先日、白夜を楽しく過ごす計画をしてくれた友人宅に招待されて、カナダ人とアメリカ人、日本人(アンナ達)の合計7人程で広い庭のデッキで、BBQをしながらワインを傾けお互いの様々な楽しい体験に基づいた話しをした。その中の一人ブライアンの話に、全ての客が聞き入った。
ブライアンは、登山用のロープや消防活動に必要な道具などを販売しているオーナー社長で、各国を飛び回り仕事をしている。十数年前のある日アメリカからカナダに向かう飛行機の中で、隣の座席に座った人のことを話してくれた。
その隣に座った人は、カナダの高校協会に招待されてカナダの高校生に講演に来たという。名前をお互いに名乗った時、その人の名前は、「エドモンド・ヒラリー」とわかった。聞いた事があるなあ、と思ってよく考えたら、なんと、あのエベレストに世界で初めて登ったサー・ヒラリーだったそうだ。(注:日本では、ヒラリー卿と言われている)そのサー・ヒラリーが、エコノミークラスの座席に座っていたのは、カナダ高校協会からの招待なので、ファーストクラスでなくエコノミークラスで来たと言ったという。それを聞いていたアメリカ人のジョンが、
「国民の税金でビジネスクラスやファーストクラスに平気で乗っている国務省の役人に、
ヒラリーの爪のアカを煎じて飲ませたいものだよ。」
と言ったので皆納得して大笑いになった。ジョンは、マイケル・ムーア監督の「華氏911」や、「ボウリング・フォー・コロンバイン」の映画にいたく共感し、アメリカ合衆国政治を変えなければと考えている革新派のアメリカ人だ。
サー・ヒラリーとブライアンの二人は登山用のロープの話しで盛り上がり、まるで十年来の知己のように話しがはずみ、あとで思えば夢のような時を過ごしたという。サー・ヒラリーと別れてからブライアンが思ったのは、世界で初の偉業を成し遂げただけでなく、人格的にも本当に素晴らしい教養と一般的な常識を兼ね備えた稀にみる魅力的な人物で、ごく普通の人と普通に話しができる、本当のセレブリティーというのは、このような人だと実感し、その数時間は、ブライアンの一生の宝となっていると話してくれた。良い話しを聞くと常に相手の感動が、波紋のようにこちらにも伝わるが、聞いているだけでその光景が浮かび、まるでその時に一緒にいたかのような錯覚を覚えて、皆の気持ちが温まった。
本当のセレブリティーとは、飛び抜けてお金持ちというだけでなく、人格的にも一般人との交流でも相手に感動を呼び起こし、その生き方が一般の人の人生の目標になるような人のことだと、皆で意見も一致してワインの杯が更に増えた白夜だった。
エベレスト初登頂の登山家で、世界中に知られるサー・ヒラリー(1919年7月20日生まれ。人類最初の偉業、英国登山隊に参加し、3回目にエベレスト登頂に成功した。)のことは、アンナも学校教育のなかで習ったことを覚えている。何の授業だったかは忘れたが、世界的な偉人についてで、日本の野口英世とともに、エジソンやキューリー夫人のことを習い、その時に登山家サー・ヒラリーを知った。その時に先生は、
「偉大な登山家が言った言葉ですが、なぜエベレストに登るか?と聞かれて、
そこに山があるから、と答えたということです。一般人にはなかなか理解できませんね。山に命をかけることは、なかなか出来ないでしょう。」
と言った。アンナとしては、勇気と冒険を教えてくれるとばかり思っていたが、その教師の夢の無い話しにがっかりしたのを覚えている。後になって確かめてみたら、それはサー・ヒラリーが言ったのではなく、志なかばでエベレスト登頂達成を目前に1924年に遭難した、イギリスの登山家ジョージ・マロリーの言葉だった。
そんなことを思い出してから、アンナは、日本人女性登山家の田部井淳子氏のことを思った。田部井淳子氏は、アンナの両親の出身地の隣町である福島県田村郡三春町出身であることから、彼女の活躍は、以前から非常に関心を持っていた。昨年国際線の飛行機内で、アメリカのタイム紙の見開き一ページ大に、ロレックスが出している広告写真を見て驚いたことがあった。それは、サー・ヒラリーと田部井淳子氏が二人でエベレスト山を上から挟んで並んで笑っている大きな写真の広告だ。その意味は、世界で初めてエべレストを制覇した男性と女性だからだ。20歳違うこの二人が、このような形で顔を並べて世界の超一流ブランドの時計の広告の写真になることを、一体誰が想像できただろう。アンナは、この写真を見つけてすぐに家族に興奮して話したのを覚えている。このことは、日本ではあまり話題にならなかったが、アンナは田部井氏がどれだけ素晴らしいことを成し遂げたのか知っていたので、その写真を見たとき感動し、彼女の存在を強く実感した。
