第7回 南アフリカ伝道の記録
 
 
 
 
 2003/08/29 (金曜日)
 
 思い込みというものがある。それがとんでもない間違いであったのに、結果としては
別に不都合はなかったというケースがある。目隠しをして綱渡りをして、あとでゾ−と
するという工合だ。昨夜の松山観光港発の船は21時55分発であった。
自分はまだ1時間近くも早めに乗り込むのだと「思い込んで」いた。
 
 いよいよタラップに足を踏み入れ、今にも出港するというアナウンスを耳にしてゾ−
とした。祝福の中を歩ませて頂いているという大きな恵みを心から感じとってハレルヤ
と主を崇めた。大きな荷物を運ばねばならない。 階段を上がりながら、福岡空港まで
の道のりを思っていた。ここでも主よ!と心の中で叫ぶ。このお荷物をお預かりしま
しょうか?船のスタッフがニコニコとして、指差してくれた。驚きであった。寝台で
ゆっくりと身を横たえながら、次は小倉の港からの道のりを考えている。タクシーで
少しの区間でも乗って行きたいものだ。気持ちよく目覚めて、軽くサンドイッチと
コーヒーをとる。 女性スタッフに空港ゆきのリムジンバスのことを尋ねると、待って
ましたとばかりファイルされた大きな地図を示して、バス乗り場を教えてくれた。
それに加えて空港ゆきのバスの時刻表までも見せるのである。預かってもらった荷物を
受け取ると、何と男性スタッフが言う。タクシーが来ているか調べてみますから、少し
待っていて下さい。暫くして、大丈夫・・・来ています、というと重たい荷物を苦も
なく運んでくれた。長いそして細い階段であったが、わたしは楽々とおりることが出来
た。 下にはタクシーが待っていて、これもニコニコとして荷物を受け取った。
ハレルヤ、ハレルヤ・・と運転手さんにも言ってもらいながら、私たちは楽々と高速
バス乗り場まできた。
 
 空は晴れていた。バスのおなかにこの大きな荷物を入れてもらい、快適なバスの
シートから北九州の町並みを眺めながら空港に向かった。
 
 
2003/08/30 (土曜日)
 
 詳しくその顛末を書くのは恥しいから割愛するが・・・
思い掛けない「うっかり」で、香港の高級ホテルで丸一日を過ごす事となった。 
結果的にはとてもよい休息がわたしたち二人には与えられたということで、感謝して
受けたらよいことだ。よくもこれだけ寝られるものだというほどに、ずっと寝たので
ある。真夜中の出発の飛行機の中でも、二人は心地よく寝て、十二時間という長い
フライトも一向に苦にならず、楽々とヨハネスブルグに到着した。
 
 
2003/08/31 (日曜日)
 
 早朝の空は青く、空気はひんやりとして心地よいヨハネスブルグ空港であった。
AVISのレンタカーでは今回、VWの赤のミニバスを選んだ。走り始めてからふと、朝
のうちにサムエル兄を訪ねることにした。懐かしい彼の住まいには妻のマルタさんが
いた。彼はすでに働きに出ているとのこと。夕方5時30分には帰っているはずと
いう。共に御霊によってお祈りをして別れた。すると御霊はこれからサムエルの母の
ところに行くようにと導かれたので、そちらに車を走らせた。そこには彼の母はおら
ず隣りの人SOLOMASが出てきたので共に祈ると彼もかつて受霊していたのであろう
・・・異言ですぐに祈る事が出来た。更には妹のマ−ガレット姉も出てきたので、更に
われらは嬉しくなり再び祈るのであった。隣人の彼が聖霊を受けていたので、早速
「聖書通りの洗礼」を勧めると、すでにこの四月「水と霊」にあずかっていたマ−ガ
レット姉と夫のHENDRICKの二人が共に勧めてくれた。「じゃー」と決心して洗礼の
用意をしていた時にそのマ−ガレット姉は写真のファイルを私に見せながら、この可愛
いい六歳の息子NICKYが先月(03/07/25)プールで溺れて死んだという。とても驚い
た。それでは「身代り洗礼」を受けてあげなさいと勧めると、父親のHENDRICが受け
るといった。その時、わたしはソロモンという名を思い出したので、口にしてみると
その彼本人が農園の彼方からやってきたので驚いてしまった。わたしは彼をよく覚えて
いたし、きっと彼はすでに洗礼を受けていた人と思い込んでいたので「よかったら一緒
に行って立ち会ってほしい」と言った。そうして我々はいつもの水辺にゆき次々と洗礼
をしたのである。最後にソロモンが自分を指さし「自分も受けたい」と言ったので、
驚いて聞くと彼はまだ受けていなかったのであった。 そして、すでに亡くなっていた
父親と兄のためにも洗礼を受けて喜んだ。時は10時を少し回っていた。彼らとは
9/13 に再会を約束して別れたが「御霊でいつも祈ること」の大切さを話した。実に
御霊なる主イエスさまはわれらのヘルパーであるから・・・。
 
  ホテルに入る前にスーパーに寄ってさしあたっての食料などをそろえて買い込んだ。そこにはつつましい一般庶民の台所むけの値段がついていた。はじめての南アフリカを車で回る礼子先生にはすべてが興味深いようである。
 
  風は確かに冷たいが太陽はもう初夏の輝きをもっている。 ホテルのボーイであるサムソンが部屋で受霊した。何でも主よ!と祈って前進である。トランクを開いたり、これからの旅行の諸準備をしてから二人共に横になるとたちまちにしてもう熟睡してしまった。夕方5時半の約束はとても守れないまでに寝込んでしまった。それでも目がさめてみると力が回復していたのでサムエル兄のところに出かけた。こちらの空には三ヵ月、あちらの空には赤い火星の輝きが不思議な時を告げていた。鍵がかかっていた。祈る・・・。すると以前に受霊しただけの青年たちの顔が出てきた。隣りの人である。部屋に招かれた。三人の顔には見覚えがある。聖書を開いて救いのことを話すと急に顔が輝き出した。待っていましたという手ごたえがある。
 
  この人の名はJAMES SHIBUREという。しばらく話していた時にサムエル兄の顔が現れた。「御霊の人」という雰囲気がさらに深まっている。霊も肉も天の祝福を受けている
ようだ。彼が「この真の福音を来年にはあのウイリアム兄と共にこの国の全域に伝える
のだ」と言い出したのには驚いた。外には先生に見てもらいたいものがあるという。
自動車であった。これは一週間前に自分のものになった車だという。「これで伝道する
のだ」とは何という神のお導きか!空にかかる大きな輝きの下で、我らは車に手を置い
て祈った。主よ!あなたの御心がなりますように!どうぞ祝福を与えたまえ! それ
からわれらは夕食をとりに行く。そこはサムエル兄の仕事場の近くの「マグドナルド」
であった。しっかりとごちそうしようと私は思っていたのだが、彼らはつつましく
ポテトチップスを選んでいたのにはとても感じた。神を畏れる霊が彼らを包んでいる・
・・。話が弾んで聖書を開けたくなったので車にとりに行くが何処にも見当たらない。
 
  みんなもビックリした。 あの英語の聖書がどこにいったのか・・・! 先ほどの部屋に置き忘れたのかと、探しにかえる。でも見当たらない。再びあの店「マグドナルド」
のトイレか・・?でもそこにもない。そして思い出した。車の祝福をお祈りしたその
ときに車の上に置き忘れたのを・・・。サムエル兄が電話をした。そうだ!車を運転
している青年からの返事で、黒い聖書入りの袋を預かっているという。間もなく再び
この愛用の袋が戻ってきた。みんなで祈ったその祈りが、こうしてたちまちに答えら
れてわれらは平安のうちに別れを告げる事が出来た。ホテルに帰る道も幸せが心に
一杯になった。
 
