第6回 マラウイ伝道の記録
 
 
2007/8/20(月) 晴れ
 
 今朝は「66歳の誕生日」を感謝の中に迎えた。
 午後3時5分、「愛媛三段ブロック(株)」の向かいにリムジンが来て、そこから松山空港
 へ。済生会今治病院前から曽我部姉が乗り込んだが、見送りの顔が4人も見えた。光子姉、
 美和姉、美保子姉、秦姉であった。
 午後9時、中部国際空港にてわれらは小田正哉兄と平友也巡回と無事に合流する。
 友也巡回は「スワヒリ霊讃歌」を6冊も作って来てくれていた。
 それから、予定どうり出発して約10時間のフライトであった。
 
 
2007/8/21(火) 晴れ
 
 ドバイ空港の8番ゲート付近にある「ビジネスラウンジ」に5人が入り5時間の間
 ゆっくりと「時間待ち」をする。エミレーツ航空10時5分発にてヨハネスブルグに
 向かう。約8時間のフライトで夕方に到着。気温26度と快適であった。
 ハーツのレンタカーで5人乗りの日産・四駆を借りて高速R24でプレトリアに向かう。
 暗くなって前回と同じ民宿に着く。私たち二人は100メートル離れた家にゆく。
 デザインは良好、器材もよし。アフリカ・マサイ風。
 夕食はみなさんの民宿に行くが、肉料理ときついスイートであった。
 これでは太ってしまう。
 
 
2007/8/22(水) 晴れ
 
 朝、小田兄が涙ぐんで感謝を語った。真夜中の2時ごろ「喘息」のため、友也巡回の
 お祈りを受け、たちどころに癒された。(この喘息は10年来のもの)ハレルヤ! 
 サムエル兄宅はこの4月に移転しており、我らはあえず。しかし彼の母親は我らを輝いて
 迎えてくれた。あすの9時にここで再会を約束した。その後、ノア兄を病院前に訪ねるが
 会えず、その後、洗礼用の折りたたみ椅子と聖餐式用のフライパンを求めて、OUT DOOR
 SHOPへ行く。良き品物を手に入れたので、再度、町の中心Pretoria Plazaの一角
 の ”Café Riche” にて私の66歳の誕生祝いの昼食会を楽しんだ。
 午後4時30分には民宿に帰った。
 
 
2007/8/23(木) 晴れ
 
 サムエル兄も母親も仕事だがマーガレット姉はOK!となる。彼女の住まいは農園の片隅
 にある住宅群の一棟だ。夫と共に協力して内装工事を完成させたそうだ。我らはその借家
 で祝福を一緒にお祈りした後、故郷のモチに向かった。約80キロの道のりである。途中
 チキンの店で昼食を摂る。彼女は美容師としてプレトリアにて働きだしたばかりでもあり、
 太らないように気をつけているからと、わずかにチップだけを食べた。
 
 故郷の家は驚くほどに整備されてきれいになっていた。サムエル兄のすぐの弟は高卒とな
 り、ちょうど学校から帰って来てわれわれに挨拶をした下の弟JABULANIくんは現在1
 3歳とか。礼子先生のお勧めの中で・・・自分も13歳の時に福音を聞き「水と霊」に預
 かり「喜びの人生」が始まった・・・それからもう55年も経ったと、この弟さんにみ救
 いを勧めた。受霊の後のこと、「あそこに行ってみよう・・・トライ」という言葉が出た。
 大乾期さなかのこの時期にはたして「水」があるだろうか?ハレルヤ!この田舎町モチの
 原野に車を入れたところ、冷たい湧き水の水辺が見つかった。感謝であった。すでに救わ
 れていた隣人の奥さんも同行して共に祈っていた。記念撮影。最後にこの隣人は幼い二人
 の子どもを連れて来たので、手を置いてお祈りをした。
 
