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    <title>travelling penguin podcasting</title>
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    <description>2nd season : Traveling in Tibetan area in west China.&lt;br/&gt;2007年秋のチベット取材旅行から半年、ふたたび青海省西寧へ。目指すはラサ。&lt;br/&gt;2008年3月から</description>
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      <title>案置点</title>
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      <pubDate>Sun, 13 Jul 2008 13:38:21 +0800</pubDate>
      <description>＜都江堰、そこは廃墟ではなく＞&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　マキさんは、私のような不埒な見学者にもとても親切に知っていることを教えてくださった。そして、車で一日回るコースをドライバーに指示してくださった。震災からちょうど二ヶ月がたったところだった。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　不思議な光景だった。前もってマキさんの話をうかがって想像はしていたものの、それはなんとも説明のしようがない有り様だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　たとえばこの世に強大な力を持った魔神が棲んでいるとして、ある日その魔神がとつぜん気まぐれに人間の住む街にやってきて、家々をたたいて回った。ある家はたまたま通り過ぎられ、ある家はひどく打ちのめされた。魔神の気まぐれで、生き残った家とそうでない家が、あちこちに隣あわせにあった。魔神の足取りはそれでもひじょうに大きかったので、ほとんどの家が、傾いたりひびが入ったりした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　小学校に行った。街の繁華街にある。商店街の一角に入り口があり、その奥が学校だった。商店街は無事だったのに、学校だけが、まるで計算されて破壊されたかのように、すっかり倒壊していた。これは魔神のせいではなく、人間のせいである。それを追求しようとした亡くなった児童の親たちを恐れて、当局は非常線を張った。関係者以外誰も許可無く学校に入れなくなった。警官と武装警官が入り口の前に立ちはだかり、近くには武装警官を乗せた大型バスが４台常駐している有り様だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　裏に回って倒壊を免れたホテルの一階から学校を見た。無惨な光景だった。ここをこれからどうしようというのだろうか。親たちの無念、怒りをどうしようというのだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　そのすぐ近くには、疎水が流れそれに沿って茶屋やレストランがならぶ風雅な区域があった。食堂は賑わっていた。茶館では、のんびり茶をすすりながら談笑する人々がいた。商店は使えなくなった建物の前に店を出し、いつのもように商いをしていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜幸福家園安置点＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　都江堰でもっとも大きな仮設住宅区域に行った。マキさんの話では、最近になって当局の取材規制が強まり、勝手に仮設住宅区域に入って、インタビューしたり撮影したりすることはできなくなっているのではないか、とのことだったが、私は正門から堂々と入ることができた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　そこは「幸福家園」という名前の「安置点」だった。 「安置点」とは「仮設住宅区域」といった意味合いだそうだ。一万人が暮らすその安置点は、一部屋８畳ほど。水道、調理場、トイレ、洗濯場所は共同で使える。有料だが食堂もある。あるご家族に話をうかがった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;仮にAさんとする。六五歳。奥さんとお姉さんと三人で八畳ほどの住居を提供されている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; ----いつ引っ越してきましたか？&lt;br/&gt;「三日前にこの新しいＣ区画に越してきたばかりです」&lt;br/&gt; ----今一番困っていることはなんでしょうか&lt;br/&gt;「仕事が無いことですね。当局から毎月ひとり３００元の見舞金が支給されていますが、それも三ヶ月、つまり七月いっぱいで打ち切られると聞いています。」&lt;br/&gt; ----元々のお仕事はなんだったのですか&lt;br/&gt;「打工です。仕事はありました。」&lt;br/&gt;（「打工」とは非正規雇用の日雇い労働者）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; ----復興の現場で仕事があるのではないですか？&lt;br/&gt;「解体作業は危険な作業ですので、あまりやりたくないですね」&lt;br/&gt; -----どれくらいここに住むことになるのでしょうか&lt;br/&gt;「最低三年くらいじゃないでしょうか。