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 大西監督と大西さんが「この人にはかなわん」という山の暮らしの師匠
 廣瀬ゆきゑさんとの対談が、8月4日、初回上映後行われました。
 
廣瀬ゆきゑさん(岐阜県の旧徳山村門入に暮らしていた。現在88才。廣瀬司さんの妻)
 
大西監督「ゆきゑさんは娘の時に、開拓で北海道に行っていたんですよね。司さんは北海道生まれ。徳山に戻ろうって・・・」
 
ゆきゑさん「子供が小さいとき、私は3人子供がおったんだわね、北海道から連れてきたの。あっちで生活しとったで。北海道は電気がついとったの、その時。ほいで、まだ小学校いくかいかんかって子供が3人おったんです。徳山きたら日が暮れたら暗いでしょ、家の中が。「母ちゃん電気つけれ、電気つけれ」って子供が...ふふふ。そういうと「ぼうよ、ここには電気はないぞや。つけられん」そうすると子供は安心して「ここには電気がないぞな、暗いわなあ」とうなずいたに違いない。それから日が暮れても電気つけろといわなんだ。
ははは」
 
大西監督「食べるのに苦労したときもありました?」
 
ゆきゑさん「作物がよけとれんでね。村7分は田んぼも畑も少ないでしょ、それで食べ物に困ったんです。うちでは、田んぼも畑もたくさんありましたんで、子供のとき栄養不良しとらなんです。それでこれ長生きしとるんです。ははは。
今女の子ばっか5人いるんですよ、ほいでみな80過ぎまでみんな生きとる。ふふふ。ほんで、友達はみんな70代か80代にならんまにみんな死んでしまってね、私らの友達は。私はなんでこんなに生きとるんかなと思って。やっぱ小さい時に栄養とって親に大きくしてもらわんと。あまり長生きできんと私らは思うんです。これから子供を育てる人は、小さい時に子供を上手に育てて大きにして、栄養不足にならんように。そうするとその子供は大きくなって体格もよくなって仕事もようできる。頭がよく勉強もよい。これからも子供を育てる人はそういう風に気をつけて小さいときに育てる。
ずっと大きくなってからいくら栄養与えてもそりゃだめだ。ははは。」
 
大西監督「小さい頃は本郷までは?車がなかったんでしょ?」
 
ゆきゑさん「歩いていったんです。(馬車とか?)そんなもんはない、そんなもんはない。
こんだけの道やでな。一人が歩いとるだけの道しか無い。ほんで私らは部落が分かれとったもんで、徳山村でも、ほんで運動会にみんな行くでしょ、徳山8か村が子供で。そうすると、前の日に出てって学校で1泊せんと明日の運動会に間に合わん。ははは。
前の日に先生が連れて、小学校をかこってそこで一晩泊めてもらって、部落の婦人会の人が寝るものも個人個人もってきて寝せてもらった。一晩がかりで運動会や。ははは。」
 
【話はその後も・・・・つづきました。】
 
    
 
「水になった村」公開記念トークショー”徳山よもやま話”大西監督とのスペシャル対談!
終了いたしました
8月4日(土)廣瀬ゆきゑさん(”水になった村” 出演者)
8月5日(日)本橋成一さん(”水になった村”企画制作/”アレクセイと泉”監督)
8月11日(土)本橋成一さん(”水になった村”企画制作/”アレクセイと泉”監督)
8月12日(日)辻信一さん(文化人類学者/環境運動家「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表)
8月18日(土)渡辺俊雄さん(NHK衛星映画劇場支配人/ラジオ番組「村は沈んでも唄は残る」を制作)
8月19日(日)黒川由紀子さん(臨床心理士/老齢心理学)
8月26日(日)坂田 明さん(ミュージシャン)
9月9日(日)梅田俊作さん(絵本作家)
※初回(12時30分〜)上映終了後
9月9日(日)18:50〜 田中康夫さん(新党日本代表)
☆大西暢夫写真展「僕の村の宝物」in 東中野
終了いたしました
 
好評につき、作品を入れ替えて9月いっぱいまで延期することになりました!
前期 7月31日(火)〜9月2日(日)後期 9月4日(火)〜9月30日(日)
 
場所:Space&Cafeポレポレ坐(ポレポレ東中野併設)入場無料です(月曜定休)
トークショー 大西監督×廣瀬さん
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辻信一さんは、明治学院大学の教授で、文化人類学者であり、環境運動家。
1999年に仲間と一緒に「ナマケモノ倶楽部」を設立。
スローライフの提案や実践などを行ない、、“スロー”をキーワードにした、さまざまな運動を行なっている、
いわば「スロー・フード」「スロー・ライフ」そして「100万人のキャンドル・ナイト」の仕掛け人です。
 
