創世記
 
 
第281号  ご慈愛   02/07/31
 
    イサクはネゲブ地方に住んでいた。
    そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。
    夕方暗くなるころ、野原を散策していた。
    目を上げて眺めると、らくだがやってくるのが見えた。
    リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。
               (創世記 24章62〜64節)
 
 
ここに二人の出会い、その決定的な瞬間がある。
イサクとリベカの視線が交わっている。
 
いかにしてアブラハムの息子イサクに花嫁リベカが備えられたのでしょうか。
昨日の「リベカ物語」に思いを馳せている。
キリストが花嫁なる教会の完成を待っておられるというところから、
イサクをキリストの型とみて、リベカは教会とみるのはどうでしょうか。
そこに美しい花嫁なる教会がエリエゼルという僕(聖霊)に導かれてやってきた。
 
   「月の砂漠をはるばると、旅のらくだが行きました。
    金と銀との鞍おいて、ふたつ並んでゆきました。
    ・・・
    さきの鞍には王子さま、あとの鞍にはおひめさま。
    乗ったふたりはお揃いの、白い上着をきてました。
    
    砂丘をこえてゆきました。
    黙ってこえてゆきました。」
               (加藤まさお作詞「月の砂漠」より)
 
時は夕暮れであった。らくだの一群が静かにイサクの側まできて止まった。
その中に妙齢の婦人の姿が見えた。
僕エリエゼルがイサクにこの旅路の報告をして、いかに神が導き給うたかを語る。
リベカは「この方があなたのご主人さまイサクさまです」と聞いて、
さっそくリベカはベールを取り出してかぶった。
そこは広大な見渡すかぎりのネゲブ砂漠・・・実にロマンチックである。
 
リベカにしてみれば、降って沸いたような話。
ゆっくりと家族に別れを告げる暇もなく、
このアブラハムの僕エリエゼルに導かれて旅を続けてきた。
らくだの背に乗ってもうどれだけの道のりを旅してきたことでしょう。
体についているこの「鼻輪・腕輪」は自分の来るべき結婚を約束しているもの。
自分のご主人となるべき人、その名はイサクさま。
でも、今までに一度もお目にかかったこともないお方である。
でもそのお方は自分にとってごくみじかな「親族」だと聞いた。
イサクさまは自分の祖父ナホルの兄弟アブラハムの息子さまである。
 
一方、イサクはしばらく前までベエル・ラハイ・ロイにいた。
そこは神の「ご慈愛」を覚える土地柄であった。
かつて自分の母サラの女奴隷であったハガルがアブラハムの子をみごもり、
女主人サラが彼女につらく当たったので、
彼女はこの荒れ野の泉のほとりまで逃げてきた。
その時、神の御使いに出会い、今後いかにすべきかをやさしく諭されて、
励まして頂いたというところである。
 
    女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。
    わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。
               (創世記 16章9〜10節)
 
ここはベエル・ラハイ・ロイ(我を見る活る者の井)
 
    神がわたしを顧みられた後もなお、
    わたしはここで見続けていたではないか
               (創世記 16章13節)
               
悲しみの中にも、主なる神さまのやさしい御目が注がれている。
我らをも、いまもジッと見ていて下さるその「ご慈愛」・・・。
その後、ハガルはアブラハムの子イシマエルを産んだ。。
 
こうした記念の場所にイサクは導かれ、神の「ご慈愛」に目覚めてゆく。
花嫁リベカを迎えたのは、実にこうした神認識のあとのことであった。
 
 
 
 
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