最近立て続けに中国に関する小説を読んだ。最初は①パールバッグ著「大地」、次に②「ワイルド・スワン」、そして③浅田次郎著「蒼穹の昴」。中国の時代背景の古い順にすると③、①、②の順番である。この3つの本を読んで、”中国の人たちは何という時代を生きてきた人たちなんだろう…”と感嘆してしまう。よく中国の女性は強いと聞く。友人が「アメリカの大学に留学していた時、いろんな国の人と口喧嘩できるのは中国人だけだ」と話してくれた言葉を一つ思い出す。
「蒼穹の昴」、この小説は1800年代後半の後清、5000年続いた王朝が傾きかける清の王朝、西太后が君臨した時代を背景にしている。今からそう遠くはない時代である。解説者が「この小説は破天荒な小説」と書いている。『破天荒』を辞書で引いてみると、未曾有、前代未聞の意。まさにそのとおり!と思った。読んでいるとフィクションなのかノンフィクションなのか、わからなくなってしまうほど、全てが現実に会った物語なのではないかと思ってしまう。
琴線に触れた言葉とは登場人物、 李春雲(リイ・チュンユン)の言葉である。アメリカ人と日本人のジャーナリストが西太后の後宮生活の取材にこと寄せて、西太后が隠退し政権を次代に引き継ぐのかという真実を、後宮で西太后が心を許している世界でただ一人の人間、太監である李春雲から探りだそうとする取材の場面である。次の言葉は、この二人のジャーナリストの目論見が消えてしまい、当時、世界中から西太后は「鬼女、悪女、妖女」という風評が囁かれており、李春雲が真実の西太后の人柄と後宮での暮らしぶりを話している場面である。
「…あの御方(西太后)は18歳で嫁ぎ、無能な夫に変わって国事一切を取り仕切り、寡婦となった27歳のときからずっと、すべての荷物を背負わされたのです。それは一個の人間が決して背負えるはずのない5000年の重み、4億の民の重みでございます。
しかも腹を痛めた子は父に似た放蕩者で、遊び呆けたあげくに脳梅に罹って死ぬ。親類の赤児を引きとって家督を継がせ、また一家の切り盛りを始めます。あの御方はそうして40何年もの間、なりふりかまわずにぼろぼろの屋台骨を支えてこられたのです。
そのような旧家の嫁を、あなたがたはなぜ意地悪い小姑たちのように、鬼女と呼び、悪女と罵り、あたかも武則天や呂后のごとき傾国の妖女だ宣伝なさるのですか。
…きっと私がこうしてお話しすることも、様々の脚色をされて世界中に伝えられるのでしょうねーー。
あながちあなた方ばかりを攻めるわけにも行きますまい。いわば私と同じ宮仕えの身なのですから。しかし、あなた方に人間としての良心があるのなら、宮仕えをおえたいつの日にかは、ぜひこの真実を審らかになさってください。
慈禧様(ツーイー、西太后のこと)はあなた方のお国の都合で悪女とされたのです。今日世界中から鬼女と罵られる 慈禧様は、あなた方にとってどうしても悪女としなければならぬお方なのでしょう。そんなことをしなくたって、この国はおそらく滅びます。でも、4億の民は生き続けるのです。百年の後にまで、あの貴い、珠のような韃靼(タルタル)の婦人が、その生涯を賭けて救おうとした4億の民から、末代まで鬼女として罵られる理不尽を、私は思うに忍びないのです。
私はわが子に真実を語り伝えることすらできぬ身でございます。お願い致します。どうか私に変わって、真実を後の世にお伝えください。
静海(チンハイ、春雲の出身地)の貧しい糞拾いの子であった私は、ある不思議な運命の糸にたぐられて、今ここ(後宮)にこうしております。かつては野望もございました。それは一途な執念ともいえる、たとえばわが手わが身を切り落すほどの、すさまじい富への渇望でございました。そうまでしなければ豊かにはなれないと、いえ、私も私の家族も、そうしなければあの静海の湿原で野垂れ死ぬほかはないのだと、考えに考えた末、私はそれをしたのです。
父母からいただいたわが身を切り落すことがどのくらい不幸な行いであるかは、子供心にわかっておりました。しかしそれによって、母と妹の命が救えるのなら決して不幸にあたるまいと、10歳の私はそう考えたのでございました。
人間の幸福は決して金品では購えない。人を心から愛すること、そして人から真に愛されること、それこそが人間の人間たる幸福なのだと、 慈禧様は御身を以て私に教えてくださいました。世界中で最も不幸な慈禧様が、そう教えてくださったのです。
私はせめて慈禧様の分まで、人から愛されたいと思います。人を愛したいと思います。
だから私は…生きとし生けるすべて人間を、心の底から愛しています。そしてもちろん、(2人のジャーナリストに向かって)あなたも、あなたも。
だからお願いです。あなた方も私を愛してください。
肌の色がちがう、不思議な風土と習慣で彩られたこの国の民を、同じ人間として、心の底から愛してください。
それだけがーすべての人間に幸福をもたらす、唯一の方法なのですから」
(少し長くなりましたが、時代背景や春雲の人柄が伝わると思ったので、一部を省略しインタビューの場面を載せました)
この場面の春雲の言葉は、いつの時代にも、今の時代にも、ジャーナリズムのあり方に警鐘を鳴らしているように思える。事実を歪曲・捏造し、報道するジャーナリズムに、真の倫理性を指摘している。
何よりも、春雲の生命の綺麗さに感動した。こんなにも慈悲深く、真の人間の幸福を心の奥底から語る春雲が菩薩とか仏のように思えた。
日常で良く聞く『平和』という言葉だが、実際どんな状態が平和なのか…と考えると、戦争・飢餓・貧困が無いこと、そして世界中の全ての子供達が等しく教育を受けられる状態になったときのことを一つの真の平和なのではないかと思う。春雲のような同じ心の人が世界中にあふれてくれば、真の平和へのズピードも加速を増すだろう…と思った。
この小説には日清戦争の講話使節として来日した実在の人物、李鴻章(リイ・ホンチャン)が登場する。歴史上では軟弱な文人のイメージが強いようなことも言われているが、この小説の中で描写されている 李鴻章は筆を剣に持ちかえた勇敢で頭脳明晰な武将であり、正直に一言、”惚れました…(^○^)” 今まで読んだ小説の中で登場人物に惚れたのは二人目。もう一人は、5、6年前に読んだヴィクトル・ユゴー著、『九十三年』に登場する師弟愛と正義を貫いた勇敢なゴーバン。この小説のクライマックスでは滂沱の涙がでるほど感動した。ヴィクトル・ユゴーは尊敬する文豪であり哲学者だ。
そしてもう一つ、 李鴻章の幕僚として王逸(ワンイー)という人物が登場する。背景は省くが、最後に飢えて死に場所を求めて辿り着いた村で幼少の毛沢東と出会い、毛の家庭教師にになって新しい人生を歩みだす…という場面で終っている。これが実話かどうかわからないが、この先、王逸と毛がどのうような人生をたどったのか、すごく興味をそそられる。
いい本に巡り会うと生命が浄化される。