 あすはダーバンに向かって走ることになる。
 
 
2003/09/01 (月曜日)
 
  早朝、7時30分にホテルを出発して高速道 N3 にてダーバンに向かう。ヨハネス
ブルグの手前のジャンクションからは極端に車の数が少なくなり順調に走った。 
それでもPMBの手前で大きな事故があり、火災もあって渋滞に巻き込まれた。
予定よりも30分ほど遅れて夕刻5時にはダーバンに着いた。
 
  インドの香りのする町並みを抜けて、われらのホテルはホリデーイン・SOUTH BEACH の2112号だ。  東に向かう窓からは「南インド洋」が果てしなく広がっている。波風が強い。間もなくウイリアム兄がやってきたので、レストランで楽しい夕食を共にした。初めて会った礼子先生曰く「サムエル兄に似た可愛いい霊魂(たましい)ね・・!」彼は今年26才でわたしたちの霊の子どもだ。霊も肉も祝福されているようで、輝いている。嬉しそうに新型の携帯電話を見せた。その番号は0734047252である。 あすは9時に彼はホテルにきて、共に行動を開始することになった。
 
  強い風の音、そして打ち寄せる大波の音が21階の海に向かうこの部屋に打ちつけて
いる。
 
 
03/09/02 (火曜日)
 
  穏やかな朝がやってきた。波は静かになっていた。正面から茜色の太陽が静かに雲を
裂いて輝きはじめた。軽く朝食を部屋ですませて、約束の9時少し前にエレベーターに
のると、一人のビジネスマンと一緒になった。すこし挨拶を交わしたがおりてロビーの
ソファーに腰を下ろすと、その彼が斜前の席に座った。最初はわたしたちが日本人で
あることに興味を覚えたという程度であったらしいが、キリストの福音を語ると俄然、
真顔になって耳をそばだて、そして彼は求めて聖霊をうけたのである。この人はケープ
タウンの貿易商で、東洋の諸国から衣類を買い付けてこのアフリカに売り込んでいると
いうことであった。名前は VUSUMUZI NYUMALO といい、33才の働き盛りである。
 
  御霊こそわれらの助けぬし(HELPER) であると語ると、笑顔になった。彼が去っていった後、精悍な青年が人を待っている様子だ。こちらから声をかけてこの斜前の
ソファーを指さすと、素直にやってきた。  単刀直入に福音を語ると、ハレルヤ、ハレ
ルヤといい間もなく受霊した。23才のダビデくんだ。彼はヨハネスブルグからきて
いた。ちょうどその時にウイリアム兄ヨセフ兄たちがやってきた。見覚えのあるコンゴ
青年ふたりと一緒である。  このふたりともにニャルグス・キャンプで「水と霊」を受けたのだそうだ。
 
  WILLIAM  MZALIWA
  JOSEPH  LWANGI
  ASEDE  FATAKI
  MANGALA  KASINDI
 
  このダビデくんにウイリアム兄を紹介してあげると、喜んで語り合っていた。間も
なく携帯が入り、手を振って別れた。そうしている内に、親愛なるヨセフ・ヤエ兄が
ニコニコしてやってきた。彼も言葉たくみな福音の同労者である。そうしてわれらは
車で町にくり出した。そこはいつも彼らが伝道している賑やかな町の中心地であった。
 
  われら二人はベンチに腰掛けていた。彼らは方々へと散ってゆく。物乞いが近づき、
旅まわりの吟遊詩人が弾き語りしながら行き来する。さらには拡声器を肩にかけた
路傍伝道者が「悔い改めよ。終わりが近い!」と叫んでいったりきたりしている。
よくもあれだけ続けてしゃべれるものだ。日指しはきつくまさに初夏である。すると
ヨセフ・ムゼがひとりの青年を連れてきた。隣りに座らせてさっそくに聖霊待望で
ある。「これは一体何をしているのか?」と人々は近づいてくる。 不思議なもので、
かの伝道者もひときわ声高く叫ぶのであった。聖霊がくだると、その周辺の霊気は
生命の躍動を感じる。こうして我らは喜んで「それ!洗礼だ!」と車の処に行くと、
駐車違反の紙片がつけられていた。苦笑いである。でも決してひるまない。神の子たち
の一群は進んでゆく。これがここダーバンでの最初の収穫となった。その名は 
BENE BIELA (23才)であった。
 
  それから、指定された場所に罰金を払いに行くが、ここからはたっぷりと時間がかかってしまった。みんなに軽食を用意して車の中で食べる。2時近くにホテルに戻り5時まで昼寝となった。ウイリアム兄が5時には再びわれらを迎えにくるという。ハレルヤ。
 
  ハレルヤ!これはすごい! 「霊と肉の一致」ということが感じられた。
このダーバンの聖徒たちの信仰に主イエス・キリストが確かに応えておられる。
「ここが私たちの為に主が備えて下さった教会です。」そこはDIACONIA CENTER
といって車のパーキングが広々とある、立派な建物の中に用意された「聖なる礼拝専用
の部屋」である。まさにここは神に礼拝を捧ぐべくあらかじめ造られた特別の部屋だ。
小じんまりとした清楚なこの部屋には一連のキリストの十字架の物語が15枚の版画で
描かれて、一つずつ丁寧に黒の額縁におさまり、正面から右の壁に順次にかかって
いた。まさにキリスト教国ならではの配慮である。そうした場所がすでに主によって
備えられて、われらの聖徒の為に「どうぞここを使いなさい」というこの素晴らしさ!
実に想像を絶する世界だ。背もたれのある椅子は24脚だったであろうか・・。
 
  「求めよ、求めよ、水と霊」  私はこの福音の世界の為にこの世のすべてのものが答えるべくすでに用意されていることを悟った。今宵は空席のめだつほんの一握りの聖徒
たちであったが、聖霊の祈りは豊かなものであり、主イエスの聖名による御祝福が
部屋一杯に満ちていた。聖書や霊讃歌は英語、フランス語、スワヒリ語そして日本語。
これだけでも立派にインターナショナルである。そこで一人の青年が見覚えのある顔
だちだ。どこで会ったのか?すると彼のほうから笑みを浮かべて近づき・・「先生、
わたしはこの四月にケープタウンでお目にかかったEBUELA  MBUBUCI です。仕事を
ここダーバンに得て、移ってきました。」そうだ。この彼はマラウイのリロンゲにある
難民キャンプでみ救いにあずかった人だ。神のご計画が確実に進んでいるのを感じた。
 
  この特別集会は夜の6時ごろから8時半ごろまでであった。それから婦人たちの洗礼式をなすべくいつものビーチに向かう。そうだ ・・・いつものSOUTH BEACHのプールである。礼子先生が御用をしたが、美しい厳かな式典であった。三名の洗礼とあとひと
りの悲しげな13才の少女の「水と霊」がなされて、夜10時に終わった。中空には少し
かげった半月が架かり離れて輝く「火星」が赤く浮かんでいた。
 
  われらの心は嬉しく、晴々として皆に別れを告げた。
 
  THULISILE  BLOSSE  (19 JUNE 1965)
  THULE  BLOSSE        (01 DEC. 1968)
  NUMUSA  BLOSSE    (02  MAR. 1987)
  STEMBIK  BHANDA  (09 SEP. 1990)
 
 
2003/09/03 (水曜日)
 
