ソロモン以後
 
第333号  苦難の中     02/10/30
 
    主の名を口にすまい
    もうその名によって語るまい、と思っても
    主の言葉は、わたしの心の中
      骨の中に閉じ込められて
    火のように燃え上がります。
    押さえつけておこうとして
      わたしは疲れ果てました。
    わたしの負けです。
               (エレミヤ書 20章9節)
 
                Then I said, I will not make mention of him,
                nor speak any more in his name.
                But his word was in mine heart
                as a burning fire shut up in my bones,
                and I was weary with forbearing,
                and I could not stay.
               ( Jeremiah 20:9 )
 
 
選ばれた人、エレミヤさん。
彼は聖書の登場人物の中で、最も「苦難の中」に置かれた予言者でありました。
人々が喜んで迎える、そうした言葉を語るのは易い事・・・。
でもその反対のことを語らねばならぬとしたら困難を覚えるのは人として当然だ。
 
後すざりしようとする彼を、捉えて離し給わなかった主なる神さま。
「天のエルサレム」の石垣のひとつひとつが積み上げられて遂に完成を迎える為
にはこの要石はここに・・・と、しっかりと据えられねばならない。
「使命」といえば聞こえはいいが、どうしてもやらねばならぬことがある。
まず自分の持場・立場を離れないこと。
 
そこに身をおいてみよう。不思議な恵みと平安がくる。
自然に流れるものが感じられて、やっぱりここだ。やっぱりこれだ、と自覚する。
力を抜いてお任せしてゆくと、思いもかけない楽しみと喜びの世界が広がる。
「霊の世界は神に従うところにある」と実感するようになる。
 
他人にはほとんど理解してはもらえない、ある意味で「孤独」な世界ではある。
主イエスさまが御存じであり、唯ひとりの指導者であるという確信がくるのだ。
少し長くなるが、「エレミヤ書」のあらすじを推知する為に、新共同訳聖書に
書き込まれた小さな「表題」を箇条書きにしてみたい。
これに目を通しながら、エレミヤさんの歩んだ「苦難の道」を黙想してみよう。
 
    エレミヤの召命
    イスラエルの罪
    悔い改めの呼びかけ
    北からの敵
    エルサレムの堕落
    エルサレムの攻城
    神殿での預言
    民の背信
    敵の攻撃
    ユダの堕落
    偶像とまことの神
    破られた契約
    エレミヤの訴え
    主の嗣業
    麻の帯とぶどう酒のかめ
    王と太后
    罪の深さ
    干ばつの災い
    エレミヤの苦しみと神の支え
    預言者の孤独
    新しい出エジプト
    ユダの罪と罰
    主に信頼する人
    人間の心を知り尽くす神
    エレミヤの嘆き
    安息日の順守
    陶工の手中にある粘土
    エレミヤに対する計略
    砕かれた壷
    命の道と死の道
    ユダの王に対する言葉
    ユダの回復
    預言者に対する言葉
    良いいちじくと悪いいちじく
    神の僕ネブカドレツァル
    神殿におけるエレミヤの説教
    預言者ウリヤの死
    軛の預言
    ハナンヤとの対決
    エレミヤの手紙
    シェマヤに対する審判
    回復の約束
    ヤコブの災いと救い
    エレミヤの拘留
    アナトトの畑を買う
    エレミヤの祈り
    エルサレムの復興
    ゼデキヤ王への警告
    奴隷の解放
    レカブ人の忠義
    預言の巻物
    エレミヤの逮捕
    水溜めに投げ込まれる
    ゼデキヤ王との最後の会見
    エルサレムの陥落
    エベド・メレクへの約束
    エレミヤの釈放
    ゲダルヤの働き
    ゲダルヤの暗殺
    エジプト行きに対する警告
    エジプトへの逃亡
    エジプトにおける預言
    バルクへの言葉
    諸国民に対する預言
    バビロン滅亡の巻物
    エルサレムの陥落と捕囚
    ヨアキン王の名誉回復
 
毎日、聖書を読みながら思うのである。
「わたしの幸せ」は長年にわたってよき監督先生を戴き、主イエスさま
のみを見上げるようにとのご指導を賜わったことにあった。
 
    全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣伝へよ。
               (マルコ伝 16章15節)
               
かつて第三世界といわれる国々の僻地を歩いた時のこと、
格別に上からの平安を与えられていたことを思い出している。
「一人の魂の救い」を求めて歩いたあの日々がとてもなつかしい。
 
    ブラジル
    アルゼンチン
    ペルー
    パラグアイ
    チリ
    メキシコ
    韓国
    台湾
    シンガポール
    インドネシア
    フィリピン
    マレーシア
    タイ
    ベトナム
    カンボジア
    バングラディシュ
    インド
    イスラエル
    エジプト
    ケニヤ
    ナイジェリア
    タンザニア
    ザンビア
    マラウイ
    南アフリカ
    モザンビーク
 
とても意外なことに「墨絵の世界」に豊かな色彩と生命の躍動をみる
ことがある。エレミヤ書を開くと、ほとんど憂いを帯びた破滅の世界を
読み進むが、突然に出現する輝きをもった言葉に出会して
「これはいったい何なのだ」と反問せざるを得ないことがある。
例えばここ、エレミヤ書 32章41節
 
    われ悦びて彼らに恩(めぐみ)を施し心を尽し精神をつくして
    誠に彼らを此の地に植(うゝ)べし
 
この「われ」が厳しい裁きをなされた主なる神さまだと気付く時に、
驚きが走る。神さまが「心を尽し精神をつくして植えて下さる」という
その言葉、その態度・・・み心を燃やして、人類救済の大事業を遂行
しようとして下さる主イエスさまのそのご熱心が伝わってくる。
ことにエレミヤの「哀歌」になると、その特徴が顕著になって、
苦しみの中にこそ精神の高邁さが現れるのだなーーーとさえ思うので
ある。
 
    主は、決して
      あなたをいつまでも捨て置かれはしない。
    主の慈しみは深く
    懲らしめても、また憐れんでくださる。
    人の子らを苦しめ悩ますことがあっても
    それが御心なのではない。
               (哀歌 3章31〜33節)
 
 
 
 
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