わたしはなぜ日記を書くのか?


  1. 親愛なる読者の皆様に


  2. 内容がなにも埋まってないのに、顔だけ出しました(2007年9月7日現在、写真は別のタイプのものに差し替えてあります)。こういう行為や、顔には違和感をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。ナルな気分になるほどのこともないのに出しちゃって、大人として恥ずかしい、と。僕も今でもそう思っています。常識的な大人は、日記やブログで顔は出さないものです。あくまで匿名的にやっておられます。僕もそう思う人間ですから、今まで顔を出したことなぞ一度もなかったのですが、写真家・大野純一君が、「男なら出して勝負しろ」「顔が最大の情報、読者サービスだ」「web日記を読んでややこしいことを考える奴ら(大野君の場合昔の女たちらしいが)の抑止力にもなる」と、強くインシストしてくれるので、しょうがない、出す、と約束してしまったのでした。

  3. 恥ずかしい。恥ずかしいのですが、大野君のおっしゃることにも深く共感しましたわけです。取り急ぎこのように決意し、いろいろ考えているところです。


  4. 僕は楽天家ではありますが、今までの人生は決して平坦なものではありませんでした。日常のつらさに直面することはあっても、しみじみ楽しみたいと思ったのは、やっとこの10年くらいです。

  5. それ以前は生活も気持ちも荒れていた。結婚、出産、裁判所の調停による協議離婚、養育費や、前の結婚中、馬鹿なことに買ってしまってなんの足しにもならないマンションのローンや、そこに居着いた知り合いが3年以上にわたり家賃を支払わない間、収入の激減から財政破綻すれすれまでいってしまったことや(2005年にやっと解決。裁判直前まで行った)、月末にあと1万円しかないと鬱で無気力な気分になったことや、子供の誕生日に金がなくてヨドバシのポイントカードで買い物してやるのがせいぜいだったり、フリーランスで12年間こなしてきた仕事のストレス、その後、なかなかなじめず困った大学生活、自分のエネルギーを傾注して組み立てている授業がうまくいかなかったり、学内でよくない評判を受けたり(今でも理由は不明)、時に華々しく世間で書かせてもらったり、すっかり世の中から消え去っている自分を感じたり、思いがけず文章が荒れてしまったり、時流が見えずとんちんかんなことを書いたり、本が出なくて意気消沈したり、それでも写真家やアーティストに励ましをもらって立ち直ったり、落ち込んだり、生意気な学生に心底頭にきたり。恋愛や仕事だけじゃない。くだらない消費に走ったり、たぶん軽度のアルコール依存だったりして、離婚から今の再婚に至るまで、思い返せば、自分がぎりぎりの綱渡りをしてきたのだと、怖い気持ちで改めて見直しているのです。

  6. こういう気持ちは、日常、仕事をしているときにはうまく隠せるのですが、たぶん隠し切れてないのです。


  7. 再婚までの短くない期間、何人かの女性とおつきあいしました。その中の3人はもう結婚して二人は子供ももうけ、幸せになってると風の噂に聞き心の底から安心しています。でも一方で他の人はどうしているのかさえ知らない。僕は、別れた瞬間に人間関係を断ち切る悪い癖があるので、とても深い恨みを買うのです。ケアがない、冷たいと思われるのでしょう。もともと薄かったのか、縁もないから消息は聞こえてこないのです。別れた数ヶ月後に呼び出され「やり直したい」と言われたこともありましたが、どうしても自分の気持ちがそのようになりませんでしたし、町ですれ違ったとき、子供じみているとは思いましたが、とても非人間的な扱いを受けたという記憶も鮮明にあります。


  8. そうした流れの最後の女性と再婚しています。年齢はずいぶん違いますが、短気で思慮の浅い自分とうまく波長を合わせる大変特殊な才能を持った女性です。僕は彼女に感謝しています。