今家賃はとりあえずありませんので、住み続けられる限り居ることになるでしょうね」&lt;br/&gt; -----当局の対応はいでしょうか？&lt;br/&gt;「うーん、それは難しい問題ですね」&lt;br/&gt; -----学校が倒壊しましたが、そのことについて何か知っていますか？&lt;br/&gt;「うーん、その問題も難しいねえ。うちは息子がもう大きくなって小学校のことは今はもう何も知らないんですよ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; -----この安置点はどうですか？&lt;br/&gt;「もともとゴミを捨てるような空き地だったところにコンクリートを流し込んで作った場所です。これから夏はもの凄く暑いだろうし、蚊がとても多いのが大変ですね。」「無料の洗濯機や調理場、トレイ、シャワーなど最低必要なものはそろっています。安く食べられる食堂もあるし。郵便だってたぶんちゃんと届くよ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　当局の計画では、被災した建物をすべて取り壊し、八年計画で新しく街全体を造りなおすそうだ。ということは倒壊を免れた建物も含めて、そこに住んで生き延びた人々のすべてが、いったん仮設住宅に入るということになる。だが、そこにはとうぜん利権があり、復興の名の下で犠牲になる弱者も多いだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　まだもしかしたら誰かが埋まっているかもしれない、そう言う瓦礫の山を歩いた。私は通りすがりの旅行者だが、ここでこれからも暮らしていく住民た。危険を顧みず、倒壊しかかっているアパートの上の方の階で、作業をしている人がいる。電気器具、金網、電線、金属の手すりなどを外しているのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　分岐点はどこにあるのか？恩恵にあずかるひとびととそうでない人々の、思いの分岐点はどこにあるのか、それを見誤れば、今の中国の体制は瓦解するだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　都江堰からさらに山奥に行くと、村全体がすっかり押しつぶされたようになっている場所がいくつもあった。震災直後はかろうじて残っていたであろう建物もすっかり崩されて、今は瓦礫が積み重なる広場のようになっていた。ひとびとは、その瓦礫の中からなにか利用できる、売れるものを必死に探し求め集めていた。テントがいたるところに有り、仮設住宅の建設も急ピッチで行われていた。被災者自身が仮設住宅の組み立てにあたっていて、日当が支払われているようだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（つづく）&lt;br/&gt;　</description>
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      <title>茶館の看板娘</title>
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      <pubDate>Sat, 12 Jul 2008 09:49:47 +0800</pubDate>
      <description>＜いつものゲストハウス＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　いつものゲストハウスに投宿。ここは世界からバックパッカーや旅慣れた家族の旅行者が集う、成都のオアシスのような場所だ。昨年までは中国の古い民家を借りての営業だった。良い風情だったのだが、文殊院という有名なお寺がすぐ近くで、そのあたり一帯が再開発され昔の町並みを再現したテーマパークのようになった。その再開発の第２弾区画にゲストハウスもあって、長くは借りられない、今年はオリンピックだし、成都への観光客も増えると見込んで、多少風情は劣るが近くのもっと広くて大きな場所に引っ越しした。ところが、チベット争乱、大地震と観光産業には大打撃の出来事が立て続けに起こった。一時期は大地震救援のＮＧＯやボランティアの人々が多く滞在していたそうだ。今も日本のＮＧＯのスタッフ一名とボランティアの若者が数名滞在している。 &lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　とてもかなしいいことにこのゲストハウスでも地震の犠牲者が出た。若い女性スタッフが、 都江堰の実家に帰省中震災に遭った。 お母様も一緒だったらしい。彼女の遺体は数日後発見されたそうだが、お母様は未だに行方不明だそうだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　　→&lt;a href=&quot;http://www.gogosc.com/&quot;&gt;Sim’s Cozy Guesthouse &lt;/a&gt;　&lt;br/&gt;　　　　　　成都のゲストハウス　&lt;br/&gt;　　　　　　サイトには大地震救援ボランティアの報告もあります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜武侯祠ウーホーツーの茶屋で＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　成都まで来るといつも旅の終わりで、ほとんど何もしないで過ごす。ゲストハウスにはくつろげるテラスもよく冷えたビールも無線ＬＡＮもあるので、日がな一日カウチにごろごろしながら原稿を書いたりブログを更新したり、友達に電話したりと、レイジーな時間を過ごすのがいつものことだ。