今日で授業が終わってしまいました。
臨床美術の授業のある日はものすごくエネルギーを使い切って帰ってくるので、帰ってパソコンに向かう気になんてなれずにいて あまり語ってこなかった気がします。
すべては、三月に始まりました。
そのころ、私はすべてがストップして どこからどう手をつけていいのかわからなくなっていました。
そんなことも、今こう振り返るからそう思うのであって 当時はそんなことに気がつくのには勇気がいりました。
信じてつないできたものは ある日を境に崩壊。
固い伝統の中の 異質な自分。
それは唯一私を覆って守っていた 大きな鎧を脱いだ後の事でした。
もう戻れない。先も無い。私は誰かが創っていた道を捨てました。
4月に入ると、私を助けてくれる人やモノが次々現れるようになりました。 なにもかも、自分の感性に任せてみようと思えたからだと思います。臨床美術と出会ったからです。
それは私が気づかないようにしていたものを、思い出させるものでした。
「私は飾りじゃない。ちゃんと息をして、動いていて、愛しているんです。」
まだ幼かった日、私は重い持病の発作で意識が遠のく中
こんなふうに生まれたなら、自分を無くして生きていこう と植え付けた事を思い出しました。
あれは、あらゆる感情を消した日でした。
怒りもせず 笑いもせず そこにいることが私にできる精一杯だった。
そこに無理が生じたのを教えてくれたのが、きっとストップした3月だったんだと思います。
人間くさく生きてやれ、と。
臨床美術の講座に参加した私の前には、きらきらした人たちばかりがいました。
そこには五感の感覚をだんだん思い出した私がいて、それをそのまま受け入れてくれる人たちがいました。
ああ、大丈夫なんだ。
こんなに手放しで人のなかに飛び込めたことはなかったと思います。
何も言わなくても、たとえ言っても、そのまま笑ってそこにいてくれました。
私の描いたものを好きだと言ってくれ、そのことが本当だと伝えてくれました。
こんな経験、すごいことだと思います。
14人の私たちのクラスは、ひとりひとりが一人なのに 何人にもなっていて
私は幸せな時間を過ごしました。
あの教室で会えなくなるのは寂しいけれど、自分を見てもらえる場所を見つけた安堵感でいっぱいです。
本当にありがとうございました。感謝です。