源氏物語に登場する古語の数々。
知っておくともっと物語がわかりやすくなるキーワードをピックアップしました。
〈宮 中〉
桐壷…きりつぼ 後宮の殿舎の一つ。庭に桐の木が植えられていたところから興呼ばれる。淑景舎とも呼ばれる。天皇が日常暮らす清涼殿からもっとも遠い。光源氏の母、桐壷の更衣がここに住んだ。夜は更衣が帝のもとに上がり、昼間は帝がこういうのもとを訪れたが、その際、他の多くの殿舎の前を通らなければならなかったので、ほかの妃たちの反感を買い、ねたまれる羽目になった。桐壷の更衣の死後は光源氏の宿直所になり、明石の女御もここに住んだ。
弘徽殿…こきでん 後宮の殿舎のひとつ。天皇が日常生活する清涼殿に近いところにあり、高い身分の后妃の殿舎になる。源氏物語中、ここに住んだのは悪名高い弘徽殿の大后のほか、朧月夜の君、頭中将の娘の弘徽殿の女御など。
承香殿…じょうきょうでん 後宮の殿舎の一つ。仁寿殿の北側にあり、中央を馬道が貫く。桐壷帝の后、髭黒の妹で朱雀帝の后となり、今上帝の母となった女性が住んだ。尚侍となった玉鬘もこの殿舎の東側に局を持った。
清涼殿…せいりょうでん 天皇が日常生活する建物。紫宸殿の北西に東面して建つ。様々な儀式もここで行われた。天皇は日中は「昼の御座(おまし)」で、政務を聞く。母屋の北側には寝室となる「夜の御殿(おとど)」と仏間があり、さらにその北には后の控えの間や常御殿になる「弘徽殿上御局」や「藤壺上御局」などがある。西側には天皇が朝食をとる「朝餉(あさがれい)の間」や調髪し、手を洗う「御手水の間」などもある。
藤壺…ふじつぼ 後宮の殿舎の一つ。別名飛香舎。天皇が日常生活を送る清涼殿に近いところにあり、高い身分の后妃の殿舎とされた。中庭に藤があったところから、藤壺と呼ばれる。藤壺の中宮のほか、朱雀帝の女御で女三宮の母、今上帝の女御などもここに住んだ。紫式部が仕えた中宮彰子は藤壺に住んでいた。また、ここでたびたび藤の花の宴が開かれたことが「栄華物語」などに記されている。
東宮…とうぐう 皇太子の呼称。春宮とも書く。
女御…にょうご 天皇の後宮に侍る女性の呼び名のひとつ。中国の後宮女性の呼称に由来する。大臣や摂政関白などくらいの高い家の娘から輩出され、中には皇后の位に就くものもあった。人数の多いときには、弘徽殿女御、堀川女御といったようにその居住する殿名や父の私邸の名を冠したり、あるいは斎宮に立ったことがあれば斎宮女御と呼んだりした。
更衣…こうい 天皇の後宮に侍る女性の呼び名のひとつ。もともとは、中国上代の後宮女性の呼び名を借りたもので、天皇の衣をかえることを司っていたが後には、帝の側室の呼称となった。位は女御の次。父の位は大納言以下。
御息所…みやすどころ・みやすんどころ 本来は、天皇の休息所に使える女官の意で、女御・更衣の別名と考えられている。一般には皇子を生んだ女性をさしていうと考えられているが、「栄華物語」などにはそうでない用例も見られる。
〈役職・官名〉
左大臣…さだいじん 正従二位相当。太政大臣に次ぐ位。政策や人事を決定するが、最終的には天皇の裁可を仰ぐ。
右大臣…うだいじん 左大臣に次ぐ位。二位相当。
伊予介…いよのすけ 国の次官。伊予の国の次官なのでこう呼ばれる。空蝉の夫の役職。
紀伊守…きのかみ 守は国内の政務を司る長官のこと。受領ともいった。紀伊の国の政務を司ったため、こう呼ぶ。空蝉の義理の息子が紀伊守になっていた。