 帰り道はスピードも出て、約1時間で母親の家まで帰れた。末の息子のみ救いがなったと
 いう知らせに母親は殊の外よろこんだ。
 
 携帯電話でサムエル兄は「自分の休みの土日にかけて伝道に来てほしい、そのように自分
 は祈っている・・・」と話していた。
 
 
2007/8/24(金) 晴れ
 
 朝7時には民宿を発ってタンボ(ヨハネスブルグ)空港に向かった。10時過ぎの
 南アフリカ航空機でリロンゲに向かうのだが、待合室でのこと、向かいに坐っていた韓国
 人が私に挨拶に来た。わたしが金縁の聖書を開いたので牧師だと判ったようだ。彼もマラ
 ウイに宣教の為に行くようであった。なるほど、リロンゲ空港では特別待遇で用意された
 車に乗り込んで姿が消えた。
 
 機内から大地を見続けたが、非常に乾燥した土地の様子が窺えて「水が問題だ」と直感し
 た。荷物を開けさされて手間取ったが、ゲートをくぐると大群衆が我らに注目していた。
 60から70人ほどの出迎えであった。空気は清涼で26度だというが、陽光の直射は随
 分ときつい暑さである。大型のいすずトラックと年代物のランドクルーザーであった。
 制服のクワイヤーはこの4月に救われたチバーラ村の姉妹方であった。大讃美の合唱の中
 をドア県のメングエ村のピリ宅に向かう。吹けば飛ぶような粗末な会堂ではあるが、聖霊
 の祈りが始まると充実感がひしひしと感じられて不思議であった。
 
 洗礼はいつもの大池だ。新しいブランチの長たちが9名「水と霊」を受けた。
 会話の楽しみと喜びがさっそく爆発した。
 
 あすの安息日礼拝の後、昼食後チバーラ村に行くと決めた。その村の一人の兄が言った
 「今からの準備が間に合わない・・・」。でも、わたしは言った。「お導きを感じるので、
 そのようにしましょう」。すると、JESUS CHOICE ! という一声が聞こえた。
 
 
2007/8/25(土) 晴れ。強風。
 
 安息日礼拝は100名を超えた。ご聖餐の恵みにも与る。ウェルチのブドウ汁を一瓶
 使った。この国の言葉チェチュワ語で「サバスというのは日曜日のことだ」と聞いて
 驚いた。では主のご復活は何曜日かと聞くと・・・「サバス」という返事が帰って来た。
 聖書を開いてみた。ルカ伝23章の最後56節と24章の1節をみた。安息日・・・は
 サバス、復活されたのは翌日であり、では日曜日も「サバス」なのか?
 その後、神癒祈祷会、お証し会が続いた。
 
 礼拝後、予定どおりにチバーラ村に行ってみると、大きな神の御業が成った。村のチーフ
 の一人ルカ氏が「水と霊」、そして次々と25人のみ救いとなった。「こちらにはもっと
 きれいな水がある」との声に誘われて行ってみると、本当に美しい湧き水の場所があった。
 ハレルヤ!多くの子どもたちの洗礼の後、聖霊待望会をした。
 
 夜になり、トラックとトヨタの四駆が各々100ドルというのは高いではないか・・・
 との声が上がり、心を痛める妙な疑惑が流れた。祈る。
 風が一晩中強く吹き続けた。
 
 
2007/8/26(日) 曇りのち晴れ
 
 カプタランブエ村にて日曜聖会・聖餐式130名ほど。小学校の教室にて大いに讃美した。
 そこではペンテコステのことを語った。(使徒行伝2章)チーフの一人が「水と霊」、その
 時に24名のみ救い。校長先生が歓迎して下さり、昼食に与る。
 
 その後、近くの家に移動して福音「水と霊」を語ったが、何だか変な感じですでに悪しき
 風評が流れており、村人たちは心を閉ざしたのだと説明を受けた。救いは8名であった。
 
 
2007/8/27(月) 晴れ
 
 ムグルラ村の伝道。前回の4月にも訪れた処だが、今回は主のご聖餐を予定して出発した。
 (約60名分)陽光がきつい中であったが、教会としての建物がすでに出来ていた。茅葺
 きの屋根だけで充分に涼しい。村のチーフの救いから始まったが多くは、悪い風評を受け
 て、恐れているという。水は清く、たくさんの鮎が泳いでいた。17名の救いに止まった。
 しかし、ご聖餐にはわれもわれもと加わり、その数110名ほどになった。
 
