本来、与野党が民意をくみ取りつつ、粘り強く審議を重ねて「公正、公平、中立」な制度の実現に向け、合意を形成するのが筋である。
一政権の政治的思惑に左右されてはならないことはいうまでもない。この基本を無視した安倍政権と、それを許した民主党など野党の責任を厳しく指摘しておきたい。
法案内容も生煮えの点が多々ある。十分審議を尽くしたとはとても言えない。問題点の検討を先送りするような「付則」が何カ所もあることが、それを物語っている。
与党修正案は国民投票の対象を「憲法改正」に限定する一方、民主党が主張する「一般的国民投票」制度は、対象に加えるかどうか、付則で「間接民主制との整合性の観点などから検討を加え、必要な措置を講ずる」とした。
民主党修正案で「適用除外」とした「公務員の政治的行為の制限」も、原則として制限するが「賛否の勧誘や意見表明は制限されないよう検討」との付則が付けられたことなどが、その例だ。
投票権者年齢や、テレビCMの規制期間をめぐって、与党と民主党は最終的な歩み寄りができず、平行線のままに終わっている。
それだけではない。国会の外からも、公務員・教育者の地位利用による国民投票運動の禁止規定に罰則がないことを批判したり、有効投票数の2分の1とした「過半数」の定義の見直しや、最低投票率制度の必要性を強調する意見など、改憲派、護憲派の双方から問題点の指摘が相次いだ。
今回の採決は、時期尚早の「見切り発車」との批判を免れない。
昨年来、与党は衆院憲法調査特別委員会を舞台に、民主党と修正協議を続けてきた。憲法改正案の発議には衆参両院で「3分の2」以上の賛成が必要なことを考えると、民主党の協力が得られない限り発議は不可能であり、国民投票法が成立しても「砂上の楼閣」となってしまうからだ。
しかし、安倍首相が憲法改正を夏の参院選の争点にする意向を早々と表明し、民主党の小沢一郎代表も与党との対決姿勢を重視して修正協議の進展にストップをかけた。
この時点から、国民投票法案は「政局マター」のいけにえとなってしまった。民主党が土壇場で独自の修正案を国会に提出したのも、党内の「造反封じ」が狙いという体たらくだった。
法案審議はこれから参院に舞台を移す。「抑制、均衡、補完」を旨とする参院が衆院に対して良識と独自性を発揮することを強く望みたい。
『宮崎日日新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案 改憲論議はもっと時間かけよ
あれよあれよという間にもうここまで来たか…という印象である。
憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案が、民主党など野党が反対する中、自民、公明両党の賛成多数で衆院を通過、参院に送られた。今国会中の成立は確実とみられる。
国民投票法案は手続き法とはいえ、憲法改正と密接に絡む重要法案だ。
与党と民主党との法案修正協議が決裂、対立点を残したまま採決されたことは極めて残念な事態である。
また任期中の改憲を目指し、同法案の今国会成立を「改憲への一里塚」とする安倍晋三首相の「前のめり」姿勢が見受けられたことも気になる。
■法案の内容は生煮え■
同法案の目的は、国会が発議する憲法改正案への賛否を、主権者の国民に直接問い掛ける仕組みづくりだ。
もともと与野党が民意をくみ取りつつ、粘り強く審議を重ねて「公正、公平、中立」な制度の実現に向け、合意を得るのが筋だったはずである。
一政権の政治的思惑に左右されてはならないことは言うまでもなく、この原則を無視した安倍政権と、それを許した民主党など野党の責任は厳しく問われなければならない。
法案内容も生煮えの点が多くあり、十分審議を尽くしたとはとても思えない。問題点の検討を先送りするような「付則」が何個所もあることがそれを裏付けている。
与党修正案は国民投票の対象を「憲法改正」に限定しているが、民主党が主張する「一般的国民投票」制度については態度を鮮明にしていない。
対象に加えるかどうか、付則で「間接民主制との整合性の観点などから検討を加え、必要な措置を講ずる」とすることにとどめているからだ。
■改憲、護憲派から批判■
民主党修正案で「適用除外」とされた「公務員の政治的行為の制限」に関しても、原則として制限するが「賛否の勧誘や意見表明は制限されないよう検討」との付則がつけられたことなどが、その例である。