  どんよりとした雲に覆われた一日だった。招かれていったウイリアム兄の宿は以前と
同じところ・・。自分の肉に力がないということを訴えているのがわかった。
 
  だが・・・そのことは実は良い事なのだ。彼を頼ってやってきたコンゴ難民たち、
それも家族づれである。この家にはいまやこうしてぎっちりと詰め込まれている。
思えば心が重くなるのが分かるがわれらは主イエスさまを見上げる。「常に喜べ、
絶えず祈れ、凡ての事を感謝せよ」このところ夜には電気のない真っ暗な日々が続いた
という。今日は電気の工事人がやってきていた。ハレルヤ!近くのレストランで昼食を
とっている時に、彼の携帯に電話がはいった。ヨハネスブルグにいるフィアンセだと
いう。果たしてこれが神のみ心であろうか?肉に死んで霊に生きるのがわれらの常の道
である。まずは捨てることから、全てが始まる。
 
  突然であった。モザンビークの奥地ナンプラのマラタ二難民キャンプへの伝道に彼は
行きたいと言い出した。勿論、祈っているところだ。彼がマプトから二日ほどかけて
バスの旅をして、わたしが行く一週間ほど前に行ってくれておると本当に助かる。
そうなればわたしはひとり飛行機でナンプラまで飛べる。「地の果て」というのは、
多くあろうが、ここはその一つだとも言える。出来ればこの年の内に行きたいものだ。
共にこの為に祈った。使命(Mission)というものは本当に不思議なものだ。自分の利害
得失などはすっかり忘れてしまい、全く考えることがない。
 
  夜の特別集会には14名が集っていた。新しい顔も見える。礼子先生にお証しをして
もらった。あの三度の妊娠のこと、苦しかった悪阻(つわり)のことなど、主イエス
さまに助けられた日々の奇しいお証しがみんなの心に光を与えたようだ。もうこの子を
産み落とすことが出来ないと、入院したその時のことを語りながらはっきりと思い出
した。主のお導きとお助けは大きなものであった。1976/2/1 この日は日曜日で、
あすは産婦人科医の手で手術という日。それは礼子先生の37才の誕生日であった。
それに早速にいただいていたお祝の「新生児セット」のことも心にかかっていた。
礼子先生が一人病室で日曜聖会をしていると「みことば」が与えられた。
 
   シオンは産みのなやみを知らざるさきに生み、
   そのくるしみきたらざるさきに男子をうみいだせり
                    (イザヤ書 66章7節) 
 
  その前夜からの睡眠は非常な祝福と恵みであって、久しぶりの熟睡が与えられて
いた。だからすでに心に平安がきて、この子を安らかに産み落とすことが出来るという
信仰がきていたのであった。それもこの聖句を通して「男の子」だとの確信もきていた
という。こうして、この1976/8/27にうまれたのが、われらの愛する「義樹」くんで
ある。こうしたお証しが導かれ、ここに集っていた姉妹がたも兄弟がたも顔を輝かせて
聞き入り、神に対する信仰が与えられていったように思える。
 
  一番恵まれて輝き出したのがこのウイリアム兄のようであった。
 
   我に従い来らんと思う者は、
   己を捨て十字架を負いてわれに従え
                      ハレルヤ! アーメン!
 
 
2003/09/04 (木曜日)
 
  雨が糸を引いて落ちてくる。車のライトに照らし出された五人の兄弟達と二人の姉妹
たちのシルエット。 大きな川のほとりには「求めよ、求めよ、水と霊・・・ミズト
レイ!」の讃美が広がっていた。天の軍勢の注目を集めて救いのみ業は進んだ。何と!
周りには12人の兄弟たちが顔をほころばせながら、大合唱をしていた。水は冷たく、
足下はぬかるんでいた。でも神の恵みのうちにとどこうり無く、大感謝のうちの終了
した。帰りの道でパトカーとすれ違った。この夜の一大イベントは霊界を震動させたに
違い無い。ハレルヤ! 受洗した姉妹がたはこの国、南アフリカ国の人であると聞い
た。彼らの名前は次の通り。
 
  NTOMBIFUFAI  NGCOBO  (28  SEP. 1978)
  VAMSILE  SHELENTE  (1982)
  KIZASADI  BILOIELE  (14 AUG. 1979)
  INANI  DUNIA  (01 JAN. 1981)
  JOULIYO  IDY  ZARABY
  
  MTOKOZO  MAMANE  (04  SEP. 1981)
  KINBE  EPEBUTE  (06  DEC. 1977)
 
  この町、ピーターマリッツバーグ(PMB)での福音の重荷を、主より賜っているデロ
(DELO)兄が自分の住まいを集会所にしている。前回、四月の時の場所からは移って
おり、今回はアパートの三階の部屋であるがそこはまずまずの広さがある。同居の人も
福音の理解者であるようで確かにこれも一歩前進している。持参した 30册のスワヒ
リ語の霊讃歌が、とても信仰の助けとなったのを感じた。
 
  特に「あがない」という24番はその意味を学ぶだけで、主イエスのご愛と十字架の
贖いがその心に理解されて恵まれるのである。
 
 このたびも宿は前回と同じ「民宿」。
   UMPHITI  BACKPACKER      317 Bulwer St. PMB   3201  
   TEL. 033 394 3490
 
  とても喜んで歓迎してくださった。礼子先生とわたしの部屋は立派なバス・トイレ付きの離れであった。天井が高い為か八帖ほどの部屋も結構広く感じる。壁の色は紫で、
ダブルベッドの上の布団の色がまさに虹のスカイブルーと、うす緑、それに薄紫である。
これが何と礼子先生のカーデガンの紫、わたしのスカイブルー・彼女の薄紫のスーツ
ケースと全く同じ色であった。ゆっくりとした昼寝の時間も与えられ楽しみと喜びの
時間を過ごさせてもらっている。 
 
  昼間は青空が広がって快適であったが夕方からは雲が広がり、夜には雨となった。ここPMBはダーバンから80数キロの地点で、美しい観光地のようである。ガンジーゆかりの地で、インド独立の端緒となった「人種差別」事件の地だそうだ。少しでも庭先の花壇に花が見えると俄然礼子先生は叫び声をあげる。田舎町のよさが見えて、くつろいだ気持ちになるのだ。
 
 
2003/09/05 (金曜日)
 
  グッと冷え込んで雨もよいの一日である。8時半には散髪屋で借りた椅子20脚を
まず返して、デロ兄の新しい店にゆき、主の御祝福を祈らせてもらう。わたしも
長らく散髪をしていないので、彼にしてもらった。「主イエスさまの聖名によって
いたします。」その一言がどんなに霊の世界で貴いものであろうか・・・。「聖書を
買いたいな」というと彼らはほんとうに喜んだ。この町にただ一つのBIBLE  SHOPに
ゆく。店主はインド人でメソジストの信仰の人らしい。わたしの持っている大きな文字
の同じ英語の聖書を2冊とズ−ルー語の聖書を5冊求めた。ここの国の人たちは英語が
わからないのでこの言葉の聖書が必要だ、と若い兄弟が言った。デロ兄が今夜はたく
さんみ救いがあるというので、洗礼用の衣類を求めておこうと思う。 
 
  台湾人のお店が町の賑やかな通りに面してあって、そこでちょうどピッタリという男物のパンツ20枚を礼子先生が目ざとく見つけて手にいれた。全部で200ランドだから、3,400円ということだ。さて近くに公衆電話のカード式があり20ランドで日本にも電話が出来る。 09-81-898483019 ・・すると、義樹だ。愛媛教会にも昨日は「水と霊」があったよというニュースで、もうわたしたちは満足した。 義樹も元気な声を聞かせてくれ
た。
 
  つぎは夕食が楽しみである。この宿の若いカップルが腕によりをかけて色々と提供
してくれるのだ。今夜は野菜が主でわたしも礼子も大変に喜んだ。カリフラワーの
ソテー、カボチャの煮物のマッシュ、それにジャガイモ、ビーンズ、骨付きのポーク、
にんじん、しろ豆のシチューそしてライスであった。紅茶にピーチの冷たいジュース。
いやー中々よかった。夕方の6時には昨日のように椅子を借りてきて、集会に備えた。
 