 今回の救いのペースは遅いように思われるが、一方、群れの勢いは盛んになってきている
 と見えた。
 
 
2007/8/28(火) 晴れ
 
 満月。どんよりとした大きな柿色のお盆と見えた。ちょうど日本では「皆既食」だったと
 言う。
 
 夢路に、天と繋がる梯子・・・を考えていたようだ。ヤコブ(イスラエル)はベテルにて
 神に出会い、神の守りが常にあると約束された、そのことから俄然、信仰を持って生きて
 行く人になった。我らの主イエスさまも「人の子」としての同じ弱さを抱えながら、強く
 生きられたのは天と繋がっている確信であったのだと悟る。まず天より来たり、天の指導
 を受け、天の守りと祝福を受け、天の使命を果たし、天に帰るのである。
 
 マラウイ湖まで20kmの地点にチムワCHIMWA村がある。
 そのチムワへの伝道。ブワBUWA河はマラウイ湖に流入する大河である。牛の群れは
 ここに流れる豊かな水に満足そうであった。次々とみ救いがなされ、19名。
 次回はきっと大きなみ救いになると思われた。橋の上から見下ろしていた青年が
 「身代り洗礼」のことをピリ兄に質問をしていた。「天国の鍵」をペテロに与えたまうた
 主イエス・キリスト。その鍵は「水と霊」であり、「身代り洗礼」である。
 
 昼食は病院長の事務所内でごちそうになった。
 まず、主イエスさまのご臨在が大切だと感じたので、手を上げて共に祈る。
 すると光がきた。
 
 
2007/8/29(水) 晴れ 風が吹く
 
 ごちそうさま(ザビノ)。
 朝のうち、兄弟方の14名が霊讃歌を練習していた。
 今日は3カ所の村に行った。伝道集会はCHINOWAにて、そこはMAKUNGUBWI山
 の麓の村である。洗礼式はCHIKHOSIにて、そこはMUGULULA伝道の時と同じ水場
 であった。そこで31名。さらに聖餐式はCHAZAにておこなった。トラックの不調や
 村の橋の破損などで思わぬ時間がかかった。夕方6時半も過ぎてからメングエ村に帰着し
 た。
 
 「3カ所はやはりきついですね・・・」との声。
 月が出始めた頃、10名ほどの子どもたちのクワイヤーが激しく歌いだした。大人たちの
 指導もあり・・・すごい!それは翌日の為の練習であった。
 年配者である小田兄も曽我部姉もしっかりと主に支えられており感謝だ。
 
 
2007/8/30(木) 晴れ
 
 おはよう(マズカバージ)。
 ゴゴGOGO伝道。葬儀が入った為に急遽、このゴゴ村に行く。準備不足という事か・・・
 婦人たちと子どもだけの「水と霊」となった。村にある水たまりには水がとても少なく、
 車に乗って5分、すると充分に水のある所に行くことが出来た。村々をこうして我々が
 通ることが人々の注目を集めたようだ。
 
 少しずつ福音の広がるありさまは意外なことからである。
 近くの村々のチーフたちが好印象を持っていたので、次回は大きな業が拝されると思われ
 た。早々と3時頃には帰って来た。
 
 
2007/8/31(金) 晴れ
 
 ザンビア国境に近いビジンバカムナVIZIMBAKAMUNA村への伝道。早朝の起床。
 8時出発12時頃の到着となった。ベザ村には11時ごろ到着し、マタイ兄たち25名
 ほどを乗せて行く。ここは昨年の9月、今年の4月も待ちぼうけをした村だったピリ兄は
 説明した。子どもたちも多く水場はとても汚く見えたが感謝の中に出来た。
 直後には牛たちが集まって水を飲んでいた。
 
