受精と胎児の発生
しばらく前、「雄は要らない。雌だけでも子ができる」という話題が新聞を賑わせました。もとのデータは,Natureに出た河野らの論文ですが、2個の卵子を融合させることで精子と関係なく雌のマウス(ハツカネズミ)が生まれたというのです1)。 かぐや姫にちなんで“かぐや”と命名されました。しかも“かぐや”は成長して子を生んだというのです。「ウニの卵を刺激すると立派なウニになると聞いたことがある。別に珍しいことではないのでは?」 という声が聞こえそうですが、どうでしょうか。
卵子だけから個体が生まれれば単為生殖ですが(精子は細胞質が少ないので、単為生殖は不可能)、ウニはもちろんカエルでも可能です。しかしカエル止まりで、哺乳類ではこれまでできなかったのです。なぜでしょうか? ご承知のように、精子に由来するゲノム(ヒトでは23本の染色体を含む)と、卵子に由来するゲノム(同)が合体することで、受精卵ができます。受精卵も、受精卵が分裂増殖してできる細胞(我々の身体を作り上げている)も、それぞれ精子由来と卵子由来のゲノムを対で含んでいます。染色体数は両者の合計で46本です。
精子と卵子ではなく、精子(卵子)のゲノム同士が対になったらどうでしょうか。染色体数はヒトなら46で(マウスは40)、染色体を顕微鏡で見る限り正常な女性と同じ46,XXという組み合わせになります。精子からは、46,YYという組み合わせもできますが、YY個体は生存できません。Y染色体はXに比べ小型で遺伝子密度も低いため、含まれる遺伝子がごく少ないのです。そのためXが少なくとも1本ないと生存できません。
精子由来でXを含むゲノムが倍加した46,XXの個体はどうなるでしょう。ヒトでは胞状鬼胎という胎盤のできそこないのような構造になり、胎児はできません。卵子に精子が2つ侵入するなどで染色体数69になり、そのうちから卵子由来のゲノムが脱落すると、このような組み合わせができるのです。他方、卵子由来のゲノムが倍加すると、奇形腫になります。胎盤系の組織はできません。ご存じの卵巣奇形腫は精子のゲノムと無関係に発生したのですから、当然ながら正常な胎児ではなく奇形腫です。
要するに精子のゲノムと卵子のゲノムが合体して対になった場合に限り、正常な胎児と胎盤が揃うのです。 それならなぜ“かぐや”が生まれたのでしょう。まず精子のゲノムと卵子のゲノムの違いをみましょう。
ゲノムとその刷り込み
両ゲノムの違いの本態は、刷り込みのパターンです。刷り込みとは、ゲノムを構成するDNAの4種の塩基(AGCT)のうち、C(シトシン)がメチル化されて5メチルシトシンに変わることです。刷り込みを受けると、その部分の遺伝子は活動を休止しますが、卵子のゲノムと精子のゲノムは、全長にわたってそれぞれ特徴のあるパターンで刷り込みを受けているのです。
今回の研究では、まずマウスの新生児からえた未成熟な卵子にさまざまな処理を行い、卵子と異なる刷り込みのパターンを持つ卵子を作り出しました。具体的にはH19(ヒト遺伝子は立体、マウスは斜体で書きます)という遺伝子を19,000塩基対にわたって欠失させることで、結果的にゲノムの刷り込みのパターンを変えたのです。得られた卵子を成熟した正常な卵子と融合させ、卵子由来のゲノム2組(1組は無処理、1組はH19処理)からなる「受精卵もどき」を作りました。数百個も作ったのですが、子宮内に移植して生き延びたもののうち、28個体を出産直前の時期に取り出して調べたところ、10個体は生存、18個体は胎内で死亡していました。出産した2個体のうち1個体(かぐや)が無事に育ち、雄と交配したところ無事に子を産んだのです。
なお移植前の段階や,胎児期に死亡した個体,生まれた個体などについて、多数の遺伝子の発現(活動)状態を調べていますが、H19遺伝子を欠失させず未成熟な卵子をそのまま成熟卵子と融合させた場合には、すべての受精卵が死亡しました。そのような個体ではH19を欠失させた個体と比べて発現に差のある遺伝子が、たくさんに見つかりました。H19 はゲノム全体のメチル化(刷り込み)に影響を及ぼすコントロール役なのでしょう。
この研究によって、精子と卵子のゲノムの違いの本態は刷り込みの差であること、刷り込みを変えれば2個の卵子からでも、妊娠能力まで持つ正常な子が生まれることが証明されました。東京農大などの研究者による成果です。なおDNAの塩基配列など構造レベルの変化ではなく、メチル化などDNAの修飾を扱う分野をエピジェネティクスとよびます。ゲノム研究で塩基配列など構造レベルの開明が進んだので、これからはエピジェネティクスの重要性が高くなるでしょう。
1) Kono T et al.: Nature 428: 860-864, 2004.
その後の進展:
韓国の黄らが胎性の胚細胞から子を育てたと報告し,後で誤りとわかった件は有名ですが,2007年になって,実は卵子そのものから子ができていたことが分かりました。また上記の河野らの実験では成功率が0.5%など低かったのですが,最近になって30%にまで上がったということです。