自分がどうやってカメラマンになったかですが、地方の国立大学(茨城大学)の学生が、「カメラマンになりたい」と言っても誰も現実味ある話だと思ってくれません。周囲の学生のほとんどは公務員か教員を目指しているような中で、自分はどうしたらいいのか判らない日々がありました。
しかたがないので、写真に関係する本はとにかく片っ端から読みました。自分が通える範囲にある図書館の蔵書や写真部の部室にあったカメラ雑誌の古いバックナンバー、「写真」という文字がつけばとにかく何でも読みました。
大学の教科書なんてほとんど目を通したことがないような学生だったのに、好きなものに関する知識だけは貪欲だったのですね。
まだコピーが普及する以前だったので、気に入った写真集は自分でカメラで勝手に複写して、なんども見直しました。特にアンリ・カルチェ・ブレッソンの写真集は、構図の勉強のために薄紙に対角線を引いたものを被せ、どこに主要な被写体をおいているのか、なんどもなんども自分で研究しました。
あと白黒写真ですがとにかく撮って現像して、プリントしました。1日フィルム2本を撮ることを目標にしていた時期もありました(効果があったかどうかは別として)。でも自分で考えられることはそのようなことだったので、それをするしか他に方法が思いつかなかったのです。
カメラマンになるための知識や技術はこうやって独学しました。
「カメラマン」という職種を募集している会社が新聞社や通信社しかないので、それら大手マスコミの試験も受けたのですが、最終面接で調子にのってバカなことをしゃべりすぎて落選、まあ田舎の世間知らずの学生だったのですね。
途方に暮れていた時期もあったのですが、だんだんととにかく写真に関係する仕事に就こうと、広告写真のプロダクションのアシスタントになり、業界に入ることができました。
でもアシスタントは続きませんでした。写真撮影というより商品のパッケージの加工とゴミ払いに明け暮れる日々に嫌気がさし、いばるチーフカメラマンと喧嘩、「やってられるか」と短気を出して退社、ちょうとその時期に報道写真のプロダクションの募集があったために、拾われ、そこからカメラマンになることができました。
あとは幸運が続きました。先輩のベテランカメラマンと競合する各社が集まる取材現場に行き、狙った写真が撮れたのが全社の中で自分だけということがありました。
なんで自分だけが撮れたのかは良く判っています。そこにいたカメラマンの中で一番「撮りたい、撮りたい」と思っていたからです。技術や経験は劣っていても、集中力が他の先輩方と違いました。
依頼元の編集部の編集者の態度が一日で変わったのが印象的でした。前日までは「坊や」扱いで名前も呼んでくれなかったのが、翌日からは「さんづけ」です。このチャンスに乗れたことで自分はカメラマンになれました。
この業界は一度、なんとかその道に入ることができると、その業界の中をなんとかもがくことはさほど難しいものではありません。いい写真やいい写真家は絶えず求められています。ただ、その接点に関わるきっかけがなかなか得られないのです。
しかし、カメラマンになりたいととにかくできることを頑張っていれば、何回かのチャンスは必ずやってくると思います。そのチャンスに本人が気づいているかどうかは別ですが。そのチャンスに実力を発揮できるかどうかは、それまでの努力次第だと思います。
それではどのような努力をしたらいいのか、
私はとにかく「写真」に関係する書物を片っ端から読みあさりましたが、自分で何をするべきか考えることが大事だと思います。
それはカメラマンになることに限りません。自分の目標に対して、自分が何をするべきか自分で考え、自分で実行をする。これなら他人や社会が関係ないので、自分の努力と思考だけで完結します。
そして、社会や他人のせいにすることなく、何が自分に必要かを考えることができます。こうやっていればどんな目標にも近づくことができるのではないかと思います。
私はたまたま田舎の大学にいたから自分でカメラマンになる方法を考えないといけなかったことが、逆にカメラマンになる道筋を作ったと思っています。
面白いのが、現在知り合いのカメラマン仲間を見回すと、語学ができたり教養があるのが写真学校や写真大学の出身者にいて、写真の歴史や現像の化学などに詳しいのが、一般の大学出身者に多いですね。教わってきたことと詳しいことが逆なのです。
人からこれを覚えなさいと指示されたことは、それだけしか覚えてこないけれど、自分で学ばないといけないという環境にいると、手当たり次第覚えてこざるを得ないからですね。
現在カメラマンを目指している若い方々にすこしでも参考になればと思います。