『第10回 マラウイ伝道の記録』
 
          しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、
          主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く
          証しするという任務を果たすことができさえすれば、
          この命すら決して惜しいとは思いません。
                       (使徒言行録20章24節)
 
ハレルヤ!
 
お祈り頂いておりました「第10回マラウイ伝道」と「10周年記念南アフリカ伝道」が恵みの内に終了し、ここに幸いなご報告が出来ますことを主イエスさまに心より感謝いたします。
 
僅かな短い日程でしたからそれは簡単に出来るかと思い最初の日のことから順次思い出しながらメモを取り出しているうちに、あれもこれも・・・と走馬灯のように心が回転を始め、ただならぬ神の聖業に驚きあきれております。よくもこんなに内容の濃い日々であったことよ・・・と私どもは語り合っております。主はかく為して下さいました・・・と簡潔に出来そうなのに、なかなかそれが難しい・・・という感謝多き「伝道旅行」でございました。
 
日本からの参加者の自己紹介(12月4日)
 1)水谷 清兄・・・・ゼロからの出発であった。桶作りの職人として60年になるが、
           今もその仕事を続けてさせてもらっている。
 2)礼子先生・・・・今回は主イエスさまより「二つの証し」が与えられて急に参加
           が決まった。ひとつは「タイム誌」いまひとつは「宣教師夫妻」。
 3)太田 学兄・・・前回、9月に帰る時には今度は2人かと思っていたが主は6人
           でこさせて下さった。
 4)中司 博海兄・・自分は幼い時に「水と霊」に与り、43年間、主に導かれ祝福
           されてきた。
 5)長谷川先生・・・使徒行伝20章24節のスワ先生のタンザニア伝道の記念すべき
           聖句で、急に立ち上がるべく導かれ感謝の中に参加させて頂いた。
 
 
まず、マラウイの為に重荷を背負いグッと彼の地に踏み込んで祈り労して下さった敬愛する「田原 醇先生」が最初の日曜日の早朝にご逝去・・・との驚きの報せが飛び込んで参ったこと。田原先生の貴い祈りがこの伝道全体を包み込んでいる・・・という霊界の実際が教えられました。それに四代に亘る監督先生方の祈りもずっしりと感じられ、天界の諸聖徒の群れの大合唱と大祈祷が聞こえたように思いました。
 
田原 醇先生を偲んで・・・の讃美・祈祷会(12月7日)
 
 稔牧師・・・・・23番 「献堂式讃歌」
 礼子牧師・・・・98番 「悲しみの日のために」
 長谷川牧師・・・64番 「臨在のもとに」
 水谷兄・・・・119番 「主の祈りを歌えば」
 太田兄・・・・・35番 「伝道」
 中司兄・・・・・71番 「エデンの園より」
 ピリ兄・・・・・92番 「シオンの娘よ」
 
 
「田原 醇先生へのお別れのことば」
 
  寧(むしろ)ろ大いに喜びて我が微弱(よわき)を誇らん。
                (コリント後書12章9節)
ハレルヤ!
  田原 醇先生 召さる・・・
大きな衝撃がアフリカ・マラウイの地を打ちたたき、悲しみが深く我らの肺腑(はいふ)をふるわせている。
 
  鳴呼 勇士(ますらを)はたふれたるかな
  戦いの具(うつは)は失せたるかな
           (サムエル後書1章27節)
 
先生は、愛の人、戦いの人、歓喜の人、祈りの人、我ら後輩を勇気づける人、実によき指導者でした。マラウイの地は先生の最も良きものを存分に受けて、今や「聖霊の炎」は激しく燃え上がって来ております。視て下さい。先生!あばら屋の中に満つる霊魂(たましい)、200名を超えて、皆、あのペンテコステさながらに「異言の祈り」は燃え上がって、ハレルヤ!ハレルヤ!先生のご逝去の報に、皆、両手を挙げて祈り、主を讃美した事でございます。異邦人の数を満たせよ。主のご再臨を促進せよ・・と今、天よりの声が聴こえてきます。
                                   ハレルヤ!
 