そして東京に帰りたくないなあ、と思いつつ、仕事モードに切り替える準備をする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;  ゲストハウスで自転車を借りて（１０元）、武侯祠まで出かけた。三国志で有名な諸葛孔明の祠堂である。武侯祠のすぐそばには昔の下町が再現され食堂やブティック、土産もの屋が集まる場所があり人気がある。武侯祠大通りで通りかかったある店でお茶を買った。店の奥にしつらえた茶席で味見のお茶を淹れてくれる。これがなかなかよろしい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さも分ったような顔をして、このお茶は苦いだの、二煎目になるとまろやかになるだの、店の若い女性スタッフと話をしながらだらだらと味見を続ける。&lt;br/&gt;「一煎目は、お茶ではありません、水です」と看板娘が言う。「二煎目からがお茶です」沸騰したお湯を茶葉に注す。グラスの中で茶の葉が美しく舞うのをしばし眺める。一煎目は茶葉を眠りから覚ます作業だ。いったん小さな急須に移し茶碗につぐ。それを軽く飲み干してから、二煎目のお湯を注し、待つ。ここからがお茶というわけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　　合計三種類の茶葉をそれぞれ四煎目までいただいた。一時間ほど楽しませてもらい、爽やかな緑茶と上品な味のジャスミンティーを買って帰った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　夜は成都の友人が大衆的な魚料理の店に連れて行ってくれた。昨年「中国で一番綺麗な村」がある観光地「丹邑」で知りあった成都の女性と同じく成都のカップル。カップルはそのときは恋人だったが、今は所帯をもったそうだ。旦那さんは弁護士だって！！&lt;br/&gt;　ザリガニを数十匹、山椒と唐辛子その他四川風香辛料の組み合わせで揚げた大皿。ガリガリとかじりつく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　いつも突然の訪問によくつきあってくれるこの独身ＯＬ嬢は、現在ＭＢＡ取得を目指してもう勉強中だそうで、それと「今これを読んでいるの」と中国語で書かれた徳川家康についての分厚い本を見せてくれた。インテリである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さてしかし、今回はレイジー・モードを切り替えて、一日は大地震の被災地を巡ることにした。その前にゲストハウスのオーナであるマキさんに、震災のこと被災地のことなどレクチャーを請うた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（つづく）&lt;br/&gt;　</description>
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      <title>夜行寝台成都行き</title>
      <link>http://web.me.com/starfishlab/travelling_Tibet_2/Travelling_Penguin_in_Tibet_2nd_season/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/2008/7/10_%E5%A4%9C%E8%A1%8C%E5%AF%9D%E5%8F%B0%E6%88%90%E9%83%BD%E8%A1%8C%E3%81%8D.html</link>
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      <pubDate>Thu, 10 Jul 2008 10:43:07 +0800</pubDate>
      <description>＜M君とお別れ＞&lt;br/&gt;　玉樹からの夜行バスは朝５時半に西寧バスターミナルに到着した。１７時間の旅だった。そのまま目の前の西寧駅に駆け込み、成都行きの列車の切符を買った。８時１３分発夜行寝台快速１０５０次（号）だ。M君とはここでお別れである。&lt;br/&gt;　M君は英語学校が終了し今はプータローだ。私のガイドで１０日間働き、このあとはまた無職。自治区にいるお父さんのことを聞いた。チベット人は何歳くらいで隠居するの？「５５歳とか６０歳とか６５歳とかですかね」お父さんは何歳？「６５歳です」じゃあ、お父さんのためにもそろそろ働かなきゃね、M君。M君はいつも英語の教科書を持ち歩いていて、暇さえあれば勉強している。アメリカに行って働くのが夢だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜硬座普快臥＞&lt;br/&gt;　西寧を定刻に出発した列車は、まず隣の甘粛省蘭州へ向かう。蘭州は街の真ん中を黄河が流れる近代的な都市だ。その後さらに東の陕西省宝鸡（バオジィ）まで行く。ここから東へ進めば西安、南へ下れば四川省だ。列車は進行方向を変え、四川省の北部山岳地帯へ入っていく。このあたりで夜になる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　寝台は向かい合わせ三段ベッドで計６人の一区画になっている。同道したのは、綿陽に行くビジネスマン、四川省の北部へ行く労働者、それに古物商の青年だった。途中夜中に最上段の二つに誰か入ったが、朝起きたときはもういなかった。&lt;br/&gt;　四川省に入って川沿いに列車は走る。ビジネスマン氏が地図を指しながら言う。「このすぐ近くの青川、北川、そして文汌は壊滅だった」線路はこれら四川大地震の被災地のすぐ近くを走っている。車窓からの眺めは一見のどかな田園風景だ。田んぼの稲の緑が美しい。