左馬頭…ひだりのうまのかみ 左馬寮の長官。馬寮は御厩、諸国の牧場の馬を司る所。
藤式部丞…とうのしきぶのじょう 式部省の役人の名称。式部省は国家の礼儀、儀式、考課、選叙、禄賜などを司ったところ。この人は藤原氏なので、頭に「藤」が付く。
尚侍…ないしのかみ(「しょうじ」ともいう) 内侍司(ないしのつかさ)の長官。女性の官職中、もっとも高位にある。帝の寝所に侍ることも多くあった。
典侍…ないしのすけ(「てんじ」ともいう) 内侍司(ないしのつかさ)の次官。長官である尚侍が実質的に、帝の后となっていることが多いため、その事務も合わせ持っている場合が多かった。内侍司は常に天皇の近くに侍り、奏請・伝宣・陪膳、女官の管理、後宮の諸礼式などを司る部署。
大弐…だいに 太宰府の次官。従四位下に相当する。長官である帥(そち)が親王の場合、太宰府へは赴任しないので、大弐が実務を司ることが多かった。すなわち、太宰府の実力者。惟光の母「大弐の乳母」の夫が大弐だったため、こう呼ばれる。地位もあり、裕福だった人物の妻が光源氏の乳母になっているのは帝の配慮によると考えられる。
命婦…みょうぶ 後宮に仕える中級の女官や女房の総称。通常、上に父や夫の官名をつけて呼ぶ。靫負の—、大輔の—。
中将…(ちゅうじょう) 近衛府の次官。近衛府は、朝廷の儀式に参列して意義を示し、天皇行幸を警護する役目を果たした。後年には儀礼化した。頭中将は蔵人所の頭と兼任していることを表すが、将来有望で帝の覚えもめでたい貴公子が選ばれた。
兵部卿…ひょうぶきょう 兵部省の長官。親王が長官を務めるとき、こう呼ばれる。兵部省は軍政、特に武官の考課や訓練、兵馬、兵器など兵事一切を司った。「つわもののつかさ」とも呼ばれる。
〈通過儀礼〉
後朝…きぬぎぬ 男女が一夜をともにした翌朝。男は朝早いうちに女の家を出、かえるとすぐに手紙を送るのが決まりだった。これを怠るのは非常に礼儀に反していた。
所顕…ところあらわし 男女が結婚して3日後、女の親が催す披露の宴。結婚披露。男は女の家族と対面する。
入内…じゅだい 中宮・女御・更衣などが正式に内裏に入り、帝の後宮の一員となること。
乳母子…めのとご 乳母の子ども。乳母は養い君が生まれたとき、母乳がでる状態にあるのだから、養い君とほぼ同じ年齢の子どもがあることになる。その子どもを乳母子という。乳母は養い君を慈しみ育て、その夫も若君の後ろ盾となった。従って、権勢のある養い君の場合、乳母夫婦も羽振りがよくなったと考えられる。乳母子は養い君の影になり日なたになり、人にはいえない相談の相手にもなった。その例が惟光。女性への手引きや後始末、須磨行きのお供など、様々に活躍した。また、末摘花を源氏に紹介するのが、やはり乳母子の大輔命婦である。そのほか、藤壺の懐妊に気づいた乳母子の弁など、物語中、目立たぬながら乳母子が重要な役割をしていることに気づく。
野合…やごう 正式な手続きをふまえず、男女が結びつくこと。
垣間見…かいまみ ものの隙間からのぞき見ること。平安時代、貴人の女性はみだりに人前に姿を見せなかったため、男性はほとんど顔を見ることができなかった。そんな中、唯一の用紙を知る手段だったのが、垣間見である。「若紫」の巻で源氏が紫の上が走ってくる姿を見たとき、「野分」の巻で、夕霧が廂の間の端近くにでてきていた紫の上の姿を見たとき、「若菜 上」でネコにつけた紐が御簾を巻き上げ、女三宮が姿を柏木に見られたときなどが垣間見の瞬間である。
