第24回 ベトナム伝道の記録
出発を前にして
つい先月、愛媛教会に9名のベトナム人が導かれ、全き救い「水と霊」に与られた。その中でひとりホイ兄という日本語も英語もとても上手な方がいた。彼は非常にこの救いを喜んで、ホーチミンに住む自分の家族に、そしてクリスチャンであるというガールフレンドにも是非伝えて欲しいと言った。彼は船員なので長期間海の上だが、もしかしたら12月にホーチミンに帰るかもしれないと言う。それを聞いた私は咄嗟に、まだ今回の伝道が確定していないにもかかわらず、ビザを取る為にとりあえず旅行社にお願いしていた日程をホイ兄に話してしまった。後で聞くと、この時点で礼子先生は大きな霊の戦いの真っ最中で、イエス様からのはっきりとした徴を求めて祈りから祈りに次ぐ日々だったという。一方私は、ベトナム人が救われた事がとても嬉しくて、これはもう導かれている、行かなきゃ!と確信したのだった。しかもホイ兄の家は、私たちが毎回泊まっているタンソンニャットホテルから歩いて5分の所だという。「12月10日は必ずタンソンニャットホテルに泊ります。もしあなたがホーチミンに帰っていたら会いに来て下さい」と言っておいた。
イエス様の御旨は2、3の徴によって確かめらるというが、その日から幾つもの驚くべき徴と不思議が起ってきた。そのひとつに、ある日新聞の一面に、アメリカのクリントン大統領が米大統領としては初めてベトナムの首都ハノイを訪問したという記事を目にした。これは戦後25年経って、アメリカがベトナムに対して本当の意味で和解を求めるとともに、友好的な関係を築きたいという意志の表れである。今回の訪問では初めて、ベトナムで戦死した米兵の遺骨の発掘、そして大量散布された枯葉剤による後遺症に今もなお悩み苦しむ多くの人々に対する補償問題が焦点になっている。
ベトナムのそういったニュースを耳にする度、胸にジーンと迫るこの感情は一体何なのだろう。わからない。ベトナムを愛する特別の気持ちや、貧しい国に対する憐れみがある訳でもないのだ。ただひとつわかっていることは、たとえこの伝道が止められてもイエス様はこの国を決して見捨てる事はなさらないだろう。イエス様は今日も明日も明後日も進み行かれるお方だ。イエス様は、ベトナムの為に計画なさっている事を成就するまでは、休み給わないのではないか。イエス様が望んでいらっしゃる事はただ、この火が燃える事ではないのか。
2000/12/10(日)
愛媛教会でイエス様に祈りを捧げて出発した。ただ主イエス様の御旨と御心がベトナムの上に為される様に、そして全ての御栄光は主イエス様にのみ帰されて、イエス様の御名が崇められて下さるように。我等を主イエス様の証人として、兵卒として用いて下さるように。
関西空港から一路ホーチミンへ5時間半。ホーチミンの空港に着くと、いつもの笑顔が私たちを取り囲んだ。カンボジアからカーン兄、ディンサローン姉、国境の町からユン姉、フォン兄、ホーチミンのトワン兄、ムイ姉、ケント−からパウ姉が迎えてくれた。ホテルの部屋にて霊の良きお交わりの時が与えられた。この度の飛行機は、早い便でホーチミンに着いたので、夜までにとてもゆっくりとした時間があったのだ。ここ数年は、ホテルの部屋に現地の兄弟姉妹方が集まるのは何の問題もなくなってきた。ホテルのレセプションの方々も非常に喜んで私たちを受け入れてくれる。警戒心のかけらもない。ホテルの部屋に皆集合してもらい、早速スーツケースから、持参してきたベトナム語の聖書を出した。
お祈りの後、前田礼子先生は聖書を開いて、今彼らに必要な霊の糧を与え、信仰の良きお導きがなされた。病いがある人には、聖書の約束に従って神癒の祈祷がなされた。ただイエス様にのみ依り頼む信仰が与えられる様に、困った時、大変な問題が生じた時、イエス様と言いながら牧師や人に助けを求めてはいけない。礼子先生は、次々と聖書の御言葉を通して彼らに語られた。ベトナムでは、願ってはいても私たちが思うようにはいかない諸事情があった。理想はあるけれども、なかなかそうはいかなかった。そんなかつての伝道を色々と振り返りながら、今与えられているこの恵みを感謝せずにおれなかった。
