ネットカフェから頭部を運ぶ
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福島県会津若松市の母親殺害事件で、逮捕された高校3年の少年(17)が市内のインターネットカフェから携帯電話でタクシーを呼び、切断した母親の頭部を会津若松署まで運んでいたことが15日、関係者の話で分かった。県警は、母親殺害後の少年の足取りなどについて、さらに詳しく調べている。
調べによると、少年は15日午前1時半ごろ、同市内の自宅アパートで就寝中の母親(47)を殺害して頭部を切断。頭部を布製の黒いショルダーバッグ(縦30センチ、横45センチ)に入れ、午前7時ごろ、タクシーで同署に自首した。
タクシー会社などによると、少年の携帯電話から午前6時21分、市内のネットカフェに迎えに来るよう連絡が入った。ネットカフェには同4時55分ごろ入店。バッグを肩から掛け、黒の長袖シャツとズボン姿で、手に包帯を巻いており、同7時ごろまで1人で過ごしたという。
ネットカフェは自宅から1キロ強で、同署からは数百メートルの距離にある。
一方、母親の遺体は、アパート2階の南側和室で布団の上にうつぶせに横たえられ、掛け布団が掛けられていた。遺体の近くからは包丁のようなものが見つかった。
少年は調べに対し、「誰でもいいから殺そうと思った」と供述。動揺した様子はなく、淡々と調べに応じているという。
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この事件。とにかく腹が立つ。
誰に対してってワケじゃなくて、一言でいっちゃえば絶望だ。
自分の子どもを殺す親もいれば、子どもに殺される親もいる。
こういうニュースって、ゲンナリしてくる。
少年が過ごしたネットカフェから警察までの距離。数百メートル。
タクシーなんか乗ってんじゃねぇよ。
しかも、迎えに呼んだだと・・。
自首するなら、自分の足で歩けよ。バカ。
よく自分の親を殺せるもんだよ。しかも頭部切断だぜ・・。
親の愛が足りなかったんだろうか。
携帯電話にネットカフェって。
リアルさが感じられないんだよ。虚構に引き籠もって、現実の区別が付かないのか。
「死」を安直に考えるから、他人を殺すことに抵抗感がなんだろうな。いや、「死」というものを、そもそも考えた事がないんだろう。
自分もいつかは死ぬという事実への想像力や恐怖だとか、畏敬の念が、もともと無いんだろうな。きっと。
何かに絶望したり、人生に悩んだりしたら、「自殺したくなる」ってのは、まだ人間として共感できる(そして否定する事ができる)。
だけど、人生に絶望したから「誰でもいいから殺したい」という発想にはならない。どういう論理の飛躍があるんだろうか?
どうしても理解できない。
母親が、一所懸命コミュニケーションを図ろうとしても無駄だったろう。
「このやろう、ブッ殺してやる! ムキィー!!」って思う事は、1年に何回もありうる。そうした心の叫びは、いつまでも叫んだまま放りっぱなしになって、本当に実行なんかしやしない。
良識にこだまとなって跳ね返ってくる。ストレス解消になるだけだ。
そもそも、殺人は。
よっぽど恨みをもってて、憎い相手に限られるでしょ。
「殺す相手は誰でもいい・・・」
感情が欠落しているというレベルの話ではなくて、既に人間とは別の次元の生きものなんだろうな。
人間の形をした「何か」なんだろう。
そうした「何か」とコミュニケーションが成立するハズがない。人間の言語じゃどうにもならないだろうな。
ちょっと薄ら寒くなる。
「死」ってヤツは家族の都合などお構いなし。理不尽に、そして平等にやって来る。
とにかく誰にとっても、思うようにならないのが「死」。
人生ってサ、自分自身で選択して、成るようになる。なぁんて、普段の生活では思ってる。健康であれば、なおさら。
だけど「死」は、人生の根幹をギュッと握りしめていて、「次はお前かもョ」なんて笑いかけてくるから、自分が生きている事、誰かが生きている事がとてつもなく、愛おしくなる。
命の大切さを、誰かから教えてもらおうったって、駄目。キッカケなんていくらでもある。
春夏秋冬があるんだから。落ち葉からだって、感じる事があるかも知れない。
ホント、まさに自分の目で見ることからだと思う。
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