  9. ここに日記を掲載することはどういうことなのでしょうか。昔の知り合いが読んで懐かしく思ってくれることもあるでしょうし、ときどきでもいいから仕事に結びつけばとてもうれしいと、よこしまなことも考えないではありません。なんだ、タカハシは写真のことほとんど書かないじゃないか、もう業界に愛想を尽かしたのか、と問われれば、部分的にそうですと返事をしたいし、人間はつねに変わり続けるのですとも言いたいし、けれどその人たちには正直に、「最近、写真のことがちょっとわからなくなってしまって」と打ち明けてみたい気持ちもあります。古い話をほじくりかえしますが、91年に「写真の新しい読み方」を出したとき、僕の目からは、圧倒的に共感してくれる読者層と、完全に反発を決め込んだ業界層・保守派層に別れたのです。物まねで生きているだめなクリエーターを攻撃しまくりましたからそれは当然です。僕は長らく写真業界で仕事をしてきましたが、この好・嫌の両者を意識しないことは一度もありませんでした。つねにバランスは4:6とか6:4なのです。圧倒的にどうにかなるというものでもありません。

  10. また、僕はその後、写真家・大野純一君と「ヌードをきわめる」という本も上梓しましたし、そのことがもとで大野君の大いなる不満もぶつけられましたし、それを乗り越えて今のより深みのある関係を築いたとも言えます。大野君や、北島明君の写真集も、売れなかったけどとてもいい本として作らせていただきました。今でもこの本は僕の誇りです。担当だった方々は会社の解散と共に、もう何年も会わない状態が続いていて寂しく思っています。

  11. 写真から足を半歩抜け出したとしたら、小説「彼女と生きる写真」や「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」というビートルズの訳詩集を出させてもらったことが大きな転機になっているかもしれません。この二冊を実現してくれた編集者・君塚太さんには今でも深い感謝の気持ちを持っています。そういえば、89年頃、マガジンハウスの松浦立依さんという編集者が、当時創刊したばかりの「クリーク」に連載させてくださったことがありました。写真やカメラの業界紙以外に書かせていただいた最初のステージを彼女が用意してくれたのです(それ以前に単発で「ブルータス」などあり)。彼女がいなければその後の仕事はなかった、と思います。僕はいつでも彼女のために働きたいけど、今彼女が手がけてらっしゃるのはとてもおしゃれな雑誌ですから、あまりお呼びでないですね。飲み友達で我慢します。

  12. 「スタジオ・ボイス」で長らく続いた特集「写真集の現在」は、編集者と共に僕が作りました。その編集の方とは一度関係がこじれ、以来連絡を取り合っていません。どうしているんでしょうか? 僕はこの日記ページがそういう人たちとやり直すきっかけになればと思ってるんです。

  13. 「ブルータス」の「裸の絶対温度」も深く関わらせていただきました。「マリ・クレール」もそうです。何十ページも書かせていただけるなんて、本当に光栄でした。

  14. 写真展もたびたび行いました。パルコ「期待される若手写真家20人展」は、ある種の反発も含みながら4年間、熱く盛り上がりました。ここを舞台に知己を得た写真家は、大野君、北島君をはじめ、枚挙いとまがありません。神戸や大阪を舞台にして大きな写真展もやりました。かつてプリンツに席を置いていた高村君はどうしているんだろう。大阪電通の岡持さんとはつい先日旧交を温めました。本当にうれしかった。

  15. INAXの高野さんからは3年もの長きにわたり、研究員として一緒に仕事をさせていただきました。僕の仕事は不十分なものだったのかな、高野さんの期待に添うレベルではなかったのかなと反省しておりますが、高野さんとは今後もいろいろお目にかかるチャンスはありそうです。現代の叡智の総集とも言える「IMIDAS」にも光栄なことに5年間も執筆陣に加えていただきました。編集を担当してくださったお二人の女性とはぶつかりもしましたが、同時にいい関係も築けたと勝手に思っています。

  16. ときどき接点のある黒瀬さんにも会いたい。昔は毎日顔を合わせていた柳ヶ瀬さんはどうしているんだろう。宝島の宮永さんはお元気でしょうか(先の「写真の新しい読み方」の編集者)? 樹里さんはかわらず美しいままにちがいありません。デザイナーの大塚君はかわらず活躍しているのでしょうか。