除目…じもく 諸司、諸国の官吏を任ずる儀式。公卿が清涼殿に集まり、約3日間、帝の前で会議を行う。春(1月11日から)の「県召の除目」では地方官を選び、秋(日程は不定)の「司召の除目」では京官を任ずる。
司召…つかさめし 京官(京都在住・勤務の官吏)を任命する儀式。秋に行われる。司召の除目ともいう。これに対し春、地方官を選ぶことを「県召の除目」という。
〈信仰・祭祀〉
加持祈祷…かじきとう 災いをのぞき、願いをかなえるため、仏の加護を祈ることを加持という。祈祷は神仏に祈ること。呪文も含め、すべての儀礼の要素中、言語の形をとるものを呼ぶ。当時、病気や出産の時には僧侶の読経や陰陽師の祓えなどの加持祈祷が行われた。霊験あらたかと評判の僧侶は非常に多忙だったといわれる。
芥子…けし 芥子の実の中に入っている小さな種子。護摩を焚く際に用いる。
護摩…ごま 段木、乳木などの護摩木を焚いて息災や病気平癒などを本尊に祈る密教の祭祀。
御禊…ごけい 罪や穢れがあるときや、神事を行う前に海や川の水で心身を浄めることを禊ぎという。天皇や斎宮、斎院が神事の前に賀茂川などで行った禊ぎを御禊と詠んだ。車争いがあったのは、この御禊の日。
斎院…さいいん 賀茂神社に仕える未婚の皇女または女王(内親王ではない皇族の女子)
斎宮…さいぐう 伊勢神宮に仕える未婚の皇女や王女(内親王ではない、皇族の女子)。占いによって決められ、決定すると3年間の潔斎に入り、その後伊勢に下った。
調伏…ちょうぶく 加持や祈祷を用いて、悪霊や物の怪を屈服させること。
方違え…かたたがえ 陰陽道の信仰の一つ。天一神(中神)は八方を巡り、悪い方角をふさいで守るとされた。つまり、この神のいる方角は方塞がり(かたふたがり)と呼ばれ、そちらへ行ってことを成すことを避けた。だから、恋人の家が方塞がりの方面にあれば、いけなかったということ。もし、そちら方面に用事があるときには前夜、別の方角の家に一泊し、方角を変えてから向かった。
物忌み…ものいみ よくないことや方塞がりがあったり、死人のケガレに触れたりしたとき、一定期間身を浄めて家にこもること。帝の物忌みには、臣下も籠もった。つまり、帚木の帝の物忌みの際には、源氏も身を慎んでいたということ。物忌みの印に柳の木の札や忍草に「物忌」と書き、冠や御簾にかけた。
〈遊戯・娯楽・歌舞〉
琴の琴…きんのこと 楽器の中でもっとも正当のものとされ、大きさは1メートル余りで、7弦。奈良時代に中国から伝来したが、奏法が複雑なため、一条天皇の時代には弾かれなくなった。中国では君子の楽器とされていた。
琵琶…びわ 琵琶の琴ともいう。西域に起源を持ち奈良朝以前に日本に伝来した。四弦四柱の楽琵琶と五弦五柱の盲僧琵琶がある。物語中に登場するのは楽琵琶。
試楽…しがく 雅楽などで、正式の行事と内容的に変わらない予行演習。リハーサル。
〈家具・調度・乗り物〉
御簾…みす 葦や竹を編んで垂らすようにしたすだれ。貴人の家の場合御をつけて「御簾」と呼ぶ。母屋と廂の間や廂と簀の子の間の間の柱間、妻戸口や牛車などに垂らした。内裏や貴人の邸では華紋をつけた絹で縁取ったりして飾った。通風・採光ができ、暗い室内から明るい室外は見え、四季を通じて使われた。