辻さん「僕これ実は、まだ見せてもらって2週間くらい。これ、本橋さんが「今年の最高傑作です」と強く勧めてくださってね、で見せてもらって、本当に本橋さんの言いたいこと、よくわかったんだよね。全く同感といいますか、久しぶりに傑作に出会ったなと、うれしい。
僕今、環境運動家として、色々なキャンペーンをやっていて、スローライフ、スローフードっていってきましたけど、去年くらいから「GNH」を一つの合言葉にしています。
GNPとかGDPって言葉はよく聞きますよね。国民総生産とか国内総生産とか、それに対してブータンというヒマラヤの小さな国ですけど、そこの第4代の国王って人が、若い時に国王に即位していきなり言ったのが、「わが国はGNPじゃなくてGNHだ。わが国はGNPよりGNHの方が大事だ」って彼は言ったんですよね。それはどういう意味かって言うと、GNPってPっていうのはプロダクツですから生産物、物ですよね、その物をやり取りするお金の量。実は未だに日本という国は、GDP,GNPという簡単に言えば、物の量、物をやり取りするお金の量で国の豊かさを図っているわけですね。そうでしょ?新聞なんかで時々、GNPが0.何%上昇!なんて書いてあると、なんかいいことがあったような気がして、一日ちょっとうれしかったりするわけでしょ。これはその、小さなブータンの国からみると非常におかしなことで、もう70年代ですよね、GNPという言葉に対して、Hという、ハピネス、国民総幸福と訳すしかないんですけど、もう一度豊かさって言うのは何なのかを考え直してみよう、あるいは豊かさの果てに幸せがあるという思い込みですよね、これも。だれも証明したことがないわけですけど。実はこの数十年間わかったことっていうのはGNPのPがどんどん増えていってもGNHのH、つまり幸せがどんどん増えていくっていうことよりむしろ逆の場合の方が多いってことがだんだん明らかになってきた。
まず映画をみてね、僕はブータンのことを思い出したんですよ、真っ先に。逆に言えば、実は僕らのほんと身近なところにブータンがいっぱいあるのかもしれないんで、それに気づいていない自分自身ってことに思い当たるわけですけどね。やっぱりこの映画のテーマは圧倒的な豊かさですよね、もう圧倒されますね。」
 
大西監督「自分が知らなかったですね、そういうことに気づいてなくて。本当にダムの取材をしようと思って最初にいった村だったんですね。ダムってことばっかり考えていったんですけど、いつのまにかダムってことを忘れてしまうほど暮らしの魅力にはまってしまって、自分が知らないものですから、「何ですか?」「何ですか?」ってことばっかりで、一日中「何ですか?」って聞くことばっかりで、未だに聞いていますけども、
そのくらいこの村にどんどんはまっていって、暮らしぶりが本当におもしろかったですね。
僕自身が」
 
辻さん「そういう大西さんが「おもしろい」って感じた、その感覚がよく伝わってくる映画ですよね、なんか楽しそうだなあとか、おいしそうだなあとかって、ちょっと嫉妬心が(笑)たぶんみなさんすると思うんだよね。僕の言葉でいうと、そういうのは快楽、快楽主義。やっぱり世の中を考えていく上でそういう楽しい感覚やおもしろいっていう感覚、好奇心だよね、それにおいしいっていう感覚くらいあてになる価値観ってないんじゃないのかな。
100万人のキャンドルナイトっていうのを僕ら呼びかけて最初は数十人、数百人くらいでやったんですけど、今何百万人、今は世界に広がったんですけど、そして来年G8っていうのがあるでしょ。あれを機会に世界にあれを広げられないかなって夢を膨らませているんですけど。あれを最初は僕は運動家ですからね、省エネとか、アメリカのエネルギー政策への反対を表明したいとかね、そういう意味で最初はやったんです。ところがやってみたら、楽しくておもしろくてね、何のためにやりだしたんだか忘れちゃうという。今の話で思い出したんだけど、最初は徳山ダムという、イシューなんですよね、問題が」
 
大西監督「最初は、カメラマンでなんとなくかっこつけて、報道としてメディアに出していこうとずっと思っていたんですけど、実際その時にはダムの知識なんてゼロに等しかったし、ダムはだめなんだって頭ごなしにずっと考えて徳山村に行ったら、あの徳田じょさんは、ダムの話をする前にご飯がどーんって出てくる訳ですよね(笑)僕が話そうとしてもとにかく僕がご飯を食べないと話が何も進まなくて。僕のお腹を満たすってことが常に毎回毎回常識になってたですよね。何時に行こうがお昼の2時に行こうが朝の10時に行こうが毎回ご飯がでてくるわけですよ。食べて、食べ終わってから次に行動するっていう。
今から思えばじょさんは僕のお腹を満たすことが、じょさんの中ではとても大事なことだったんだろうなって思いますよね。それと、すごく受け入れる、それが自分にとっての一番のおもてなしだっ」たんだろうなってことを、今になってだんだんだんだんわかってきたんですよね。
 