  17. 一方、どうしてもうまくいかなかった人間関係もあります。僕の無能さゆえにご迷惑をおかけした結果です。写真界重鎮の方の評論を執筆=出版を期待をいただいたのにどうしても自分の中でフォーカスができず反故にするようなまねをして、謝って済むことではないとわかっておりますが、本当にすみませんでした。でも僕は、ソロの本しか、申し訳ないのですが、今は興味を持てないのです。ソロじゃないなら、僕なんかすぐ埋没しちゃいますから。

  18. 誤解もあります。どうしてなのかまったくわからないけど、神戸のある美術館のあるキュレーターとはとてもややこしい人間関係になりました。また、大阪のIMIという学校からはなんの連絡もなくいきなり首を切られました。仕事ぶりが悪かったとは思えないのです。とすれば何か人間関係が僕の知らないところで悪化したのでしょうか。それとも会議でいろいろな意見をぶつけたことが心証を大いに害したのでしょうか。何千万円もするデータベースシステムの致命的な欠陥を僕が指摘したからお立場を悪くしたのでしょうか。でも、導入しなくて本当に正解だったと今でも思っていますが、こういうことを言うとよけいなことを言う男としてよけい嫌悪されるのでしょうね。

  19. こちらが我慢できず辞めてしまった仕事もあります。S市の写真イベントでは4年間十分働いたつもりでしたが、評価もなく、正直いらだちました。このことで、何年にもわたって大事にしてきた人間関係に致命的なひびが入っていることも重々感じています。師匠筋にあたる人との関係もよくないままになり実に宙ぶらりんの気分です。でも仕方がなかったのです。期待に応えられなかったのは自分でもわかっているけど、あのことについては自分も精一杯ぎりぎりのところまで努力したと今でも言いたいのです。ただ、この4年間の努力は、誰も知らないし、誰も覚えていないし、実に寂しい気持ちでいるのもたしかです。ボランティアだかなんだか、最初から器じゃないと、辞めておけばよかったのです。

  20. ボランティアと言えば、神戸の地震があった5日後に、救済チャリティをしました。写真家100名に声をかけ、彼らのオリジナルプリントを販売することで150万円の収益を上げ、最終的には兵庫県立美術館に寄付しました。ダメージを受けた写真作品の修復に活用されたはずです。ただそのことを報じてくれた新聞社系の雑誌が、あまりいい風に書いてくれなかったのが残念でした。こちらも精一杯だったので、マスコミの対応に計算が行き届いていませんでした。大野君をはじめ、多くの学生に参加運営してもらいとても清潔な志だっただけに、責任者としてとてもがっかりしたことを記憶しています。


  21. 学生は来たりて去っていくものですから特に深い感慨を持たない、持ちすぎないように努力しているつもりですが、大学院生の中には、少し傷つけてしまった人がいたと思います。傷ついたとして、彼らが離れていったら、僕は後を追うことが職業上できません。難しい立ち位置だなとこのとき思ったものです。いつの日か、社会で出会い直しができればいいのですが。


  22. 仕事とは言えませんが、フルブライトの奨学金を得て、スタンフォード大学に交換研究員として滞在できたことは大変な栄誉でした。それまでなんちゃって雰囲気英語しかしゃべれなかった私ですが、このときはさすがにいい感じになりました。今も続く友人にあの時出会えたのも大変うれしいことのひとつです。年齢がいってからの友情や年齢差のある友人関係は育ちにくいとよく言われますが、僕は個人的にそういう問題は感じたことがない。このときの友情はかけがえのないものであります。大学に入ってからのことですが、今は妻になった女性と、一年間ニューヨークで暮らしたことも大変いい経験です。

