We are Kama-Ku-Ra
 
  1996年、『ミナミスポーツ』が創立百周年を記念して、私をサーフレジェンドのひとりとして日本へ招待してくれた。私にとって、日本は以前から訪れたくても行けなかった国。この機会は何かの導きではないかという予感があった。この旅で、もっとも記憶に残ったものは鎌倉の長谷寺だ。境内に足を踏み入れた瞬間に私の心は暖たまり、寺の気配に魅了されていた。
  翌年、私は長谷観音様のことを深く知るために日本に戻った。彼女は慈 悲の女神であり、海の女神だと聞いたからだ。漁師や船乗りはもとより、海で泳ぐ人たちを守るために自らの身を海へ投げたという。きっと、私たちサーファーも守られている。それまでの人生で、私なりに培ってい た海に対する畏敬の思いを観音様に問いたい。それが再び日本を訪れた理由だった。
  幸いなことに、長谷寺の人々は私を受け入れてくれた。様々な儀式や祝 典にも参列させていただき、観音様への祈りの場に参列することも了承していただいた。私のように海に生きる人間にとって、このような精神的な行為は、何より人生を充実させてくれるものなのだ。
  そして日本に戻ったもうひとつの目的が、日本に航海カヌーを造ろうと提案するためだった。航海カヌーは前向きな生き方を教えてくれる。島に生きる私たちが何を失い、何を取り戻すべきかを教えてくれるのだ。それは自然界と調和する生活や、海の旅人たる誇り。今の子供たちにも島に生きる誇りを教えてくれる。さらに航海カヌー建造術や、風を理解し捕らえる技術、星当てによる航法も伝えたいと思った。長い航海で必要となる基礎的な技術は、日本の自然環境への理解を深めるはずだ。さらに太古の日本人が感じていた自然との精神的なつながりを取り戻してくれるはずだ。こうして日本人の祖先が築き上げた航海の歴史は継承される。私はこの計画を、日本の教育制度に取り入れてほしいと思っている。
 
 日本で初めて航海カヌーを建造するからには、日本の人々との絆作りから始めなければならない。しかもその絆は、精神的な次元で結ばれなくてはならない。そこで私は長谷寺を訪ねた。伴侶であるカレン・バーケンネスと私は、数えきれないほど観音様の前に足を運び、カヌー建造の手助けを請い、同時に長谷寺の人々にも手助けして欲しいとお願いした。やがて私の願いは、多くの人々と共有されて行き、カヌー委員会が設立できるほどの人数になる。カレン、ジョージ・コックル、クリス・デモンティ、ケンイチロウ・ケン・イマダ、マサユキ・クマ・クマガイ、ヒロシとミサ・ナカトミ、ロバート&ジュンコ・ニシボリ。私の夢は、その時すべてのメンバーの夢となった。あとは実際に作るだけだ。
  我々は七里ヶ浜の駐車場に集まり、カヌーの大きさを把握するための模型を作った。7mの巻き尺で採寸しながら、12mの塩化ビニールパイプを留め具でつなぐうちに、周りには観衆が集まり始めた。メンバーと観衆の目の前で、我々が造ろうとするカヌーの姿が徐々に現れてきたのだ。航海カヌーを建造するには、まずカヌーの名前が必要になる。私は長谷寺に通い続け、観音様にカヌーの名を授かるよう祈り続けたが、物事はなかなか進まなかった。理由は私がポリネシアの名前を付けようとしていたからだ。このカヌーは日本人のものだ。つまりカヌーの名は、日本から生まれた言葉でなければならなかった。決してハワイでもポリネシアでもない。
  ハワイに戻り、私が精神的に敬う長老に問いかけてみた。彼は、私が日本のカヌーのために何を行ったかを知りたがった。そこで私は、長谷寺の観音様、慈悲と海の女神に心からお願いしたことを伝えると、「心配ない、名前はそのうち自ら現れる」と彼は言ってくれた。
 
  その1ヶ月後、私はジョージ・フジサワとタヒチへサーフトリップに出かけた。旅の物語を書くためだ。そこで私は長老のひとり、ヘイプア・テアイキ・ボルデスに面会する。このサーフトリップは単なる旅に終わらずに、私の人生を永遠に変えてしまう旅となった。ヘイプアは仕事場に私を招待した。彼女は博物館と文化センターの相談役として働いているが、彼女は海が見渡せる博物館の裏側へ私を誘った。海には大勢の海水浴客や漁師がいた。私たちは、堤防に座った。沖合いに見えるモオレア島をじっと見つめていた時、私は島を眺めることが、こんなにも心を落ち着かせてくれるものかと改めて感じたことを思い出す。
 この時ヘイプアは、ツアモツ島の友人、トゥターナと一緒だった。この時ヘイプアが初めて私に
 「なぜ、ハワイから遠く離れた日本なんて国に暮らしてるの?」
   と聞いてきた。私は言った。
 「日本のために航海カヌーを造ろうとしているんです」
   ところが日本の兄弟たちよ、彼女が日本に持っていた印象は、戦争中に日本がポリネシアの人々をひどく傷つけたことだったのだ。ヘイプアの瞳からは、涙がこぼれ落ちそうなほどだった。トゥターナは黙って聞いていたが、
 「マクアのところに行って、あなたが作りたい日本のカヌーについて意見を聞いてみなさい」
 と言った。マクアは私が精神的な指示を仰ぐ父のような存在だ。
   マクアは私に、
 「日本に行ってそのカヌーを造りなさい。我々は過去の痛みから解放されなければならない。そのカヌーは人々の痛みを癒すもの。そのカヌーは、我々の過去をひとつにし、共に未来へと進んでいくための象徴となる。君はカヌーが造られる目的を決して忘れてはいけない」
   その後しばらくして、ヘイプアは私を理解してくれた。そして、もうカヌーを造り始めているのかと聞いた。私はふさわしい名前が出てこないことを彼女に伝えた。その時ヘイプアが日本のどこに住んでいるのかと聞くので、鎌倉という街だと伝えた。しばしの沈黙の後、ヘイプアは口を開いた。
 「タイガー、それこそがあなたの作るカヌーの名前でしょう。そう、カマ・ク・ラです」
   私はその言葉の意図がつかめずにいると、ヘイプアは説明を始めた。
 「カマとはポリネシア語で子供のこと、クは昇ること、そしてラは太陽を意味する言葉なのよ」
  日本人は昇る太陽の子なのだ。彼女が説明を終えた時、彼女と私は流れ出る涙を止めることができなかった。そして彼女は、そのカヌーがどこにいても、この名がどこから来たかを教えてくれるじゃないかと言ってくださったのだ。