偶然、セルビアの知人の記事
 
先日、友人が郵送してくれた月刊誌と一緒に、母校の創立者へウズベキスタンのナヴァイー(ナボイ)市から、ウズベキスタンの作家同盟会長、ナヴァイー市市長、芸術アカデミー総裁が来日し『名誉市民』称号が贈られた、という9月23日付の新聞が同封されて届いた。
称号が贈られた背景は、創立者の先導により、ウズベキスタンと日本の学術・文化交流が発展し、桂冠詩人でもある創立者が、ウズベキスタンの天才的詩人であり思想家であるナヴァイーの作品の海外への普及に大きな貢献をしたこと、またこの20年間、母校の学術機関がウズベキスタンで合同発掘調査をしており、仏教文化の歴史に新たなページを開き、両国の友好と平和に尽力したことなどである。
ナヴァイー市は約半世紀前に、砂漠の中に作られた街で、著名な哲人政治家ナヴァイーの名を冠し、ウズベキスタンの地図上に登場した新しい街で、首都タシケントから西へ350kmの新興工業都市である。
アリシェール・ナヴァイーは15世紀に活躍した大詩人である。ウズベキスタンのあちこちの街でナヴァイー像がみられる。”中央アジアのゲーテ”と讃えられ、英国の大歴史家トインビー博士は、彼を”万能の天才”と絶賛した。それほどウズベキスタンが誇る大詩人なのである。
 
以下に、いくつかナヴァイーの詩を紹介します。
 
「人生の真理に到達するために、たった一文字でも教えてもらったならば、何をもって師匠への恩返しをするべきか。それには世界のすべての富をもってしても、まだ足りない」
ー本当の師弟の心について…
 
「忍耐を貫く人は、満足という財をなすことができる」
ー忍耐こそ財産(苦難にあっても忍耐を貫き通していけば、必ず永遠に崩れぬ満足を得ること  
 ができる)
 
