創世記
 
 
第40号  神に従う   01/11/04
 
  サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、
  イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。
   「あの女を追い出してください。あの女の息子は、
    わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
  このことはアブラハムを非常に苦しめた。
  その子も自分の子であったからである。
 
  神はアブラハムに言われた。
   「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。
    すべてサラが言うことに聞き従いなさい。
    あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の
    息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
                 (創世記21章9〜13節)
 
 
アブラハムの苦しみは意外なところから突然おこってきた。
イサクが生まれ、もっとも幸いを味わう時に、うれしい時に
もっとも大切な人の口を通して、語られた言葉によって・・・
神のこころに触発されて語られたサラの言葉は深くこころに突き刺さる。
 
肉の情をもつ人間がこうした思い掛けない場面に出くわした時、いかに?
愛すればこそ、深く悩んだアブラハムに主さまが語る。
あなたの息子イシマエルを祝してあげようというお約束を信じた時、
アブラハムの心に平安が来たのであった。
肉の情を断ち切って、主さまに信頼する道が解決の道であった。
 
全く同じ事がここでも見える。
幼子イエスを主に献げるためにエルサレムの神殿に行った父と母。
あの義人シメオンの母マリヤへの言葉・・・
「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」
「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上らせたりするためにと
定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」
 
誰しも、子供の平凡な幸せな生活を夢みるが・・・
しかし、神によって賜った「使命」なるものが前途にある。
神のお声に聞き従う道は、決して容易ではなく、苦しみの道、
貴い戦いの道、主さまの前には嶮しい十字架の道があった。
 
それこそ、まことの神の栄光の道であって、
主のご初臨のご目的は贖罪の業の貫徹であったことを黙想する。
 
 
 
 
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