ウズについて、いろいろ思うこと…
 
今日は独立記念日で、国最大の祝日ときいていたけど、朝から街がひっそりしている。いつもの休日よりひっそりしていた。街の中はナヴルーズ(春分祭)のときのように飾り付けがされている。でもきっと、独立広場の方は騒がしいと思う。JICA側から独立記念日に対し、外出時のパスポート携帯、独立広場近辺に近づかないよう、注意勧告がだされた。
8月は毎週末、なにかしらいろんなイベントがあって出かけていた。先週末は2年に一度開催される、『東洋音楽祭』を見にサマルカンドへ行ってきた。アジアの国々の民族音楽を披露するフェスティバルで、日本からの出し物は、『能』と『和太鼓』。たぶん、インドかウズベキスタンの舞台で、ある女性歌手がいろいろな国の名曲を歌ってくれた。日本の歌も歌ってくれた。最初何を歌っているかわからなかったけど、♪雨が降ろうが、槍が降ろうが…そ〜れそれそれ、お祭りだ〜♪と歌い終わった後に、みんなで「なんだっけ、なんだっけこの歌、きいたことある〜、あっ美空ひばりの歌だよ…」と、口をあんぐり開けてしまった。美空ひばりの大物歌手の貫禄をだして歌うのは難しいんだね、歌い手の自己満足の世界だね…と、客席で話していた。
8月の締めくくりは昨日の結婚式のお酒の席。昨日の勤務終了間際に同僚のスタッフ、現地での母みたいな存在のサロマダパ(最後のパはウズ語で目上の人に対する敬称)に、「今日、結婚式に行こう。タタール人だからウズベク式とは違うから見ておいたほうがいい」と誘ってくれた。花嫁の母とサロマダパは昔の同僚で知り合い。また今回も、知らない人の結婚式に参加してしまった。ウズベク人ではなく、タタール人の結婚式だったので、お酒もOK、男女の席は分けられておらず、日本のホテルで開催する結婚式会場とセッティングは似ていた。トルコ風のダンスや社交ダンス…、いろいろなダンスショーなんかもあったりして、招待客を楽しませてくれた。
 
今日は久しぶりにのんびり過ごせた。
旧ソ連の国々が出生率の低下を問題にしている中、ウズベキスタンはタジキスタンとともに出生率が高い国。子どもも若者も多く、一見将来有望に見える、が、若い世代の人たちが、夢や希望をもって生きて行くのは難しい国であると思う。給料は安い、能力・実力を生かした仕事につけない、超過勤務をしても、仕事を沢山してもしなくても給料は変わらない…。いくら頑張っても、その努力がなかなか認められにくい。なので、実力と財力がある人たちは海外へ出て行ってしまう。参考までに、看護師月給が約US$50、少しまえまでは医師もあまり変わらない給料だったとのこと。それでは生計が成り立たないので、バザールで商品を売っている医師もいたとのこと。そして教師はUS$20くらい。給料が安すぎて、人材(人財)となる教師が少なく、また人材が育たない。このことは他の職場・職種にもいえることである。学校に行くようになると、必然的に学校で過ごす時間が長くなる。そこで出会う教師から受ける影響は大きい。小学校や中学…、影響を受けた先生達を今でも覚えている。人格を作る場となる教育の場の環境(人材、ハード面など…etc)を整えることは重要だと思う。
 
この国で、問題だと思うことの一つは、賄賂の習慣が罷り通っていること。コネとか賄賂で何とかしようと思う習性、それが通用してしまう社会がウズにはある。
昨年の12月に大統領選挙があるはずだったが、何事もなかったように、選挙はなく、任期が切れているにもかかわらず、引き続き前大統領が現大統領となっている。選挙が行われなかったことに対して、国民は全く騒がない。
テレビでは政治的な発言をしている大統領は見たことがない。ロシア語の先生が以前話していたことは、ウズで悪い出来事は起こっていない、全て上手くいっていると一般的には言わなくてはならない…、みたいなことを言っていた。AIDSと人身売買撲滅に関するセミナーに参加したことを彼女に話した時、「実状は知っているけれども、ウズで人身売買が行われていることは話しはいけない、禁止!」と話していた。
社会の組織関係は、タテ社会。目上の人、お年寄りを大事にする姿勢はすばらしいと思うが、公的機関や会社、病院などの組織では、トップダウンの世界でボトムアップが通用しない。そして各組織で活動する人たちは、公の場で自分で考えて意見も持ち・話すと言うことをしない。利害が絡みついたり、話し合いが感情レベルだったりと、民主的な対話ができるような状況は一般的ではない。
そういうウズの人たちのアイデンティティーが、もともとウズベキスタンの国民性なのか、旧ソ連時代の影響を受けてのものなのかわからない。
前のブログに通訳者の仕事の不誠実さに立腹したことを書いた。ウズの社会のことがわかってくると、通訳者だったA
君という人を形成したのは、ウズの社会上、生きて行く手段の一つとして、そうならざるをえなかったのかな…とも思った。そして彼のような仕事の仕方はウズでは通用するかもしれないけれど、第一線でとか、海外の人たちと肩を並べて何かをするというときには、やはり通用しないと思った。あまりいい表現ではないけど適当な言葉がみつからないので正直な思いを書くけれど、「ウズ人っぽくない…」と思わせる、誠実に仕事をし、対話ができる人たちはいる。そういう人たちは、外国の人たちと一緒に仕事をした経験があるとか、外国に滞在していたことがあるという人たちが多い。
こういうことを考える時、”じゃあ、私は?”、”日本人は?”
”他の国の人たちは?”ということ、今まで出会った人たちのことを同時に考える。
人懐っこいウズの人たち、目上の人を大事にするウズの人たち、夏は酷暑だけどフルーツが美味しいウズ、トルストイやドストエフスキー、チェーホフなど偉大な文学者・詩人を生み出したロシアと関わりが深く旧ソ連だったウズベキスタンという国に、まだいろいろな興味がある(いや…、どちらかというとロシアに興味あるかなぁ…)。
 
 
 
1-е сентября,2007 Суббота(1.Ⅸ,2007)
独立記念日の街の飾り(自宅付近) 
東洋音楽祭
会場のサマルカンド市のレギスタン広場

美空ひばりの歌を歌ったのは私よ!
日本は能の”鷺娘”を披露

結婚式 ウエディングケーキ 主役のお二人〜 ダンスショー 職場の同僚…というか、母的存在のジャミダパとサロマダパ。ジャミダパは和田アキ子のような迫力と深い愛情の持ち主。30代のときにご主人を胃癌で亡くし、女で一つで子ども3人を育てた逞しい人でもあります。サロマパはいつも周りの雰囲気を明るくしてくれます。
私の名の発音は難しいらしく、二人から「まにゃみ〜」と呼ばれていました。 上の写真ではかしこまって写っていたサロマダパは、職場では、こんな雰囲気で仕事をしています。