兄弟姉妹方は皆真剣な目で、先生の語られる言葉に耳を傾け、色々なお証しを聞きながら頷き合っていた。カンボジアではすでに、カーン兄、ディンサローン姉の「家の教会」で安息日礼拝がもたれているが、ベトナムでは不可能な事だった。しかし、礼子先生が「家の中で、家族だけでもいいから礼拝を守るといいですよ。」と勧めると、警察官であるトワン兄が「先生が下さった聖書を読んでいます。部屋の戸を閉めて一人で読んでいます。自分は警察官ですから、この事が人に知られると大変な事になるでしょう。でも妻と子供、妻の両親と一緒に礼拝をする事はできます。土曜日は丸一日勤務なので、金曜日の夜に礼拝をします。」と言った。
その後、明日からの伝道の為のお祈りが捧げられ、イエス様の救いの御事業が活発に押し進められる様に、イエス様が為さんとしていらっしゃる事が一つも欠けなく成し遂げられる様にと只管祈りがなされた。伝道となると皆の目つき顔つきが違ってくる。本当に燃えてくるのだから仕方ない。トワン兄もパウ姉も、それぞれが知人友人に呼び掛けて、明日は百人以上の人々をバスに乗せてもいいですか?と聞いてくる。パウ姉は今夜中に200km程遠く離れたケント−まで帰って、明日のバスの手配をして、明日ご主人と共に沢山の人々を引率して来ると言って喜んでいる。
2000/12/11(月)
伝道第1日目、今朝は早めの朝食を終えてホテルをチェックアウトし、7:30にはブンタオに向けて出発した。今日トワン兄が引率する3台のバスはもうすでに出発したようだ。今朝、一旦打ち合わせの為ホテルにやって来たトワン兄の顔は、「さぁこれから水と霊ですよ」と言うように輝いていた。私達5名(前田礼子先生、カーン兄、ユン姉、フォン兄、私)はミニバスでブンタオへ、パウ姉はケント−から直接ブンタオへ、向こうで合流する予定だ。
かつては4時間近くかかることもあったブンタオへの道のりが、今はすっかり道路が整備されて、今日はなんと2時間半程で到着した。道路には頑丈な中央分離帯もできたので、あたかもチキンレースの様な対向車との小競り合いに、はらはらドキドキという事もなくなった訳だ。ハレルヤ! 10時過ぎにはブンタオのハイアウホテルに着き、すぐに着替えていつものNO.9ビーチへ向かう事にした。しかしそのNO.9に先に行っているはずのトワン兄の姿が見当たらない。行ったり来たりうろうろしていると、トワン兄がバイクに乗って私達を探しに来た。聞いてみると、今回ビーチはどこも工事中でNO.1ビーチしかオープンしていないそうだ。NO.1だから、ずっと端の方で初めての所だ。行ってみると駐車場にはトワン兄が引率して来た3台の大型バスがずらっと並び、100人余りの新しい魂が今まさにこれから救われんとしている。波打ち際で円陣になって祈りが捧げられた。
イエス様ご自身がこの所の真中にお立ち下さり、豊かに注ぎ給う聖霊をもって救いを押し進めて下さるように。前田礼子先生の御用を豊かに祝して下さり、我等ひとりびとりが各々置かれた場所にあって良き助けとなり、与えられた務めを感謝して尽していくことができるように。一切悪しき者の働きがない様に、ただイエス様がこの所を覆って守って下さる様に。
皆とともにお祈りをした。私達を取り囲むように一人また一人と「水と霊」がなされていく。とてもスムーズに救いがなされ、誰も私達を煩わせる者はない。このビーチが豊かに聖霊に満たされ、天の喜びに誰もが包まれていた。
これは私事だが、伝道出発の2週間程前から患っていた突発性難聴がベトナムに来る飛行機の中で突然癒されてよく聞こえるようになった。ハレルヤ!!あれほどうるさかった耳鳴りが全くしなくなった。
今日、ビーチで聖霊待望をしている最中にハッと気づいた事は、もし私の耳が聞こえにくいと伝道の御用はできないし、聖霊待望は難しかっただろう。サタンはきっとその私の弱さを狙っていたのだという事がわかった時、大感謝が溢れてきて嬉しくなった。しかし出発前から不思議に何の不安も感ずることなく、きっと伝道に行けば癒されるという思いがあった。弱き者も我は強しといえ ハレルヤ!