倒壊している建物は多くはないが、避難用の青いテントや仮設住宅がいくつもいくつもあった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜古玩＞&lt;br/&gt;　向かいのベッドのハンサムな青年は、宅急便の箱を大事に抱えている。荷物はそれだけ。寝るときは足の下に置いて寝ていた。聞くと古玩（グーワン）すなわち骨董を商っているという。何が入っているの？「これですか、開けて見せましょう」彼はガムテープをはがし始め、段ボールの箱をわざわざ開けて中身を見せてくれた。それは一対の木彫の狛犬だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いくらするの？「２万元ですよ」２００００元、つまり３４万円だ。どうりで大事に抱えて離さなかったわけだ。だれがこんなに高価なものを誰が買うんですか？「まだ買い手は決まっていませんが、成都のお金持ちがこういうものを欲しがるのです」青年は箱から一方の狛犬を取り出し、匂いをかげという。何の木だろう、良い香りがした。青年骨董商は満足げに微笑み、狛犬をもとの箱にしまった。成都の駅で青年とは別れた。再見！骨董青年の商いがうまくいくことを願った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（つづく）&lt;br/&gt;</description>
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      <title>マニシトゥィ　麻呢石堆</title>
      <link>http://web.me.com/starfishlab/travelling_Tibet_2/Travelling_Penguin_in_Tibet_2nd_season/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/2008/7/9_%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E3%81%AE%E6%A4%9C%E5%95%8F_2.html</link>
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      <pubDate>Wed, 9 Jul 2008 23:02:24 +0800</pubDate>
      <description>＜オンマニペムフン＞&lt;br/&gt;　玉樹の结古寺ジェク・スーは町を見下ろす丘の上にあって参拝者はほとんどいない。人々はどこへ祈りを捧げに行くのか。&lt;br/&gt;それが 「麻呢石堆」つまり「マニ」を書いた石を積み上げた場所だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　玉樹の结古鎮からバスで１０分くらいの隣村にそれはある。１７００年頃にできたそうだから、この石積みの一番中心のマニ石は、３００年前に置かれたのだろうか。ひとつひとつに皆マニが彫られ、祈りをこめて奉納されてきた。 マニがマニを呼び集め今では周囲１キロほどのの巨大な堆積物となっている。たしかに、これだけあれば十分にありがたい感じがする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　この膨大なマニ石をカメラに納めようと、堆積物の中に足を踏み入れようとしたら、足下に敷き詰められた石を差してM君が言う。「これはぜんぶマニです」すでに数メートル進んでいた私は、マニを踏んでしまった。いかん。 マニはほとんどが「オンマニペムフン」と彫るのが多いそうだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　祈りとは、なんだろうか。人間の祈りとは、人間が人間であることの証のような気がする。犬は、祈りはしない。なぜなら、犬にはたぶん神がいないからだ。希望や欲望はあっても、犬は祈らない。いや、こういう言い方もできるかもしれない。人間は神によって救われることが、あらかじめ担保されている。祈りは、その救済を常に忘れないようにするためのもだ、と。だから、何千何万何千万何億の祈りが、人間がこの世に存在する限り、発せられ積み上げられていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　犬は、ただ犬であることで十分にその生を全うしている。祈りなんかいらない、少なくともここチベットの犬たちはそうだと思うな。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜草原バス　８００キロ＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　午前中は 麻呢石堆に行って大きなマニ車を回し、灯明をささげ、 コルラを回ってあることを祈った。町へ戻っていつもの蔵族レストランで昼食をすませ、バスターミナルに戻って西寧行きの夜行寝台バスにの乗った。１３時発。&lt;br/&gt;国道２１４号線、玉樹から西寧まで８００キロ。西寧到着は明日のあさ５時。草原には遊牧民立ちがテントを張り、ヤクや羊を放牧している。青海省の道はいい。マックを取り出し、アンリ・サルバドールをＢＧＭに、草原のヤクと山並みを見ながら、 締め切り間近の原稿を書いた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　幾千もの道、いくつもの空、どれだけ過ごしたろうか。&lt;br/&gt;　ここは眺めの良い部屋。&lt;br/&gt;　なぜボクがここにいるのか、理由はわからない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（つづく）&lt;br/&gt;注意：チベットにもし行くことがあっても、犬にはぜったに近寄らないこと。ましてやかわいいねと手を出したりしないこと。中国およびチベットでは狂犬病の発生が顕著であり、毎年多数の犠牲者が出ています。犬にもしかまれたら、どんなことをしても即座に医者に行くこと。僻地だったら、軍のヘリでも外務省でもなんでも使えるものは使って、とにかく病院へ行く。狂犬病の場合、血清を打ってもらわなければ、確実に死にます。以上。あ、でも犬は悪くないんだよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>中華人民共和国警察の検問</title>
