ソロモン以後
 
第74号  ヨブ記    01/12/09
 
    われ汝の事を耳にて聞きゐたりしが 
    今は目をもて汝を見たてまつる
    是をもて我みづから恨み 塵灰の中にて悔ゆ
               (ヨブ記 42章5〜6節)
 
                I have heard of thee by the hearing of the ear:
                but now mine eye seeth thee.
                Wherefore I abhor myself, and repent in dust and ashes.
                                                            ( JOB 42:5〜6 )
 
 
ヨブ記は難解の書といわれているが
因果を越えた人生問題を考えさせられる
どうすれば因果という強敵に勝利できるかを思索する
これは常に挑戦される問題だが、神体験を通じて
人の魂は謙り、そして神を知る知識にすすむのである
 
この秋10月21日、ケニヤはムランガでの結婚式
娘がその日のことを、思い出しながら涙して話してくれた
まず自分たちの意志を越えた大きな意志があった
この月のはじめから魂に迫る不可解な力が苦しみをもたらしていたが
それとはまったく違う光、その暖かさ、その輝きにすっきりと、素直に、
当日は「ああ、神の祝福がくだっている」と、実感させて下さった
晴々としたその「幸せの光」が天から降ってきた 
「ああ、ハレルヤ!」 ふと神のみ心を感じた、
アフリカに向かう格別な仁慈しみと憐れみを・・・
その為に背負うべき十字架が人の側にあるのだと気が付く
 
    耐え忍ぶもの 勝利を得  
    主に近ずかば 栄えうけん
    恵みは永久(とわ)に 添いきたりて  
    汝がすえずえの 幸い見ん
               (霊讃歌 第109番「ヨブを見よ」3節)
 
一部始終を聞く内に、わたしは思うのであった
ヨブのうけた試練のこと、そして彼の忍耐のことを・・・
 
    試みの時ヨブを見よ  
    力おとさず 主を仰ぎ
    主与えたまい 主取り給うと  
    心の中(うち)に 讃美せり
               (霊讃歌 第109番「ヨブを見よ」1節)
 
神とサタンとの天にある闘いの焦点となっていたヨブ
それとは知らなかったヨブと彼の友人達
人間は実に弱い存在だ
 
神の御霊に導かれて進んでいる道は、み光を蒙り憂いも不安もないが
いったん、ある理性の言葉が風の様に通り過ぎると、たちまち事態は激変する
憶測がまた次の憶測を生み、隠れた世界が嵐となって吹きすさび
説明のつかない、言葉にならない苦しみが当事者の心と魂に迫る
因果の法則は昔も今もじつに強く人を支配しており
理性の下、審判はいとも容易に人の口に乗る
 
人々の態度は自然を振る舞いながらも
わたしは君の親友だといいながら、慰める者として
近づき笑顔をつくるが、実際は何の解決にもならない
むしろ、すべてが暗い闇の中に落ち込んでいる
ゲッセマネの主イエスさまのように
「この時を過ぎ去らせてください」と祈る涙の時、試練の時がある
 
     独りの御子の 十字架の死  
     血汐の痛み 知るを得じ
     許しの道を 開きませるは  
     罪人たりし 我がためなり
               (霊讃歌 第109番「ヨブを見よ」4節)
 
誰にも理解してもらえない、闇があたりを覆う・・・その時
ヨブの忍耐ということを考える 
 
ヨブは自分の義を主張した
そうせざるを得なかった
なぜなら因果で迫る人々が目の前にいるのだ
だからといって彼が自分の正しさを武器にしていたときは、
更なる言葉の鉄槌に打たれて苦しむばかり、どこにも逃れ場がない
長い苦闘が続いた
多くの言葉が行き交った
遂に、大風の中より神はヨブに聖声をかけつゝ近づき給うた
 
    無智の言詞(ことば)をもて道を暗からしむる此の者は誰ぞや
               (ヨブ記 38章2節)
 
彼は神ご自身に出会い、目をもてつらつら神を拝した時に
ヨブは塵灰の中に悔いることが出来た・・・ 
そうだ!塵灰の中に悔いる、そこにこそ貴い救いがあったのである
主は彼をそうした貴い謙りに導きたもうのであった
そこは霊の高嶺であり、神の本質である謙虚さの世界であった
 
    謙遜(へりくだり)は尊貴(とうとき)に先だつ
               (箴言 15章33節)
 
 
 
 
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