中山俊宏(津田塾大学准教授)
『エコノミスト』2009年1月27日号39-41頁に掲載
2009年1月20日、バラク・フセイン・オバマ政権が誕生する。政権誕生前からこれほど注目を集めた政権はこれまでなかっただろう。その視線はアメリカのみならず、世界各地から降り注いでいる。
クリントン政権(1993〜2001年)はいずれ忘却の彼方に消え去り、G・W・ブッシュ政権(01〜09年)はオバマ政権の誕生を逆説的に用意した政権としてのみ記憶されることとなろう。しかし、オバマ政権は、50年経っても、100年経っても忘れられることなく、アメリカ国民によって繰り返し語り続けられる政権となる可能性が高い。オバマ大統領の就任演説は、全米の中学や高校の教室で今後繰り返し上映され、アメリカ史の重要な一場面を構成していくことだろう。
しかし、政治風刺新聞の『オニオン』紙が、選挙翌日の一面に「アメリカで最低の仕事を黒人に(Black Men Given Nation’s Worst Job)」という表題の記事を皮肉たっぷりに掲載したように、オバマ政権はこれ以上ないほどの難題に直面しながらの出航となる。
勝利を呼んだ「静かな一貫性」
2004年の大統領選挙でG・W・ブッシュ大統領が再選を果たした時、これで共和党多数派体制の時代が到来したと多くの評論家が論じ、民主党にとっては出口なしの状態がしばらく続くであろうとの予測が支配的であった。しかし、そのわずか4年後、オバマ候補は、近年のアメリカ政治の常識を完全に覆すかたちで、まずは予備選挙で勝利を確実視されていたヒラリー・クリントン候補に競り勝ち、本選挙では屈強な一匹狼(マーヴェリック)のジョン・マケイン候補を破った。
クリントン候補との対決は予想外に長期化したものの、小さな州を確実に取りにいくという選挙戦術によって、負けない構図を早々と作り出し、終盤のクリントン候補の追い上げを振り切った。マケイン候補との一騎打ちは、08年9月半ばまでは史上稀にみる大接戦だったものの、「リーマン・ショック(大手証券リーマン・ブラザーズの破綻)」を境に、その差を広げ、勝利の構図を確実なものにしていった。しかも、その勝利は地滑り的とまではいかないものの圧倒的なものであった。
約2年に渡った選挙期間中、オバマ候補は何度か窮地に立たされた。とりわけ予備選終盤のクリントン候補との泥仕合では、オバマ候補が守勢にたつ場面が目立ち、当初の社会運動的な熱気は確実に減退していた。しかし、本選挙前日深夜近くの最後の選挙イベントでは、オバマ候補は当初のオバマ候補がもっともオバマ候補らしかったころのオーラを回復し、この2年を感慨をもって振り返る余裕さえ感じられた。その時オバマ候補は、今回の選挙を通じて、確実になにかが動いたという手応えを感じていたに違いない。
オバマ氏が、アメリカ政治の大舞台ではじめてその存在を認知されたのが04年の民主党全国大会において「ひとつのアメリカ」を説いた基調演説を行ったときであったことはよく知られている。すでにその時、若い政治家らしい清々しさとシニシズムを撥ね除ける「希望」のメッセージに、将来の大統領の姿を見た人も少なくなかったはずである。
会場は「すごい若者」が出てきたという新鮮な興奮に満ちあふれていた。テレビ映像には会場で感心するヒラリー・クリントン上院議員の姿も映っていた。あのときのクリントン議員は、まさか壇上の無名の若手政治家が、「女性初の最高司令官」という彼女の大いなる計画に待ったをかける人物になろうとは思ってもみなかったことだろう。
当時イリノイ州議会の上院議員に過ぎなかったオバマ氏は、同年の選挙で、アメリカでもっとも「敷居の高いクラブ」といわれる連邦上院議会のメンバーに選出される。オバマ議員は、100人の上院議員の中で唯一のアフリカ系アメリカ人の議員であった。オバマ議員は、着任当初からスポットライトがあたりやすい上院外交委員会の委員に任命され、民主党の期待の星として、その存在は早くから注目されていた。