辻さん「なんか、ホントGNHのH度が非常に高いですよね(笑)これ、やっぱりあの同じ揖斐郡出身でしょ。それでも、やっぱりそんなに違う?」
大西監督「違いますね。僕の家はそこから50キロ下流で町に隣接しているんですけど、お金を持ってないと不安というか、何かあったときにお金で買い物したり、常にポケットにお金がないとって思うんですけど、徳山村はそういう勇気を捨てなきゃいけないというか、まずお金を使うところが一件もないし、で電気もなかったりしますし、ですから、自分とかそこに暮らしている方の自分自身がどう思うかってことに常にたたされてしまう訳ですよね、自分が考えなきゃいけない。そういうところに立たされたときに最初は不安で不安で」
 
辻さん「これはGNP,GDPの世界から見れば非常に貧しくてね、まあそこから何とか抜けでようと、近代化ってプロセスっていうのはそういうプロセスだったんですけど、最後に、廣瀬司さんか、お葬式で奥さんが愚痴をこぼしてたよね、「先が見えん人で・・・」って。で、やっぱりあれが、僕、すごく心に残っているんですよね、あの言葉が。
先が見えんってどういうことなんだろう、って。それは、ああいう村の暮らしですね、そしてまた豊かな暮らしに寄り添ってそこの恵みをいただいて毎年毎年サイクルで、そういう中に、そういう輪の中に生きてそういう豊かさの中に生きてきた人たちが、やっぱり都会に出て、近代的な暮らしにどんどん転換していく時に、うまく変わり身ができない人・・・」
大西監督「そうですね、司さんはまさにそういう人ですね」
 
辻さん「だからそれを世間から見たら「先の見えない人」計算高くない、そして今あるものを楽しむ、そしてあったら人に与えちゃう、でもこれ、逆にいえばものすごい豊かさですよね。GNH的には、すごい豊かさだ。そういうものが崩壊していく中、ダムができるってことは、そういう豊かさが失われていくってことなんだっていうのを実感した気がしたんですよね」
 
大西監督「僕も最終的にはそれが一番のテーマになっていて。
だんだん本を書いていたりとか、編集することで気づいていくっていうか。自分が何に興味があったのかなとかって思うと、全部シャッター切っている時とかフィルムまわしている時とかって、そういう時ばっかりまわしていて、で、ダムの話になっているとムービーが回ってなかったりする。いつのまにか自分が完全に徳山村の暮らしだけに興味が向いていたんだなっていうのが編集して改めて気づいたんですよね」
 
辻さん「食べてて、おいしくて、撮るの忘れちゃったってこともあるの?」
大西監督「そうですね、それもありますし、ぜんぜん撮らない日もあったりする。
畑仕事に忙しくて、あまり写真を撮るという観点で村に行ってなかったので、
何も言わずにばあさんたちが僕にかごを渡すのでしょって、カマ持って軍手持って、カメラやフィルムもかごに入れて、わさびとってはかごに入れるのでどんどんカメラの下になって取れなくなって、まあいいかなって思っているうちにその日が終わってしまうケースも多々あって。
 
辻さん「大西さん、今も畑をやって?田んぼも?」
大西監督「そうです。自給率高いです。田んぼも今年から初めて、自給率70%くらいいってますね。楽しくて。お年寄りのあのじいさんばあさん見ていると全部自分達の技で生きてて、手に職持ってて、確かに写真を撮ることはできるんですけども、自分のお腹満たすのは現金化してお腹満たすことはしてましたけど、大根一本作れる知恵というか技があるといいなって思って何年か前からはじめたんですけど。そうすると、自分の中で自然と季節が体にできてきて、彼らみたいに。だから冬に絶対食卓にトマトで出ないんで。だいたい今はきゅうりとトマトとなすばかりだったりとか。ずっとそういう生活になってきたら、確かにだいぶあのジジババ達にだいぶ近づいてきたと」
 
辻さん「そうかあ、そういう形で生きているんですね、徳山村が。
僕はゼミの学生達と田んぼやったりしているんですけど、自給率はそこまでできませんけどね。この映画を本当に若い人たちになんとかしてみてもらいたいなと、今思っているんです。僕のゼミはもちろんですけど、やっぱり若い人がみたら絶対に共感しますね。若い人はああいうおじいさんおばあさんに出会いたがっているんです。僕、そうだな、この10年くらいで確信するようになってね、若者達は探していますね。若者達の価値観は今変わってきていて、口先だけの国会の人たちじゃなくて、自分の手でものを作り出したり直したり、そういう人たちに出会いたがっているんですね。そういう意味では、本当に、こういう、徳山ダム、ひっくりかえしたらムダですけど。日本中そうじゃないですか。あいも変わらずこういうことが進んでいる。こういうのを残していかないとだめだよね。
これを若い人たちに見てもらって、若い人たちにああいう生き様や、ああいう豊かさが伝わっていけばいいなと思いますね」
 