                                   前田 稔
  2008年12月8日   
                         マラウイ・ドワ・ボコシ村にて
 
 
激しい「霊の戦い」のこと
 
 本当に「霊の戦い」でありました。その前日の安息日には責任者のピリ兄の妻であるマグレット姉と彼女の実兄に当たるスタフォード兄(彼も教会の大切な御用人)の母方の祖母であるゴンゴワさん(93歳)のご逝去があり、最も多忙を極めるこの日曜日にご葬儀となり、彼らと家族全員がそちらに抜ける・・・という非常事態が突発しました。祈りがとても必要でした。高齢の水谷兄はずっと祈りから祈りへの貴い御用をして下さいました。貴い伝道献金も導かれて捧げて下さいました。ご葬儀が終わって帰って来たマグレット姉のお顔は輝いており、再びいつもの彼女になって御用の諸々をこなしてくださいました。
 
ノープログラムのこと
 
 ある兄がうっかりして「ノープロブレム」というところを間違えて「ノープログラム」と言った事から初めはひとしきり笑いが起こったが、実は不思議な事にこの言葉がこの第10回マラウイ伝道のキーワードになったのでありました。当初、ピリ兄は果たして各村々からどれだけ愛兄姉たちがやってくるのかも判らず、準備もどうすればよいかも一向に考えられず、最初はお手上げ状態であったし、我らも祈らざるを得ないで「主よ!」と呼ぶのであったが、それに応えるように「我は今日も明日もまた次の日も進み行くなり」との聖句を突然に賜ったのです。そしてこの言葉にお縋りして、全部を主イエスさまにお委ねして行こう・・・と聖霊は導いて下さった。未信者である近所の12軒の方々が家を解放して下さり、宿として提供してくださったこともすごいことでした。その為の毛布や敷物の買出しにも導かれ、何もかも良き道が開かれたのです。ハレルヤ!そう言う訳で、実に「ノープログラム」が「ノープロブレム」となったのでありました。
 
マラウイに於ける初めての聖会(Holy Gathering)のこと
 
 何と!34の村々から総勢503名も集まったというのですから、われらは驚くばかりでした。いまでもその数字は信じられません。初め、わたしは常識的に考えて、とにかく全体像を把握しよう・・・と愚かにも思ったのですが、そんな余裕など全くなく主イエスさまにお祈りして一切をお任せせずにはおられませんでした。それが幸いでした。聖句がスーと来ました。「われは今日も明日もまた次の日も進み行くなり。」主が進み行き給うというのです。信仰が来ました。するとどうでしょう・・・私の心はとても平安になりました。主が一切の一切となって下さるのだから、感謝して後ろから付いて往けば良いのだ・・・と思わされました。「愚かなりとも迷うことなし・・・」なのです。ハレルヤ!
 
ベスター・オロマン兄のこと
 
 2008年9月、第9回マラウイ伝道が終ってから、彼はリロンゲ市内にある国立病院が職員を募集しているのを知り、早速応募してインタビュ−を受けた。すると見事合格となり、それからは良き仕事を得て高給を得るようになって、彼は大変に喜んでいるとか。土曜日と日曜日はお休みだそうで、彼が長らく願い祈っていた最高の職場を得たのであった。直接には彼からその詳しい事を聞かなかったが、田舎に住む患者さんたちの家々に出向いて薬を届ける仕事だという。素晴らしいことだ。彼は伝道に励みそれに使命を感じていたから福音宣教の面でも大いに活躍するのではないだろうか・・・と期待される。此の度の第10回マラウイ伝道では初めの日々には彼の顔が見えなかったが、日曜日には朝から張り切って通訳の御用をしていた。その日はスタフォード兄が彼の祖母の葬儀に行っていたから主はこのオロマン兄に大活躍をさせて下さったのは感謝なことであった。彼はこの度の「聖なる集い」に遠くの村々からやってきた多くの参加者たちの姿を見て「大変に素晴らしいことだ」と喜んでいた。
 
セセ村のカニンガ兄の証し
 
 自分は4年前まではアフリカン・チャーチの副監督であったが、主が「この教会を出よ・・・」と告げられたので、夫婦揃ってその教会を出てからはずっと「木の下」で主を礼拝していた。その様子を見て人々は笑っていたが、我らは主のお導きを受けて「真の教会」に出会えることを待ち望んでいた。それから3年経った昨年8月のことであった。ある人の葬儀に出た時に友人に「自分は真の福音を求めている」と言った事から彼は「日本の教会が宣教活動を始めているよ」というニュースを伝えてくれた。それから次々と紹介され、イザヤ兄、そしてピリ兄へと繋がって行った。そう言う次第で8月24日には日本からの先生方を空港に出迎えることができた。その後は自分の住むセセ村から「水と霊」の全きみ救いを受けて喜びに溢れる群れが興ってきている。ハレルヤ!
 