 帰途はわずか2時間15分で午後5時15分には帰着した。今回の「水と霊」は26名で
 あった。
 
 キャベツ・青野菜・米食・シーマ・鶏肉・スープ・みそ汁など、我々は夕食を楽しんだ。
 近所で結婚祝いがなされていた。ブライト兄の長兄の娘さんの結婚式があったのだそうだ。
 夜通し、楽曲や歌声が騒がしくきこえていた。その長兄はC.C.A.Pの信者であるという。
 
 
2007/9/1(土) 晴れ
 
 ピリ兄宅のメングエMWENGWE村にて安息日礼拝。約60人が聖餐も受けた。
 メッセージは夫と妻のこと。ボアズとルツ。コリント後書8章9節。証し会が最後になさ
 れたがCHIBVALAの兄姉の証しはとても力強い。
 
 1)16年間のカトリックの信仰の姉、信仰に確信がなく悩んでいた。この教会のことは
  5回も拒絶していたが、夫の話でこの4月に心開かれ「水と霊」喜び溢れ、もうカトリ
  ックに戻る事はないという。
 2)ニコデモとの主の会話で心開かれたという姉
 3)教会の指導者であったという兄曰く最初はスパイのように聞いていたが、これは真
  なりと悟り「水と霊」。今は大いに喜んでおり、ピリ兄に感謝、日本に感謝、主に感謝
  している。
 4)自分は神様が誰なのか判らず、心が晴れなかったが、主イエスさまが唯一の神様だと
  判ってからは嬉しくてたまらない。
 
 昼からはみなゆっくりする。小田兄は疲れが出て昼食を抜いた。膏を塗って祈る。
 夕刻のこと、ピリ兄の長兄がやって来て話す。異言のことにまず興味を持つ。自分は
 C.C.A.Pにてすでに洗礼を受けている。「その洗礼は何の名で受けたのか?」みんなは
 私と彼との会話を興味深く聞いていた。家はここから1キロ地点にあるという。
 
 「暗くなったので帰ります」と出て行った。そこには美しい夜空が広がっていた。
 後日、ある愛兄への手紙にこの夜の「夜空」のことを書いた。
 
 「ハレルヤ 感謝でした。イザヤ書には「燃えて輝く松火・・・」という表現があります
 が、もうこの火は消えないだろうな・・・と思えるほどの激しい勢いがでていました。
 全体を総括して思い起こしてみると、30代の働き盛りの青年たちが福音にどっと立ち
 上がる様は、主イエスさまのご活躍なされたあの時代を彷彿させます。金はないが時間は
 たっぷりとあり、粗食を別に何とも思わない「あたり一面の貧しさ」が、霊の世界への
 飛躍の門戸であった・・・と、意外な発見をしました。
 ちょうど月齢が5または6という右弦の月から満月を経て左弦の月に至る日々でした
 から、太陽と月がある時には決して感じない「星空の魅力」が月齢18ぐらいになる日没
 以後の月のないしばしの闇夜は驚きの星の世界が出現しておりました。
 思えば、パウロ先生が「自分がまだ肉体にある間は主イエスさまより離れている」という
 意味のことをおっしゃっておりますが、肉体を太陽と月の輝きに置き換えて見たときに、
 俄然、「おぼろにしか見えなかった霊界」が、肉体を脱いだ瞬間より、輝きだしてくる
 のだな・・・、そして主イエスさまの深い御心を存分に理解出来るようになる、などと
 考えたりして楽しんでおりました。」
 
 
2007/9/2(日) 晴れ 左舷の月
 
 セセSESE村への伝道。良き伝道の器を見いだした。Kaninga Chepeni兄である。英文の
 「我らの教会の本質・使命」などを、現地のことばチェチュワ語に翻訳して貰う事にした。
 きつい霊の戦いを感じた。村々を廻ってくるはずのトラックがなかなかこない。招かれて
 いた各村の村長たちの表情にも厳しいものがあった。正午過ぎになって大讃美の中にトラ
 ックが到着。光が溢れた。聖霊待望と洗礼式が続いた。続々とみ救いに与る青年たち、
 各村からの人々も加わり、遂に54名となった。聖餐式は予め用意された140名分も
 足りず、最後には150名を少しオーバーしていた。神癒の時には聖霊の炎が燃えた。
 40分の道のりで、午後5時半には帰着。
 