しかし、オバマ議員が真にその存在を全国的に認知されたのは、05年の夏にハリケーン・カトリーナがニューオーリンス一帯を襲った時のことであった。それまで、新人議員として目立った行動をとることを控えていたオバマ議員は、当選してはじめて日曜午前中の政治トーク・ショーに出演し、「普通のアメリカ人」の視界に入ることのないアメリカ、すなわち、クレジット・カードも保有できず(ゆえにホテルにも宿泊できず)、ガソリンを満タンにできるほどの現金を持ち合わせておらず、さらには車も持てない「忘れ去られたアメリカ」の存在について語り、ハリケーン上陸前の当局の退去命令やその後の対応がいかに基本的な認識を欠いていたかを、静かに、しかし同時に力強い調子で批判した。
この時のオバマ議員は、明らかにアフリカ系アメリカ人コミュニティの代弁者であった。民主党議員としてブッシュ政権の対応を厳しく批判もしている。しかし、この時のオバマ議員の立ち振る舞いで際立っていたのは、従来の黒人政治家のように、白人と黒人という対立の構図に還元し、白人社会を告発するのではなく、このような問題を放置してきた「われわれ」自身を問題視し、党派を超えた問題解決型の対応を呼びかけた点であった。この姿勢は、04年の基調講演のメッセージともオーバーラップし、大統領選出馬宣言、民主党大統領候補使命受諾演説、勝利演説など、その後、節目節目に行ってきた演説を貫くメッセージでもあった。就任演説でも、基調となるメッセージは変わらないだろう。
オバマ氏の強みについては、これまで色々語られてきた。インターネット献金を中心とした前例のない政治資金力で共和党の集金マシーンを圧倒したこと、おそらく世界初のソーシャル・ネットワーク(ネット上の人のつながり)型の選挙戦を展開したこと、類いまれな言葉の力によって選挙の基調音を設定し続けたこと、緻密に練り上げられた一貫性のある選挙戦略と、それを柔軟に適用した統率のとれた選挙対策本部の存在、時代と共鳴し合うライフ・ヒストリーを有していたこと、さらには若さなど、選挙に勝利した今となっては、その強みを数え上げていけばきりがない。オバマ候補は、最終的にはアフリカ系アメリカ人であることさえも強みにしてしまった。
しかし、突き詰めていくと、オバマ氏の最大の強みはこの主題の一貫性であったといえはしないか。さらに特筆すべきなのは、主題が一貫していながらも、多くの偉大な政治家がそうであるように、オバマ候補は、それぞれの人がそれぞれの思いを投射できる対象であり続けたことだ。これはおそらくオバマ陣営が、オバマという人物を、ある特定の政策の束と同一化させるのではなく、「チェンジ(変革)」をもたらすエージェント(代理人)として位置づけたためであろう。クリントン候補、マケイン候補の対応が、周囲の情勢に合わせて二転三転するなか、オバマ候補の場合は、全体としてみれば静かな一貫性を保っていたといえる。
アメリカの「あるべき姿」を体現
本選挙を振り返ってみて、しばしば9月半ばの「リーマン・ショック」が選挙の流れを変えたと評される。支持率の動向を追っていくと、変わり目は明らかに金融危機直後であった。しかし、これは必ずしもアメリカ国民が両候補の具体的な経済政策に反応した結果ではなかった。選挙期間中の両候補の経済政策は、目前で展開する危機に対応したものではなかった。
しかし、それは意図せざる重大な効果をもたらした。未曾有と評された金融危機を前にし、マケイン候補はキャンペーンの一時休止を訴え、第1回目の討論は欠席すると主張するなど、突発的な対応が際立った。その数週間前には、副大統領候補としてサラ・ペイリン・アラスカ州知事を指名するなど、どうしても奇策が目立ってしまっていた。つまり9月半ばの金融危機は、両候補の「気質」の違いを一気に際立たせてしまう効果をもったといえる。
