2007/11/5(月)
メングエ村 Mwengwe 洗礼・・17名
リロングエの空港到着は14:30分ごろであった。
100名を越える愛兄姉たちの出迎えを受けた。
礼拝堂での讃美と祈りなど「挨拶」の後に、受洗希望者が17名いると知り
まだ明るい間に洗礼を・・・ということから、急遽、矢巻義哉先生に御用をお願いした。
確かに主イエスさまは見事な御用人を用意して下さったものである。
今宵、ピリ宅に泊まるのは21名の青年たちであった。
夜遅くまで彼らの部屋からスワヒリ霊讃歌が聞こえた。
2007/11/6(火)
チコモ村 Chikhomo 洗礼・・27名 聖餐・・85名
ここは初めての村。空港への道の反対方向で約5キロ地点。大池があり、
そこで洗礼がなされた。
2007/11/7(水)
イワヤトセ村 Ifayatose 洗礼・・24名 聖餐・・約100名
ピリ兄が「聖書神学」をよく学んでいるのが今日の説教に表れていた。
受霊の徴は異言、救いは水と霊、イエスの聖名による洗礼など。
2007/11/8(木)
セセ村 Sese 洗礼・・16名 聖餐・・110名
手作りの楽器で讃美歌を演奏する青年たちがいた。
ピリ兄より集会前にニュースを聞いた。
前回、9月3日に第6回マラウイ伝道を終了して我々5名は帰国の途に就いたが、
9日目の9月12日にこの國の大立て者といわれたザレカ難民キャンプのトップ
であったナワンガ氏(68歳)が逝去された。
9月15日には難民キャンプにて告別の式典があり約2000名が参列したそうで、
何とその折の告別の説教にピリ兄が指名された。
25分間にわたる説教で、彼はこの真の福音「水と霊」のことと、
真の教会「イエス之御霊教会」のこと、さらには父なる神の聖名がイエスであること
や、さらにはコリント前書15章の「身代わり洗礼」までを語ったという。
これが大反響を呼んで、今は500キロ離れた遠い町々からも「是非来てほしい」
との要請があるという。
こうしたことから南の大都市ブランタイル、北の都市ムズズにも「水と霊」の福音は
すでに飛び火しているという。
2007/11/9(金)
ツクワ村 Mtukwa 洗礼・・18名 聖餐・・98名
難民キャンプから近い村。集会所は粗末な小屋であったが、天来の祝福がくだった。
ここの責任者はこの月曜日に受洗したばかりのFalasisiko兄という。彼は燃えていた。
2007/11/10(土)
メングエ村 Mwengwe 洗礼・・4名 聖餐・・69名
今日の受洗者の一人はスタフード兄の妻であった。
3年前(2004年)愛兄が「水と霊」に与って以来、祈りの課題であった彼の妻
ナジェレ姉のみ救いを今回主が為して下さった。
彼女は長年所属してきた村の教会(CCAP)のリーダーで堅い信仰の人であり、
これは人智では如何とも出来ない事であったのに、主イエスさまが彼女の心を捕らえ
て下さり、「自分はあなたと信仰を同じくする用意が出来ましたので
『イエスの聖名』による洗礼を受けます」と、この日の安息日礼拝の直後、
受洗したのであった。ハレルヤ!
受洗者の今一人は昨日のツクワ村の老人。
彼は昨日葬儀があり、その折の洗礼には間に合わなかったから、朝やって来たのだ
そうだ。
11日より最終日16日までの大型トラックのレンタ代は68,000クワチャ
(約6万円)で契約した。
2007/11/11(日)
チバーラ村 Chivala 洗礼・・11名 聖餐・・132名
朝、いつもはよき御用をするブライト兄が病気。そのために彼の家にゆき膏をぬって
祈った。このチバーラの群れは知的水準の高い兄姉が多いが、それなりにピリ兄の
重荷も大きい。
この日、チバーラ村の日曜聖会で聖餐式には132名が預かり、
その後、洗礼を授かった者は11名であった。
「生命を与えて下さるお方は聖霊さまです。」
主イエスさまよりお預かりしているタラントを大いに用いて増やし
10倍にすることを真剣に考えてみよう。主はきっと喜んで下さる。
四月以来、マラウイの長かった乾季が終わりを告げた。
夜中に雷が激しく鳴り響き、大雨がトタン屋根を激しく叩いた。
2007/11/12(月)
チャンガ村 Changa 洗礼・・16名 聖餐・・180名
手作りの楽器演奏の青年たちの村である。非常に燃えているが未だ幼い群れだ。
2007/11/13(火)
ベザ村 Mbeza 洗礼・・19名 聖餐・・107名
ザンビア国境に近い村で、マタイ兄がしっかりと群れを守り、ピリ兄はここまで
月に一度、5人ほどの兄弟たちと共に自転車でやってくる。約12時間の道のり。
洗礼の為の大きな深い穴を用意していた。
子どもたちの喜びの讃美を聞くことでこころが弾む。
2007/11/14(水)
ジェムシ村 Jemusi 洗礼・・4名 聖餐・・59名
初めて訪れた村で、美しい山里にあり、赤十字の病院と学校がある。
世の教会がしっかりとしており、チーフたちの表情も硬かった。
2007/11/15(木)
ムグルラ村 Mgulula 洗礼・・29名 聖餐・・110名
付近の村里からも人々は集まり、小さな小屋の会堂は一杯。
洗礼は美しい河で、流れの中で義哉先生が元気に御用した。
2007/11/16(金)
メングエ村 Mwengwe
思いがけないことに、最後の日の朝「祝福祭」が導かれた。