午前中105名のお救いがなされて私達は海の家でランチをとった。ケント−から人々を集めて来るはずのパウ姉が依然見つからないので、カーン兄やフォン兄が探しに行った。3時頃やっとあらわれたパウ姉が言うには、朝8時にケント−を出発したが途中ドライバーが道に迷い、今やっと着いた。私達は大変だったねーと言ってパウ姉やご主人の労をねぎらったけれど、実のところは「なんてタイミングのいいイエス様!!」と語り合ったのだ。深く考えもしなかったが、トワン兄のグループとパウ姉のグループが鉢合わせするのはよくない。私達の計画は最初から手落ちだらけなのだが、いつも補って下さるのはイエス様。
2時間程小休止して、美味しいごちそうを頂いて午前の疲れが癒された頃、イエス様は第2陣のパウ姉をブンタオに送って下さったのだ。イエス様の深きご配慮に感謝した。そしてパウ姉が引率して来られた25名の方々が全員「水と霊」に与られ、計130名。ハレルヤ!!
2000/12/12(火)
昨日と同じNO.1ビーチへ行ってみる。トワン兄とムイ姉はホーチミンを巡って伝道したが、今日はバスに乗る人数が少なくブンタオには来れなかった。
その代わりムイ姉のお父さんであるク−ン兄が30名の新しい魂を1台のバスで連れて来た。ク−ン兄は68歳、歯が抜けているので老けて見えるが、体格や身のこなしは非常に若く行動力があり、ハツラツとしていて、いつも笑顔の兄弟だ。私達に、体のあちこちに残った銃弾による傷跡を見せながら話し始めた。1975年ベトナム戦争が終わるまで連合軍の兵士だったが、その後は物売りをして細々と生活してきたという。ホーチミン率いる北ベトナム軍が勝利して南ベトナムを占拠するようになると、ク−ン兄はじめ多くの兵士が、生き残る為に名前を変えたり身分を匿さなければならなかったそうだ。大変な時代を生き抜いてきたのだろう。いつもニコニコしている彼の様子からその様な過去を窺い知る事は出来なかった。しかし戦争後、ク−ン兄は2人の奥様と12人の子供に恵まれ、そのうち2人の娘さんのご主人がトワン兄とフォン兄だ。このク−ン兄、トワン兄、ムイ姉の3人がここ何回かの伝道の中で良き器としてイエス様に用いられている。ムイ姉もお父さんやご主人に負けず劣らず勇ましい女性で、しっかり者の様だ。
3人とも伝道が大好きとみえるが、トワン兄などは警察官としての仕事を後回しにしてまでブンタオに来たがるので驚きだ。フォン兄は昨年から伝道に必ずと言っていい程毎回参加して下さっている。彼はとても物静かな青年で普段は目立たないけれど、いざ「水と霊」となると記録係という自分に与えられた務めを忠実に果たして下さる。いつも先生と私の傍にさりげなく佇む彼の控えめな性格も、実は素晴らしいイエス様よりの賜物だという事に気付く。このフォン兄とトワン兄の奥様同士が姉妹で、つまり義理の兄弟という事だ。そしてフォン兄のお母さんがユン姉で、彼女はカーン兄の奥様ディンサローン姉のお姉さんでもあるのだ。よって皆、遠戚関係でつながっている。現在の日本では考えられない事だが、ベトナムやカンボジアではこういった結びつきを大切にしている。
一方、ケント−のパウ姉からは今朝電話があり、昨夜の大雨で伝道ができず今日はブンタオに来る事ができないが、明日は沢山の方々を連れて行きますとの事だった。よって今日はク−ン兄が導いてきた30名の方々のお救いがなされ、正午には終わった。海辺の食堂に引き揚げてランチを頂く。
