ヨシュアよりルツまで
 
第287号  謙遜の道   02/08/08
 
    エフライムの人々はギデオンに、
    「あなたはミディアンとの戦いに行くとき、
    わたしたちを呼ばなかったが、それはどういうことか」
    と言って、激しく彼を責めた。
               (士師記 8章1節)
 
                And the men of Ephraim said unto him,
                Why hast thou served us thus,
                that thou calledst us not,
                when thou wentest to fight with the Midianites?
                And they did chide with him sharply.
                                                              ( JUDGES 8:1 )
 
 
「神の選び」の世界のむつかしさ。
ギデオン本人でさえ、きっと幾度か不可解を感じた事だろう。
神のご指導に従うそのことの難しさを・・・。
大変な勢力のミデアンとその連合軍が迫っている現実の中で、
ようやく震えながらも集まった32,000人の民を目にしたとき、
ギデオンはまさか、という指示を神から受けた。
 
    恐れおののいている者は皆帰り、
    ギレアドの山を去れ
               (士師記 7章3節)
 
その理由はこうである。
 
    あなたの率いる民は多すぎるので、
    ミデアン人をその手に渡すわけにはいかない。
    渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、
    自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。
               (士師記 7章2節)
 
たしかにそれは言える。
人間は本来こういう傲慢さを心に抱いて生きているものだ。
そこに肉のもつ本性が現れて、うまく行けば「おのれを誇り」
うまくゆかねば「おのれを義」として弁解する。
神の世界にあっては、まずもって初めからこれを洞察して「神の道」を選ぶ。
やりたいほうだいやってから、事後処理というのではない。
 
    わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。
    神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、
    御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者と
    なさったではありませんか。
               (ヤコブの手紙 2章5節)
 
貧しいということは肉に頼るものがなくて、
こころもとない感じが付きまとうが、神の目から見ると、
かえってそのことが「神の栄光」のあらわれには最良であり、
多く神に用いられ、信仰をいよいよ増してゆくのである。
 
ギデオンは22,000人という人々がゾロゾロと戦場を離れ
帰ってゆくのを見ながら、かえって神に期待する信仰が増して行った。
残ったのは、実に頼もしい勇敢な戦士たち10,000人。
「これでよし、戦うぞ」とギデオンはその心が勇んだであろうが
そのとき再び、神の御声を聞くのであった。
 
    民はまだ多すぎる。
                (士師記 7章4節)
 
何ということだろう。ギデオンの心がその深いところで動揺したではないだろうか。
しかし、信仰の世界が常識的な考えをあくまでも排除してゆく世界であることを、
彼はいままで多く経験していたので、
よし、とことん神のご指導のままに進もうという気持ちになった。
そして「神の選び」が尋常なものでないことを知った。
 
    彼らを連れて水辺に下れ。
    そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。
    あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、
    あなたと共に行くべきでないと告げる者は行かせてはならない。
               (士師記 7章4節)
 
神が戦いに行くべき器を選び、そしてギデオンにゆだね給うた神の行為。
そこに天国の設計者の姿を見る思いがするのはわたしだけではないであろう。
神のみ業には一部の狂いも許されないという、驚くべき世界なのだ。
肉をもつわれらはときに情慾に流され、人のことばに動揺する点が多々あり、
だからこそ御霊のご指導に服する「謙虚さ」がとても要求される。
 
こうして、ギデオンと共に行きなさいと神から選ばれた人々がここに300人。
この人々がギデオンと心を一つにして行動することで、
実に驚くべき「大勝利」を獲得したのであった。
 
ギデオンは勝利した時に「神のお心」がわかったし、さらに選びにもれた人々の
心もわからせて頂いた。信仰の光が当たるならば、神のみ業を見て共に喜ぶこと
ができるがその光がなければ、共に喜ぶことは難しいことである。
用いられたギデオンはいよいよ神を畏れ、己を低くして「謙遜の道」を進む。
 
    ギデオンは答えた。
     「あなたたちと比べて、わたしが特に何をしたというのか。
     エフライムに残ったぶどうは、アビエゼルが取ったぶどうよりも
     良かったではないか。・・・」
               (士師記 8章2節)
 
実に、驚くべき謙りのことば・・・。
これによって「彼らの憤(いきどう)りは和らいだ」のであった。
 
 
 
 
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