几帳…きちょう 移動可能な室内のパーテーション。木製の台に渡された横木に布を垂らしたカーテンのようなもの。高さは3尺あるいは4尺。布は帳(とばり)と呼ばれ、横を縫い合わされている。その際、中程の一部を縫い合わさず、開き目を作る。これが「几帳のほころび」と呼ばれるもので、のぞき見をするのに利用された。
出衣…いだしぎぬ 簾の下から女性の衣の端を出すこと。これによって、女性の趣味や教養のほどが知られる。車や行事に華やかな彩りを添えた。また、出衣をした車のことを出車という。屋内での出し衣は宮中での晴れの儀式があるときに限って行う。花宴の巻で右大臣家の宴での出し衣が批判的に描かれているのは、私宴なのに宮中の儀式をまね、必要以上に華美にしている点を非難しているため。
網代車…あじろぐるま 牛車の種類の一つ。館を竹かヒノキの薄皮を網代に組んだものではり、表面に菜食や文様を施した車。もっともよく用いられた。身分や年齢などによって大きさ、構え、色彩、文様などに制限があった。
半蔀車…はじとみのくるま 網代車の一種で、蔀のある小さな窓が付いている。上皇、親王、摂関、大臣、大将の他、高僧や女房が用いた。
榻…しじ 牛をはずした車を、止めておくとき、轅の前端を乗せておく台。身分によって素材が違っていた。
轅…ながえ 牛車を曳くための二本の棒
竜頭鷁首の船…りゅうとうげきしゅのふね 船首に竜の彫り物をつけた竜頭の船とよく空を呼び、水にも潜るという伝説上の鳥・鷁の首を舳先に刻んだ二隻一対の中国風の船。貴族の庭の池などに浮かべられ、船上で雅楽を演奏したりした。紫式部日記絵詞にもこの船が描かれている。
紙燭…しそく
松の木を45センチぐらい、直径1センチぐらいの細い棒状に削り、先端を炭火であぶって黒く焦がし、油をしみこませて点火するもの。下を紙で巻いたのでこう呼ばれる。
大殿油…おおとなぶら
宮殿や貴族の邸宅でともす灯火。室内に置いて用いられた燈台。ほとんどが高さ30センチほどの高燈台をさす。
〈生活全般・その他〉
黒貂…ふるき イタチ科の動物、黒貂(クロテン)の古語。末摘花は防寒用にその皮衣を着ているが、姫君のファッションには似つかわしくない。後に、姫君の兄、醍醐阿闍梨にとられてしまった。
亥の子餅…いのこもち 10月の亥の日につく餅。これを食べると万病が避けられるという。また、イノシシは子をたくさん産むことから子孫繁栄を祝うものともされた。
末摘花…すえつむはな ベニバナの別称。茎の末の花を摘み取って紅を作るため、こう呼ばれる。花の色は紅色または黄紅色。鼻から紅色の染料をとる。常陸宮の姫君が「末摘花」と呼ばれるのは、光源氏が詠んだ「なつかしき色ともなしに何かこの 末摘花を袖にふれけむ」という歌に由来する。
瘧病…わらわやみ 「おこり」ともいい、毎日あるいは隔日の一定時間に発熱する、周期的に熱が上下する病気。マラリアのような症状。「若紫」の巻では源氏がこれにかかり、北山の聖のもとに行って加持祈祷をしてもらっている。「賢木」では朧月夜の君がこれにかかり、里下がりする。そのとき、源氏との密会が暴露してしまった。
女童…めのわらわ 少女の召使いで、姫君などに仕える。取り次ぎや使いなど室外の役をする。成人してから、引き続き女房として仕える人もあった
紫色にもいろいろな種類があります。この背景色は「梅紫」。