田部井淳子氏は、1939年9月22日生まれ。1962年昭和女子大学英米文学科卒。2000年九州大学比較社会文化研究修士課程修了。研究テーマは、「エベレストのごみ問題」だったそうだ。エベレスト山を制覇したのは、1975年、ヒラリー氏が制覇したのは1953年だ。そこには20年の差があるが、それはヒマラヤ山の登頂の許可が、1970年までイギリス人以外の一般外国人に許されていなかったこともある。そして、田部井氏が世界を舞台にロレックスの宣伝写真に載って大きく出るには、また更に30年もかかっている。
ロレックスの時計は、100年の歴史があるが、サー・ヒラリーがエべレストに初登頂したとき、一緒に登ったシェルパのテンジン・ノルゲ氏が、腕にロレックスのエクスプローラをしていたことでも有名になった。恐らく近年の女性の地位の向上に伴い、ロレックスも女性を登用することを思い立ち、ロレックスHPの世界の探検家の7人の中に、田部井淳子氏は、唯一人の女性として、名前を連ねている。世界の芸術家、スポーツ家、探検家などのセレブリティーが名前と写真で53人掲載されている。そのうち女性は17名だ。
登山家・探検家は、以下の7人だ。(注:ロレックスHPより)
ルネ・イエルネス :2006年南極大陸無補給で単独スキー横断に成功後、グリーン
ランド、北極、南極を、スキーで横断した。
エドモンド・ヒラリー卿:世界初のエベレスト登頂に成功。
アラン・ユベール :南極大陸を100日間で3924キロを徒歩で横断した。
田部井淳子 :1975年女性だけの登山隊で女性初のエベレスト制覇。1992年
には女性で世界初めての世界七大陸最高峰制覇。
ジャン・トロワエ :酸素ボンベを持たない最小装備で世界最高峰の制覇を続ける)
エド・ビエスチャーズ :ナショナルジオグラフィックが認める世界最強の最高峰制覇の
登山家。6度のエベレスト登頂、世界8千メートル以上の14
の山を制覇。
チャック・イエーガー :人間と技術の限界を超えた最初の男。マッハ1に到達し、人口
のソニックブ—ムを発生させ、F−15戦闘機で音速の壁を突破
した男の中の男。
というまさに世界最高の探検家達に名前を連ねて、唯一人の女性が田部井淳子氏だ。世界の卓越した人々として、彼女が名前を載せている意味は非常に大きく意味深いと思う。田部井淳子氏が望むと望まざるとに関わらず、日本中の女性、アジアの女性、世界の女性達へ素晴らしい勇気と希望を与えることになるだろう。
二人の世界的な登山家サー・ヒラリーと田部井淳子氏が、登山を始めたきっかけは、非常に似ている。
田部井氏は、
「小学校4年生(10歳)の時に担任の先生に連れて行ってもらった那須山の茶臼岳での体験が、知らない世界への憧れとなった。城下町で育って、小さい山や川しか知らなかったから、茶臼山で岩と砂しかなく、川には温泉が流れ、山頂は夏なのに涼しく、それは衝撃的な体験だった。学校の授業や教科書からは決して知る事が出来なかった体験に興奮して、知らない世界への憧れにも近い思いが植え付けられたと思う。」
と語っている。(注:田部井淳子HPより)
一方サー・ヒラリーは、
「ニュージーランドのオークランド郊外の山で、10歳の時に初めて雪を見て、そこでスキーをした時の興奮が、今でも忘れられない。家族全員にその興奮を話し続けたのを思い出す。私の最大の冒険は実は、あのスキー体験だったかもしれない。」
と語っている。
このような二人の体験は、一般人的にも決して珍しいものではないが、その時の感動を維持し、生きる目標のように照準をしぼって突き進むことができる人は、少ないのだろう。二人が語る言葉には、人生をワクワクした気分で生きるセンスと秘密が含まれている。
サー・ヒラリーは、エベレスト登頂後の人生のほうが、ずっと意味深いと言っており、
「子供達を冒険の世界に誘い出すことが、自らの天職だと思って活動をしている」と語り、
「突出したすごい人が大事なのではなく、その国の一人一人みんなが、如何にスポーツや冒険を愛し、日常の中で実践するかが、大事だ」と語っている。その活動としてアウトドアスクール(ODS)を繰り広げている。現在は、ニュージーランドで養蜂業を営んでいるそうだ。自らを、「山野をうろつきながら、いつも冒険を夢見ている友人の数の少ない少年だった」と語っている。
アンナは、両親が自然や山が好きだったことから、小さいときから山歩きに連れて行かれ、山の植物や動物を父親から教えてもらった。秋にはアケビを取って、その場で食べさせてくれたり、栗の実を拾いにいったりするなかで、自然に親しみ、福島の信夫山、弁天山、安達太良山、磐梯山などに家族や、学校から行ったのを思い出す。どの体験も全身で感じ取り、感動でいっぱいだった。感性というものは、そんな体験から育まれることも多いだろう。そんな中で自然と親しむ習慣が出来たと思う。大学に入ってからは、ワンダーフォーゲルに入り、軽い尾根歩き、沢歩きを体験し、屋久島にも行き、素晴らしい屋久杉の木々を見る事が出来て、自分が知らない場所で全く異なる自然と人々の営みがあることを知り深い感動を覚えたものだ。しかし、社会人となり、仕事が忙しいことにかまけてどんどん自然に触れる機会が減り、気がつけば歩いていくことが少なくなり電車やバスや車で行っての自然とのふれあいで終わっていた。