「友情は真の幸福の砦」
ー友情ある人に不幸はない
 
「人々に福をもたらせばもたらすほど、我が身に福がついていくのだ」
ー人々のために尽くしたことは、全て我が身の福運となって返ってくる
 
「人生とは日一日と過ぎゆくものである。後で失った日々のことを決して後悔しないよう、
どうか善良かつ快活でいてくれたまえ」
ー一日一日を悔いなく快活に生きる…
 
さらにウズベキスタンの格言を紹介します。
 
「友情と団結こそ、無情の宝」
「一人の人間が水路を掘れば、千人の人間がそれを活用できる」
ー自分自身も必要な時は、”水路を掘れる一人に”という心を持ち続けたい
 
このように、シルクロードの太陽の国ウズベキスタンには、世界に誇る詩人が歴史を残して
いる。
 
ナヴァイーの紹介は以上、本題へ…
 
新聞を隅から隅まで読んでいると、読者の投稿する欄に知人の投稿文が載っていた。
”すごい偶然…”と思いながら記事に目を通した。
知人Kさんは現在ご夫婦で旧ユーゴスラビアだったセルビア共和国に在住。平和の連帯を築くために、オーストリア、ハンガリーを経て、’95年に旧ユーゴスラビアへ移住。コソヴォ紛争の際、NATO軍がセルビア人勢力に開始した空爆を現地で経験されている。ウズベキスタン赴任前、ウズベキスタンという国がどういう国か、またイスラム社会が漠然としかイメージ化できなかったため、現地で混沌とした状況を過ごしてきたお二人に会い、経験された話を伺ってきたらどう?と、デンマークの知人が、私のためになるだろうと配慮し紹介してくださり、昨年の夏、4月から7月までデンマークに在住している合間をぬって、セルビアの首都であるベオグラードまで足を運んだ。この先、今度いつ長期の旅行ができるかわからなかったので、ユーロパスを使って列車で移動した。旅をするとき、治安が悪すぎないことと時間があれば空路より陸路の方がいい。
デンマークの首都コペンハーゲンからドイツのハンブルグで乗り換え、そこからミュンヘンへ向かった。寝台列車でミュンヘンからクロアチアの首都ザグレブへ向かい、乗り換えてセルビアの首都ベオグラードへ到着。ちょうど、ドイツでサッカーのWorld Cup開催中のため、寝台列車乗車前、ミュンヘンの駅構内の店のテレビで 確かスウェーデンVSブラジルだったかなぁ… 、試合の模様が中継されていて、それを見ていた。周りにいる人たちがあまりにも興奮して、”こりゃ、熱狂者だわ…”と人間ウォッチングをしていたら、出発15分前に時間が迫って、慌ててホームまで走ったのを覚えている。出発して翌日、列車が東欧に入ると、パスポートコントロールが厳しくなり、ちょっと緊張した。
ここで余談、パスポートコントロールといえば忘れられない思い出がある。数年前、デンマークで勤務していた頃、冬休みに同僚とハンガリーのブタペストとチェコのプラハを旅行することを仕事が少し立て込んでいたせいもあり、休みに入る3・4日前に決めた。旅慣れてくると、パスポートとお金さえ持ってれば、とりあえず安心!と思っていて、下調べは”旅行に行く道中で…”と思い、あまりしていなかった。ブタペストとプラハ間は寝台列車に乗り陸路移動と決めた。ブタペストからプラハへ陸路で行くにはスロベニアを通過するため国境ビザが必要だった。が、下調べを満足にしていないので、ビザが必要なんて知る由もなし。”さぁ〜、寝るか…”と寝台列車のベッドメーキングを始めたときに、スロベニア国境でのパスポートコントロールのため、警官が列車内に入り込んできた。警官に「ビザは?」と言われ、私と同僚は「ビザ?? 何のことですか…」と。ここで初めて、ビザが必要なことがわかった。ガイドブックにも書いている…が、遅い。ブタペストに戻ってビザを取得しなくてはならず、おまけにプタペストに引き返す列車は翌朝までないので、私たちは警官に連行され拘置された(^^) 警官が出入りする度に脱走しないように出入り口に鍵をかけられ、拘置場所には殺風景なベンチしかない、トイレも殺風景…。同僚と「私たち、犯罪者みたいだね…」と、翌朝までとても長く感じた時間を過ごした。翌朝、ブタペストまで引き返したが、週末で大使館は休み。週明けの開館を待てば、プラハの旅行日程が短くなる。空路で片道のエアーチケットだけ買えば高すぎる。何とか陸路で行く方法を見当した結果、オーストリアのウィーン経由で一泊し、ビザ無しでプラハに行けることがわかった。不安そうにしていた同僚の表情も和らいだ。私はというと、”ヨーロッパは陸続きだし、きっとなんとかなるよ…”と始終思っていて不安はなかったけど、拘置された約10時間がとても長く感じて苦痛だった。
一泊のウィーン滞在が心地よかったので、「こっちの経路のほうがよかったよ〜」と同僚と話し合った。これは旅行の珍道中の一つ、忘れられな思い出の一つである。
余談は以上。
 
話を戻して…
Kさんは以下のように綴っている。
「…旧ユーゴの戦争で敵として悲劇の足跡を残した民族が、憎悪・偏見を乗り越え、仲良く手を差し伸べ、取り合っていく姿こそ、世界平和へと前進する象徴だと確信します。
 イスラム圏の中東、ビサンチン帝国の流れをくむ東欧の東方正教の国々、そして西欧カトリック世界をつなぐバルカン半島の要衝セルビア。
 この地に、平和・文化・教育の砦を、と遠大なロマンに燃え、後継の青年たちとともに晴れ晴れと進んでまいります。」
 
Kご夫妻は私欲が無い。話を聞いていて、セルビアの,旧ユーゴの平和のために生涯を捧げる情熱を持ち、日々活動されているのが伝わってくる。Kさんのご主人が「ウズベキスタンは、ここよりもっと大変かもしれないね」と話していた。ウズベキスタンで大変だと思うのは、旧ソ連の影響を色濃く残す政治システム、賄賂が罷り通ってしまう社会…etc。問題のいきつく先は大体がこれらの壁。でも、ウズベキスタンの人たちは明るく世話好き、踊り好き。現在職場ではスタッフに恵まれ、楽しく仕事をしている。そして、最近、米原万里さんのロシア関する本(お薦めです!)『ロシアは今日も荒れ模様』を筆頭に読み、”やっぱりロシアとロシア人は面白い!”と、声を出して笑っている。時々、膝をたたきたくなるほど、面白い。
 
滞在期間約一年。活動の結果が形になるのは理想だけど、これにこだわっていない。形にならなくても、「日本人がいて、○○○って言ってたな〜、○○○って、行動してたな〜」と、ウズベキスタンの人達の心に残ってくれれば嬉しいことだと思う。とにかく、紆余曲折は覚悟の上、いつかは咲くであろうウズベキスタンらしい、花の、実の種を植えるような行動をしていければいいなぁと思ってます。
Kさんの記事は、今後一年の活動に対する自分の思いを再確認させてくれた。
 
 
 
 
 
 
1-е ноября,2007 Четверг (1.Ⅺ,2007)