休暇になっても、なぜか毎日忙しいアンナは、何かしら予定がずっとカレンダーに書き込んである。日本で仕事をしている時と同じだね、と家族に言われているが、全てが好きなことばかりで、なかなか予定を減らせない。平日の殆どは、ゴルフに明け暮れているが、午後3時時過ぎに帰宅してから、とっても楽しみにしている事がある。それはアメリカのシカゴTV局から放送される「オプラ・ショウー」という番組だ。オプラ・ウィンフィニーは、アフリカ系アメリカ人女性で、北米では誰一人知らない人はいない。彼女の番組は、こころを浮き立たせ、エネルギーに満ちており、また人生の様々な知恵をくれて深く考えさせるドラマチックな番組だ。
オプラは、アメリカ合衆国で最も著名な司会者の一人として認められており、出版社とケーブルテレビを所有し、1800億円の資産を有し、アフリカ系女性では、世界一の富豪といわれている。オプラ・ウィンフィニーは、1954年1月29日生まれ、ミシシッピー州出身。「オプラマガジン」を2004年から刊行。女優として助演女優賞にノミネートされたこともある。トークショー部門で最も高い視聴率を稼いでいる。黒人で唯一人のビリオネア(100億ドル以上の資産家)、女性セレブリティーランキング世界一。これまでに世界中に250億円の寄付をしたとされている。
毎日月曜日から金曜日の午後4時から放映される「オプラ・ショー」は、この10年間余の間に、放映時間が、午後1時台から、2時、3時となり、今は4時からになった。それはできるだけ多くの人が観ることが出来るゴールデンタイムに組まれるようになったからだろう。北米の全ての、普通に一生懸命生きている人々、特に女性達に勇気と希望を与える内容の番組としては、類をみない人気と実力を維持しているようだ。オプラは、アメリカで最も影響力のある女性と認められている。
今週のある日の番組では、「オプラと朝食をしよう!」という特集で、会場に招待された全ての人に、シカゴで最高品質の特製クロワッサンと特製のママレードジャム、Peets Cofee(シカゴでは有名らしい)から出前されたコーヒーが、オプラがそれらを紹介するなかを、一斉に会場で給仕されて皆が一緒にそれをごちそうになりながら、ショウーを見るというものだった。もちろんそれらの食べ物が製造されている様子も、放映されていた。
その日は、特別企画で、オプラ・ショーが放送されているテレビ局のすぐ近くにあるシカゴ警察署の男性上司が、部下の女性達のために2年間もオプラショーをスタジオで観るのを申し込み続けても叶わなかったので、その女性達(約15人程)には内緒で、オプラとその男性が計画したのだ。それはいつものように、叶わぬオプラ・ショーを、会議室で休憩時間に女性部下達がテレビで見ていると、いきなりオプラが、テレビ画面から彼女達に呼びかけて、
「シカゴ警察署の女性のみなさん、さあ、あなた達は、このオプラショーに今日招待されたのよ。今すぐにコートとバッグを持って、正面玄関に行きなさい!」と呼びかけた。女性達がポカ〜〜ンとしてテレビ画面をみて居る様子が、テレビでも放映され、オプラが、画面から同じ事を繰り返して呼びかけたら、やっと自分たちに直接言われていることを知り、大騒ぎ大急ぎでコートとバッグを取って、正面玄関に走った。その様子も全てテレビで放映された。
シカゴ警察署の正面玄関には、オプラが差し向けた大型リムジンが二台横付けになって待っていた。全員がそれに乗ると放送局に直行した。リムジンの中の様子も映し出され、女性達は、夢心地だった。10分ほどでオプラショーの会場に到着。”Welcome! Welcome!”とオプラに迎えられて、皆最前列に用意された席に座り、オプラのクロワッサン朝食が配られた。女性達は信じられない表情で受け取って、まだ目をまるくしていた。会場にも感動が巻き起こった。
その日はまた、オプラショーに10年間も申し込んで当たらなかった女性も招待されて、オプラと直接話す夢が実現したり、もう一人の女性は、グラミー賞を3回もとった有名な黒人女性歌手、Mary J.と会わせてもらうことができた。そして念願のメアリー・ジェイの歌 ”No more pain.” (もう苦しまない) を聞きながら、クロワッサンの朝食を食ベた。Mary J.は、生育歴のなかで、家族からの家庭内暴力を受けて苦しみ、それの苦悩を歌にして、自ら歌い,グラミー賞を受賞した。そこから一躍有名になり、今は良き夫とも巡り会い、黒人女性達の生きる目標となり、また憧れとなっている歌手だ。オプラも大好きだと言って目を細めて聴いていた。
