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六月。イングランドの夜は短い。《執事》のヒューは館の中庭へと急いだ。
《庭師》は昨日の姿勢のまま彫像のようにたたずんでいた。ヒューは《庭師》の動力ボックスをあけ、抜き取っておいたコイルを元どおりていねいにはめ込んだ。
「アーサー、アーサー」
もどかしい一瞬ののち、《庭師》の目玉はくるりと一回転してヒューを認めた。
「ヒュー……? おれ、どうしたんだ?」
「コイルが一本ゆるんでたんだよ」
《庭師》は古典的なロボットらしさを大切にしたモデルだった。ずんぐりしたプロポーションで、腕には十二種類の園芸作業用アタッチメントを装着できる。皮膚でおおわれない真鍮色のボディは、シンプルで力強い。
一方、最高級の執事アンドロイドであるヒューは外見的には全く人間と変わらなかった。歯や爪を備え、しなやかな皮膚には桃の実のような産毛さえ生えている。瞳は澄んだブルーで、髪は金の細絹のようにさらさらと輝いていた。かつて趣味のよい人々はヒューのことをアンドロイドのロールスロイスと呼んでくれたものだ。もっとも、口さがないアンドロイド仲間からは《嘘つき人形》と呼ばれたのだが。執事という仕事の性質上、ヒューには罪のない程度の嘘をつく機能が与えられていたからだ。
「座ってもいいかい、アーサー」
ローズガーデンをわたる風がほのかな香りを運んでくる。コテージの庭には赤や黄のヒナゲシが咲き誇っていた。この百年、バークレイ館の庭はアーサーがひとりで守ってきたのだ。
「……アーサー」
「なんだ?」
ヒューは礼服の泥をはらい、ぼんやりとリンゴの木の下の新しい土に目をやった。
「……妖精って、何だろうね」
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廃屋の庭で発電用の風車がカラカラまわっていた。足元には丈の高い雑草が我が物顔に生い茂っている。この荒れ果てた庭と、隅々まで手入れの行き届いたバークレイ館の庭園とでは比べようもなかった。
痛んだ玄関扉の前でヒューはアーサーをせっついた。「いいから早く扉を壊すんだよ、アーサー」
《庭師》はメタルの巨体をもじもじさせている。
「けど……持ち主がかえってきたら……」
誰も、もう二度と帰ってきやしないのだ。だがそのことをアーサーに気づかせてはならなかった。
普及タイプの頭脳は単純すぎて、人間の命には限りがあることを理解できない。おまけにひどくナイーヴなので、どんな理由にせよあるじが亡くなると自分が至らなかったせいだと思いこんでしまう。そうなると普及タイプの論理回路は《人間の死》と《自分の責任》を単純に結びつけ、ぐるぐると自家撞着を起こしたあげく回路全体が崩壊してしまうのだ。
「アーサー。あるじが最後にくださった命令を覚えているだろう?」
プラスチックの瞼がカチャリと音をたてて瞬く。
「『庭と館をまもれ。かえりをまて』」
「そのために、必要なんだよ」
《人間の時代》の終わりごろ、最高の技術を駆使して造られたヒューは自己修復能力を持ち、太陽と水とアルコールさえあればほぼ恒久的に機能することができた。だが、旧式普及タイプのアーサーはそうはいかない。頻繁に充電しなければならないし、部品も消耗する。
ありがたいことに、ここイングランド南西部では多くの住宅に発電用風車とソーラーパネルが備え付けられていた。そうして作られた電力は各家庭においてロスがほとんどない固体バッテリーに備蓄されている。
「あるじの命令なんだよ、アーサー」
必要なものを手に入れるのにどうしてこんなことをしなければならないのかを教えるつもりはなかった。どうしていつまでも送電は再開しないのか、地上波も衛星もすべての放送が中断したままなのか、店には先週にひきつづき今週も入荷がないのかも。
「あとで、叱られやしないか」
「きっと褒めてくださるよ」
この一言がだめおしになり、アーサーはナタ腕の一振りで廃屋の玄関扉を粉砕した。室内に厚く積もった埃が舞い上がる。
「あるじは、いつお帰りになるんだ?」
「お忙しいから、今年は無理だろうね」
