最近想うのが、人生で大事なのは問答でないかということです。この写真のイエローコートのアザラシの赤ちゃんは産まれて1日目。自分の人生はなんなんだろうか、母親はどこにるのだろうか、悩んでこちらを見ています。
というのは、世の中に「絶対的な」ものはありません。絶対的なものをもとめていくということは、必ずその証明のために問答がつきることがないのです。まさに禅問答みたいなものです。
写真もそうだと思います。
問答をしていないとどんどん写真がつまらなくなります。私もついつい自分の経験に身を任せて、悩まずにおなじことを繰り返してしまったりしてきているなと思うことがあります。
自分では気づいていなかったそれに、ふと自分の写真の熱心な読者の言葉から気づくこともあります。今日そうでした。
「カメラの撮影モードは何で撮るんですか?」
「プロはPです。プロのPですから」
と冗談のような本当のことを語っていて、気づきました。
Pのついていないカメラを使っていた時と、Pを使い出してからの写真に違いがないか?
「ありました」
昔はM(マニュアル)しかないカメラで撮っていましたが、その時と今では露出の決め方が似ているが異なっています。
「あっ、これだ」
久しく自分の写真から消えていた、自分の古い写真の特徴を思い出した。実はそれに悩んでもいたのですが、今の今まで理由に気づいていませんでした。
嘘掛けねない本当の話です。
習慣化とは恐ろしいです。習慣化していきながら考えることを忘れている、問答をすることを忘れている。
時には何も考えずに一気に撮っていくことも大事ですが、同時に見て、考え、悩んで写真を撮ることも大事です。18年間撮っているアザラシですが、最初の年が一番悩んでいました。
だんだんと悩むことを忘れていたことに、18年たってやっと気づきました。
ああ、よかった。
それに気づかせてくれたAさんありがとう。