  23. 海外暮らしを都合2年以上もしてしまったせいか、そのたびごとに編集者の方々との関係が疎遠になってきました。僕も年を取り、彼らも年齢がそれなりに上がったから、接点が見つかりにくくなったのかもしれません。状況も変わるでしょう。あるいは、海外で暮らして原稿書いて生きる、などというライフスタイルが、ちょっとばかし反発を招いたのか。そんなことはないと信じています。サンフランシスコに暮らしていたときには、旧ミノルタの広報誌でも連載させていただき、大変ありがたい収入となっていました。また、ときどき「スタジオ・ボイス」をはじめとするなじみの雑誌から原稿依頼をいただきました。インターネットがやっと実用的になり、僕のような新しい物好きだけでなく、一般企業も電子メールのやりとりができるようになってきましたから、これは便利だ、これで世界のどこにいても仕事ができる、と喜んだものでしたが、現実はそうでもなく、やはり距離が遠いと、人間関係も遠くなるようで、また自分もあえてどこにいるのか雲隠れしているようなムードを演じたかったのかもしれず、いろいろなことがゆっくりと幕を閉じていきました。この頃何を書いていたのか、残念ながら(というか自分がすべてずぼらなせいですが)何も実物は残っていません。でもいいのです。僕は人生のひとつの理想として、大きな仕事を積み上げ上昇していくと言うよりは、こういうその日暮らし的な雑文書きのような暮らしぶりにも大いにあこがれているのです。

  24. 97年にサンフランシスコから帰ってきたとき、宝島者の宮永さんが、本の出版の声をかけてくださいました。仕事が目減りしていたさなかでしたから(ということは自分のニーズが減っていると言うことです)、これほどうれしかったことはありません。

  25. スノーボードは95年から始めました。当時はショップもわずか一軒しかなくギアをそろえるのも十分でなく、不便ではありましたが、それなりにまあまあかっこいい感じで始めることができました。長年の努力の甲斐あって、今では跳んだりはねたりしなければゲレンデではあまり負けません。ときどき雪に埋まって死にそうになったりしますが、さすがにいい大人なので、コース外のツリーランはもう辞めた方がいいかと思っています。スノボを通じても多くの人に会いました。多くは業界で名をはせている人たちです。僕は派手な現場や業界にもう戻れないだろうけど、彼らのますますの発展を願ってやみません。今もスノボに行っています。だいたい、かつて住んでいたエリアのご近所の友人と行くことが多いです。小学5年生くらいまでは息子もよく連れて行きましたが今は全然時間がないようで残念です。彼の中に何かが残っていればうれしいのですが、そういうことを勝手に期待するのもよくないような気がします。

  26. 今、「フィッシング・カフェ」というとてもすてきな雑誌に写真のことを連載しています。のんびりとしたエッセイ口調で書かせていただけるので、とても楽しみにしています。担当編集者の木下卓至さんは、どすんと任せてくださって、感謝感激です。釣りのことまったく勉強しないまま(申し訳ないです。ほんと!)数年間も書かせていただいております。


  27. 書き始めのテーマが宙ぶらりんのままでした。再度、ここに日記を掲載することはどういうことなのでしょうか。


  28. こうやってざっと振り返っただけでも、仕事、遊び、趣味、偶然、恋愛を通じ、僕はいろいろな人と出会い、関係を続け、あるいは残念ながら破綻し、今日に至っています。本当にいろいろありました。昔があって今に続いてる。継ぎ目もなければ、ドラマのような節目もなく、たとえ結婚したからと言っても、それで全部が終わりリスタートできるというものでもない。すべて続くのです。