大西監督「僕も22,3歳から徳山村に行っているんですけどね、たぶんびっくり仰天したんだと思うんですね。マムシをああいう風に裂いて食べて、今まで食卓に並んでこなかったものしか並んでないので、食べれるかどうかすらわからなかったです。そこからスタートしたので。当たり前に熊の肉が大根と一緒に炊かれて出てきたりだとか、そういうメニューしかなかったので、最初はほとんどのものが食べられなかったですね。灰汁抜きの意味もわからなかったくらいで、「ああ、なんて面倒臭いんだ」って」
 
辻さん「トチの実は10日間さらす?」
大西監督「そうなんですよね。10日間さらすんですけど、その後漬け込んでやるので、正味1ヶ月かかるんですけど」
辻さん「後、片道4時間かけてわさび撮りにいったりね。スローフードの教科書みたいだよね(笑)でも、それだけの価値があるんですよね。おじいちゃんおばあちゃんにとってはそれだけの喜びがあるわけです。義務感からやっているわけではないですよね。」
 
大西監督「食べ物の映像が多いのは、あの人たちの中で8割以上が食べ物に関わった仕事しかしてなかったのにあるとき気づいて。自分の暮らしは食べ物に関わった仕事はあんまりなくて。あれ、80%以上は朝から晩まで食べ物に関わったことをやってんだなって。
徳山村は豪雪地帯で冬は雪が降ってしまうんですけど、冬をどう乗り越えるかっていうのが秋までの勝負なので、ここで働いておかないと冬は大変なことになってしまうので、冬降りられない、それでようやくそこの部分で3ヶ月くらい初めて余暇がでてくるんですけど。集落で漫才があったり、まむしを持っていったおじいちゃんは漫才一家で、冬場色々な集落を訪ね歩いては夜の夜中に漫才して朝まで踊って。初めてそういう話が冬場に出てくるんですけど。それまではひたすら何か食べ物を作って塩かけて・・・そればっかりやっているんですよね。そういう生活のリズム感を徳山村で初めて見させてもらったんですけど」
 
辻さん「雪に閉ざされた寒くて寂しくて、ってイメージがあったんですけど、冬こそが楽しいんですね。これこそがGNPの観点からいうと全く見えない豊かさですよね。
こういう言葉があるんですよ。「豊かだから与えるのではない、与えるから豊かなんだ」っていう。大好きなんですけどね。ブータンだとかミャンマーだとか仏教国に行くと痛感するんだけど、お年寄りに、人生で何が、どんな時が幸せでしたかって聞くんですよ。そうするとたいがいの人が、「お供えできたとき」とか「人を助けることができたとき」とか、
「人に物をあげることができたとき」とか。全て与えることなんですよね。与えるってことが実はもしかしたら豊かさGNH度、豊かさの基本要素なのかな、と。
この映画の中で、最後にじょさんが指輪をね。(笑)
「先が見えない」っていう廣瀬司さんっていうのは、なんでもあげちゃう訳ですよね。漬物つくったり、いろんなものを作ったりって言うのは備えっていう意味もあるんだろうけど、人にどんどんあげちゃう、分かち合うってね、やっぱりそういう文化の豊かさなんじゃないかなと思いました」
 
トークショー 大西監督×辻信一さん
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渡辺俊雄さんは、現在NHK衛星映画劇場支配人。
岐阜勤務時代、徳山村を取材し、ラジオ番組「村は沈んでも唄は残る」を制作。
 