今年、このブンタオのビーチに沿う海の家のほとんどが取り壊されて、この度はNO.1ビーチの辺りしか入場できない。かつて海の家や海で働く多くの人々が救われてきた。親も家もないストリートチルドレンや、浜辺で貝を拾って売る物売りの人々、蟹売りの女性達、行商の人々、監視員の青年達、色々と場所を変えながらブンタオの海の人々とたくさん出会ったとても思い出深いところだ。貧しさの中、助け合って一生懸命その日その日を生きている。したたかで逞しい人々だ。彼らは皆喜んで「水と霊」の福音に与り、人々に伝えていった。今、彼らはどこへ行ったのだろう。海の家々はほとんど消えてしまって、味気ないコンクリートのカラフルなリゾート施設が次々と建設されて、かつてのブンタオではなくなった。今日、食堂のオーナーに聞いてみた。「あなた達も近い内にここを出るのか?」「1〜2年の内に出るかもしれないし、元々ここは政府の土地で我々は家賃を払って借りていた。だから新しく施設ができたらまたそこを借りて商売をするかもしれない。」
特に今回は聖霊待望をしながら、この人達とは2度と会えないかもしれない、けれどもどうぞイエス様、彼らの親となって永遠に御愛をもって支え、お導き下さい、どうかこの人々をよろしくお願いしますと切に祈らされた。今日は早々とホテルに帰って6:30に夕食。ゆっくりと夕食を頂きながらカーン兄と語り合うことができた。イエス様について、我等の教会について、我等に与えられた真理について、信仰のあり方について、前田礼子先生は沢山のお証しを交えて分かりやすい様に語って下さった。カーン兄は時々ユン姉やフォン兄に通訳しながら、「自分はまだまだイエス様の事もイエス之御霊教会についても知らない事ばかりだ。聖書を読んでもよく分からない。もっともっと明確に教えて下さい。自分にはそれが必要だ。これからもっとベトナム、カンボジア全土に福音が宣べ伝えられる為に、もっと知るべき事がたくさんあると思う」と言った。そして礼子先生のお言葉にそうですか、そうですかと時々驚いたり頷いたりしながら、顔を輝かせて聞き入っていた。礼子先生が「今はしっかり学ばなければならない。何でも質問があれば聞きなさい。帰ったらカンボジアの兄弟姉妹に話して聞かせるように」とおっしゃったお言葉に安心したように頷いていた。
2000/12/13(水)
今日はトワン兄、ムイ姉、ク−ン兄が3台のバスで100名余りの人々を引率して来た。このグループの救いが始まったのが午前10時だったが、パウ姉もケント−を朝5時にスタートして未だに到着していない。しかしやはり私達にとっては好都合だ。ふたつのグループが集合してしまうと混乱するし、一度に全員のお救いはできないので、どうしても2回に分ける必要があるのだ。正午までに108名の水と霊がなされた。ランチを食べに食堂へ行くと、パウ姉たちが140名程の人々を連れて3台のバスで到着したところだった。皆とても疲れ切っている表情だ。7時間もかかってブンタオに来て、お腹をすかせているのだから無理もない。
昼食後、再び「水と霊」が始まった。だんだん息が切れてくる。ずっと絶え間なく聖霊待望をしていると、肺のあたりが痛くなってきた。こんなのは初めてだ。そういえば、先生と2人でこんなに大勢のお救いの御用はかつてなかった。列になったり輪になったりしながら順番を待つ彼らの姿はもう驚きではなくなって、今日はさすがに「まだか、まだか」と早く終わるのを待つような気持ちだった。しかし、聖霊の海を感じながら、水しぶきの中祈り続けるひとときはとても幸せで、彼らの救いを心の底から喜べるそんな気持ちになる。イエス様がここに遣わして下さった御心が強く感じられるし、これは私達の意志によるものではない事がはっきりわかるのだ。
