中山俊宏(津田塾大学准教授)

『朝日新聞』2008年5月31日夕刊


 バラック・オバマ候補といえば、アリーナ級のホールを満杯にし、「チェンジ」を訴え、「イエス・ウィー・キャン(やればできるんだ)」と連呼し、若者を陶酔させるロックスターのような華やかなイメージのみが先行しがちだ。しかしいま、多くのアメリカ国民は8年続いたG・W・ブッシュ政権に失望し、自国が大きく間違った方向に進んでいると感じている。長期化するイラク戦争、経済的不安、深まる政治的亀裂はアメリカに深い閉塞感をもたらしている。アメリカは華やかさそのものを求めてはいない。アメリカをリセットしてくれるような指導者を求めている。


 では、オバマ氏を支持する人たちは彼になにを見いだしているのだろうか。まずいえるのは、オバマ氏を実現してほしい「政策の束」とは見なしていないことだ。政策的実績が基準であったならば、他にいくらでも候補がいたはずだ。上院で実績を積み重ねてきたクリントン候補には勝てるはずもない。また特定のイデオロギー的立場に共鳴した支持層がオバマ氏を支持しているという構図にはなっていない。オバマ氏の支持グループを見渡すと、イデオロギー的に雑多な構成であることがわかる。


 政策でもなく、イデオロギーでもなければ、いったいなにが社会運動のような熱気を放つ「オバマ・ムーブメント」を支えているのか。それは、オバマという人が、アメリカ人が自らこうありたいと望むアメリカ像を投射できる対象であるからだ。オバマ氏は、常に「変化」と「新しさ」を強調する。メッセージ自体は特段オリジナルなものではない。しかし、それがオバマ氏の口から発せられるとどこか根源的な響きをもつ。それは、カンザス州出身の白人の母とケニア人の父をもち、合衆国で最も若いハワイ州で白人の祖父母に育てられたオバマ氏のライフストーリーそのものが、「アメリカ」という実験を最終的に肯定しているように感じられるからだ。属性を超えた共同性の実現。オバマ氏の力強くも楽観的なメッセージは、本来あるべきアメリカを躊躇なく肯定する。そして、このようなオバマ氏への期待は、自らの純粋さを信じるアメリカ固有のナショナリズムの発露でもある。オバマ候補が演説をするアリーナはどこか使命的な空間に変貌するのはそのためだ。


 無論、オバマ氏の強さは、象徴的次元だけにあるのではない。大票田州ではなく党員集会が行われた小中規模州を狙いにいった選挙戦略。200ドル以下の小口献金に重点をおいた資金戦略。ネットを効果的に活用し、草の根に蓄積したエネルギーを吸い上げ、それをネットワーク化し、持続的な参加を実現させたネット戦略。これらはオバマ現象と共鳴し、その存在を増幅させる効果を持った。


 「新たなはじまり」をもとめた民主党は、「政策の束」であるクリントン候補ではなく、変化を訴えたオバマ候補を選ぶ方向でことはすすんでいる。しかし、予備選挙の長期化は「オバマ・マジック」の効果を著しく減退させてしまった。キャンペーンを立ち上げた当初、オバマ氏は人種問題を超えた候補だと期待されたものの、混戦の中で、本人の意図とは別に「黒人化」していく場面が目立つようになった。「普通」の候補になった時、アメリカ国民は彼になにを投射するのであろうか。