渡辺さん「この映画を観ていて一番思ったのは、私が取材にいったのは昭和59年だったので、もう今でいくと沈んでいるずーっと下の方・・・ラストシーンを観ていて、もうかなり高いところからじゃないと?」
大西監督「今はもう山の中腹、約60%水が溜まっていますので、だいぶもう目線ではだいぶ高いところになりますね」
渡辺さん「実は私、NHKに入って、東北の福島にいましてね、それから北海道の室蘭に行って、NHKの異動って結構大変なんですよね、アナウンサーはね、とばされるっていいますけどね、別に悪いことをしているわけじゃないんですけどね(笑)北海道の室蘭からいきなり鹿児島へ行けって言われまして。ちょうど今くらい暑い時期に異動したんですね。その3年目の冬に神山征二郎監督の映画「ふるさと」を観て、確か大西監督も神山さんの「ふるさと」をみて?
大西監督「そうですね、14歳の頃ですね」
渡辺さん「僕はその時は30代ですね、半ばだと思いますけど、鹿児島の映画館で観たんですよ、冬だったんですけどね。その明けた翌年にはまた人事異動で岐阜に行けって言われて、「え?あの「ふるさと」の岐阜県?」っていう風に思って、その夏の異動で岐阜へ異動して、すぐ提案したんですよ、「徳山村で番組を作りたい」。それもローカル局ですから、テレビじゃなくてラジオの番組。」
大西監督「赴任してすぐに?」
渡辺さん「そう、だから8月に異動して、9月にはすぐに徳山の現場にいましたね。現地でお会いしたのが、後に有名になった「増山たづ子さん」。写真集を持ってきたんですけど、この巻頭に書いてある「『ふるさとに勝るふるさとはなし』昭和59年渡辺さまへ、増山たづ子より」
増山さんもね、昨年なくなられて・・・。この方は60過ぎてから写真に目覚めて。この写真集はこれ60代半ばくらいで・・・すごいです。これそんなすごい高級なカメラじゃないんですよね、いわゆる誰でも取れるという・・・」
大西監督「最初にコニカがだした、ぴっかりコニカという、初期のカメラですね」
渡辺さん「これ、実に見事な村の記録になっていますね。しかも、なんていうのかこの構図、すばらしいですよね。たぶん住んでいる人しか撮れない瞬間を切り取る。増山さんって人はすばらしいおばあちゃんで、私は増山さんがやっている民宿に泊り込んで取材を続ける訳ですけど、この9月から10月にかけて取材したんです。私の番組のテーマは・・・
実は徳山村っていうのは・・。監督も揖斐川沿いの池田町の生まれだとか。(50キロ離れたところですね)日本地図を広げてもらうとわかるんですが、ど真ん中。ほぼ中央ですよね。南村ってところがあるんですが、そこが一時へそといわれて人口重心といって、ちょうどそこが日本のど真ん中だと。それはどういうことかというと、西の文化と東の文化が徳山村あたりで混ざり合うんですよね。なおかつ、ここは今ご覧になったようにものすごい山深いところなんですけども実は北と通じているんですよね。つまり、石川県とかからも文化が入ってくるし、南の方、岐阜とかからも文化が入ってくる。そうすると、東西の文化が融合するから言葉もどちらかというと関西寄りの形もあるし・・・。一つあったのは唄ですね。実はここに徳山村の「沈みゆく徳山村」ってのがあって、わらべ唄とか民謡を熱心に集めていた愛知県の高校の先生がいるんですよね。その人をテーマにして番組を作ったんです。それを冒頭だけ・・・・」
(ラジオの番組の一部・・・)
渡辺さん「これがちょっとヒントになっていて、鳥も通わぬ山奥なんですよね、揖斐川沿いで、藤橋村があって奥へ行くとぜんぜん風景が違って、この山奥だったことが大事なのは、東西の文化の分岐点であって、ここでいろんな文化が保存されたんですよね。実は、西から来た文化、東から来た文化、ここに記された唄の中にいろんな文化が閉じ込められて、山奥だった故にそこに残された、そういうと劇的に聞こえるんだけど、ごく普通に全部地元の人の声なんです。地元の人がみんな名人級にうまいんですよね。芸所的なところがあって・・・」
大西監督「いつも冬場なんかは閉ざされてしまってどうするのかな?って思うと冬はものすごい楽しい話がいっぱい残ってて、こんな3メートルも雪が積もるところに何があるのかなって思うと、冬ほど楽しいものはないんだって、各集落で・・・。民話もあるし」
渡辺さん「わらべ唄もあって民謡があって。そういう貴重なものが失われてしまったってことが悲しいですね。ただ、人がいなくなっただけでなくて文化も失われてしまった。しかもある意味必要がなかったようなものだったってことはみんなわかってたんですよね。ちょうど今年は1957年にこのダムの構想がおこってちょうど半世紀。その間に、本当に僕が行った昭和59年は、監督は高校生。その頃はまだかなり徳山村には人が残っていらっしゃって。ただ、半分くらいは岐阜とか周辺の都市に移っていって、まだ未練があったりいろんないきさつで残っている人がかなりいましたよね。子供達も結構いて、ちょうど僕が行った時に学校が閉鎖されたりしたところだったんですよね。」
大西監督「それは門入の分校?」