田部井淳子氏や、サー・ヒラリーのように、小さいときの体験から芽生えた憧れを、強い意志を持って、生涯に渡り、名声や富ではなくただひたすら好きな夢を実現してきて、世界のセレブリティーになった人物の生き方は、非常に教訓に満ち重みのあるものだ。
田部井淳子氏は、大学卒業とともに、社会人山岳クラブに入り、「女性だけで海外遠征」を合い言葉に女子だけの登攀(注:とはん:高い岩壁に登ること)クラブを設立した。田部井氏は、別にフェミニストでもジェンダー研究家でもないが、登山という共同活動のなかで、寝食を共にし、時に命をかけながら長期で生活するなかで、パートナーとなるには、やはり同性が良い、と30代前半で決めていたことだという。1975年には、女性だけの登山隊の副隊長としてエベレストに登った。そのあらゆる準備期間に、1400日をかけたという。並々ならぬ努力の後に、世界で初めの女性としてエべレスト登頂に成功したのだった。しかしそれは、結果だと田部井氏は語る。ただ好きなことに突き動かされるように熱中して次々としてきたことだと。その後、1992年には、世界七大陸制覇を世界の女性で初めて成功した。ちなみに七大陸の山々というのは、以下の通りだ。
世界七大陸最高峰の山々
アジア:
エベレスト(ネパール・チベット)標高8848メートル(田部井氏1975年制覇)
南米:
アコンカグア(アルゼンチン)標高6959メートル(田部井氏(1987年制覇)
北米:
マッキンリー(デナリ国立公園:アメリカ合衆国アラスカ)標高6194メートル(田部井氏1988年制覇)
アフリカ:
キリマンジャロ(タンザニア)標高5895メートル(田部井氏1981年制覇)
ヨーロッパ:
エルブルース(ロシア)標高5642メートル(田部井氏1992年制覇)又は、モンブラン(フランスとイタリアの国境に位置する)標高4808メートル(田部井氏1979年制覇)
南極:
ヴィンソン・マッシーフ標高4892メートル(田部井氏1991年制覇)
オーストラリア:
コジウスコ(オーストラリア)標高2228メートル
又は、オーストララシア(オセアニア):
マウント・ジャヤ(田部井氏1992年制覇)(インドネシア・パプア)標高4884メートル
オーストラリアとオーストララシア(オセアニア)については、二人の登山家(一人は、アメリカのアマチュア登山家バスと、もう一人は、イタリアプロ登山家冒険家のラインホルト・メスナー)の説によって分かれるが、現在では、オーストラリアのコジウスコ又は、パプアのジャヤ山のどちらを登っても、七大陸制覇になるという。パプアニューギニアのジャヤ山の高さを考えると、こちらが優先ではないかと、アンナは個人的に思った。
1954年からの半世紀の間に、約1200人がエベレストに登頂している。
2007年には、アメリカのサマンサ・ラーソン(18歳)が、世界七大陸最高峰の制覇を人類史上最年少で成功している。(サマンサ・ラーソンHPより)。最年少で、しかも女性でもある。勇気と冒険は、もはや男性だけのものでは無くなった時代の到来だ。
田部井氏が、エベレストに登るために出会った困難は、資金繰りでも様々な手続きでもなく、人探しが大変だったという。
「エベレストに行きませんか?」と聞くと、「行きたい」という人は、沢山いるが、その
うしろに「でも」がついて、結局行けない人が多い。それは「行きたい」という意味では
ない、「いろいろあるけど、でもやりたい」と言ってくれる人を探すのが、大変だった。
と田部井氏は言う。(田部井淳子のHPより)
ブライアンが、サー・ヒラリーに出会った話しをしてくれたお陰で、アンナも日本のセレブリティー、田部井淳子氏に出会えた気がした。
セレブリティーからのメッセージは、黄金の言葉のように含蓄がある。毎日やりたいことがあっても、なにかの理由をつけて言い訳したりしている自分を考える時、田部井氏の言葉はアンナのこころに深くしみ込む。日常の中に冒険を見いだして、わくわくした気分で生きていたいと思うのは、誰も同じだと思うが、それを実践するのは、自分自身の日々の意志だということを思いおこさせる。
出来なかったのではなく、ただやらなかっただけなのだと。それもこれも全て自分の意志であり、全ての責任は自分にあるのだと。これからでも遅くはない。思い立ったらそのときが出発のときだと教えてくれている。そして、継続は力なり、という言葉も思いだす。自分に負けて「でも」と言い訳するのを止めて、
「いろいろあるけど、でもやりたい!!!」
といつでも笑顔で元気満々に言える自分で居たいと思った。