地球のささやきと古代人の生きがい
近年、都会にも自然がもどて来たと感じませんか。ちょっと立ち止まって、足下を見たり、天を見上げる気持ちさえあれば、自然の営みを発見することができます。
敷石の隙間や街路樹の根元、建設予定地の空き地などに咲いている雑草の花、踏まれても蹴られれても荷物を運ぶアリにも気付くでしょう。これらは、私たち人間と同じ地球の仲間たち。目立たないがけなげな自然の営みを見つけると、元気がわいてきます。このサイトでは、こうした地球のささやきを紹介します。
近年、日本人の寿命は急速に延びました。
しかし、「コノママデ良イノカ」といった人生の飢餓感を解消する生きかたや、人生のありあまる時間を埋める生きかたを示す指針はどこにもありません。高齢化社会が現実となった今日、 「人生の質」を問う姿勢が強まっています。
いかに生きがいを感じながら日々を過ごすか?
そもそも「生きがい」とは、どんなものなのでしょうか?
古代の人々は、誰もが生きがいを得る指針をもっていました。
私たちの祖先、古代の人々は、この地上にあるありとあらゆるものには、あの世にモデルとなる原型があると素朴に信じていました。
あの世とは、地球の森羅万象にひそむ聖なるものが住むところです。
映画『もののけ姫』や『となりのトトロ』に登場するダンダラボッチやトトロのような精霊がいる世界です。古代の人々は、その聖なるものと相談しながら日々生活していたのです。
人間の行為そのものでさえ、あの世の行為の模倣とみなされました。狩りや農耕、儀式を行うことは、聖なる者のさだめた型に従うものでなければならなかったのです。
このような画一的な生を模倣して個性をなくす、つまりは没個性的な生きかたによって、逆に古代人は無垢なままの自分が生きていると実感できたのです。あの世を模倣するという指針によってだれもが生きがいを得ることができました。いまから考えると、ウラヤマシイ生活規範だと思えませんか。
人類学では、人間をホモ・サピエンス(智恵の人)といいます。古代の人々も無垢をすて、人として生きる智恵を得たときから、自己を認識し始めたため、生きがいを何から得るか悩み始めました。
個としての独自性に目覚めてしまった現代人の私たちは、生きがいを自らが満足する方法で獲得するほかはありません。古代人に戻るか、智恵の人になるか、それが問題なのです。人間は孤独にたえるほど強くはないので、すがりつく大樹をさがさなければなりません。もう一度、古代人に習って地球のささやきに耳を傾け、大樹を教えてもらうのも、「あり」とは思いませんか。 (文・写真=赤マント)
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