1998/7/27(月)
AM 1:50 関空発 バンコクへ
AM 5:00 トランジットルームにて 稔先生・礼子先生と合流
AM 11:25 バンコク発 バングラディシュの首都ダッカへ
約2時間のフライト
PM 0:30 ダッカ着
荷物受取りの場所で、ナハールさんという女性がいきなり礼子先生に声をかけてきた。端から見ていた私もビックリしたのは、彼女の日本語がとても上手だったからだ。ナハ−ルさんはバングラディシュ人のご主人と一人息子のゆうき君と三人で12年間も東京で暮らしているという。ゆうき君は日本で生まれ育ち今5才だが、日本語しか話せず、日本食しか食べないそうだ。やはりバングラディシュの教育も与えるべきなので、この度仕方なくご主人と離れ、ゆうき君と二人でダッカの自宅へ戻るところだった。
しばらく話をした後 また後日会いましょうという事になりナハールさんは自宅の住所を手渡してくれた。これは後で聞いたことだが、ナハ−ルさんは二年前日本で二番目の子供を身ごもったが、流産して母体も大変危険な状態だった時、病院で大量の輸血をしてもらい、そのうえにとてもよく世話をしてもらったそうだ。そういうことから、日本で受けた親切を忘れず、もしバングラディシュで日本人を見かけたら、何かしてあげたいと思っていたと言う。
空港出口にてナハールさんとゆうき君と会う約束をして別れ この度私たちをバングラディシュに招待してくれた男性アマレッシュを探した。今年の四月バンコクで出会い、聖霊を受けていた兄弟だ。その時、私たちは彼の中に何かキラリと光るものを感じて、是非バングラディシュに伝道に来て下さいと言われたとき、とてもうれしくて仕方がなかった。六月下旬にアマレッシュからのFAXが入り、七月中に来て頂きたい。返事を待っています。と書かれてあったので 早速スケジュールを組み 返事をFAXしておいたのだ。
大勢の出迎え客の中にアマレッシュ兄の姿を探したりして、しばらく待っていたが彼は現れなかった。そんな時カーンという男性が、うちのホテルに泊まりませんかと声をかけてきた。それが彼の仕事なのであろう。とても一生懸命だが、私たちの頭の中にはアマレッシュ兄のことしかなかったので、相手にしなかった。しかしあまりにもしつこいので、仕方なく彼についてゆくことになったのだ。最初私は肩すかしをくらった様な気分だったが、タクシーで移動中、これはきっとイエス様がすごい事を計画しておられるにちがいないという確信がきた。
PM 2:30 ホテル着
部屋で休憩していると、ホテルの従業員たちが次々と入り込んできて話すうちに皆聖霊を受ける。彼ら5人のうち1人はクリスチャン、他の方々はイスラム教徒だった。この国は9割近くがイスラム教徒だというが、日本でもそうであるように、親から受け継いだ宗教をただ何となく守っているという人も少なくないようだ。とはいえ彼らが何のためらいもなく手を合わせてハレルヤと言うのにはちょっとした驚きだった。彼らに洗礼を勧めると快くOKした。今日は暑さと疲れとであまり動く元気がないため、思いがけず部屋の中で伝道させてくださり感謝だった。稔先生は洗礼のできそうな水場を探しに行ったままなかなか帰ってこない。
大体今は雨期だがバングラディシュでは6月頃から異常に大量の雨が降り大洪水の被害がでているというニュースを予め聞いていた。確かに上空からダッカ市内を見下ろした時、あちこちが浸水していて普通ではない光景だった。
PM 8:30
洗礼ができるいい場所がみつかったと言って稔先生が帰ってきた。ここに着いてまもなく部屋で受霊したクリスチャンだという青年に伴われて水場を探した後、ボートに乗って彼が行っているプロテスタントの教会に導かれたそうだ。バングラディシュにあってたくさんの問題を抱えている牧師さんや信者方がとても素直に受霊したという話を聞き大変感謝である。
バングラディシュに着くなり多くの方々がよろこんで私たちを歓迎して下さり、何の妨げもなく次々と水と霊の福音が語られている。初めてのバングラディシュ、とてもいい印象を受けてしまった。出会う人々が何故か皆フレンドリーで親切だ。イエス様が良い方々に会わせて下さっているのだろう。
1998/7/28(火)