この選挙を理解するキーワードとして、この「気質」という言葉を挙げる人は少なくない。つまり、イデオロギー的には、マケインの方が「保守」であり、オバマ候補の方が「リベラル」であったとしても、人間の気質としては、マケイン候補の方が「直情的」で、オバマ候補の方がはるかに「保守的」であることが、金融危機を背景にして浮かび上がってしまった。「変化を掲げながらも、危うさを感じさせない候補」、そのようなイメージがオバマ候補の歴史的な勝利を可能にしたといえよう。
このようなイメージを包み込み、オバマ氏の「異質性」を最終的に取り除いたのが、オバマ候補のライフストーリーであった。多くのアメリカ人にとって、数多くの物語が交差するオバマ氏のライフストーリーは、「アメリカ」という社会的実験を最終的に肯定しているもののように映った。それは、マケイン候補が象徴していたアメリカとはまったく異なるアメリカであったが、ますます多様化していくアメリカの将来像とはるかに合致するものだった。
さらにアフリカ系アメリカ人候補として、過去の不正義を断罪するのではなく、むしろこれから実現すべき正義に力点をおいた点も、オバマ候補の強みだった。誰かを裁くことによって実現する正義ではなく、皆が参加することによって実現する正義。あまりにも予定調和的と考えられがちだが、オバマ候補がそこに大統領候補として立っているという現実そのものが、シニシズムに対する最も力強いメッセージであった。オバマ候補の党派を超えた楽観的なメッセージは、本来あるべきアメリカを躊躇なく肯定するものだった。
それゆえに、選挙の翌日、アメリカがオバマ候補を選んだことに、マケイン候補を支持した共和党員も誇りを感じるような奇妙な雰囲気さえあった。選挙全体をこのように捉えると、オバマ陣営が掲げた「チェンジ」というスローガンは、実は単に「変革」を意味する言葉ではなく、「生まれ変わる(ボーンアゲイン)」という感覚に近いことがわかる。それは単に政策上の変化を求めたのではなく、「再生する」というアメリカの原風景的な感覚に訴えたものであった。
アメリカは「本来あるべき姿」という感覚が非常に強い国である。それはしばしばアメリカの独善性の源泉ともなるが、そのような「本来性への回帰」を将来像として提示しえたことが「オバマ運動」にある種の使命的な雰囲気を漂わせていたといえよう。
政権を後押しする保守主義の退潮
オバマ政権は、二つの戦争、未曾有の経済危機の真っ只中にあるアメリカを引き継ぐことになる。また世界各地でアメリカの評判はいまだかつてないほど悪い。政権発足時からこれほどの難題を抱えた政権は、アメリカ史を見渡してもそうはなかった。ただ、オバマ政権にとって、朗報があるとすれば、それはオバマ政権が政治的地殻変動の最中に誕生するということだ。それは70年代終盤以降、アメリカ政治の基本的なアジェンダ(課題)を設定し続けてきた保守主義の退潮であり、これはオバマ政権にとって確実に有利な構造変動である。
保守主義の代表的存在であるレーガン大統領(任期81〜89年)のスピーチライターであったペギー・ヌーナン女史が、今回の投票日の数日前、「いまアメリカでなにか新しいことが起きようとしている、それは差し迫った新しいリベラリズムの時代の到来である」(『ウォールストリート・ジャーナル』紙08年10月29日付)と述べている。それはとにもかくにも連邦政府という野獣を飢えさせてひたすら痩せ細らせていくという基本思想の退潮を意味している。著名な政治学者のフランシス・フクヤマは、これを「レーガン時代の終焉」と評している(『アメリカン・インタレスト』誌09年1・2月号)。
オバマ政権が、問題解決型の「新しいリベラリズム」を掲げて、連邦政府の役割を積極的に再定置していけるとするならば、08年の「オバマ現象」はより恒久的な新しい統治構造のはじまりと位置づけられるようになるかもしれない。