投票権者年齢やテレビCMの規制期間をめぐっては、与党と民主党とで最終的な歩み寄りができず、平行線のまま終わっている。
それだけではない。国会の外からも公務員、教育者の地位利用による国民投票運動の禁止規定に罰則がないことへの批判がある。
また有効投票数の2分の1とされた「過半数」の定義の見直しや、最低投票率制度の必要性を強調する意見など改憲、護憲派の双方から問題点が指摘された。今回の採決は時期尚早の「見切り発車」との批判は免れまい。
昨年来、与党は衆院憲法調査特別委員会を舞台に、民主党との修正協議を続けてきた。
憲法改正案の発議には、衆参両院で「3分の2」以上の賛成が必要なことを考えると、民主党の協力が得られない限りは不可能であり、国民投票法が成立しても「砂上の楼閣」になってしまうからだ。
しかし、憲法改正を夏の参院選の争点にしたい安倍首相と、与党との対決姿勢を鮮明にしたい小沢民主党との思惑から、国民投票法案は「政局マター(事柄)」になってしまった。
法案審議はこれから参院に舞台を移す。衆院に対して「抑制、均衡、補完」を旨とする参院が、良識と独自性を発揮することを強く望みたい。
『南日本新聞』社説 2007年4月14日
[国民投票法案] 改憲ムードを高める動きは慎みたい
憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案は野党が反発するなか、自民、公明両党の賛成多数で衆院を通過し、参院に送られた。与党が最重要課題と位置づける同法案は今国会での成立が確実になった。
民主を含めた3党による共同提案での成立を目指した法案は、最終的に与野党の主張が一致しないまま採決された。7月の参院選をにらんだ与野党執行部が党利党略を優先したからだ。任期中の改憲実現を目指す安倍晋三首相の意をくんだかのように、急ピッチで改憲へのレールが敷かれてしまったことは遺憾だ。
これまでの与党と民主党の協議では一定の成果があった。投票権者年齢を原則18歳以上としたのもその一つだ。与党は当初、「20歳以上」としていたが、海外視察などを通じて民主党案に歩み寄った。最終的に与党修正案は選挙権などを引き下げることを条件としたものの、折り合う部分があったことは間違いない。時間をかければもっと落ち着いた環境で成立を目指せたのではないか。
性急な政治日程のなかで、与党修正案は投票の対象を憲法改正に限定した。民主党が主張した「一般的国民投票」は費用の問題や「議会制民主主義にそぐわない」との批判もあり、「今後検討する」と付則で言及されるにとどまった。生煮え状態とも言えるだろう。
一定の投票率を下回ったとき、投票全体が無効になる最低投票率を定めなかったことにも疑問が残る。「賛成」が有効投票総数の2分の1を超えた場合は承認される。投票率が低ければ、国民の少数意見で憲法が改正される恐れもある。公務員や教育者の運動を制限したことも国民全体に委縮効果を与えかねない。
衆院憲法調査特別委員会の公聴会でも与党修正案の不備が指摘された。同法案は国会が発議する憲法改正案への賛否を主権者の国民に問う仕組みづくりだ。公平、公正、中立な制度を実現するため、民意を十分にくみあげて審議を尽くすのが筋だったはずだ。しかし、与野党はその義務を果たしたとはとても言いがたい。
北朝鮮のミサイル発射や核実験を契機に、これまで憲法解釈で禁止してきた集団的自衛権の行使を容認する主張も見受けられるようになり、安倍政権の目指す改正の行方は見えてきた。
改憲手続きの法制化は憲法に定められている以上、国民投票法案自体は受け入れざるを得ない。ただ、法案をバネに改憲ムードを高めることは慎むべきである。参院は冷静な論議に徹してほしい。
『琉球新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案・与党強行採決でいいのか
この国はどこへ向かおうとしているのか。やはり、「戦争のできる普通の国」なのだろうか。憲法の改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案が、衆院憲法調査特別委に続き、衆院本会議でも自民、公明両党の賛成多数で可決された。来週にも参院に送付される。今国会での成立は確実とみられる。