  29. 事実、わたしは今でも元の妻からは養育費の催促を受ける身です(少し言い訳めいているかもしれませんが、わたしは十分な費用をそこに充てていると信じるのですが、残念ながら当時の離婚処理のいきさつが複雑になってしまったことが原因で私たちの考え方がかみ合わないのです)。子供には申し訳ない気持ちがあります。そしてかわいいと思う。でも子供はかわいい、と言うだけでは、それだけじゃただのきれい事になってしまうのが世の中です。前の妻からは、電話も一時期頻繁にかかってき、メールも何通ももらいました。僕は精神的に追い詰められ、読むべきなのだろうと頭の片隅ではわかっていながら、どうしてもそのメールを読むことができません。今もそうです。未読のまま携帯電話に保存されています。あるいはそのメールは、子供の成長や受験について綴った友好的なものかもしれません。読んでないから、どうしても読めないからわからないのです。そういう行為は、子供の権利を守ろうという立場にいる彼女にとっては正しいことなのかもしれないけど、演繹的には、僕の田舎の両親や今の妻を苦しめることにもなるでしょう。田舎の両親は、深刻な声で「XXさんから電話があった・・・」と連絡してきました。その声は明らかに憔悴したものです。こういうことは、もうそろそろ終わらせなくちゃならない。あたりまえのこと・日常的なことにしたくないのです。

  30. でもこんな混乱した状況だからというだけで、子供への思いが薄らいでいるからだとは、彼女にも子供にも思ってほしくないのです。何事も一直線に並べきれない。残念だけど、並べきることができない、そういうジレンマがここには厳然と存在するのです。解決すべきなのでしょう。と言っても、金銭だけの取り決めに至るような解決策だけでは、僕のような中級の人間には手の出せない領分もやはりある。お金があるないと主張するまでもなく、サラリーマンである人間がどのような暮らしぶりなのかは、推して知るべしという気分もある。客観的な状況判断もなく、常識や好意としての推測もないところで主張し合うのには僕はとても疲れを感じています。子供よ、若者独特の反抗の時期を抜け出し、大人として分別を身につけた君と直接話をしたい。僕がどうして君のお母さんが主張する養育費を払わないのか、いや、払っているけど、それがどうして君への養育費として純粋に転換されないのか、説明させてほしい。このように書かざるを得ないのは本当に悲しいことです。

  31. きっとこのページは目にとまるだろうから、君の父親は自嘲的にも、このように書くのです。


  32. 人間、いつまでもきれい事だけじゃ生きていけないと思います。だから宗教で自分というものを見つめ直す人もいるだろうし、享楽的な人生を是とする考えの人もいるでしょう。旅に出たり、グルメ三昧したり、映画を見まくったり、読書にいそしんだり。恋愛に熱中する、仕事に没頭する。子育てに励む。不倫をする、慰めを求める。別になにも悪くない。すごくいいわけでも一部は道徳的でもないかもしれないけど、悪くはない。人それぞれなんだと思います。しかも状況それぞれなんだと思います。それぞれの生活の中で、思い出は薄れたり、暖めなおしたり、昔の人間関係を懐かしんだり、今の自分の価値観と照らし直してみたりする。反省もあれば、仕方がなかったと言い切らざるを得ないときも出てくる。


  33. こんな世界に生きてきて、これからも生きていこうとして、そのための一番誠実な第一歩となるものは、おのれをさらけ出すことだと思うのです。


  34. 僕はそのさらけ出し方は、自分からまず行うのがフェアだと思うのです。僕は、過去の人間を検索してみたり、あるいはつてを頼って調べてみたりと言うことは一切したことがないし、興味もありません。どうでもいいという言い方は捨て鉢に聞こえるかもしれないけど、そういうことをやってまで何かを知ることが特に何かの足しになるとは思えない。

  35. でも、人がそれをやることはもしかしたら、自然なのではないかと思うのです。タカハシは今どんな生活を送り、どのくらい楽しいのか、苦しいのか、いらだっているのか、昔のことをどのようにとらえているのか、反省のひとつもしているのか、あるいは無神経なままなのか、知りたい人は調べればすぐに出てくるのです。特にこのブログのトップページはGOOGLEなら一発目に出てくることでしょう。そのように設定もしていますし。


  36. 特段、検索でヒットするということを想定はしたくはありません。けれど、好意を持つ人間についてそのようにして調べる、というのは僕も行うことがあります。君塚さんの連絡先などはそのようにして調べ、すぐに電話を差し上げました。いやな気持ちを持っている人間に対しては、意地と言ってもいい決意で絶対にやりません。