 夜、見上げると満天の星。
 ヨハネ伝3章 主がニコデモ先生に、最も「天に近い」地の事、「水と霊」を語られた時、
 ニコデモは全く不可解だ・・・と言ったが、それを見て、主は「やはりあなたに天の事を
 話してもダメなんだ」と語られている。然し、神の花嫁として許嫁された「真の教会」が
 「水と霊」によって予言通りに出現して来て、主イエスさまを心から愛し、主の御心を
 知りたいという存在がここにある。どれほど、主はこの教会を大切に思っておられる事で
 あろうか!
 
 天から来た者(主イエスとその子どもたち)が一つに集められ、天に引き上げられて行
 く・・・というメッセージ。その予言の言葉はかすかな光であり、滅び行く者たちの耳目
 には全く覆い隠されたものである。あたかも太陽の光の下にある時に我らが全くこの美し
 い夜空を想像しえず、その存在すら忘れ去っているのと同じである。
 
 “視よ、天開け・・・、聖霊、鳩の如く天より降るのを見る”
 “息を吹きかけ言い給う「聖霊を受けよ!!」
 
 憎しみの連鎖から解き放たれた「新しい人」はどのようにして誕生してくると聖書はいう
 のだろうか? 天よりのもの、我らが神の霊を心に迎える時に、全く驚くべき世界が開か
 れてくる。
 
 
2007/9/3(月) 晴れ
 
 神のお考えが成って参りますように・・・。
 KUFUNA KWA MULULUNGU KUCITIKE
     (God’s will shall be done.)
 
 40名ほどの見送りの一団がトラックに乗って空港へむかった。彼らは中に入れてもらっ
 て整列し、後には待合いの椅子席に静かに坐っていた。
 
 全ての伝道予定が終了して、静かに思い返している。謙遜と忍耐と希望から今回のみ救い
 「水と霊」の業が出現した。主のご熱心であった。
 
 午後6時前には予定どうりゲストハウスに着いた。礼子先生は夕食を摂らずにベットに
 倒れ込んだ。頭が痛いという。今回は弱い所を持つ者たち5人であったが、皆、主に支え
 られて主の大事業に参画できたことを喜ぶ。小田兄曰く「主許し給うならば、又、来た
 い・・・!」
 
 次に、気がついたことを列挙してみたい。
 
1)    伝道にはいつもその村々のチーフたちの参加があったこと。
2)    チバーラ村の群れは聖霊の力が感ぜられた。
3)    導かれて造って行った洗礼着(婦人用、牧師用、男子用)の事。
4)    什一を主に捧げる幸いについて。
5)    クワイヤー(聖歌隊)という民族文化のこと。
6)    群れとなって戯れる幼い子どもたちの姿。
7)    粗食が当然の世界の豊かさ。
8)    聖書が大きな情報源であることの幸い。
9)    宣教活動が純粋な福音そのものであることの幸い。
付随するものは最小限に押さえて行くという意思の貴さ。
 10)「水と霊」の福音をもっと深く掘り下げて天的な立場から観ると
    きっと世人の心にアピールする角度が発見できるはずだ。何故
    なら彼らは生命を失った世界にあって「生命」の貴さを感じて
    いるからである。
 11)4月以来、乾期が続いていたにも関わらず、何処にても「水」が
    用意されて、救いのご事業が滞らなかった。すごいことだ。
 12)5人が一人当たり1000ドルという負担をしたが、ほぼこれで
    まかなわれた。(最後に返金が一人当たり250ドルほどあった)
    レンタカーの2台の借用代がほとんどである。
 13)ピリ兄宅にて宿をとった事は、今後の検討の重要課題である。
 14)マラウイ人の人柄は最高度の評価を受けて当然だ。これは大きな
    ポイントである。
 15)隠れた貴い業は困難と思われた問題を解決した。ハレルヤ!
 
                              以上
 
 
                            MAIL: mizu_to_rei@mac.com.