渡辺さん「そう、最後は本郷の分校でしたよね」
大西監督「映画の中で沈んだところですね」
渡辺さん「僕がいって驚いたのは、文化の豊富さ。ご覧になってわかったと思いますが、食文化の豊富さ。本当にそこにあるものの素材がいいので食べられるんです。僕は増山さんの民宿に行くと特にそんなすばらしいものが出るわけではないんですけど、庭先でとってきたようなものを囲炉裏において焼くわけ。結構お肉とか好きでね。焼肉なんか焼くんですよね。焼肉パーティしたりして・・・」
「この映画観てびっくりしたのは、本当に水がひたひたと、あの最初の象徴的な画ですよね」
大西監督「あれは、下開田っていう徳山村の入り口の方で、ゲートが閉まって約1ヶ月くらいして下に降りて行ったら、ちょうど水が村道のところにきてて、水の中に入って撮影しようかなと、長靴と公団から借りたヘルメットかぶって中に入って撮ってたんですね。
そして10分くらいして帰ろうとして振り返ったら、自分の長靴とヘルメットが水没していたんですね。」
渡辺さん「つまり、ある意味怖いと思ったのは、ああいうのってめったにないですよね。日本中ダムになって沈んだ村、町っていっぱいあるんです。北海道に勤務していた時にある沈んでしまった村に取材にいって、そこでも不思議な体験したのは、85歳くらいのおばあさんに取材をしていて、一緒にボートにのっかって、漕いでいって、そしたらおばあちゃんが「あ!」って言うんですよ、「みんながいる」っていうんですよ。怖いですよ、底見て。そしたら下の方にはお墓とか見えるんですよ。それで、怖いのは取材終わって何日もたたないうちにそのおばあさん亡くなっちゃった。みんなが呼んだんだなあって。お葬式出たとき怖かったですよ。徳山なんかもあの画見てて怖いなって思ったのは、大西さん取材してまだ水の気配なんか全くなかったんだけど、ああやって水がだんだん来て、今は?(60%くらい)
さっきも早明浦ダムの話をしていたんですけど、あれは今年ほとんど0%になっていたのが、台風が来たおかげで100%になったんですけど。徳山の規模はでかいですよね」
大西監督「そうですね、諏訪湖と同じくらいですので。これから岐阜県に湖が1個新しい地図にぽっとできる」
渡辺さん「これは要するに主に名古屋を中心とした愛知県とか岐阜とか、必要とされたんだけども途中で必要じゃないってことがわかったんだけども、日本って言うのは変な国で、一旦計画が進むとやっていかなきゃならないっていうのがあって、色々反対運動があったんですけど、強行されてしまった。それによって人々はそこを追われるように出て行った。
当然こういう村で住んでいた方々だから、ここにいる時はとっても元気なんですよね。ところが町へ行くと本当に生気を失ってしまって、病気になって倒れてしまう。
増山さんなんかもずっと元気だったんだけど、元気がなくなって・・」
大西監督「元気さの度合いがぜんぜん違うというか。」
渡辺さん「じょさんもそうだったんですけど、本当にここにいる時にはわれわれなんかかなわないくらい。山坂なんか平気で登って言っちゃうし」
大西監督「80代の人についていくのが精一杯」
渡辺さん「僕ら30代の血気盛んな時だったんですけど、スピードが違いますよね。それで結構、「そこはきいつけえなあ、マムシがおるでなあ」って軽く言われるんだけど。それは大事にしているんですよね。そのマムシとは顔なじみだからあんたらかまないように言うとくから、っていうんですね。ははは。ほんと、みんな仙人のような人ばっかり。」
大西監督「2回くらい不思議なことを体験して。それはじょさんと何度も何度もわさび畑に行くんですけど、一度だけ本当に大変な思いをしていって、目の前のわさび畑に着こうかって頃に「帰ろうか」って帰らされたことが。その時に何も採らずに帰る。どうして帰るのか意味がわかんない。そうしたら何かがいるわけですね、周りに。クマかいのししかわからないけど何かがいるから、これ以上行くと今日はよくないから、って「兄ちゃん今日は帰ろうか」って言って、3時間くらい歩いてわざわざ歩いていったんですけど、何にもなく帰る」
渡辺さん「宮崎駿さんのあの世界ですよね。犯してはいけないところは、人間は絶対犯してはならない。自然をね。ところが国家的にああいうところを人間が完全に犯してしまったわけです。これによってどういうことが起こるのか、っていうことが逆に心配かなって。
そこでは人間も含めて鳥や獣や草花が生きていた、それを人間の力で変えちゃっていいのかっていうところがまた問われる。ただ、こうなってしまった以上は見つめていくしかない。一つ言いたいのは、映画ってすごいって思うのは、今回大西さんもそうなんですけど、僕も大西さんも神山征二郎監督の映画に触発されて番組を作ったり映画を作ったりして、この後深く関わることになった。絶対みなさんもこの映画をご覧になって、今後の生き方に何か影響があるんじゃないかと、そういう僕は、この映画ってそういう素敵な映画じゃないかと思いました。まだまだ言いたいことはいっぱいあるんですが時間が・・・(笑)」

