お証し
第61号  トコちゃん   01/11/26
 
    他の者によりては救いを得ることなし
    天の下には我らの頼りて救はるべき他の名を
    人に賜ひし事なければなり
              (使徒行伝 4章12節)
 
トコちゃん
トコちゃんのおかあさんがすぐにそれとわかって
トコちゃんを「お手洗い」にだっこして行った
僕は先程から緊張しながら、そして
不安を覚えながら
その場に座り込んでいた
 
昭和26年(1951年)秋のこと
鞆の浦のはずれ『平二丁目』の僕の住む教会に
ある夕方、このトコちゃんを連れた池永さん夫婦がやってきて
父と話し込んでいた
この子は生まれた時から体に異常があり
ずっとあちこちの病院にも診せたが
『脳性小児マヒ』という病名をつけられ
今までよいと言われることはいろいろやってみたがダメ
こうして体だけは大きくなってきたが
手足もぶらぶら、首もすわらず・・・
人づてに聞いた、平にあるイエスさまの教会のこと
わらにも縋る様な気持ちで今日は連れてきた、という
 
僕はとても驚いた
こんなにひどい状態の子供をまじかに見た事はなかったし・・・
なんと、父はこういっている
人には出来なくても、真の神様には出来ない事はありません
聖書をあちこちパラパラと開けて、かつて主イエスさまが
なしてくださった癒しの業の場面を読んで聞かせている
とても心配になって来た
それはそうだけど・・・でも・・・
 
池永さん夫婦はその言葉に飛びついて、縋る様な態度になっている
父の口からは平然と『主イエスさまにお縋りしましょう、祈りましょう』
『聖霊を受けましょう』とのお勧めが続く
そうこうしてから、ハレルヤ、ハレルヤと、お祈りがはじまった
どの位の時間が経過したか、さだかではないが・・・
父も母も教会の信者さんもがいつも祈っているように
『異言』の祈りがこのふたりの口を衝いて出てきた
聖霊は助け主ということだ、
なんだか主イエスさまがなにかよいことをして下さる
といった気持ちになってきた
『信仰』というのはこういう世界なのかとも思った
 
父はまたパラパラと聖書を捲って
『聖霊を頂きましたよ、よかったですね・・・トシコちゃんの為に
これから、いつもこの聖霊のお祈りをなさるといいですよ』
池永さん夫妻も頷いて、しっかりとお頼りするという構えだ
ではと、海岸の防波堤のむこうの浜辺に出かけて『洗礼式』・・・
帰ってきて、さきほどから母がお茶を出したので
みんな、講壇の前に座り、それを飲んだところだった
 
トコちゃんがなにか合図したのであろう
すぐにそれとわかって、おかあさんは
トコちゃんをお手洗いにだっこして行った
しばらくして、ビックリするような声があちらから聞こえた
みな、騒然となって腰を浮かせた
おかあさんが『トコちゃんが治った』といいながら
興奮してトコちゃんを抱いて戻ってきた
 
僕はジッと見た、何にも治ってない
でもトコちゃんのおかあさんが息をはずませて
『この子の足の指に力が入ったのが感じられたのよ・・・』
いつも抱いている母親である、すこしの微妙な変化も察知できるのか
不思議なやりとりが続いて・・・
その夜は讃美歌を歌い、感謝の祈りを捧げてから
その池永さんの家族は帰っていった
 
それでも、半信半疑の僕であったが、毎日池永さんのおくさんが
トコちゃんを連れてやってきては、
今日は頭がしっかりと座ってきたとか
手の指にも力が入ってきたとか
喜びに顔をほころばせるので、なるほど、そういえばそうかナー
こうした日々が続いて、一ヶ月ほど経ったころには
誰にでもわかるように
見違えるようなトコちゃんになっていたのである
 
  十字架の功(いさお) 讃めたてまつる
  血汐のちから いともたえなる
  ハレルヤ ハレルヤ 癒されたり
  ハレルヤ ハレルヤ 癒されたり
            (霊讃歌147番「神癒の聖歌」1番)
               
ハレルヤ、感謝いたします
栄光は永遠に主イエス・キリストさまにあれ!
 
 
 
 
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