日本国憲法第96条は「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と定めている。今回の国民投票法案は、この規定に従って提案、成立されようとしている。
法案に重大な欠陥
憲法で明記されている国民投票の方法を定める法律は必要だ。単なる手続き法とはいえ、憲法改正に密接に絡む重要法案。その法案について、与党と民主党との修正協議が決裂した。だからといって、与党が採決を強行していいものではない。
何せ、憲法改正には衆参両院の3分の2以上の賛成が必要だ。
野党の協力なくしては、改正の発議もできない。そのため衆参両院では2000年1月に憲法調査会を設置して協議を続けてきた。
ところが、今年の1月4日、安倍晋三首相が「憲法改正を目指すと参院でも訴える」と述べたことから状況が変わってきた。
今年最大の政治決戦となる参院選挙への思惑から、与野党の対立が先鋭化、与党が強行採決に踏み切った。
一政権の政治的思惑で左右されてはならない重要な法案なのに、それを無視した自民、公明党の安倍政権と、それを許した野党の責任も問われる。
与党修正案は(1)国民投票の対象を憲法改正に限定(2)投票権者は18歳以上(当面は20歳以上)(3)賛成が投票総数の2分の1を超えた場合は承認(4)選管職員ら特定公務員の国民投票運動は禁止。公務員や教育者が地位などを利用し運動することはできない。罰則は設けない—などが柱となっている。
この内容には、生煮えの点が多々あり、十分審議を尽くしたとはとてもいえない。問題点の検討を先送りするような「付則」が何カ所もあることが、それを物語っている。
さらに、法案にはいくつかの重大な欠陥がある。まず、最低投票率の定めがない。最近の、各種選挙における投票率の低さを考えれば、例えば国民投票の投票率が40%台以下ということもあり得る。その過半数なら、なんと国民の2割以下の賛成で憲法が変えられることになる。憲法という国の最高法規を変えるのに、これでいいはずがない。
参院で十分な審議尽くせ
公務員や教育者の運動を制限するのも疑問だ。公職選挙法による議員を選ぶ場合と、憲法改正の場合で、運動規制を同じように考えていいのかどうか。むしろ、広く国民に投票の意義を周知徹底させる上でも、こうした人たちの広報活動は歓迎すべきではないのか。逆に、公務員らの運動に罰則がないのを批判する意見もある。
投票権者年齢や、テレビCMの規制期間をめぐっては、与党と民主党とで最終的な歩み寄りができず、平行線のままに終わっている。
このように、この法案は改憲派、護憲派の双方から問題点の指摘が相次いでいる。今回の採決は時期尚早の「見切り発車」との批判を免れないだろう。
さらに疑問なのは、なぜ今、憲法改正の手続きを定める国民投票法案なのか。野党の賛同も得られないままに。自民党は結党50年の05年に「新憲法草案」を決定している。その中で自衛隊を「自衛軍」と明記している。同党の狙いが第9条の改正にあるのは明らかだろう。
22日は参院補選の投開票日だ。この件に関し、有権者が意思表示できる数少ない場となる。各立候補者も、国民投票法案への賛否、問題点をもっと選挙戦で取り上げてほしい。法案審議はこれから、参院に舞台を移す。衆院審議で積み残された課題についてさらに十分な論議を重ね、良識の府である参院が独自性を発揮することを期待したい。
『朝日新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案—廃案にして出直せ
憲法を改正すべきかどうかを問う国民投票法案が、与党の自民、公明両党の賛成多数で衆院で可決された。憲法という国の大本を定める議論が、対決路線の中で打ち切られたのは不幸なことだ。
長年にわたる護憲と改憲の原理的対立を経て、国会は具体的な論点にそって憲法論議ができる土台作りを進めてきた。
そして一昨年来、改正論議に入る前段階として、自民・民主・公明の3党が主導して、憲法改正の是非を問う手続きである国民投票法の仕組みを審議してきた。法案に反対の立場の共産、社民両党も、審議には加わってきた。
憲法改正の仕組みを決める今回の法案づくりは、できるだけ幅広い政党のコンセンサスをつくって進めるべきだ、と私たちは主張してきた。