      
 
トークショー 大西監督×渡辺俊雄さん
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8月19日のトークゲストは老齢心理学を専門になさっていて、上智大学の教授もしておられる黒川由紀子先生にお越しいただきました。監督と黒川先生の出会いは月刊誌「ソトコト」での対談でした。
※本文中に映画の内容が詳しく書かれています。まだご覧になっていない方はご了承の上、お読み下さい。
 
 
大西監督:今日はお忙しいところありがとうございます。「回想法」というのに、僕とても興味があって、黒川先生と雑誌「ソトコト」の誌面でお会いして、「回想法」という言葉はあまり知らなくて、このお年寄りたちと関わってゆく中で、別の仕事でこの「回想法」という言葉とぶつかって、ああ、自分の仕事もどこか触れている部分があるのかなあと思ってそれで先生のお仕事にとても興味を持ったんです。
黒川さん:ありがとうございます。今日はよろしくおねがい致します。臨床心理士っていう言葉も回想法っていう言葉もあまり一般的ではないと思いますのでご存知ない方の方が多いのではないかと思いますけれども、いわゆるカウンセラーと呼ばれていたり、場所によっては児童相談員というような名称だったりするんですけれども。わたしは仕事の中で、ずっと学生時代から高齢の方にいろいろなお話を伺ってきました。「回想法」というのは海苔とかワカメの“海藻”ではなくって、人生を回想する、ほうの「回想」なんです。年配の方で「生きててもしょうがない」とか「自分の人生っていったいなんだったんだろうか」と悩んでらっしゃるような方などの、人生の物語にじっと耳を傾けていると、その方達ひとりひとりがすごいドラマを背後に背負っていて、そういうのを聞く存在がいるっていうこと、受け入れる存在がいるっていうことによってずいぶん心のわだかまりが解けていったり、また「つまらない人生だった」と思っていたけれど、でもそれなりにがんばってきたんだなという風に思えて、少し元気になるとか、そういうことをしてきました。
大西監督:あの、映画の最後に出て来る徳田じょさんというおばあちゃんがですね、ちょっと痴呆というか…、になってしまって、結局この映画以後も、家の取り壊しのことは思い出さないんですね。人生の大イベントだったと、僕思うんですけれども、あの取り壊しって。たぶんじょさんの中で5本の指に入るくらいの出来事だったんじゃないかなと思うんですけれども、あれだけ、思い出さなくて、だけども、梨の木とか、梨の食べ方、灰のところにおいて焼いて食べたのがおいしかったんだという話とかをまた、無心に話して、あのときにまた徳山村の顔に戻るんですよね。あのとき、僕すごくびっくりしたんですけど…。
黒川さん:ちょっとぼけてて、っておっしゃいましたけど、医学的にそれを説明しようとすれば脳のどこの部位が障害されたの、梗塞がおこったの、萎縮したの、っていう話しになると思うんですけれども、また別の見方をすれば、まだじょさんの心の中にはあの村とあの家がしっかりと生きていて、事実として取り壊されているということがあったとしても、それはじょさんの中では認められないことであったり、あるいはしっかりと生き続けているものだから、あのようにいきいきとその時代に戻って、そのときに監督が、わたし今日3回目、あ、映画館で見るのは初めてなんですけれど、この映像自体は3回目で、最初は物語のすごさに圧倒されて、もう泣きそうになりながら見ていたんですが、2回目に見て、今日3回目で拝見すると、大西監督の受け答えのなさり方がすごくこう、カウンセラー的といいますか…
大西監督:そうですか?(笑)
黒川さん:余計なことおっしゃらないで、例えば「ああ、梨」ってただ繰り返してたり、「そうだねえ」っておっしゃったりしてますよね。
大西監督:全然、意識はないです。
黒川さん:意識はたぶんないと思うんですけれども、素晴らしいなと思ったんです、今日3回目に。あともうひとつ驚いたのは、ぼけてちょっと気の毒な状態にあるじょさんに対して、「指輪あげる」ってあれほど言われているのに、「いらない、いならい」ってはっきり言ってますよね。
大西監督:だってほんとにいらない…(笑)
黒川さん:(笑)すごいな、と思って。あれはかなりプロカウンセラーでもできない。すごい善意だって分かってるし、あのときに大西さんの名前を忘れていても、ものすごく自分にとって大切な存在だっていう記憶が、体の中に、どこかに残っているから、ああいう風におっしゃっているわけですもん。よく返されましたね(笑)