 
ハレルヤ!ふりかえってみて思う事の数々
 
 此の度は初めて6名が日本から遣わされ、太田兄、中司兄という力ある50代の兄弟方がピリ兄と一緒に連日あちこちに必要な資材の購入に出かけて下さり、多くの宿泊者を抱えて今必要な「あれこれ・・・」という多くの買い物に、そして作業に、機敏に対処してくれました。これは本当にイエスさまでした。実に栄光は主イエスさまのものであります。
 
 礼子先生と長谷川先生というご婦人の牧師が二人おくられていたので、連日の貴い主の三大聖典(聖餐式・洗礼式.洗足式)も協力しながら無事にこなすことが出来ました。毎日毎日200名を越えるご聖餐、総計で113名の洗礼・洗足の式典や多くの聖霊待望会、それに神癒祈祷会などどれもこれも素晴らしいことでした。
 
 前回の伝道の折には「サタンの教会」とか「人を殺す教会」だとかというとんでもないデマが飛び交った村々に主イエスさまは「真のみ救い」を高く打ち立てて、そうした言葉を打ち封じてくださいました。クタンボ村のチーフは今回、自ら洗礼を受けて「是非、この機会に福音を再度持って来てください」との要請を強くしたので、12月9日(火)にはその村に伝道に行きました。マラウイ国軍の兵士であった親達がエイズで亡くなり400人もの孤児を抱えた「悲しみの村」だと聞きました。その日の「水と霊」は34名でした。洗礼後の大雨の中、神癒祈祷会も導かれ、大感謝の中に帰途に就きました。
 
 途中、ぬかるみに車輪を取られた大型車に道を封ぜられ「ああ・・・主よ」と天を仰いだ時に「娘よ座して待ち、ことのいかに成り行くかを見よ」との聖句。平安が与えられて間もなく、見事に道なきところに道が出来てすり抜けることが出来たのです。
 
 片道四時間という遠いロンゲ村からやってきたのはわずかに6名でしたが、みな輝いていました。その内の一姉妹は前回の初めの伝道で救われた方でしたが、わたしに手を差し伸べて「助けて下さい」というジェスチャーを見た時に主イエスさまは激しく「主にのみ求めなさい!」と導いたのでした。どうでしょう。その姉妹は「主イエスさま」のみに縋ったのでした。主はすっかり勝利を与えて下さり、三日後に行った時には自分の子ども達を「水と霊」に導き、そして今回は別人のように輝いてやってきていました。本当に信ずる者を辱め給わない主イエス・キリストさまでございました。
 
 今回は大型のトラックを二台借りたのでしたが、10日(水)には一台はリロンゲの弁護士事務所に教会登録の為に、一台はマラウイ湖への観光に行きました。世界遺産の一つである「マラウイ湖」。大いに興味のあるところです。現地の兄弟姉妹たちも50名ほど一緒になって行きました。彼らも初めてなのだそうです。行く途中で牧師先生がたは語り合いました。「視よ、水あり。わがバプテスマを受くるに何の障りかある・・・とあるでしょう。洗礼が出来るといいわね・・・!」。
 
 そこに6名の霊魂が救いを待っていたのでした。その一人は言いました。「わたしは納得ができなければ何もいたしません。その福音とは、その救いとはどんなものですか。日本の誰が最初にこの福音を始めたのですか。誰がこのマラウイの責任者ですか。わたしがそれをさせて頂いた後、どうすればいいのですか・・・などなど。」長谷川先生は一つ一つ丁寧に答えました。このたび英語の出来る先生が遣わされたことは凄いことでした。今回の「聖い集会(Holy Gathering)」に34の村々からドワのボコシ村のわれらの教会に503名が集まったことを話すと、彼はすっかりと納得し喜んで洗礼と聖霊を受けたのだそうです。リロンゲに来ていたピリ兄の携帯が鳴って、この青年はさっそく連絡し挨拶をしていました。後日のこと、ピリ兄は「こんどはマラウイ湖岸の村々への伝道だ」と言っていました。
 
英国の婦人のこと
 
 マラウイから南アフリカへの機内でも不思議なことがありました。礼子先生の隣りが空いていました。長谷川先生はダブルブッキングで坐る場所がないので後ろに立っていると、ステュワデスが礼子先生の隣りの席に先生をこさせました。礼子先生の右隣は高齢の英国人女性で「英語がわかりますか」と聞いたので、左隣の長谷川先生と話をしていただきました。ロンドンにお住まいの彼女の話によると「自分の娘がマラウイの音楽家と結婚してリロンゲに住んでいる。この娘は心優しい娘で産まれたばかりの赤子の他にマラウイの孤児を二人も養子にしているのです。この娘のところに是非行ってやって下さい。」そういうわけで連絡先までくださったとか。その後、空港ターミナルで写真をみんなで写し、受霊し、神癒祈祷を受けられました。何と素晴らしいことでしょう。
 
南アフリカのこと
 
 南アフリカ伝道は1998年9月から始まったので今年で10周年ということですが、主イエスさまは今回、目覚ましいことをして下さいました。第一号の兄弟サムエル兄から始まって、家族・親族・朋友・・・と来て、今回は母親の勤めている白人事業家のご家庭への宣教となったのでした。
 