憲法改正には、衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が発議する必要がある。さらに国民投票で過半数の賛成が得られなければ、憲法は変えられない。高いハードルを設定したのは、憲法とは国のかたちにかかわる基本法であり、改正すれば、その後数十年にわたり国の政治を大きく規定するからだ。
こんどの国民投票法は、そうした憲法論議に深くかかわる重要な法案である。憲法改正と同様に幅広い合意があってしかるべきだ。ある特定の時点での多数派の思惑や、単なる選挙目当てで進めてもらっては困る。少なくとも野党第1党の賛成を得ることがのぞましかった。
2000年に国会に憲法調査会が設置されて以来、自民、公明、民主3党の議論は、政局をからめないように注意しつつ、公正中立なルールづくりをする路線を大切にしてきた。だが、7年の協調がこれで崩れてしまった。
その責任はまず、選挙の思惑を持ち込んだ安倍首相にある。「憲法改正を参院選でも訴えたい」と争点化したからだ。戦後レジームからの脱却を図る安倍カラーを発揮する作戦だろう。一方、民主党側も、与党だけの可決という展開によって、参院選での攻撃材料を得た。
ここで採決に踏み切った与党側にすれば、もう十分審議は尽くしたし、譲るべきものは譲ったということなのだろう。
しかし、今回の可決は野党を硬化させ、実際の憲法改正の可能性はむしろ遠のいたとさえ言われているのは、皮肉なことである。
法案には、メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある。
参院では夏に半数の議員が改選されるので、法案を継続審議にはできない。成立か廃案しかない。
世論を見渡すと、憲法についてどうしても改正すべきだと多くの人が考えている論点は、いまのところない。
時間は十分にあるのだ。参院は法案を廃案にしたうえで、参院選のあとの静かな環境のなかで、与野党の合意を得られるよう仕切り直すべきである。
『読売新聞』社説 2007年4月14日
国民投票法案 党利党略が過ぎる小沢民主党
現行憲法制定以来の立法府の不作為が、解消される。
憲法改正の手続きを定めた、与党提出の国民投票法案が、自民、公明両党などの賛成多数で衆院を通過した。今国会中に成立する見通しだ。憲法をめぐる戦後史で画期的なことである。
本来は、超党派で成立させるべき法案である。衆院での採決の直前になって、民主党が独自の法案を提出し、与党と民主党が対立する形になったのは、極めて残念なことだ。
それにしても、民主党の姿勢には、首をかしげざるをえない。
国民投票法案については、昨年暮れ、与党と民主党が、9項目の修正項目で合意した。衆院憲法調査特別委員会の与党と民主党の理事間では、共同提案を目指して協議が進んでいた。
与党案は、投票権年齢を「原則18歳以上」とするなど、民主党が主張する内容を大幅に取り入れて修正したものだ。両案に、ほとんど違いはない。
それが、民主党独自の法案提出となったのは、参院選に向けて、自民党との対決姿勢を示す狙いなのだろう。
安倍首相は、参院選で「憲法改正」を訴えるとし、国民投票法案の早期成立を主張してきた。民主党の小沢代表ら執行部が共同修正の動きを抑えたのには、国民投票法案でも与党に対する対決姿勢を鮮明にした方が、参院選の選挙戦略上、得策という判断がうかがえる。
与党案と民主党案の最大の違いは、国民投票の対象について、与党案が憲法改正だけとしているのに対し、民主党案は「その他の国民投票の対象にふさわしい問題」も対象にするとしている点だ。
だが、憲法前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する、とある。一般的な政策に関する国民投票は、日本の統治原理である議会制民主主義に反する。
大衆迎合政治の横行を招くことにもなる。例えば、国民に負担を求める消費税率引き上げのような問題だ。一円でも税金は安い方がよい、という一般の心理におもねって、反対政党が国民投票の実施に持ち込むようなことがあれば、大きな政治的混乱に陥るだろう。
民主党は「間接民主制との整合性の確保」の観点から、必要な法制上の措置を講じる旨を付則に定める、としている。だが、小手先の対応で、本質的な問題性が解消されるものではない。
民主党内には、憲法改正に賛成し、国民投票法案の成立を望む議員も少なくないのではないか。これ以上、政争の具にしてはなるまい。