  町のあちこちを回り、愛する兄姉を集めてからいよいよ始まった。今日も20人ぐらいがデロー兄のロビーにいっぱいだ。霊の祈りに続いて、日本語とスワヒリ語の霊讃歌を
声たかく歌う。讃美の意味が分かるということの嬉しさ。たまたま出かける前にコピー
したスワヒリ霊讃歌にわたしが勘違いして余分に30枚づつ作ってしまった24番と146
番がバラで手元にあり、これをみんなに配ることによって、今夜もみんなで声をそろえ
て歌う事が出来た。24番「あがない」は難しいのだが、こうして何回も繰り返すと
その深い意味を悟らされて信仰の成長に益するのである。「主の贖罪」という大切な光
が彼らのこころにも届くように祈った。 
  
  ご用には礼子先生に立ってもらった。開かれたのはイザヤ書62章の10〜12節「門より進み行け」というところだ。門とは「水と霊」「マジナロホ」である。 これが語られるとみんなの顔がパッと輝いた。嬉しいのである。今宵の洗礼はどのくらいになるのであろうか。今日はとても寒くて尻込みするのではないかとチラッと思ったが、いや、主イエスさまの御業は進むと気持ちを立て直した。今夜は姉妹方まず二人が受け、続いて別の車できた4人の兄弟がたが身を震わせながら水に入ってきた。底冷えする真冬であったが、嬉しい楽しい洗礼式となった。みんなが踊りながらコンゴの讃美を回りで続けていた。帰り道にはケンタッキーチキンの店によって少しみんなに持たせることにした。宿に着いたのは今日も11時になっていた。さっそくに洗礼着をバスタブで洗う。そして掛けておくと朝にはだいぶ乾いているわけだ。毎日、少しづつタオルやパンツの数がへってゆく。使った人がそのまま履いて家に持って帰るのか・・・?
 
今日のみ救い。まず、姉妹方二人
  INBALI  MATONDA  (16  AUG. 1983)
  BAGCINILE  MADLA  (06  MAY  1979)
 
そして、兄弟方4人
       PATRIC  JAZZ  (10  OCT.  1978)
       HASSAVI  MOSES  (01  JUL. 1980)
       EBONGO  ECASST  (02  FEB.  1977)
       MUSSA  AKILI  (02  SEP. 1979)
 
 
2003/09/06 (土曜日)
 
  天候が回復してすこし明るさが増している。青空だ。 朝食には鳥のレバーのシチュ
ーやスクランブルエッグ。ベーコン。トースト、コーンフレークにミルク。 紅茶に
ピーチジュースである。兄弟方も次第に元気になっている。10時から宿のホールで
安息日礼拝をした。われら五人が霊讃歌を歌い、霊言で祈りを捧げ、聖書を開く。
主の花嫁となる真の教会の信仰は・・・その神観は・・・その救いは? 父なる神・・
・その名は?少しずつ霊界が広がって、その素晴らしさがわかって くると、日頃の
疑問などが次々と飛び出して、時間の経つのも忘れて語り合うのであった。気がついた
らもう午後1時半になっていた。幸いな礼拝の時を与えられて満足をして部屋にもど
った。
 
  何かお昼を彼らにもあげたいと礼子先生がいうので町に出てレストランを探すが
どこにもこれという所が無い。しかたなくスーパー○○という店で菓子パンなどを
見つけて車の中で食べた。それからは昼寝の時間であった。五時半には夕食が用意され
食堂にゆくと、サラダ(人参、きゅうり、ハーブ、レタスなど)とスパゲッティー。
鳥をベースにしたスープがことのほか美味しかった。オレンジ色のいもが茹でて
あった。味付けがプレーンで上品だ。素材のよさが引き出されている。宿の女性の話
ではこの野菜はみんな自分の庭で出来たものだそうだ。食事が終わる頃、携帯に電話
が入った。そうしてわれらは再び集会に向かって出発した。あちこちに車をまわして
今日のみ救いの霊魂を迎える。 
 
  結局7時半ごろから始まり、讃美をする。聖書はヨハネ伝3章と使徒行伝の2章であった。ヨセフ・ヤエ兄がフランス語、ヨセフ・ムゼ兄が英語を読み、この国の女性がズ−ルー語を読んだ。初めの 過越祭には羊が犠牲となりイスラエルの人々はその肉を焼いて食べ種なしパンを 食べた。その羊の血が戸口の鴨居と柱に塗られた。その家にいるものには滅びは過ぎ去ったという故事から「水と霊」が語られたのだが、みんなには分かっただろうか。早めに集いが終わったが、コンゴ人の燃えるような歌に合わせて、彼らは立ち上がり体を揺すった。それから4人の洗礼の為に20人にも余るみんなが一緒に二台の車でいつもの川辺に行く。天気がすっかりと回復して幸いな洗礼式となった。 
時刻は8時半、まず兄弟方二人。
 
  ADAME  DEGOLE  (19  JAN. 1979)
  RAMAZANI  (01  SEP. 1978)
 
続いて、姉妹方二人。
  SIZAKE  MAMASU  (04  APR.  1974)
  GUNGU  NKIZE  (02  NOV.  1981)
 
  すごい勢いで兄弟方が讃美をしており、喜びが燃えた。帰りはいつものコースで 
ケンタッキーに直行してみんなはとても幸せだったと後で兄弟がたが言っていた。
霊と肉の一致がここにもあったというわけである。最後にデロ兄と弟が宿まで来たので
祝福を祈ってあげた。まだ幼い霊魂であるだけに、可愛いいものである。
 
 
2003/09/07  (日曜日)
 
  PMBの五人の兄弟方と共に祈り、9時すこし前には出発した。すごい晴天で昨日
までとは打って変わった爽やかさである。高速道はたいていが120キロの制限で、
どの車もそのくらいのスピードでどんどんと走る。たまたまサッと追いこした車が
あったが、間もなく計器測定に見事に捕まっていたので、警察もなかなかやるな!
と思った。今日の宿はハリースミスという田舎町に決めた。あすの空港の迎えには
この辺りが適当とおもえたからである。この町の名はボーア戦争の折の英国軍の総督の
名にちなんだものらしい。田舎にしては道も広く、建物の構えもどっしりとした英国調
であり、かつての栄華が偲ばれるのである。雄大な山の麓という土地柄から何か大きな
ビジョンがあったに違いない。となり町のレディスミスというのは彼のスペイン人の
妻に敬意を表した名付けだそうだ。ここでは有名な「籠城戦の118日」があり、
今でも観光地となっている。
 
  今日は風邪をひいており、体調が思わしくないこともあって、ホテルでずっと横に
なっていた。夕方にはレストランを探して町に出たがどこも閉まっており、仕方なく
スーパーで色々と買い込んで帰り、部屋でくつろいで食べた。その後日曜聖会をした。
 
  スワヒリ語の霊讃歌が大いに歌われてから、礼子先生のお話にみんながとても満足して喜んでいた。「只にわれらの為のみならず、全世界の為なり」から話が始まって、
主に従うという道が時にはつらい道でもあるということも語られ、マラキ書が開かれ
て天にある「記念の書」に記されてゆくという貴い業を鼓舞していただいた。雑談の中
にあったニャルグス・キャンプで救われる前は人のことなどお構い無しの自分中心の
人間だったが、全くいまは別人に変えられているというウイリアムの話は面白かった。
ダーバンにある自分のひとつのベットに今は4人がいっしょに寝ているのだそうだ。
 
 
 
2003/09/08 (月曜日)
 