  37. 今は複雑です。1996年にこの日記をはじめたときからその問題の根っこは存在していました。サンフランシスコで書いていた日記を楽しみにしていてくれた方もいますし、反対にネットで日記を公開するなど、理解に苦しむ、というメールをいただいたこともあります。是非はほぼ同数です。先に書いた6:4か4:6。

  38. そういう状況の中で気持ちは揺らぎます。黙ってなにも書かないことがいいのか、ネットを使い自分からあえてさらけ出していくことがいいのか。何をすれば自分は満足なのか、人は許すのか、自分は自分を許すのか。


  39. 顔の見えない方ではなく、明確に私の知り合いの誰かが読んで反発する、という状況も生まれることでしょう。それは仕方がない。残念だけど、人間というものは、やってきたことに対し、全部説明して回ることは不可能だし、ただただ反省しています、あなたの幸せを願いつつわたしは不幸なままです、できることならあなたと最初からやり直したい、などと甘言をささやくだけじゃ、やっていけないのです。

  40. 日常を愛すればこそ、小さな(そして大事な)ことを書きたいと思うのですが、それは見え隠れするものなのです。見えるものもあれば、隠れていて明らかにならないところもある。

  41. それが普通のことなのです。文字で、ネットでさらけ出しながらも、すべてを見せることはまず不可能なのです。一緒に数ヶ月、数年を過ごした人だって、リアルライフではそうだったはずです。お互いの心底にあったものは、結局見えないままだったような気が、正直言えば、しています。見えていれば、あのときあんな風には言わないでいたはずだ、とも強く思うのです。

  42. この日記では、タカハシが楽しい毎日を演出している、という風に見えなくもないはずです。僕は楽天家だから、物事の楽しい面をより楽しく見ようとするし、複雑なものの機微をつかみにくい性質かもしれない。知識が足りなくて理解できないこともあるかもしれない。でも、人間ですからいろんなことを考えます。学生からバレンタインのチョコレートをもらってほおばりながら、ずっと昔に別れた彼女に「あのとき、意地を張って冷たい言い方をしちゃって悪かったな」とか、考えるのです。不思議な糸で記憶の回路や思考が結びついているのです。まさか、人間がただ楽しいだけの毎日を送っていると思いこまれる方もいらっしゃらないと信じています。僕は幸せになる努力をしたいし、すべきだと思っています。だから物事のいい面に強く光を当てて、その美しさや楽しさや幸福感をゆっくりと眺めたいのです。


  43. もしも特定の(しかも複雑ないきさつを持った)知り合いの方、僕と一度深い関係を持った方がこの日記を読んでくださるなら、わたしは心より歓迎します。そしてもしもなにもかもが良好だったとしたら、一緒にこういうものを見たり、こういうことを感じ取りたかった、あなたの意見や気持ちも聞いてみたかったという気持ちを、表面的に聞こえるかもしれませんが、(たとえば、昨日もらったチョコと昔の彼女の笑顔の記憶が結びつくというような不思議な関連など)どこか秘めているのだと言うこともわかっていただきたいのです。


  44. 僕は、書きたいことを書き、好きなように考え、言葉にし、それで時間が過ぎていくというのは自然なことだと思っております。日常の暮らしは大事なものだとしみじみ思うし、それがどんなに取るに足らないことでも、自分が大事にしているという気持ちを言葉にしてみたいのです。


  45. 出会いがあり再婚し、今現在は、それなりに平穏な生活を送りはじめています。そしてブログを書こう、やりなおそうという気分にやっとなれたと思うのです。


  46. ブログで日記を公開するということそのものは、今は実に一般的なことだし、デジカメ写真やビデオ編集のように、コンピュータを生活に取り入れた人なら必ず関心を寄せる趣味と言ってもいい状況が訪れていると思います。この点、僕も同じです。ただ、僕の場合は、大学教員という立場と写真に関わる立場から、匿名ページというよりは、本名で登場する方がごくごく自然なことだと、1996年の段階から考えてきました。その点のみ、他の趣味のブロガーの皆さんと違いがあるのだろうと思います。