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      <pubDate>Tue, 8 Jul 2008 21:01:56 +0800</pubDate>
      <description>＜親切な警官　気が短い部下＞&lt;br/&gt;　バスが最初の検問に到着したのは、４７００メートルの峠を越えて四川省に入って１時間半ほど経ったときだった。甘孜蔵族自治州石渠（セルシュ）県の最初の村にその検問所はあった。先に乗り合いタクシーが二台停まっていた。迷彩服を着た若い武装警官が三人。紺色の制服警官が二人。しばらくすると防弾チョッキを着た制服警官のひとりが乗り込んできて、身分証明書を集め始めた。私は一番最後列の窓側だった。最後に私のところへやってきた警官はパスポートを手に取ると、手招きで外へ出ろと言う。&lt;br/&gt;　M君と一緒に外へ出て警察官詰め所に入った。部屋に入ると、麻婆豆腐のようないいにおいがした。ここは四川省だ。ストーブの上の鍋の蓋を開けてみると、青菜と大根、肉が唐辛子と山椒でくつくつと煮立ていた。&lt;br/&gt;　若い迷彩服の警官が、集めた身分証明書の内容をひとつひとつ書類に書き写している。そうこうするうちに同じ玉樹を後から出発した成都行きの寝台バスも到着した。警官たちはにわかに忙しくなった。&lt;br/&gt;　説明があった。甘孜蔵族自治州には現在外国人は入ることができない。甘孜の前に、この検問からあと３回の厳しい検問がある。ここで引き返すなら、玉樹までの車を用意する。この先の検問でひっかかると、前にも後にも動けなくなるだろうから、ここでお引き取り願いたい。と、おおよそこういった内容だった。&lt;br/&gt;　責任者と思われる、中華人民共和国警察のワッペンを付けた警官は、丁寧にそう説明して、しばらくここで待つようにと言って、外に出て行った。もうひとりの制服警官は「特警」というワッペンを付けていた。リンゴを持ってきてどうぞ食べてくれと言う。しばらく待てば、車が来るから、それに乗って玉樹まで帰ってください。申し訳ない。彼はそう言って、すまなさそうにしている。この警官たちはみなチベット人か？　M君はそうだという。「このひとはもう三年もここで任務に就いているそうです」いつまで外国人は立ち入り禁止なのか？「自分たちには判らないと言っています」&lt;br/&gt;　外に出て見ると、バスから乗客が降ろされている。「チベット人の何人かは、ここで降ろされるようです」M君が言う。身分証明書不所持だそうだ。先の防弾チョッキの警官が、降ろしたチベット人を草原に集めてなにやら説明をしている。今度は我々のバスの運転手が、迷彩服の若い警官と言い争いを始めた。どうやら若い警官が、運転手の態度に腹を立て、免許証を没収したまま返さないようだ。子供がだだをこねているような感じだ。他の警官がとりなして、免許証はドライバーの手に戻ったが、運転手も警官もどうも収まりが付かないようだ。&lt;br/&gt;　検問で止められて一時間。乗り合いタクシー二台とバス二台は、まだ通過することができない。我々は逆方向から来たピックアップトラックに詰め込まれ、検問所を後に今来た道を引き返した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜ダライラマは北京へ来てほしい＞&lt;br/&gt;　ピックアップトラックは定員を一人オーバーの６人がぎゅぎゅう状態で、玉樹へ向かった。峠を下りきった小川のほとりで小休憩。緑と黄色の絨毯がつづく草原は気持ちがよい。皆が私の素性をM君に聞いている。&lt;br/&gt;ところで、３月のラサの騒乱のことはどう思うか？&lt;br/&gt;「皆が立ちあがったのは、とても良いことだと思う。チベット人なら誰でも同　　　じ思いを持っているのだよ」&lt;br/&gt;　３月以降、どれくらいの人が甘孜で殺されたのか？と聞くと、すかさず４人が声をそろえて「５００人かもっと」「今も２千人以上が連れて行かれたままだ！」と言う。５００人、、。この数字が正しいのかどうか、私には判らない。日本で得ていた情報を総合すると、少なくとも数十人が警官の発砲で死亡していた。だが、彼ら地元の人たちが５００人と言うのなら、それは一つの真実だろうし、失われた命は数では語れない。そして騒乱から２ヶ月以上が経ってのこの厳重な警戒態勢を考えれば、甘孜地域で相当なことが起こり、そして今も厳戒態勢が続いていることは確かだろう。&lt;br/&gt;ダライラマのことはどう思うか？&lt;br/&gt;「ダライ・ラマは、北京のオリンピックに来ればいいと思う」&lt;br/&gt;それはどういう意味か？&lt;br/&gt;「そうすれば、皆がダライラマに会いに行くことができる」&lt;br/&gt;つまり、ダライ・ラマの中国への帰還を願っているということだろうか。&lt;br/&gt;そうです、とM君が言う。皆はダライ・ラマの帰還を願っている。が、北京政府はぜったにそれを許さないでしょう。&lt;br/&gt;　玉樹には夕方４時頃に帰り着いた。乗せてくれたドライバーに１００元を払った。「警官は、車代はタダだと言っていたのに、、、、」とM君は不機嫌な顔をしていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（つづく）</description>
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