  大正7年(1918)から数えると実に85年という歳月が流れた。今日その日その時、
天開けて「捨てよ」との聖声。そうしてこの神の生命が始まるのであった。
 
  ハリ−スミスの宿で朝食を済ませて、一路JNB国際空港へと向かう。青空の広がる
快適なドライブが続き地平線にひくい丘陵のうねりを見ながら一直線の道をゆく。
トウモロコシ畑は刈り取られたまま、一面にそのかぶが広がっている。そこに放牧され
た牛たちの群はのどかであった。ほぼ予定どうり11時半にはAVISのパーキングに車
をおいて、空港待合室に向かった。 宮良幸整先生の乗ったマレーシア機は時間どうり
に到着し約50分ほどして、いつものにこやかなそのお顔が見えた。その時、主のなし
たまう聖業がさまたげられずに進むのを感じた。
 
  われらは一路N1の高速道に乗る。
めざすはブルームフォンテンである。JNBからは380キロの道のりだ。わたしにはまだ
少し風邪が残っているが、霊讃歌を大きくボリュームをあげてみんなで讃美しながら
走った。この四月の時は道路工事が目立ったが、今回はほとんど完成に近くになって
いた。走ること5時間、薄暗くなった地平線に大きな町の光が広がって我らは喜びに
包まれた。そこは、めざすブルームフォンテンであった。
 
  われらの宿はLOUIS BOTHA  B&B といい大木と美しい庭のある素敵なお屋敷である。今回もご主人がにこやかに迎えてくれた。ハレルヤ!
 
  このたびはわたしたち夫婦にはすごい格式のある客間が用意されていた。
とてもありがたいことだ。
 
 
2003/09/09 (火曜日)
 
  季節は春を迎えていた。今日は薄曇り。道路に面した素晴らしいお庭に桜の花が七分
咲き。いちょうと楓の大木が枝を大きく広げている。ボケの樹には花が咲き始め、自動
灌水の装置が作動して、蔓かづらであろうか・・・深緑の葉を庭一面に繁茂させて
いる。庭木に巣を造ってもらった?それとも自分たちで造った巣を中心に、百舌鳥の
親子づれがあたりを楽しんで飛び回っている。かつてのボーア人たちの首都ブルーム
フォンテンの小高いお屋敷の通りのこの宿である。
 
  食事はシックな客間でイングリッシュ・ブレックファ−ストという次第で、ジュースとハム・ソーセージにスクランブルエッグ。トーストに紅茶かコーヒー。 
 
  宮良先生はわたしに驚いて尋ねるのであった。
どのようにしてこの宿に決まったのですか? そうだ。ほんとうに不思議なお導きで
われらは今ここに来ている。「地球の歩き方」という旅の本からであった。
 
  さあ!携帯でムゼが話している。ボットシャベロのアメリア  (TUMELO MATSHIDISO AMERIA)さんが多くの霊魂を導いてわれらを待っているのだそうだ。さあ、これから出かけよう。
 
  さて、N8を東にBOTSHABELOまで約50キロの道のり。ちょうど約束の10時に
アメリヤ宅に着いた。あれはきっと聖霊に語らされた信仰の言葉であったに違いない
と思えた。それは意外にもアメリヤさんの母マリアMARIA(1953年生まれ)とアメリヤ
さん(1969年生まれ)の二人だけの出迎え。でも、立派なテーブルに椅子6脚が用意
されてあって・・・何だか少しずつこれから天の幕が開いてゆくという「ピンと張り
つめた緊張」があった。壁には「エデンの園」のアダムとエバの絵が張ってあった。
これにも全然見覚えがない。
 
  まずはお祈りから始まり次に霊讃歌。すると初めての顔の子連れの女性たち二人、さらに二人が加わって、聖書が開かれ英語、フランス語の次ぎにスーツゥ−語(SESOTHO)の聖書でこの人たちが読む。つぎに聖霊の待望会に導かれみなが受霊したことから静かに待ち望んでいると、ムゼが先生、洗礼に行きますか?と尋ねたので、OK! と返事した。この子ども連れの女性たちはいまは何だか都合がわるいみたいで帰っていったが、後から来た二人は喜んで車に乗り込んで来た。
 
  みんなで讃美をしながらの洗礼式、宮良先生のご用と礼子先生の洗足式のご用。
時は午前11時10分。
 
  FRANCINAH  NGABA (22  SEP. 1981)
  RENA MANDLA (05  FEB. 1984 )
    この輝く娘さんはすでに両親を失っており、
    喜んで両親の身代り洗礼を受けた。
 
  終わってからのこの二人の喜びが大きな讃美となり、スーツゥ−語の歌らしい。 
するとアメリヤさんにも少し笑顔が出て来た。 わたしには何も言わなかったが、
サタンよりの戦いがあったのかも知れなかった。でももう勝利である。家にかえったら
また新しい霊魂が集まっていた。驚いたのはアメリヤさんの弟であった。四月の時に
松葉づえをついて暗い顔をして洗礼も何だかやっとのことであったあの青年がすっかり
足が癒され明るい青年となり、いまは信仰的な顔に変貌していた。彼の友人達はあの時
に救われた青年たちであったが、もう今日はこの生まれたばかりの教会のメンバーと
して聖書に食い入っている。
 
  宮良先生にご用をしてもらったが、マタイ伝16章から始まって「教会の時代」のこと、神が肉体をもって来たりたもうたこと。イザヤの予言に応じて来り給うた主イエスなること。申命記4章からは真の神、天地創造の神のみを拝み、決して偶像を拝んではならぬこと。そしてコロサイ書3章17節からイエスの聖名によりて何事をも行うというお話があった。するとアメリヤさんにはそれらの聖句が深く心に落ちたようであった。再び、洗礼はどうでしょうか?とムゼが言うので、よしと腰をあげた。宮良先生のご用と礼子先生の洗足式のご用。午後1時25分。
 
まずは青年男子。
  BONANI  ZINTJA  (06  JUN.  1979)
    この人もすでに両親に先立たれていたので、
    身代り洗礼をした。
続いて、女子。 
  SBUNGILE  PITO  (11  DEC.  1984)
    この人は母親の為にも受けたのであった。
 
  もうそれからは讃美が爆発して止まらない。「頌栄!」と言っても止まらず、ついに
わたしたちも加わりみんなで踊り出した。こうしてちいさな火が燃え出したのが確認
されたので、信仰もってアメリヤ宅に帰り、あすは何時に来ましょうか?と聞くと、
彼女は「10時 」と答えたのでみんなで今日最後のお祈りをした。わたしたちが川に
行っている間ヤエ兄は英語の聖書を開けながら、すでに救われている兄弟たちに
「救い」のことを話していた。こうして教会の形が少しではあるが主によって形造られ
てゆくのをわたしは感じるのであった。僅かの飴やクッキーが持参の袋の中にみえた
ので、みんなで分けてそれぞれ口に入れた。貧しさが一面に張り付いているこのボタ
べロの町に、天からのものが下ってきてみなが狂喜し讃美するこの青年達の姿・・・
世はこの現象をどうみるであろうかと、わたしはひとり心で尋ねている。
 
 
2003/09/10 (水曜日)
 
  快晴。雲一つないすごい青空が空一面に広がっている。わたしの発熱もすっかり
引いて体調もことのほかよくなってきた。ハレルヤ感謝!
 