アーサーはギーッと首をすくめた。
「じゃあ、また来年だな」
あるじ、サー・トーマス・バークレイは病院で亡くなったからアーサーを騙すのは簡単だった。入院のときにアフリカ出張だと言っておいたので、百年経った今もアーサーはあるじがアフリカにいると信じている。
「アーサー、地下室を見てきてくれ」
これだけの発電設備がある家なら、必ず大量の備蓄用バッテリーがあるはずだ。風車もソーラーパネルもまだ使えるし、どれもありがたく徴用させてもらおう。この家の住人にはもう必要ないのだから。
ヒューは居間を足ばやに歩きまわって室内を物色した。サイドボードに写真立てが乗っている。この家の家族のものだろう。白手袋をした手でそっと埃を払う。フレームの中で幸せそうに笑う新郎新婦。つやつやと輝くような赤ん坊。両親と手をつないだ愛らしい少女。ヒューはしばらくの間じっと写真に見とれた。人間は、どんな人間でも限りなく美しい。どんなに巧く真似て作られても、自分は所詮ニセモノに過ぎないのだ。
もう一度生きている人間を見ることができたらどんなに素晴らしいことか。声を聞けたら、その手に触れられたら……。
ヒューの物想いは、突然の大声に破られた。
「ヒュー! 来てくれよ、ヒュー!」
地下室のアーサーだ。何か見つけたのか。
「バッテリーはあったかい? アーサー」
「ヒュー、たすけてっ!」
アーサーの声は悲鳴に近かった。ヒューは階段を駆け降りた。地下室。ボイラー。じめついたレンガの床。畜生、暗すぎる。瞳孔を全開に。と、解析力を増した視覚が地下室の隅で頭をかかえてうずくまる《庭師》を捉えた。最速でスキャンする。損傷箇所なし。
「アーサー?」
反応なし。パニック障害だ。なにか彼の論理回路では処理できないものにぶつかったのだ。手袋を投げすて、エビのようにまるまったボディを素手でなでさする。これはいつも効果があった。たぶんアーサーは人間に触れられていると錯覚するのだ。しばらくそうしているうちにアーサーはぶるぶると振動し、再起動した。
「アーサー、どうしたんだ?」
「ヒュー ? お化けがでたんだ 」
何だって? 今度はこっちの論理回路がキレそうだった。
「お化けなんかいないんだよ、アーサー」
「だって、おれ、見たんだ 。ほんとだよ」
アーサーを抱えたまま地下室をスキャンする。妙な場所だった。ワインセラーでも物置でもない。壁は素人が下手くそに塗ったものだ。練りかけのコンクリートに突っこまれたままコテが固まってしまっている。その奥に、アーサーを恐れさせたものが転がっていた。
この家のあるじ、だ。
ヒューは大急ぎでなめし革のようなミイラをひきずり、セメント袋の後ろに隠した。
「大丈夫だよ、もう怖くないよ、アーサー」
「お化けは……?」
「バカだな。あれは人形だよ」
丸目玉がクルッと回った。
「ああ、そうか。おれ、バカだから……」
アーサーのような普及型はあるじたちの死を受け入れることができないのだ。どんな場合も人間の死を直視するのは耐えがたいので精神回路は自己保全のために怪物を作りだす。これはお化けで、人間の遺体ではない、と。 それとも、あるじたちの幽霊はいまもこの地上を歩き回っているのだろうか?
なんだかぞっとした。普及タイプの迷信深さがうつったのか。ちがう。大気温が低すぎるのだ。もう一度スキャンすると奥の壁にひびわれが見えた。冷気はそこからもれてくる。自家発電は、これに使われていたのだ!
「アーサー、ごらん。低温貯蔵庫だ。球根があるかも知れないよ」
球根と聞いてがぜん元気を回復したアーサーは腕のひとふりで壁を突きくずした。冷たい空気が霧になってどっとあふれだす。がれきをふみ越えてずんずん奥に入っていったアーサーがギーッといって立ち止まる。極度の低温のため作動不良をおこしたのだ。霧が晴れていく。現れた空間はごく狭い。冷却装置だけでなく、医療機械がひしめいているからだ。そのまんなかに、何本ものチューブで他のマシンとつながったビニールの棺のようなものが収まっている。
まさか。まさか。まさか。まさか !
氷で覆われた棺に手を触れる。真っ白な霜の下に書きなぐられた文字がかろうじて読めた。
『エミリーのために』