“遊び”
インドネシア語で“遊び”は“ブルマイン”, 英語では“プレイ”。 この写真展は全て遊びの成果(?)であり、世界は資本制と父権制に支配されているのでただ狂ったように遊びたいだけの私には厳しい世の中ですが、これからもっと楽しく遊べるようになるためにと願ってのことです。儲けてなんぼという価値観は、日本での遊びという言葉のイメージをネガティブなものにしていますが、勉強や仕事の合間という意味や、気持ちのゆとり、心を慰める、社会生活を学ぶ、という意味も”遊び”にはあります。
私の遊びの結果を見て頂いた時に作品を見てなにかを感じると思いますが、それは言葉を使っての対話ではなく、私の作品であっても私と対話しているのでもなく、この作品を通して見ている方自身がご自分と対話しているように、対話の多くは私たち自身の中で開花し様々な方向へ展開していきます。それを自分の望む所や思いもよらない心地よい場所へと辿り着かせるために、真剣に遊び続けなければならないと感じています。
作品以外に、創った人の特徴が出るのは他人との対話方法ですが、ある作品が世界に知られるには他人の考え方と好みに判断されてのことです。生きるためには、望んでも望まなくても他人と対話し、楽しみのために、収入のために、笑いのために、欲のためになどと私たちは人と関係します。幼い頃に私は、両親の仕事の関係で5年間インドネシア共和国の首都ジャカルタに住んでいました。現在は、1995年からジョクジャカルタ特別州に住んでいますが、いつでもどこに行っても私は「日本人」というハンコを押され、「日本人です・・」と言わなければなりません。田舎でも、空港でも、家でも、バイク修理屋でも。そのことをあまり気にとめずにインドネシアで何度か個展をしましたが、インドネシア人が私から最初に感じることはこの「日本人」という記号です。それは「私」が個展をしているのではなく、インドネシアとの経済格差の激しい「豊かな先進国」が何かをしていることになります。
この世界ではどこにいても、人は他人の幸福度を測るのがとても好きです。私たちの表皮から簡単に見えるもの、国籍、性、容姿、学歴、年齢、結婚の有無、子持ちかどうか、家を持っているかどうか、など。この質問は質問者の考え方がわかる上に、この資本制の中では他人の幸福度を見積もる最も優れたやり方なので、私はそれを愛して止みません。幸福度を計算してどうしたいのでしょうか。人の悲しみを知ってどうするのでしょうか。毎時ゆれ動いていてはっきりしないそれらを必死に測りにかけるよりも、ただ遊びませんか。時間を忘れて夜遅くまで遊んだとしても、明日には必ず誰かと会います。
仕事でもなく、パートナーでもなく、生い立ちでも年齢でもなく、能力でもない理由、「ごめん!まだひとりで遊んでんねん」「悪いけど、今遊びに超超超忙しいの」、これを自由に言えるような社会になったら、やっと安全だと感じるのだと思う。 (インドネシア語からの訳)
写真展
September 2004
“asobi”
at Coffee Stall Yogyakarta, Indonesia
Japanese
Indonesian
Keindahan Hijau, keberatan Sejarah
Beautiful Green, Bitter History
Coffee Stall 店内展示風景
写真展オープニングパーティ。友人のバンドのライブミュージック
Coffee Stall 店内展示風景
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