AM 6:00
今日は朝早くからシャガールという支配人と洗礼の約束をしていたのでフロントに電話すると、ホテルのオーナーであるブルという男性が、シャガールは今、家に帰っていると言いに部屋までわざわざやって来た。オーナーとは初対面だったのであいさつをしてすぐ福音を語ると、彼もまた驚くほど素直に受霊。この時を逃がすなとばかりに、ブルとカーンとアリの洗礼のために、急いで着替えを用意してリキシャという輪たく三台に分乗し、昨日探してきた水場へ向かった。十分程走るとひっそりした川辺に着いた。まず。アリがショートパンツに着替えて受洗。さあ次はと振り返ると着替えて待っているはずのブルとカーンがいない。どこにもいないので仕方なくホテルへ戻ると、彼らはすでにパンツ姿のまま逃げ帰っていた。あの汚い水には絶対に入りたくないと言うのだ。ちょっと見た目には大丈夫だろうと思ったが、今回の大洪水で街中の汚水や工場からの排水が集まって大きな流れになっているので彼らはとても嫌がった。
ダッカから少し離れた郊外にきれいな川の流れがあると聞いて行くことにした。7、8人乗りのレンタカーを借りてブル・カーン・アリと私たち三名と運転手、計7名で出発。一時間程走ると小さな村に着き、近くの船着き場から小舟に乗って、人気のない川辺にちょうど洗礼にふさわしい場所を見つけた。そこで無事にブルとカーンが受洗した後、川辺に沿って戻る途中たくさんの人々が群がっているところに小舟をつけた。見ているとどうやら一人の男性が貧しい村の人々に食べ物を配っているところだった。洪水のために家に住めなくなったり、畑を失ったりしてお腹をすかせているらしかった。稔先生はカーン兄に少しのお金を渡して彼らに何か食べる物を買って配ってあげるように言った。その間村の人々は小舟に乗った私たちを何者だろうというような目つきで見下ろしていた。
その中で一人感じのいい女性がニコニコしているので手招きすると近づいてきてハレルヤハレルヤと聖霊を受けた。さっきの水場へ行こうと思って、舟に乗りなさいと指で示すと、何の意味もわからないはずなのに素直に乗ってきた。彼女の小さな息子、娘も、そして他に102才のおばあちゃんなど七名の方々が私たちの小舟にギリギリ一杯乗り込んだ。そのおばあちゃんは天涯孤独で誰も頼るべき人がいないと言って涙を流していた。イエス様、どうかこのあわれな人々を救ってあげて下さいと必死で祈らされた。あの情景はまるでノアの方舟だったなあと思う。本当に心の底から救いを求めた人々に神様は近づいて下さったのだ。
ブル兄は自分が救われた後、最初は渋々ながらも通訳や記録をして私たちを手助けしてくれ、しだいにこの福音を語るようになった。ホテルのオーナーである彼は35才という若さにもかかわらず、なかなかのやり手らしい。
小さなホテルだがとてもとても居心地のよい家庭的な雰囲気があり、たった三泊のステイで我が家のように気に入ってしまった。最初私たちは知らなかったが、ダッカ市内の中心部は非常に危険な地域らしいが、このホテルがある場所は安全で静かな地区だった。私たちはバングラディシュについて全く何の知識も持たずにやって来た。知らない方が安心だし、知らなくてもイエス様が一緒にいて下さるから大安心なのだ。
ガイドであるカーン兄やアリ兄、その他たくさんの若い青年たちを雇いボスと慕われているブル兄にはジョニーという弟がいた。驚いたことに彼は12年間東京に住んでおり、日本人である奥さんと一緒にイタリヤ料理のお店を開いているそうだ。その彼がちょうど今ダッカに遊びに帰って来ていて、私たち日本人がホテルにいることをブル兄から聞いたのであろう。よろこんで私たちのために手造りの料理を振る舞って下さった。彼の日本語はさすがにペラペラで日本人より日本人らしい気がした。食事を頂きながら、私たちイエス之御霊教会が委ねられた使命とイエス様が十字架によって開いて下さった救いの道は水と霊である事を語った。ジョニーは聖霊を受けた後、洗礼を受けるかどうか迷っていたが、兄であるブル兄が強く勧めたので心を開いたようだった。
PM 9:50
早速、シェラトンホテルの屋内プールで受洗。あと10分で閉まるところだった。ジョニー兄はとてもよろこんだ表情をして、日本に戻ったら荻窪の教会に行ってみたいと言った。
