写真家のお宅へおじゃました。
彼は足にギブスをして、ソファに横たわっていた。
「木を切っている時に、チェンソーでやったんだ、写真を撮ることが僕の生活そのものなのに、これじゃあねぇ。」と憮然とした顔で言った。
イラクとの国境近く、イランイラク戦争時、戦闘が最も激しかった地域の出身。空爆下のテヘランを撮り、今もイランを撮り続けている。バム地震のドキュメントが最近の代表作。
怪我は本当に大変だろうけど、それが戦場でのものでなかったことに僕は何故か少しほっとした。彼はいわゆる「戦場カメラマン」ではなかった。
「会うのをとても楽しみにしていたんだけど、会って何を話そうか困っていたんですよ。カメラの話なんかしてもしょうがないですしね。」
「足がこんなじゃなかったら僕が運転して一緒に遊牧民の写真を撮りに行ったのになぁ。一緒に写真を撮ればわかるのに。誰か他の写真家を紹介しようか?」
「詩人を知りませんか?」
「え?詩人?」
「ええ、プロポーズの時、毎日女性の家に通って詩を朗読した人がいたって聞いたものですから。会ってみたいんです。」
奥さんが笑って、
「プロポーズの時、毎日自分が撮った写真を持って来た人なら知ってるけどね。」と言った。
ニューヨークのアパートの庭で日本のキュウリを育てるんだと言うと、突然目の色を変えて、「土はどうしてる?肥料は?種はどこから持ってくるんだ?」
「どうしたの?」と聞くと。台所に飾ったズッキーニのひょうたんを見せてくれた。
「彼が作ったのよ。この人、撮影にでかけるとあっちこっちから植物を盗んで来るの。」
「盗むんじゃないよ。自然に生えてるやつだ。」
それから奥さんはテラスに出て庭を見せてくれた。
ブドウ、オレンジ、ライラック、バラ、いろいろなハーブ....
「何で早く見せてくれなかったの?暗くなっちゃったじゃない。」
「だって、知らなかったんだもの。」
「月があそこに出てるってことは、こっちが南だね。すると、いい朝日が当たるね。」
「そうよ、でも、あのビルがちょっとね。」
「いや、あんなに低いんだったら平気でしょう。」
「まあね、この家を初めて見た時にこのテラスから日当りをチェックしたのよね、それですぐに買おうと決めたのよ。」
ユージーンスミスの写真集をめくりながら話す。スミスは第二次世界大戦下の米国で、日系人収容所の写真を撮り、その劣悪だった環境を改善させたことがある。戦後の水俣でテレビに出演していたスミスを見た元収容者がスタジオに駆け込み、カメラに向かって「この人は私の命の恩人です。」と言ったという話。
突然、紙をくれと言い、走り書きして、壁に貼る。
「次の仕事、写真をどう展開するか考えあぐねていたんだ。今の話でひらめいたよ。たとえばこの僕のバム地震の本、こういう風に始めて、ここで夜を表す黒を、そして地震が起こる。最後に再生としてのナツメヤシの写真を持って来たんだけどね。こっちの本は最後にやっぱり希望としてのカラー写真を載せた。で、今度はどうするかってね…」
「こういうことが友達って呼ぶ関係には必要なんですよね。刺激がね。」
写真集をめくっていると押し花が出て来た。
「忘れな草ね。」
「小娘みたいだね。」からかうように言うと。
「私じゃないわ、娘達かしら。」
黙って聞いていた写真家が
「俺がやった。」と不機嫌そうに言った。
すっかり遅くなってしまった帰り道。
「彼は若い頃激戦地にいたんですよね?」
「ええ、相当なものを見たらしいですよ。」
「写真は撮ったんでしょうかね?」
「撮った筈だと思いますけど、誰にも見せた事はないみたいですね。」