  こうして昨日に続く今日の伝道が始まるのであった。 主のお導きはどうであったか?それは意外にも兄弟方の内に住んでおられる御霊のご活躍の日となった。まったく
昨日とは何の繋がりもないほどの霊の動きとなり、わたしが朝の内に予想していた
ことは何も起ってこない。それが後になって分かるのだが大きな「神の恵み」なので
あった。今日は讃美のあと、ヤエ兄にお証しをしてもらった。彼の両親の家はイスラム
の信仰の人々であったが、親戚筋にはクリスチャンも多く、穏やかな交際がお互いに
ある地域であった。母親は親戚の子どもたちが行く日曜学校へヤエが行く事をむしろ
勧めてくれたこともあって、少年時代にはメソジスト教会に出入りしていた。
ある時からエホバの証人の教会へも行き始めた。時を経て「洗礼を受けるように」と
勧められ、それも強引に勧められたという感じだったことから、まだ若い盛りの自分の
自由を拘束されるのがいやでそこを逃げ出したといういきさつがあった。反発するかの
ように手近なギャンブルの仕事に手を染めたりして日を過ごし、もうすでに若い彼は
酒とたばこに捕われていた。そんな時であった。住んでいたザイール国に内乱が起り
彼の希望であった大学の道も閉ざされ、タンザニアのニャルグス難民キャンプにあの
デロ兄たちと命からがら逃げ込んできたという次第であった。
 
  そうして1999年1月イエス之御霊教会教団の宣教師たちによる「水と霊」の真の福音に触れる機会をえたのである。彼は勧められるままに、とにかくやってみようと激しい雨の中で受洗した。
 
  それは第6番目の受洗者であった。その時から全く自分は変えられ、世の悪しき習慣も取り去られ、日々神と共に歩む人生に入れられている。ハレルヤ!とても感謝である。
 
  こうしたお証しの後もアメリア姉の家には落ちついた霊気が漂い、われらの讃美と
祈りと聖書拝読で時間が流れてゆく。待っていても何も起らないという時間の流れの
中で突然、ハガイ書1章の聖句に導かれ、山に登り木を携えて来てわが家(TEMPLE)を
建てなさい。そうすれば神は喜び受け入れたもう・・とみんなで各国の言葉の聖書で
読んだ。それはこれから出かけて伝道し、霊魂を捕らえてきてごらんと、主は導きたま
うたのである。 
 
  三人の兄弟がたは喜んで立ち上がり「主よ、どこに行きましょうか」と祈り、各々がそれぞれ出かけて行った。わたしたち牧師三人はそのまま椅子に腰掛けて楽しく主の御業を思い出しながら語り過ごした。このことは当初考えもしなかった一連の動きであったが、結果的にはご近所の一家族5人のみ救いとなり、洗礼の後でその新しい家庭に招かれて祝福をお祈りをすることになったのであった。「まず神の国と神の義を求めよ。さらば凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。」まだ幼い霊魂であるアメリア姉にとっても、意外な霊の喜びの一日となったわけである。今日こうしてわれらが主のみ前にみな遜って空しくなってゆくという道が開かれてきた。それは幸いなことであった。もうひとつ、とても嬉しかったのは愛するウイリアム兄が昨年コンゴでなくなった父親の為に「身代り洗礼」を受けたことである。この「身代り洗礼」の信仰の光は天にいます父より受けるもので実に尊いものだ、と感じたものだ。彼にはタンザニアの奥地のニャルグスとルグフ・キャンプにあるイエス之御霊教会の群を励ます為に早速にも行ってもらうことになりそうだ。こうして一つが開けるともう一つが開く。主イエスさまの生き働き給うたお証しが難民キャンプの教会のどれほど多くの霊魂を励まし生かすことになるのであろうか? 
ハレルヤ!
 
今日のみ救いを、まず幼児の名前から順に記録しておこう。
午後1時50分。
  GEORGE  MOKHELE  (07  MAY  1999) 男の幼児
  THEO  TABEM  (29  APR.  2003) 男の赤子
  LEBHA  TABEN (14  FEB. 1983) 女
  JOANA  NTLAANE  (01 JUN.  1985) 女
  MIREMI  MRERE  (11 JUL.  1968)女
身代り洗礼
  WILLIAM  MZALIWA
         RASHIDI  BALWELWA (父親)
 
 
2003/09/11 (木曜日)
 
  昨夕は何も食べる物のないアメリア姉の家のことを話した兄弟たちであった。 
わたしは宿で目がさめた時に最低限必要と思われる穀物類や塩、砂糖などを持って行っ
てあげたいと思った。そしてその願い通りのことが許されてプレゼントが出来た。
深いこころの中に静かに「ありがとう。主イエスさま」という様子が彼女にうかがえた
ので、よかった・・・と思った。何よりも霊の恵みに反応する霊魂であってもらい
たい。いつも聖なるものに感謝する「天国の人」にと、過ちなく育ってもらいたいと
祈るのである。父なる神は祈りによって霊の世界を広げてくださるから、霊の祈りは
われらが為すべき第一なるものと考えている。祈りによって「主に依り頼む」のだ。
今日もまたそうだった。平安がこの部屋を覆うのを感じた。 
 
  スワヒリ語の霊讃歌が次々に歌われて聖書はイザヤ書61章である。ヨベルの年の本質をここでは語り告げている。神のもっておられる「慈しみと憐れみ」が人々を解放するという美しい主題「救済」が取り上げられており味わい深いものである。その後にはヨセフ・ムゼ兄にお証しをしてもらった。彼も世にある時には相当したたかな人物だったらしく、難民となってこの南アフリカに来ていた3年前に、初めてウイリアムから「水と霊」の福音を聞く。ダーバンにおける救いの第1号は自分であると胸を張った。あれからの自分は驚くばかりの変貌で、今や「水と霊」にこころは捕われて、喜びに溢れる人に造り変えられている。彼は顔を輝かしながら、このアメリア姉に初めて出会い福音を語った
いきさつを思い出しながら話す。受霊の後、洗礼の為の水場を求めてあちこちするが、
どこにもない。諦めるのではないか・・・と彼女のことを心配していたが、案に相違し
て彼女の方が積極的で、公園の中の細長い水槽を思い出してわたしたちを導いたので
あった。それは冷たい湧き水であり、主が備えたもうた場所であったと感じたもので
ある。時は今年4月16日午前11時40分であった。それから彼女の家のあるここ
BOTSHABELO(ボタべロ)にわれわれはやってきた。母親の救いに続いて四人の青年
たちのみ救いが翌日にはなされ今回に繋がったのだ。こうして福音が流れてゆく。
 
  その爽やかな霊の風景をわたしはヨルダンの流れのように感じている。川の畔には
大木に潅木、そして続くのは緑したたる樹海である。その外側には荒涼とした荒れ野が
遠く死海まで広がっている。実に生命と死が隣り合わせた世界を感じている。ムゼの
話しが続いている時にドアが開いた。そしてはじめての顔いくつかと、昨日救われた
姉妹がたの顔、でもこんなに美しくすっかり変わってしまったそのお顔に本人は気付い
ているのだろうか?この小さな部屋にはわたしたち3人を除いて14人が入っている。
ムゼの英語のお証しをアメリア姉がここの言葉スーツゥ−語(SESOTHO)に見事に通訳
してみんなに話していた。一段落したころに、洗礼にいま行きますか?と聞くムゼ。
「そうだよ、すぐに行こうね。」間もなくわたしたち全部で15人が乗り込んで川に
向かった。いつものように宮良先生のご用と礼子先生の洗足式のご用。午前11時29分
に始まった。今日は3人の姉妹がたであった。そのひとりがアメリア姉の12才の
ひとり娘 REFILWE さんである。父親が生後まもなく亡くなっており、彼女は身代り
洗礼を受けた。
 
受洗したその順番通りに記録しておく。
  KIRIRINE  KUNDE  (19  JUL.  1989)
  REFILWE  TUMELO  (08  AUG.  1991)
    身代り洗礼 JASTICE(父親)
  JOANE  KIMA  (07  JUN.  1970)
    身代り洗礼 ELIAS(父親)
          BELITA (母親)
 
