創世記
 
 
第161号  ユダの荒野    02/03/09       
 
    ヨセフその兄弟を見てこれを知りたれども知らざる者のごとくして
    荒々しく之にものいふ即ち彼等に汝等は何処より來れるやといへば
    彼等いふ糧食を買んためにカナンの地より來れりと
    ヨセフはその兄弟をしりたれども彼等はヨセフをしらざりき
    ヨセフその昔(さき)に彼等の事を夢(ゆめみ)たる夢を憶(おもひ)いだし
    彼等にいひけるは汝等は間者にして此の国の隙を窺んとて來れるなり
              (創世記 42章7〜9節)
 
 
はたしてヨセフことザフナテパネアは何を願っていたのであろうか。
17歳の時に10人の兄達に妬まれイシマエル人に奴隷として売られてエジプトに、
そこでパロの侍衛の長ポテパルに買われ、その近侍(そばづかへ)となる。
その後、ポテパルの妻の悪行により、逆恨みを受けて、無実の罪で獄に入れられ、
獄中の日々を過ごす不本意な青年期であつた。
 
神の御手をもてパロ王の前に立ったその時は30歳であったというから、
7年の豊年の終った時は37歳、凶作の年を迎えて1〜2年過ぎた39歳の時に、
こうして10人の兄達が自分の面前に平伏している、この姿を見る。
まさに神の聖手の御業なる、かつての『夢』の出来事であった。
実にあの恐ろしい「父との別離」の悲しみの日から数えて22年という長い歳月が
流れていた。
 
今やかつての弱いヨセフではなく、言葉に業に力のあるエジプトの大宰相
ザフナテパネアとなっている自分を知る時、神の厳かさを感じるヨセフであった。
「義なる神」の霊の導きを受けて、兄達に求めるのは「眞の悔改め」であった。
昔も今も10人の兄たちの代表はユダであったが、彼こそこのヨセフをイシマエル人に
自分を銀20枚で売り渡した張本人であったのだ。
 
このユダが常にスポークスマンとして皆の意見を代表していたのだが、
はからずもユダの口から出た「末の弟ベニヤミン」の一言がヨセフの武器となり、
末の弟ベニヤミンを次回は必ず連れて来なければ、穀物を売らないという事と、
残忍な性格のシメオンを縛り、かつての兄たちの罪を思い出させるという挙に出た。
また『飴と鞭』を巧みに使って、再度兄達を自分の前に来させるヨセフの智慧には
神のもっておられる叡智を思わしめるのである。
 
帰国の後しばらくして「穀物を食つくせし時」がやってきた。
その間には事態が何一つ進展・解決していないことが読み取れる。
年老いたヤコブが遂にベニヤミンをエジプトに遣わさねばならぬ時となり
 
    若しわれ子に別るべくあらば別れん
              (創世記 43章14節)
              
とまで決心をした。然しまさか、この非常な苦しみをもたらせているエジプトの
彼人(かのひと)が、自分の最愛のヨセフであるとは露しらずに・・・である。
この場面を幾度読んでも読んでも、息を飲むほどの緊張感が伝わってくる。
 
そして、クライマックスは何といっても最後のところ、
ベニヤミンをヨセフが奴隷にとると言い、ユダが切々と父ヤコブの心を表白する場面、
そして遂にユダが「全き悔改め」の言葉を口にした時であった。
 
    されば請ふ僕(しもべ)をして童子(わらべ)にかはりをりて
    主の奴隷とならしめ童子をしてその兄弟とともに帰りのぼらしめたまへ
              (創世記 44章33節)
              
自分が「身代わり」に主の奴隷となります、と言った時である。
そのことば、ユダの悔改めの言葉がヨセフの耳の届いたその時に、
 
    ヨセフ聲をあげて泣けり
              (創世記 45章2節)
              
至高者なる神が人類の犯した重き罪と神の前に高ぶった傲慢なこころに対して、
神のおそるべき叡智が発動され、人類を熾烈な苦しみへと追い込んでいるのを感じる。
神を尊ばない不遜なこころ、その態度はいよいよ鮮明となり、
罪に罪を重ねて、いよいよ混迷を深める世相。
 
生活の土台である家庭が破壊せられ、国々の経済が破たんする。
自然界の調和は崩れゆき、人々の健康が冒され、精神が軽薄になる。
神を知る知識に乏しく、愛は実に冷ややか。
実に恐るべき「飢饉」の到来である。
 
    主エホバ言たまふ
    視よ日至らんとす
    その時我飢饉を此の国におくらん
    是はパンに乏しきに非ず、水に渇くに非ず
    エホバの言を聴くことの飢饉なり
    彼らは海より海とさまよひ歩き
    北より東と奔(はせ)まはりてエホバの言を求めん
    然れど之を得ざるべし
    その日には美しき処女も少き男もともに
    渇きのために絶いらん
              (アモス書 8章11〜13節)
              
「飢饉」を通してかつて少年時代に見せられたヨセフの『夢』が実現したのと同様に、
主イエス・キリストを通して語られた神の『預言』はことごとく実現するのである。
 
    彼また我に言ふ
     『これらの言は信ずべきなり、眞なり、
      預言者たちの霊魂の神たる主は、
      速かに起るべき事をその僕どもに示さんとて
      御使を遣し給へるなり。
      視よ、われ速かに到らん、
      この書の預言の言を守る者は幸福(さいはひ)なり』
              (ヨハネ黙示録 22章6〜7節)
 
 
 
 
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