あっという間に一時間が過ぎて、最後の五分間に、有名なハリウッドスターのバーバラ・ストライサンドから、観客全員へのプレゼントがあった。それはビバリーヒルズの有名なケーキ屋さん、Sprinklesのケーキにガ−ベラを一輪そえて、配られた。会場は、更に盛り上がった雰囲気で番組は終わった。このように、プレゼントは、いつも盛りだくさんで、誰もがフィーバーする豪華さでも有名だ。観ていると、毎回そのプレゼントの豪華さは、テレビ番組でも突出しており、それを受け取るのは一般の視聴者で、有名人やスターではない。
毎回飽きさせない企画と、価値ある大量のプレゼント。なにか特別でなくとも一般の人々に、「生きていて良かった!」と感じさせる企画が毎回目白押しだ。例えば、かっこいい新車を一週間毎回一台プレゼント、ということもある。オプラは、北米で最も影響力のある女性として、どのスポンサーも競って商品を提供するかららしい。オプラは、まるで一年中サンタクロースのように、誰にでも特別なにかしていなくとも、会場に来ている人、または視聴者に対して素晴らしい贈り物をし続けている。プレゼントには、家もある。
オプラのショーの特長は、有名人も一般の人も同じ椅子に座り、全く同じ扱いを受ける。オプラは、一般の人の人生、そして視聴者をなによりも大切にしているのが伝わってくる。有名人も気取らず出演し、オプラの前では、一般人のように気さくになる。時には自分の個人的な体験も惜しげ無く話して、誰もが辛いことを克服して生きている事を、知ってもらい、視聴者を激励している感じだ。
有名人が、自分の番組で自分の特集をするように、オプラが。50歳になった時に、それを記念してオプラ自身の特集の週もあった。その時に、彼女がどのようにしてメディアの世界に進出してきたのかが、放送された。未成年の両親のもとに生まれた彼女は、親が育てられなかったので、親戚の家を転々として成長したとある。しかし勉強を良くし、頭が良かった事で、大学進学の奨学金を得て、大学に進学した。大学時代から放送に興味を持ち、地方のケーブル放送などのキャスターをしていた。
その頃、そのケーブル局のあるプロデユーサーが、彼女の突出したトークの才能をいち早く見いだして、オプラにメジャーの放送局で司会ができるような道筋を作ってくれた。そのことが、オプラが世の中に出るきっかけとなったようだ。
その50歳記念の企画の時、テレビ局がそのプロデユーサーを探し出して、オプラには内緒で番組にサプライズで出演してもらった。オプラはケーブルテレビ局の時以来会っていなかったらしく、突然の再会に涙を流して喜び、お礼を言っていた。その人は、優しい表情で、
「あなたの稀な才能があったからこそここまでこれたんだよ。あなたに出会えた事にとっ
ても感謝しているよ。」と語って、更に視聴者の涙を誘った。
オプラ自身が、若い時からの肥満に悩み、悪い食事をしたり、ダイエットを繰り返したり、また生育歴からくるトラウマなどを、全て公開して番組で特集を組み、自分の人生を振り返り問題解決をしながら、全ての女性達が、もし同じ悩みを持っていたとしたら、これを見て立ち直ってね、というメッセージをいつも送っていた。
ある日の放送では、勇気をもって自分の運命を克服した女性達が、開場に招待されて自分の経験を話した。例えば2001年9.11のテロでそれぞれの夫を亡くした二人の女性、スーザンとパティが、お互いに励まし合って子供達も一緒に共同生活をしながら、様々なことを学び、なぜこのような悲劇が、自分たちを襲ったか、ということを語り合って生きていた。その学びから、世の中には他にも多くの女性達が苦しんでいることを、テロがあったからこそ深く考えて
初めて知った。特にアフガニスタンには、夫を亡くした女性達が数千人もいることを知り、その女性達は、社会保障も無く、自分たちのように社会福祉を受ける事もできず、夫を亡くして小さい子供を育てて苦しんでいることを知った。そしてスーザンとパティは、自分たちは、とりあえず気持ちよく住める住居もあり、両親や家族、友達も助けてくれるし、仕事もある、というささやかな幸福に気づいた。それで何かアフガニスタンの女性達の役にたつことはないか、と考えるようになったことが、紹介された。
