第148号 カルメル山 02/02/24
エリヤはカルメルの頂上に上って行った。
エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。
「上って来て、海の方をよく見なさい」と彼は従者に言った。
従者は上って来て、よく見てから、「何もありません」と答えた。
エリヤは、「もう一度」と命じ、それを七度繰り返した。
七度目に、従者は言った
「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます。」
・・・・
そうするうちに、空は厚い雲に覆われて暗くなり、風も出てきて、
激しい雨になった。
(列王記上 18章42節〜45節)
And Elijah went up to the top of Carmel;
and he cast himself down upon the earth,
and put his face between his knees,
And said to his servant, Go up now, look toward the sea.
And he went up, and looked, and said, There is nothing.
And he said, Go again seven times.
And it came to pass at the seventh time, that he said,
Behold, there ariseth a little cloud out of the sea, like a man's hand.
. . . . .
And it came to pass in the mean while,
that the heaven was black with clouds and wind,
and there was a great rain.
( 1 KINGS 18:42〜45 )
「人の手のごとき微(すこし)の雲起る」
主イエスさまの前に祈り求めていた問題が、まだ依然として大きくのしかかっている
にもかかわらず、僅かながらではあるが変化が見られた「微(すこし)の雲」・・・
その時に「主は成し給えり」と信仰をもって立ちあがる。
『得たりと信ぜよ、然らば得べし』と・・・
火の如きエリヤの霊、先駆者であるバプテスマのヨハネを思う。
視よ、これぞ世の罪を除く神の羔羊(こひつじ)。
(ヨハネ伝 1章29節)
ここで、主イエスさまの出現に先立つかのヨハネに関する預言を開いてみよう。
視よエホバの大いなる畏るべき日の來るまへに、
われ預言者エリヤを汝らにつかはさん。
かれ父の心にその子女(こども)を慈(おも)はせ、
子女の心にその父をおもはしめん。
是は我が來りて詛(のろひ)をもて、
地を撃つことなからんためなり。
(マラキ書 4章5節)
・・・
『カルメル山』 MOUNT CARMEL
カルメル山はシャロン平原からハイファまで全長24km 、最高部は海抜546mの山脈。
「カルメル」とは "神のブドウ園" の意。この山は地中海に面した岬であり雨の少ない
イスラエル国内でも、比較的雨量の多いことから「降水の門」と呼ばれる。
聖書では、カルメル山はシャロンの野と同じ様に、麗しさの象徴として描かれている。
高く起こした頭はカルメルの山。
長い紫の髪、王はその房のとりこになった。
(雅歌 7章6節)
カルメル山はもともとフェニキア領で
紀元前10世紀のダビデ王の征服によりイスラエルの領土となった。
しかしその後、ソロモン王の時代に神殿建設のためツロから輸入した香柏の代わりと
してこの一帯をフェニキアに返す。
そしてアハブ王の時代になるとこの地は再びイスラエルの領土になった。
この変遷を見てもわかるように、地理上カルメル山はフェニキアとイスラエルの国境に
あった。ここはバアルの聖所があり、またヤハウェの聖所もあった。これがやがて
バアルの預言者とエリヤの戦いの引き金となる。アハブ王はフェニキアからイゼベル
という王妃を迎えたが、彼女がバアルの宗教を持ち込み、イスラエルの民に強制した。
預言者エリヤが450人のバアルの預言者を相手に火をもって応える神を拝せよと
迫った場所(列王記上 18章40節)は、伝統的にディテール・エル・ムフラカの高台
(海抜482m)とされている。
ここにはエリヤの石像が立っている。
エリヤはこの戦いの後、エズレルの宮殿まで約25kmの道程を走って行ったという。
主の御手がエリヤに臨んだので、エリヤは裾(すそ)をからげて
イズレエルの境までアハブの先を走って行った。
(列王記上 18章46節)
彼がバアルの預言者たちを殺したキション川は、この高台の真下に見える。
(『イスラエル・ガイド』(ミルトス)の115頁より転載)