日本楽器製造 100号型。大正15年(1925) Bechstein社の技師 シュレーゲル氏を招き 当時の日本のピアノ産業が 革新的に向上した。鍵盤数は 85key。日本楽器は 大正15年から 大きな労働争議があり、河合小市氏や 大橋播岩氏が 昭和初期に退社している。昭和3年に 退社した山葉直吉氏は 大橋播岩氏と共に n.yamaha を製造し、その品質の高さが シュレーゲル氏から賛辞を浴び、両氏は2年後に再び 日本楽器に迎え入れられる。
山梨に多く残っている 「根津ピアノ」 は昭和7年頃製造の楽器が多く、ちょうど 山葉直吉、大橋播岩 らが 日本楽器に復帰し シュレーゲルのもと製造し 「ベヒシュタイン」の影響が強く出てるモデルである。特に 鍵盤蓋の曲面は現在も生産を続けてる BECHSTEIN Concert 8 とそっくりなので 見た目にも確認可能である。個人的に 一番興味がある時代の楽器なので 当時の音色の探求も力が入る。材質の素晴らしさも 目を見張る。一枚板の外装材や 目の詰った響板材、現在では考えられない木材も 当時では当たり前の事だったと思う。
材質の優れた素晴らしい設計の楽器は 当時の技術者達の指向や強い念いを 現在に体現している。100年を経ても色褪せない しっかりしたコンセプトも このモデルには漲っている。根津嘉一朗の手で この地に 当時 一番多く納入され 更には 戦禍を くぐり抜け 今目の前にする事は 単なる偶然なのか。以前も1台発見し 現在 北杜市明野の個人が所有されている 「根津ピアノ」 も同じ YAMAHA 100号型である。詳細は 山日出版社の「山梨20世紀の群像」に詳しい。写真のピアノは 山梨放送ラジオ番組に使用した時のものである。