大西監督:意地で僕に渡そうとして…(笑)そういうのはあの場面に限らず過去にも多々あったんですけれども、お守りとかですね、ここに付けてた何かとかですね。僕がいつもオートバイで行くので、それで徳山村なんか、夜になるともう真っ暗ですよね。それで僕が単車でひとりで帰るときに、おばあちゃんずーっと手を合わせるんですね。時には夕方くらいでまだあたりが見えるくらいの時なんか、バックミラーを見ていると延々道が見えるんですね、それでじょさんがずーーーーっとこう手を合わせてる。まだ家の中入らへんのか、って言いながら。そういう気持ちっていうのはものすごく嬉しい反面、じょさんもほんとに僕が事故に遭わないだろうかということを本当にいつも言っていたから。あえていつも「今から行くから」って電話はしないんですね。もう外でじーーーっと待っているから。何も言わず突然行くことは多かったんですけれども。
黒川さん:あの、あと、家がまだあるやろ、って言ったときに、ぱっと否定しましたよね。
大西監督:そうですね。
黒川さん:本当にわたしは、そこがすごく心に残ったんですけど、なんとなくこう、明らかにそういったら悲しむであろうことを、ちゃんと言えるっていうところがすごいな、というふうにわたしは思いました。「あるかもしれない」とかね、例えば。ぼけているんだから、そういうふうに言ったところで、ごまかせるのではないかというのが普通の人の受け答えのような気がするんですけれど、その辺はいかがですか。
大西監督:いやー、でも…そういう医学的とかカウンセラー的な意識はもちろん全く無くて、実際じょさんもあの時は涙して見てたし、あれだけの事実だったので、やっぱり「ばあちゃん、しっかりしろよ」っていうふうにもう一声言いたいくらいで、「なに言ってんだ」って言ってそんときはもう、僕の方が悲しいくらいだったんですね。なんで思い出さないんだっていう。自分の名前を思い出さないくらいは、まあ、僕もよく「あの人誰だっけ?」っていうことがあるので、そういうのはいいんですけれど、それよりも、どうしていっしょにあそこで泣いたのに、なんで思い出さないんだ、ってくやしさは、ちょっとあったですね。だけどま、もう、こりゃだめだって思って、途中で、ほんと思い出さないなって思ったんですね。それを思い出せとは言わなかったんですけれど、あの時は。もう事実だけをもう一回ちゃんとそのときに言っただけなんですけれどね。
黒川さん:たぶんそれがすごく通じてるんですよね、じょさんには。なんかきれいごとをいいながら近寄ってくる人とか、ほんとはそう思ってないのについ言ってしまう言葉とかが、あふれてますよね。そういうなんかいやらしい言葉とか、なにか、狙った映像とか、そういうのが、…わたしは映画についてはすごいドシロウトで、分からないけどすごい狙ってたらゴメンナサイ(笑)
大西:いえいえ(笑)じょさんにナイス演技だと(笑)
黒川さん:(笑)なんかそれがすごく気持ちいい〜感じがしていましたね。
大西監督:そうですね、僕もあのシーンに関してはもうほんとに、去年の9月なんですね、あのシーン撮影したの。本当に最後の最後に撮影して。まったくそこまでは予想外だったんですね。何となく、親類の人たちに、最近もしかして大西さんの名前を忘れているかもしれないとは聞いていたんですけれども、あそこ、もう最初僕勝手に家に入っていきますよね?玄関じゃなくて裏の台所から入っていくんですけれど、明らかに不法侵入ですけどね(笑)あのときガッて開けたとき真っ暗な部屋にぽつんとこう、座っているじょさんが、ちょっとショックだったんですね。いつも、ガッて開けても、寝てるか、外で草むしりをしてるかのじょさんの姿しかなかったのが、あれだけ小さくなって、な〜んにもしなくて、真っ暗な部屋でじ〜っとしてたんですよね。とにかく、自分が悲しいということを出さないようにしようと思ったんですよね。ちょっとショックな風景で、いままでの徳山村のじょさんにはあり得なかった光景だったんですね。あ、もしかしたら、親類の、娘さん達の言ってること本当かもしれないって、あのときにふっと思ったんですけれど、とにかくもう、今まで通り、自分のスタイルを変えずに、いつものように行ったんですよね。
黒川さん:でもその数分の間に、もうみるみる表情が変わり、昔の村にいた時の、こう…あれは映像ならでは、伝えられることですよね。
大西監督:そうですね、やっぱり今まで本とかで書く、とか写真で撮れない、その辺が、今の大きなテーマとすればあの部分をなんとかしたいなと思ったときに、映像という、すごい情報量の豊かなものっていうのがすごく助かりましたね。写真でどうしても撮りきれなかったのが、その部分だったので、文章で補ったり、とかいうことはしていたんですけれども、この映像の強さっていうのは写真とは別なものだったなと今回やって感じましたね。
黒川さん:その後の暮らしという点で、何か映画後は、移られたあとの皆さんの暮らしというのは?
大西監督:そうですね、後半の部分は、買い物に行ったりだとか、あれは…、実はいまから僕、徳山村行くんですけれども、