最初はピリ兄の所有する畑に出かけて、そこに足を入れて、
そこでこれからの農作業の植付けから収穫までのことを祈って上げよう・・・
ということから、主のお導きを祈っていたのでしたが、
いつもの祈りと讃美の部屋に行くと兄弟方が次々と集まって来て、
遂には21名があの狭い部屋に入り込んで来た。
それではと、農業をして生計を立てている一人一人の詳細を記録することとし、
まずは氏名、そして畑の広さ、作付けの種類を聞きノートに記録した。
一番広い畑を持っていたのがピリ兄で10ヘクタール。
一番少ないラファエロ兄は1・5ヘクタールでした。
作物はどの家も主食であるメイズを作っていますがそれ以外には
バナナ・ポテト・ビーンズ・タバコ・ナッツ・トマト・キャサバなどであった。
御霊は共にマラキ書を開いて神の祝福の約束の箇所をチェチュア語で読むように
導いてくださり、最後にはみなさんで立って手を高く挙げて声高く、
主イエス・キリストの祝福を心一杯にお祈りを捧げた。
この11月に植付けた作物はほとんどが来年の6月から7月が収穫期を迎える
ということで、わたしは許されたらその頃には来て、
主イエスさまに祝福された「喜びの捧げ物」を見せてもらいたいと思った。
良き助け手であるラファエル兄はピリ兄の妻マグレット姉の弟であるが、
こんな証しをした。「自分は長らく仕事を求め探していたが、今回、はっきりと
主イエス・キリストさまから素晴らしい仕事を与えられた。
それはこの「水と霊」の福音を宣伝えてゆくというお仕事である。ハレルヤ!」
主の福音はすでに70の村里に宣べ伝えられ「水と霊」はわれらが行くところに
すでに用意されていた。多くの兄姉たちの伝道が確実によき果実を結んでいる事を
見る事が出来ました。
聖霊の炎はこのマラウイ全土に燃え始め、日々それは広がりつつあります。
「第7回マラウイ伝道」を総括して
ハレルヤ 主イエス・キリストの貴い聖名を崇め讃美いたします。
今回は礼子先生の夢から惹起された事、逃げ出すのではなく「使命に生きよう」というところから聖霊が立ち上がった訳ですが、日本から僅かに2人という最小限の戦力でありながら、驚くほどのタイミングの良さ、さらには現地の責任者ピリ愛兄とスタッフの兄姉の「霊に燃える」恵みによって「水と霊」という貴い救霊の御業がマラウイに於いて毎日まいにち押し進められました。「天の軍勢・萬軍の主われらを助く」という讃美の一節がまさしく地上に具現化いたしました。
11月はすでに雨期に入っておりましたが、一度も伝道そのものに支障が出ることなく、多くの現地の兄姉たちも神のお守りの中にあり、前回より興された「聖歌隊」もさらに拡充して力強さを増していました。今回、特筆する点は洗礼の御用(185名)を主は若き矢巻義哉先生に、洗足は私にさせて下さったこと。さらには、12日間の伝道日程の前後日以外の10日間、毎日、洗礼・洗足の後に聖餐式が導かれ、多い時には180名、少ない時には59名、延べ人数としては1,000名を越える兄姉たちが主の「御肉と御血」に与る事が出来たことでした。
マラウイ伝道のことをこうして思い返しながら記録してゆくと、「水と霊」の救いの喜びが沸々とわき溢れて参ります。聖霊が私たちを支えて多いに用いて下さった事が実感せられ心はいよいよ勇み立ってまいります。義哉先生が兄弟がたと洗礼後に記念撮影した姿を見ましたが、すごく輝いています。聖霊による喜びが溢れています。これが何よりの「天来の恵み」であり、われらがここに立つ時に常に使命が全うされるという訳で、素晴らしいことです。かつて美都子先生が「ロバのあぎとぼね」の讃美を巡回先生たちに歌うように導いておられたことを思い出しております。
一方、ここでも実に巧妙なサタンの攻撃があります。ピリ兄にとってチバーラの群れは「力」であると同時に「悩み」であります。
その悩みとは・・・
チャンガ村のあの音楽青年たちが「自分たちも先生方を空港に出迎えに行く」といってきかない。そのためのバスをチャーターする費用は自分たちにはないのに、他の村のように自分たちにも行かせてほしい・・・という。セセ村の人々のためにすでにマイクロを交渉したのがチバーラ村の責任者のヨセフ兄であったから、チャンガ村の要求はいつの間にかマイクロのオーナーの元に届いていたために、ヨセフ兄はピリ兄とオーナーとの板挟みに合い、苦しい立場に立ってしまった。
後日、それはピリ兄がオーナーからの支払いを要求されて怒り、ヨセフ兄の責任を追求すると、ヨセフ兄はチャンガ村の青年たちのことを充分には把握していなかったことに気がついた。でもすでにそれは負債となって残ってしまっていた。ここで、ピリ兄はその全貌を知って、大切なチバーラ村との関係悪化を懸念して、「聖書代」にと手渡されていた13,000クァチャの中から7,000クァチャをオーナーに支払ったということであった。
それで、今後はマラウイの兄姉たちの空港への出迎えや見送りはナシにしようと我々は提案したのである。 最後の日(11月16日)の見送りの時に、空港警察の係官が「トラックの定員は4名となっているから、今後は多くの人々の乗り合いは許さない」と言った事からみんなの納得するところとなった。次回はタクシーを空港でチャーターしてピリ兄の村メングエ村に直行することになった。
以上
ま え だ み の る