  最後に受けたJOANEは33才で、今だに子どもがない。その為に祈ってほしいという
希望が出たので、われら牧師三人が手をおき膏をぬってお祈りさせていただいた。驚く
べき祝福の世界である。アメリア姉宅にて再び集会が導かれ、安息日のこと、その
大きな祝福のお約束について宮良先生から語っていただいた。主イエスさまがいかに
模範を示され弟子たちが行っていったか?エデンの園にも安息日があったこと。
それは恩寵あふるる安息日であり、それを貴ぶわれら神の子たちであることが語ら
れた。スーツゥー語の勢いのある讃美が二曲歌われて、遂にお別れの時がきた。お互い
に手を振って別れてゆく。まことに生まれたばかりの幼い者たちのことを、主イエス
さまのみ手に委ねると大きな平安がこころを包んだ。有り難い。
 
  まだ陽が高かったので、ここの伝道の原点となった「国立博物館」にとハンドルを
切る。過ぐる4月16日はここでわれらは歴史を学び、楽しんだものだった。その後、
裏手の日陰に座り込んで道行く人に声をかけた。それがわれらのアメリア姉のみ救い
となり、それが現在の喜びにまで至ったのである。今日はまず館内のレストランに
はいり、パスタとサラダを6人分注文してみんな楽しんで食べたあと、礼子先生と
宮良先生はお土産物を見つけて買い込んでいた。ここにはアフリカならではという品々
が多く展示されていた。そしてゆっくりと館内を見る事にした。そこには太古の昔から
今に至る南アフリカの歴史が一目瞭然、というすごさ。十九世紀末葉ボーア人
(オランダよりの農民)が打ち立てた「オレンジ国」、かれらの開拓者魂には永遠なる
輝きと魅力があるものだ。わたしも小さいながら霊魂の開拓者であるから、共鳴する
ものがある。何事も基礎の積み重ねの大切さについて、いま静かに思っている。
 
  さて夜になっていよいよ最後のコースに入り、今回の伝道旅行についてふりかえって
みる。思えば「なるべく枝葉に流れないように注意せよ」との聖霊のご指導であった
ような気がする。「水と霊」の福音をしっかりと中心に据えてゆっくりと進んだ道のり
であった。シンプルイズビューティフルという言葉が聞こえてきたようだ。
 
03/09/12 (金曜日)
 
  四日目となったブルーフォンテンの最後の朝も快晴で気持ちがよい。お別れに宿の
主人ご夫妻が玄関まで出てきて下さった。色々とお礼を言ったあと、この家の祝福を
お祈りしましょうというと、二人とも謙虚に手を合わせたので、ハレルヤを繰り返す
ことを勧めた。ご主人がそのまま繰り返して間もなく受霊したのを確認したが、奥さん
(イボン)はすぐに分かる言葉で祈りだしたそうだ(礼子先生曰く)。
 
  急に天が開けて光が辺り一面にさしたのを感じた。それは神の深い憐れみであった。
頂いたご主人の名刺から名前などをここに記録しておく。
 
  PIET  CRONJE (ペーター・ほら穴)
    CONSULTAMT:
    EDUCATION & TRAINNING
       083-769-4544 / 051-436-4533
       mwctrade@absamail.co.za
              P.O.Box 29366, Danhof 9310
 
  天からの水が集まって小さなせせらぎが誕生するように、ウイリアムが主に従って
父親の「身代り洗礼」を受けたことから、一気に「難民キャンプ」に関わる問題に今
為すべき道が開けたのである。つまりわたしが行くことの代わりに二人の兄弟たち
(ウイリアムとヤエ)を遣わすことである。本当にそうならば、きっと二人分の旅の
用意が出来るに違いないと思ったが案の定、主はきっちり用意させて下さった。
聖霊のご指導に任せる行き方は今までと全く同じだ。その道にて神を学ぶのである。
一つ「伝道日誌」をつけるように勧めておいた。かくしてJNB空港にて彼ら伝道の同労
者三人と別れを告げて、われらはプレトリアに向かった。
 
  残る一日はいかに導かれるであろうか?
 
 
2003/09/13 (土曜日)
 
  ホテルを出る前にサムエル兄に電話が繋がったので、確かに彼の住まいに行けば
ちゃんと会えるということで気を楽にして車を向けたのだが、何ということだろう戸口
には鍵がビシリと掛けてあり彼の行方もわからない。しばらくは家の前に腰掛けて
待っていたが、以前と同じように母の家に行く事にした。走る事15分、母の家まで
いったがそこにも人の気配が全くない。それでも三人は腰掛けて祈り、安息日礼拝を
ここで始めることとした。讃美と祈りをしばらくしている内に両手に食料の大きな袋を
さげて眼鏡をかけた女性が歩いて来た。
 
  それがサムエル兄の母親(DORAH MAHLANGU)であった。いい笑顔をこちらに見せてくれた。それから彼女と共に一緒に祈りを捧げている時、若い娘マーガレットが現れた。わたしはうれしくなった。讃美を一つ歌い終えた時に、急にあの遠くの田舎の家(MOTETI)に行きたくなり母にそれを告げると、彼女は喜んで「行く」と返事をしたので、礼拝を中断して早速に行く事にした。約60キロの道のりである。昼前に着くとそこには弟のヨハネと妹のヨハンナがわれらを迎えた。かれらの静かな人柄はサムエル兄とそっくりだ。
 
  30番を讃美した後「水と霊」ということを聖書を開けて話すとジッと聞いてくれた。それから礼子先生にバトンを渡すと、13才の時に救われた時から喜んでこの福音を
愛する友に伝えたこと、そして全家族が救われたこと、今に至るまで主イエスさまに
愛され導かれ、幸いを味わってきたこと等をお証した。最後に宮良先生に御祝福を
お祈りしていただいた。思いがけずも12才のヨハンナがきれいな英語で「主の祈り」
を唱えてくれたので、兄のヨハネにはヨハネ伝14章を読んでもらった。こうして礼拝
を終えて再び母親と共に車で帰ってきた。
 
  母親を家のそばにおろし、別れを告げてからサムエル兄の住まい(EKLESIAという地区)に行くと彼は車を洗っていた。「ごめんなさい。朝、先生がおいでになった時にわたしはこの車の税金を払いに行っていました。」
 
  彼はそこで、ひとりの友ルカをわたしたちに紹介した。彼は自分の少年時代から一緒に育った仲間であるそうだ。家の中に招じ入れて「あすはこのとなりの二人が洗礼を受け
ます」と言ったのでわれらは嬉しくなった。それではこのルカさんにも「水と霊」を
伝えなければならない。 主イエスさまの十字架の贖いについて話すとよくわかったと
いう表情をした。とても素直なよい霊魂である。共に祈るとまもなく聖霊がくだった。
これが「水と霊」の救いの中の「霊のバプテスマだよ」と話し、続いて「水のバプテス
マ」のことを語ると、自分は明日このとなりの二人と一緒に受けたいという。
 
  「それでは明日9時に」という約束をした。PMBで買い求めた洗礼用のパンツ20枚をこのサムエル兄に預かってもらう為に車にいった時に、このたび宮良先生が是非にと
話していた「歩みの洗足式」をいまこのサムエルの家でしたらいいなと思った。洗面器
とタオル二枚を手にして部屋に入ってから、ヨハネ伝13章をサムエル兄に読んでもら
い、つぎに宮良先生のことばを待った。それは・・「主が洗足をなさった時に、わたし
があなたの足を洗わなければ『関わりなし』とのおことばが何だかとても重要なことと
思える。それに、監督先生もケニヤでこれを是非なさったらよいとのお勧めがあった。
 
