▽ローマ教皇の野外ミサにNY市警察が参列
すっかり古い話題になってしまいましたが、どうしても気になることが2つありますので、書こうと思います
1つは、ローマ教皇のアメリカ訪問です。
先月20日、教皇様は司牧訪問の締めくくりとして、ニューヨークのヤンキースタジアムで野外ミサを行いました。そのニュースで私が思わず目を見張ったのは、参列した5万7000人の信徒の中に、ニューヨーク市警の警察官たちがいたからです。
ニューヨーク市警察ですから、公務員のはずです。もちろん非番の日に、教会に出かけるのは自由です。しかしAFPのニュースサイトに載った写真を見ると、警官たちはみな制服姿で、警察官であることを明示したうえで、集団で参列しているとしか見えないのです。お隣の席は祭服をまとった聖職者たちで、いっしょに「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌ったことになっています。
勤務日か、休日かはともかく、アメリカでは公務員たる警察官が、私服ではなく、制服を着て、集団で特定宗教の儀式に参列することが許されているということになります。
これが日本で、警視庁の警察官が、たとえ非番であったとしても、そろって靖国神社の例大祭に参列したら、カトリックの司教様方はいきり立つに違いありません。何しろブッシュ大統領が初来日したとき、小泉首相といっしょに明治神宮に参拝する計画が持ち上がったとき、「特定の宗教施設に公人が参拝するのは憲法違反」と抗議したほどですから。
たとえば、高見三明・長崎大司教は、政教分離原則はできるだけ厳格に解釈されるべきだ、と主張する厳格主義者で、「西欧諸国の中で、アメリカは国家と宗教が完全に分離されている」と説明しています(「信教の自由と政教分離」所収論考)が、ニューヨーク市警の警察官の参列は、どう見ても完全分離主義ではありません。
アメリカの現実は厳格主義どころか、緩やかな分離主義政策を採っています。アメリカの厳格主義に学ぶべきだといわんばかりの司教様方の主張は完全に誤っています。それとも日本の司教様方はアメリカの現実をご存じないのでしょうか。
▽殉教者の墓に行政の計らい
もう一つ気になったニュースは、GW中に島根県津和野町で行われた明治維新期の殉教者を追悼するカトリックの乙女峠まつりです。
地元新聞の報道によると、弾圧で捕らえられた長崎のキリスト教徒がこの乙女峠に幽閉されたのでした。教会から峠までマリア像を担いで練り歩くまつりは、36人の殉教者を追悼するため、1952(昭和27)年から行われている、と記事にあります。
追悼の行事は戦後、始まったということのようですが、『津和野町史』(平成17年)を読んで、驚いてしまいました。
町史第4巻を開くと、長崎浦上のキリシタン預かりのことなどが詳しく書かれているのですが、「神道国教化政策とともに廃仏毀釈運動とキリシタン弾圧が行われた」などと、一方的な歴史が描かれていたからです。
なぜ秀吉の時代以後、日本においてキリシタンが弾圧されることになったのか、という基本的な歴史の説明がほとんど欠落している代わりに、弾圧についてはやたらに詳しい。そして、まるで神道が仏教やキリスト教弾圧を行ったかのような解説が加えられています。
いったい誰が書いているのか、書き手の名前も分からない不思議な町史ですが、明治憲法下の「信教の自由」は条件付きで不完全であり、昭和初期には教会が弾圧と迫害にさらされていた、とする司教様方の歴史認識と一致するのも興味深いところです。
しかし、それより面白いのは、『津和野町史』が一方で、暗黒の戦前・戦中史とは似ても似つかぬ事実を記録していることです。それは日本にやってきた宣教師たちの歩みです。
南フランスで生まれたアマトウス・ビリオン神父(1843-1932)が来日したのは明治元年で、23年には津和野にやってきました。土地を取得して、殉教者の合葬墓を作ったのは25年。国や県の計らいがあったからでした。
32年には教会が設立され、大正11年には記念碑が、昭和5年に神父館などが建てられます。さらに14年にはキリシタンたちが幽囚されていた土地を広島教区が購入しています。
もう1人、ドイツ人のパウロ・ネーベル神父は日米開戦後の昭和17年に、日本に帰化し、殉教者の名前をとって、岡崎祐次郎と改名しました。神父が津和野に赴任してきたのは戦後の21年で、乙女峠マリア堂を建て、翌年5月3日から乙女峠まつりが始まったのでした。
今日、日本の司教たちが主張する迫害・弾圧の歴史とは、まるで異なる史実があったのです。
司教様方が戦前・戦中の迫害・弾圧を声高にいえばいうほど、本当の歴史が浮かび上がってくるのは、じつに皮肉です。聖書は「なんじ、偽証するなかれ」と教えていますが、司牧者たちは神をも恐れぬ見え透いた偽証を、いつまで続けるつもりなのでしょう。