パティとスーザンの二人は、オプラ・ショーに出演して、
「テロが起きた時、教会が食事を準備してくれて、人の優しさがこころに響き、とても温かい気持ちをもらったこと。そして今あるささやかだがとりあえず日常的に幸福な生活に気がついて感謝したこと。このテロを体験した事でアフガニスタンでは、貧しいだけでなく、助ける人もないまま子供を育てている女性が、大勢いることを知った事。そこで小さいことでも何かしたいと思い始めたこと。募金が集まったあとアフガニスタンを訪ねて、そういう女性達に会って、『あなた達が子供を愛するように、私も私の子供を愛しているの。その同じ母としての立場、夫を失った立場、そういう同じような気持ちがあるから、私達も困難だけどあなた達のお役に立ちたいと思ってしたことよ。』と話したの。」
と語っていた。
二人は、住まいがあるボストンからNYのグラウンドゼロ(9.11が起きた場所)まで自転車に乗って、募金を始めた。マスコミも巻き込んで何度も繰り返し募金活動をしているうちに、3年間で合計47万5千ドル(約6千万円)を集めることができた。二人でそれをアフガニスタンの女性達に届けに行って、励ましの会をもった。そんなことは、今まで考えたこともなかったので、実現したときは、本道に自分でもよくやったと思った。
45歳で3人の子持ちの女性を、一体誰が相手にするのか、と二人は周囲に言われていたが、この活動を機に、パティは良きボーイフレンドと知り合って共に活動を続け、婚約した。二人は、夫が居ない終わりの無い子育てを悲観していた自分達がいたことが、うそのようだと言って、次のように締めくくった。
「この会場の誰もが、安全に暮らせる家があり、温かく眠るベッドがあり、家には食料のストックがあり、いつでも電気とシャワーが使える。そして、子供達が健康で幸福で、好きな教育を受けられるチャンスもある。これ以上の幸福はありません。そのような環境が、世界中の家族に実現することを望みます。」と。
オプラは、「『9.11 を乗り越えて、行動を起こそう!』と始めたパティとスーザンに対して、盛大な拍手をお願いします!」と結んだ。
そのあと、他の女性の体験が語られた。その女性は、夫と2歳の子供と3人で、これ以上無い幸福な結婚生活を過ごしていた。2年前のある日、夫の趣味のセスナ機での空中ドライブに3人で乗った時、セスナ機が突然山に激突して墜落し、彼女だけが助かった体験だ。その女性が、2年近く
「どうして、私にこんな不幸が起きたのか?」
と悩み考えているうちに見いだした結論と自己決定を、本に書いて出版した。その本がきっかけで、オプラに招待された。今はその苦しみからすっかり開放されたことを、話した。それは、家族3人の生活がどれだけ幸福だったか、そしてそのような幸福が自分にはあったこと、それは神様の贈り物だと知った。だから今は、『なぜ自分が?』、ではなく、『そのような事は、誰にでも起こりうることだから、自分にも起こりえたことだ』と理解できた。大切なことはこれからどう生きていくかということであり、それに集中できるようになったことは、本当に幸福だと話した。
そのあと、一人の女性が、20年かけて克服した苦悩を、「怖れない人生」という本にして出版したことで、オプラに招待された。その女性は、14歳の時に実の母を実の父によって殺されて以来、20年間悩み「なぜこんなことが自分の家庭に起こったの?」と自問し続け、生きて行くのが怖かったため、自殺未遂までした。しかし、自分をしっかりとみつめ、終わった事は終わった事として、大切なことは、これからの未来にどのような人生を選び取っていくかということが大切だと気がついたことで、悲しみと辛さを克服できた、と力強く語った。
オプラは、全ての出演者に対して、
「皆さんの大切な個人的な体験を、ここで私たちに分かち合ってくださって、本当にありがとう!」と結んだ。
オプラ・ショーでは、人生に起きるさまざまな出来事を、実際の体験者に語ってもらう場面が多く、それは誰をも責めないし、決めつけない。唯体験を聞いて、一緒に学ぶこと、自分一人ではなくいろんな人が様々な体験をしていることを知ることで、勇気を得られるように配慮してある。番組を観たあとは、オプラの力強い温かい愛情と、人生の知恵、そして生きる希望をもらえたような気分になり、見て良かったといつも思えるのが素晴らしい。きっとそれが北米一の視聴率を誇るゆえんなのだろう。