今日はディンサローン姉がホーチミンからブンタオに来る事ができた。この姉は9月のカンボジア伝道を終えてすぐベトナムの病院に入院し、3ヶ月になる。その3ヶ月の間に、悪化していた盲腸などの持病が手術によって更に化膿したりして苦しい思いをしたようだ。しかもベトナムでは一人きりだった為寂しくて泣き暮らしていたという。言葉が伝わりにくく詳しい病状は分からないが、この事を通してイエス様はディンサローン姉に多くの事を教えて下さったと思う。イエス様はご責任をもって神の子たちを教育し、深いご愛をもって常に導いて下さるのだから。感謝な事に、この伝道終了後にはカーン兄と共にカンボジアヘ帰る事になった。今日はホテルで休んでいたが、大分具合も良くなり術後の経過がいいので、明日もう一度診て頂きおそらく退院の許可を得られそうだ。3ヶ月ぶりにプノンペンに帰れる、愛する子供達に会えると言って涙している。どんなにか嬉しいことだろう。9月のカンボジアでは、心臓の周りについた脂肪が圧迫して時には心臓が停止することもあり、仮死状態を引き起こしていた。今日聞くと、完全に癒されてどこもかしこも良くなったと言って喜んでいた。ハレルヤ!イエス様のお力によって、再びこの伝道の勇者であるディンサローン姉を奮い立たせて下さる事を切に願ってやまない。
2000/12/14(木)
昨日までの伝道で全ての諸経費を使い果たして、今日は一日ゆっくり静養の日となった。昨夜夕食の際に、ホーチミンにいるトワン兄からカーン兄に電話があり「先生、明日60人お連れしてもいいですか?と言っています。」との連絡に、先生は即座に右手を挙げて「ナッシング!(もうお金がないよ!)」明日は無理をせずゆっくりとホテルで疲れを癒して頂きましょうという事になった。礼子先生も3日間の海での御用でかなりのお疲れだったので、最後の1日はお恵みとなった。ハレルヤ!この度の伝道を思い返してみて、多くの尊い魂の救いの為にイエス様がここに導いて下さった事を大感謝した。
されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権を
あたへ給へり。斯る人は血脈によらず、肉の欲によらず、人の欲に
よらず、ただ神によりて生まれしなり。
(ヨハネ第1章12、13節)
午後5時にはホテルを出発してホーチミンに戻り、9時に空港へ、そして午後11:30に飛び立つ予定だ。空港へ行く前に、トワン兄のお宅で祝福のお祈りをという事になった。トワン兄は勤務中だったようだが、制服姿のまま私達を迎えてくれた。玄関を入ってすぐの小さな部屋に大勢が集まったので、ク−ン兄に「玄関を閉めた方がいいですか?」と聞くと、ニコニコしながら構わないと言う。
すると、トワン兄がびっくりする様な厳しい顔つきで玄関に鍵をかけた。礼子先生が聖書を机の上に置いて「これからこの家の祝福の祈祷会をします。」のお言葉に、トワン兄は困惑顔でいっこうに落ち着きがない。ブンタオではあれだけ始終喜んで警察官らしからぬ人なのに、今は怒ったような表情である。それでハッと気付いた。私達が何度ベトナムに来ても分からない「共産主義」の実情があるということに。トワン兄一人を除いて誰一人分からなかった。緊張しきった彼を見て、先生は数分だけ祝福のお祈りをなさって足早にその家を失礼した。幸いな事はこのご家族をイエス様がお選び下さり、ベトナムの救いの為に今、尊く用いておられるという事だ。これからいよいよイエス様の悦び給う事がベトナムの上にもなされていくだろう。私達の思いや考えのごときちっぽけなものであるはずがない。その上をはるかに越えて、イエス様は全世界に向かって進んでおられる。まさに快進撃!新世紀に望みを抱いている。
空港ではすっかり笑顔に戻ったトワン兄をはじめ、カーン兄、ディンサローン姉、ユン姉、フォン兄、ク−ン兄、ムイ姉、パウ姉など多くの愛する兄弟姉妹に見送って頂き、「素晴らしい2001年を!」と手を振って別れた。我等の愛する主イエス様の尊き聖名を心一杯崇めつつ、
大感謝と共に ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!!
(記録:前田 香)