1998/7/29(水)
AM 7:30 朝食
カーン兄とアリ兄はバングラデゥシュとダッカ市内のマップを買って来ては 次はここへ行きましょうとか、ここはクリスチャンの地域だと言って非常に意気込んでいる。今日は昨日とは逆方向のキリスト教会のある村へ行くことになった。やはり車で一時間程走り、小舟に乗り換えて洪水で増水した川を進んでゆく。世界中に著しく影響を与えているエル・ニーニョ現象によって海面が上昇し、その上大量の雨がふり続いた。ダッカだけでなくバングラディシュ全域が水浸しで、毎日少しずつ増水しており車では行けない地域もたくさんあるため、そんな時、小舟やボートが不可欠なのだ。カーン兄が広い川を指して、ここは川のようですが、実はライスフィールド(田圃)ですと言う。この川底には稲が植えられているというので私たちはビックリした。洪水のせいでこんな川になってしまったのかと思ったがそうではない。毎年雨期になると4〜5mの深さまでなるが、水が引くシーズンになると背丈の高い米を収穫できるというのだ。けれども問題なのは、今年のように7mもの水深になると米はもう全滅だという。食べて生きてゆくのがやっとの貧しいバングラディシュの人々にとって米がどれだけ貴重なものであるか、私たちの想像も及ばない大変な事態だ。
小舟が着いた場所は、大きなカトリックの教会がある小さな村だった。教会を訪れ神父さんにあいさつをした後、聖霊待望をすると彼はとても真剣に祈り聖霊を受けた。村に戻るとたくさんの人々が集まって来た。そこでやはり自然に聖霊待望が始まり、一人の30代の男性がとてもよろこんで是非洗礼を受けたいという。近くの彼の家に招かれると奥さんの父親が病気で寝ていたため神癒祈祷がなされた。家の目の前が洪水のせいでちょうど洗礼式にふさわしい水場ができていた。まずその男性、そして子供たち、近所の青年たち、そしてなんとさっきまで寝ていた奥さんの父親が抱えて連れてこられ、次々8名の方々が水と霊にあずかる。帰るとき、私たちに向かって一生懸命手を振って Come again (また来て下さい)と叫んでいた彼らの美しい笑顔が忘れられない。行く先々で聖霊待望がなされ人々は皆とても素直でその魂はあたかも準備されていたかのようだった。
PM 6:00 夕食
夕食後、ダイニングルームを出てロビーを通りかかった時、私たちはあまりの驚きとよろこびで金切り声をあげてしまった。なんということか、そこにアマレッシュが立っていたのだ。アマレッシュの住むチタゴンという街はダッカから車で五時間かかる。おそらくこの洪水で彼はダッカに来たくても来れないのだろうとひそかに私たちはあきらめていたのだ。今年の四月カンボジアに行く直前にバンコクで出会い、彼は目を輝かせて、この水と霊の福音を私の国バングラディシュに持って来てくださいと言った。彼の強い願いをイエス様が聞いて下さったからこそ、この度バングラディシュの地を踏む事ができたのだ。やはり私たちはアマレッシュに会えてうれしかった。こちらに着いてすぐ稔先生が送ったFAXを受取ってビックリし、すぐバスに乗ってかけつけてきてくれた。私たちが出発前に日本から流したFAXは何故か届いていなかったのだ。彼は私たちがすでにダッカに来ている事を知って驚いたようだった。
途中経過はどうあれ、今回のこのスレ違いは全てイエス様のご計画だった。私たちの思いをはるかに超えてさらに素晴らしい事をして下さった。このホテルに導かれたことにより、オーナーはじめ従業員たちが救われ、伝道の良き助けとなって下さり、私たちは何の心配もなく、何の危険を感じることなく平安のうちに大変楽しく初めてのバングラディシュを味わう事ができた。そして、最後の最後の、とっておきのお楽しみはアマレッシュに会えた事だった。イエス様のなさる事はいつもタイミングが良い。夕食の後、PM 7:00 にナハールさんがホテルに来る予定で、その時ナハールさんと支配人のシャガールの洗礼を考えていた。そこにアマレッシュが加わり、ナハールさんは息子のゆうき君と義妹を連れて来て部屋で聖霊待望。気がつけば、狭い部屋の中は10人もの人でワイワイと賑わっている。二日前に出会ったばかりの人たちなのに、ここにこうしてひとつになっている。とても不思議だ。
