刺激的とはこの事である。
自分の作品を、憧れの人に批評していただく。そしてそれが鋭利で自己の奥底でうずくまっていた迷いを突いていたときほど、自分の至らなさに気づける事は無い。
スーパージュリー2008、今日行われたこの講評会で私はボロボロにされたのだった。
ゲストには、京都でご活躍されている玉置順さん、以前から会ってみたいと思っていた長谷川豪さん、そして最近は今和次郎の民家研究をなさっている中谷礼仁さんにお越しいただき、モデレーターに佐藤光彦先生を迎えて行われた。
初めて自分の作品が、初対面の建築家の方々に講評されるという立場に立つ。されるだろうなと思った質問には答えを用意してあったはずだが、その聞かれ方が違うだけで答えられなくなってしまった。まだまだ反射神経が鈍いと感じると同時に、後にいただいた玉置さんの教え「本当に伝えたい事があるなら話すはずだ」という言葉に、自分の作品に対する責任、自覚、分析が甘いなと感じる。また中谷さんには、住宅さえやらなければ君はいいものつくれる、期待している。とアドバイスをいただく。最終的に多くの方にそう言われた。少し寂しい。だがこんな評価をされるのは私だけだろうから前向きに捉える。また失礼ながらどなたか存じ上げないご婦人から、あなたには本当に才能があると思う、天才じゃないの?びっくりしたわ!と通りすがりに褒められる。私はまだまだ自分の事がわかっていないらしい。
講評会が終わり、建築家の皆さんを含めて懇親会が行われた。各建築家の方々に再度意見を伺う。住宅としてあれは良くないと言いつつ、みなさん笑顔でエールを送ってくださった。中谷さんには模型を非常に評価された。そのまま突き進めとも。一番意見を伺いたかった長谷川さんにはまぁがんばってよと軽くあしらわれ、玉置さんにはおぉ君か、まぁ座って話そうやと気さくに応じていただいたのでテンパリながらも長時間にわたりいろいろ相談。結局私は表現者としていち早く自立すべきだという結論になった。あと写真にお金をかけろというアドバイスも。5枚で50万の写真を撮ってもらえと。貴重な意見をいただけたと思う。光彦さんには、どれもダメだと言われる。君は空間をわかっていないと言われる。が、建築に向かう姿勢には肯定的なようだった。結局私の作品は問題作にさえなり得なかったが、実は皆さんの記憶に残り期待させるものだったのかもしれない。そのことは、実は一番嬉しい事で、自分の至らなさは痛感したものの充実感を得た。
玉置さんに、君は無冠の帝王でいなさいと言われたが、まぁ実際それは少し寂しいと感じる。評価されるために何かを創るなんてしたくないが、評価されないのはもちろん寂しい。
今日のような憧れの建築家の皆さんを相手にサシで話す時、自分では思っても見ないような言葉で自分を表現してしまう事がある。それは誤解を招くような言葉であったり、安直に使ってはいけない言葉であったり、私が扱う事それ自体が安直な言葉であったり。しかしそれが口をついて出てしまうという事は、それが私の原風景から生まれたものかもしれないし、伝えたい最も伝えやすい言葉なのかもしれない。言葉の選択、質問の内容、口に出したくないような安直なそれらを自ら発してしまった時、私は毎回それなりに後悔することがある。そして実はそれが私の最も共有したい不安だったりもする。
設計の課題は大いなる焦りが伴う。時間的制約、ライバルの出現、自分の選んだテーマ、コンセプトに対する不安。
まぁ、毎回最大限学べればなと。