  自分は前田先生とこのことをやりたいと思い願って来たが、今日このサムエル兄の家でこれが許されるのは本当に感謝だ。洗足にはサタンとの絶縁という意味もありわたし
たちの関係の中にサタンの働きが一切遮断されてゆくということは素晴らしいことだ
・・・。」それはわたしも同感であった。こうしてまず宮良先生がわたしの足をとって
洗って下さった。次にわたしが先生の足を洗わせて頂いた。このわたしの生涯ではじめ
ての「歩みの洗足式」を、今日突然ではあったが主が導いて下さったことに、深い感謝
をこころに覚えるのであった。
 
 
2003/09/14 (日曜日)
 
  宮良先生のマレーシア機のJNBの出発時刻は朝7時であった。 そういうわけで早朝
午前4時に起きて車を空港に向けた。車の中で先生はいう。「主さまのお許しがあれ
ば、二人で一緒にメキシコに伝道したいのだが・・・」 それは素晴らしいことだ。
天が開かれて早速にも霊なるものが降り注がれてきていると感じた。暗闇の中に少し
ずつ地平線が白んでくる。あの方向が東である。「光は東方より」であるから・・・。
先生を空港で見送り、わたしはホテルに戻り軽く昨日の残りを口にいれ、西洋ナシを
食べた。今日は全天に雲が厚く覆っているが、こうして礼子先生もわたしも元気で最後
の日を迎えることが出来た。約束の時間は午前9時である。ちゃんとルカ兄は待って
くれているだろうか?
 
  祈りつつサムエル兄の家に着くと、そこにはルカ兄の車がすでに来ていた。隣りのアレックス兄がニコニコとして迎えてくれたので、一緒にサムエル宅に行く。もう一人の隣人JAMES SHIBUREは母親が病気との知らせで急に出かけたそうだ。ノックすると昨日のルカ兄とサムエル兄の妻マルタ(Marutha Matea)姉と、もうひとりの女性が出て来た。ルカ兄がこのひと(LUCKY)は自分のガールフレンドだと紹介した。それからみんなに握手したら、「どうぞ・・・」と家に招かれた。サムエル兄はすでに働きに出ているが、今日は日曜日でみんなの仕事は休みのようである。
 
  さっそく、主イエスさまの恵み溢るゝみ救いについて話す。そしてお祈りをとても真摯な態度ではじめたのでわたしは嬉しくなった。この若い女性はマルタ姉の以前からの友
であったようだった。聖霊がみんなに臨んだので、主の約束なさったこの聖霊がいかに
大切なものであるかを話したら、みんなは目を輝かせて聞いてくれた。主がニコデモに
語られた「水と霊」という意味のこと、罪というものを精算するための贖罪ということ
にも、少し触れて話した。彼らのこころを開きたまうた主はこれから「水のバプテス
マ」を与えて下さる。こうしていつもの洗礼式場 AVENTURA にみんなで出かけた。
それは車で15分のところにある。 
 
  入口の係員もこの主のバプテスマを貴んでくれており、実質的には入場料をとらない。今日もDEPOSITとして60ランドを受け取ったが、出る時にはそっくり返してくれた。すごい!女性の洗礼があるということもあって礼子先生がご用に当ることとなった。
 
  あとで「これがよかったのよ・・」と先生曰く。このお嬢さんちょうど生理日であったことから適切な指導をしてあげることができたという。ハレルヤ!かくして三人はお救いに与り、亡くなった父親の為の身代り洗礼も出来たのであった。われらは再びサムエル宅に戻り、語り合う時間をもった。実に楽しい時であった。礼子先生のお証しにも頷いて輝いて聞いている若者たち。最後に「こどもの時に覚えた讃美歌を一つ聞かせて下さい」というと、このLUCKYは恥ずかしそうにそしてみんなが手をたたいて声を合わせて歌い出した。そのズ−ルー語の讃美はあまいメロディーだった。 
 
  歌の意味を聞くとそれは何と「いま天国の門が開いた」だって!それがわたしたちにどれほどの驚きを感じさせたことか!そして遂におとずれた「アフリカの夜明け」をここに感じながら、車に乗りわたしたちはかれらに別れを告げた。そして時はちょうど正午近くであったので、どこかで食事をしようとレストランを探すが見つからない。そこでなじみのスーパーに駐車してあたりを探すと、一番隅にピザの店が開いていたので「ピザの スペシャル」というのを注文したら、20分ほどして出来て来た「本格的な」それそれもでっかいのが二つも出てきた。わたしたちは吃驚しながら一つの半分を二人で食べてもうお腹いっぱいになってしまった。
 
  礼子先生曰く「残りをあの兄弟姉妹がたに持って行ってあげましょう。それに大瓶のコ−クがいいでしょう。若い人達はみんな好きみたいだから・・・。」そういうわけで思いがけずもよいプレゼントが用意されて持って行ってあげた。すると嬉しそうにみんなが
飛んで出てきて喜びを体で表していた。ハレルヤ!バイバイ!
 
  これが今回の最後のエピソードとなった。空港のAVISに車を返した時、3,300キロ
ほどの走行距離が出ていた。常に守られ、実に快適な旅路であったことを二人で主に
感謝したことである。
 
今日み救いに与った三名を記録しておく。
洗礼の時間は9/14  10:00であった。
  LUCAS  SINDANE   (30  SEP.  1978)
     P.O.BOX  246  LEEUFONTEIN  0039
       身代り洗礼  父親(ELIYAS)
  ALEX  MUNMANI   (1976)
     FROM MOZANBIQUE
       身代り洗礼  父親(PAULO)
  NHLANHLA (LUCKY)  NYONI  (10  OCT.  1981)
     P.O.BOX  924  TWEEFONTEIN  E  0458
 
 
2003/09/15 (月曜日)
 
  香港までは13時間近く飛んだ。着陸したとき香港は大雨であった。 乗り継ぎの
福岡ゆきの出発まで、2時間半ということでちょうどよい気分転換となった。次の
キャセイ機は台北経由ということで、ほぼ5時間近くかかった。
 
  到着の福岡空港の国際線はとても綺麗ですごい。入国の係官がわたしたちが南アフリカに14日間の旅をして帰国したのを聞き「このビッグファイブという免税のふくろをわたしは初めて見ました」と言った。さて、予約していた宿に行く為にタクシーをと考えながら入国ゲートを出ると、そこには別府教会の田原 茂先生がわたしたちを笑顔で迎えて下さっていた。ここにも恵み深い「神のご愛」が流れていると思った。
 
  主よ、こころより感謝いたします。思えば、わたしの「うっかり」で予定のキャセイ機に乗り遅れ香港で丸一日過ごしたことも、今にして思えば深い「主の憐れみと恵み」でありました。8月の瀬戸内海大聖会の前後の疲れが溜まっていたのですね。ふたりともあのホテルですごい熟睡を与えられていたのですから。トラブルといえばそれが最大のトラブルで、あとは実にスムーズでした。お救いは宮良先生がおいでになる前までに24名で、さらにボタベロで12名が与えられ(全部宮良先生のご用)最後の一日にはプレトリアで3名の、それも素晴しくやわらかな霊魂たちが加えられました。先ほど、わたしたちの留守
を守ってくれた平友也・香巡回からは「自分たちも愛媛教会にてよき牧会の勉強が出来
ましたし、多くの『水と霊』の御用が与えられて感謝でした」との報告を受けました。
あすからは九州の巡回のご用が始まるとのこと、礼子先生はさかんにつたい歩きする
可愛いい孫の美地子ちゃんにはもう会えないネーと、少々寂しそう・・・。
 
ハレルヤ、
 いまあの旧約の伝道者ヨナさんのごとくに、わたしたちは言いたいのです。
 
   貴い「み救い」は全て主イエスさまのみ業でございます・・・と。
                          ハレルヤ アーメン
 
 福岡の宿でふたりは懐かしい日本の味「お寿司」を箸でつまんだ。
 
 
                      第7回 南アフリカ伝道  終わり
 
 
                        MAIL: mizu_to_rei@mac.com.