  47. 多くのブログは、生活の豊かさを求める上で、大変有効な先人・先輩の知恵であります。旅心を誘われたり、ガーデニングや万年筆マニアのひそかな楽しみを知ったり、Macの具合がおかしくなると助けてもらったり、今日の献立が決まらないときの参考にさせてもらっています。近所にいい歯医者はあるかな、などと調べさせていただき、大正解で感謝しました。

  48. しかし反対に、怒りのるつぼのようなブログも存在します。「世の中に対しこれほど持続的な怒りをどうやったらもてるのだろう」「どうして特定の場所や個人にネガティブであり続けるんだろう」と、あまり近寄りたくないページも存在します。こういうページは百パーセント匿名です。鋭いことを書いたり、裏事情をすっぱ抜いたり、下品な言い方で言えば、おのれの怒りをぶちまけることで溜飲を納めたりする。

  49. そういうものがおびただしく存在するという状況そのものは否定はできませんが、僕は嫌なのです。名前を出して、プロフィールも公開し、どういう組織に所属している、と言うことを明らかにした上で、言うべき意見は言いたい。感じたことをそのように感じたと書きたい。僕は自信たっぷりだからそうしたいんじゃなくて、むしろ、自分を匿名にしちゃったら何を書くかわかったもんじゃない、という不安定さがあるような気がして、いささか自分に自信が持てないのです。

  50. 名前を出す(最近は顔も出す。もちろんGOOGLEでは本名で検索結果が出てくる)ということは、ブログ上での自分の感覚を、たとえば電車に乗っているとき、町を歩いているとき、スーパーでお買い物をしているとき、そんな日常でごく自然に育まれたに感覚に限りなく近づけるために、必要なことなんだと自分では思っています。それを「売名だ」と決めつけるのは早計です。少し業界や世の中のことを知っている方ならおわかりでしょうけど、人の値段というものは、ミステリアスであればあるほど高くなる、ものなんです。トム・クルーズが「隣町のスーパーに行ったらポテトが安くて感激した」などとホームページに書けば、彼自身、お安くなっちゃうんです。ですから、僕は「売名」を目標にしてはおりません。ずっと前の方に書きましたが、「最近会わないけど、日々元気にやっているな」と、知り合いの方に思っていただければうれしいですし、「知らない人だけどときどきおもしろいことを書いてるなあ」と読者の方に感じていただければ、これほどうれしいものはないのです。


  51. 本当はこんなに長い文章になるはずじゃありませんでした。自分でも何におびえ、何をガードしようとしてこんなに書きまくっているのか、誰に向けて一生懸命書いているのか、少々わからないところがあります。この文章を読んだ写真家の大野君は電話をくれ、「なにもかも告白しまくっちゃって、大丈夫ですか?」と、(顔を出せといった張本人のくせして)心配してくれました。北の国の友人も同じく「ちょっと心配になっちゃって」と電話をくれました。僕がと〜っても不安定になっているとお二人は心配してくれたのです。二人に感謝。

  52. 「そこまで書くことはない。(学生もいずれは読むことになるだろうから、離婚のことなどそこまで)カミングアウトすることはない」という気持ちはもちろん僕の中にもあります。

  53. でも、ひとつ書けばそのことには多数のリレーションが存在しますから、本当は、失礼を承知でたくさん省略しておりますけども、根の部分は次々とつながり、話は長くなってしまいました。「ないがしろにしちゃ一番いけない人たち」を「ないがしろにしている」風にとらえられたくないのです。ああ、こうやって書くとまたいろんなことが心配になってきちゃって、この文章も、日記も全部消去したくなってくる・・・。

  54. いや、再スタートは決意したことです。決意は実行した方がいいと思います。


  55. この文章は、ときどき手を入れて、できるだけ短いものにし、「わたしはなぜ日記を書くのか?」ということにシンプルにフォーカスしていこうと思います。


  56. 今後ともよろしくお願いします。



  57. 2007年2月20日  高橋周平 拝

  58. takahashiwork@mac.com