ナハールさんはここで洗礼は受けられないという。聞くと、バングラディシュの女性は人前で水に入ってはいけないという習慣があるらしい。後で大変な責めを負うことになるから、それは絶対にできないと言うのだ。確かに今日行った村で、サリーに身を包んだ女性に洗礼を勧めた時、とんでもないという感じで立ち去ってしまった。この国の事情を知らない私たちには驚きだが、国独自のルールと女性に対する特別の決めごとが暗黙のうちに存在するようだ。
PM 8:30
シェラトンホテルのプールで、アマレッシュとシャガールが受洗。その様子を見ていたナハールさんとゆうき君にイエス様が必ず良い機会を与えて下さるからいつもハレルヤでお祈りしていなさいと話した。
アマレッシュ兄は洗礼を受けて大変よろこびに満ちて、部屋に帰って休もうとしている私たちをつかまえて離さなかった。稔先生は英語の聖書を開いてイエス様は唯一の神である事、救いは水と霊、そしてイエス之御霊教会に示された真理を語った。アマレッシュ兄は一度も視線をそらさず真剣な目をして聞き入っていた。そして次回は是非自分の住むチタゴンへ来て下さい。美しい海辺の街です。たくさんの人々がこの救いを求めています。先生方が来られる前に準備しておきますと言う彼のものすごい勢いにこちらは圧倒されてしまった。次回のバングラディシュ伝道につながる足場をイエス様がこんな形でつくって下さるとは思いもしなかったことだ。私たちは明日日本に帰るというのに早くも心はチタゴンに飛んでしまっている。
1998/7/30(木)
AM 7:30 朝食
朝食後、私たちは空港まで車で向かうはずが、カーン兄の話では、今日は国中がストライキで全てがストップしているという。リキシャならばOKなのだが、あのスピードでは空港まで二時間はかかりそうだ。私たちはこの三日間で非常に恵まれていたので、どうなっても大丈夫とイエス様にお任せした。
AM 9:00
一体どこから手配してきたのか、カーン兄が笑顔で車は用意しましたと言う。とにかく私たちは感謝しつつ皆さんに別れを言ってホテルを出発した。空港までなんと20分足らずで着くことができた。何故なら、ふだんは混雑したあの渋滞の列が今日はないと言うべきか、とにかく道路の上を一台も車が走っていないのだ。ただ一台の救急車がサイレンを鳴らしながら私たちの前を猛スピードで走ってゆく。するとそれきたとばかりにドライバーは後を追いかけて走り、あっという間に空港に到着。入口のゲートには人垣ができていて、私たちはまるで王様のように?迎え入れられた。
ふり返ってみて、本当に何がきっかけとなって人の救いにつながるかわからないものだ。さらに国を救うことができるのはイエス様だけであるし、イエス様がご愛とあわれみをあらわして下さるならば、この国の人々の涙も取り去られるだろう。バングラディシュにとって一番大変なこの時にイエス様の福音をもちゆく事が許されとても感謝だ。ベトナムやカンボジアがそうであった様に、これか
らこの国は神の祝福によって著しく成長するだろうと確信した。
PM 2:00 ダッカ発
PM 4:00 バンコク着 トランジットルームで休憩
AM 0:00 バンコク発 関空へ
私たちは安いチケットなのでもちろんエコノミー席は当たり前なのだが、稔先生がカウンターでチェック・インする際、最後部席しか空いていなくてガックリしながらも、感謝して受くる時、善からざるものひとつもなしという御言葉が胸に来て、ニッコリして受け取ったそうだ。しかしいよいよ飛行機に乗るとビジネスクラスに案内された。エコノミーの最後部席は喫煙者のためのスペースを空ける事にしたらしいのだ。このように私たちはゆったりとくつろいで最高のサービスを受けて帰ってくる事ができた。イエス様と共に進む道は楽しく、しかもこれ以上ない程に最高の道だ。
”いまだ往かざる道を安らかに過ぎゆけり”
イエス様がバングラディシュにもっておられる御計画が緩みなくおし進められます様に。主イエス様の御名を心一杯崇めて。 ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!