 前回、母親ドラ姉が申すには「ボスが日本からの牧師先生に会いたいものだ。自分は土・日には時間が取れるので先生に都合を就けてもらえないか」と言っている。今回、13日(土)の帰国便の出発が午後4時ごろなので、午前中はお目にかかるお約束が出来ると考えていた。前日にドラ姉からご都合を聞いてもらうと「残念ながら用事がある」というまずい返事。
 
 前日のこと、サムエル兄の故郷モテチ村に行くと妹のヨハンナがいた。そこに近所の幼い姉弟がきて「讃美会・祈祷会」となった。集会の途中に電話が入った。兄のサムエルが夕方7時に母親ドラ姉のところで先生たちに会いたいという知らせであった。終わって帰る車の中で「ああ忘れた・・・」。礼子先生が帽子をあの部屋に忘れたのに気づき、さっそく引き返す。ヨハンナと二人が帽子を持って飛んで出て来た。礼子先生がこの幼い二人に洗礼が出来ないか?とヨハンナに聞くと「母親の承諾がいるでしょう」という。それはそうだ。
 
 ヨハンナは「あなたは洗礼がしたいのか?」と聞いて来たので「そうよ、そうよ。そのためにわたしたちはここに来ているのよ。」と返事すると「洗礼を受けたい人がいますから行きましょう」と歩き出した。兄のサムエルと友人のウイリアムが伝道して福音を語ったことで「全きみ救い『水と霊』を求めている」というご婦人が近所にいる・・・という。
 
 その人は居なかったが子ども達がたくさんその家から出て来た。13人もこの家に住んでいるのだそうだ。その子ども達に聖霊が注がれた。洗礼は母親が居ないから今回は出来なかったが、救霊の炎が辺り一面に燃え上がったのであった。ウイリアムを知っているか?毎週のように電話してくるダーバンの彼のことだとは礼子先生はそのときは気づかなかったそうだ。
 
 一旦は宿の民宿に帰りみんなは横になった時、大雨となり風が吹き稲光がして、「ドカン!ピカ!」が同時であった。何と!わたしたちの民宿の避雷針に雷が落ちたのであった。水谷兄は扉を開けていたので真っすぐに光りが走ったのを見たそうで、あわやベットから落ちそうになったという。わたしは天井から雨漏りがこの体の真ん中に落ちて来た。すぐに止まったが驚いた。
 
 薄暗くなった7時前にドラ姉の場所に向う途中のこと、わたしたちの車にあわや追突する車があり、もうひとつは左側をスピードだして追い抜く無謀運転ありで、「これは祈らねば成らぬ」とばかりみんなで一生懸命に祈ったことであった。何か神さまのみ働きがありそうな気配が感じられた。
 
 事業家の屋敷は壁で囲まれているが裏口の扉が半開きになっており、そこにトランペットエンジェルがたわわに咲いて、佳い香りをあたり一面に放っていた。わたしたちは楽しげにそこを通り過ぎたが兄弟方3人は各々の写真機を構えて写し出した。最後の写真を写していた太田兄に向って壁の中から大声が響いた。この家の主人が悪党団とでも勘違いしたのであろう。「コラ!こっちへ来い」という仕草をした。面食らった太田兄と二人の兄弟たち。顔色を変えてわたしたちのところに逃げて来た。
 
 誤解だったとわたしはわかったので挨拶をして握手を求めたら、大男の彼もわかったらしい。かつてはラグビーで名を馳せた人だったそうだ。ドラ姉の関係の日本人たちと判って逆に「お茶をどうぞ・・・」というお誘いを受けた。大庭園におそるおそる入らせて貰い、庭に面した客間バーにみんなは通された。美味しいドリンクを振る舞われ、少しずつ雰囲気が和らいで、この家族がこの国でも有数の事業家の一つであるとわかってきた。
 
 10年前には病身で弱く悲しみのサムエルを抱えたドラが「水と霊」により実に幸いに満ちた婦人になっていること。サムエルも健康が回復し、良き仕事につき、よき家庭を築いている。こうした事実は彼らの心に信頼をもたらしていたのである。そのサムエルたち妻と娘とドラ姉が入って来た。美しい家族は主イエス・キリストの創造物であった。
 
 この主人と奥さんは我らを家の中に案内した。15歳を頭に幼い子どもたちがたくさんいたが、兄弟の子どもたちも一緒に住んでいるそうだ。そればかりではない。動物たちの多いこと。犬猫からはじまり、鳥類、は虫類まるで動物園である。笑いながら言う。「象だけはいないけど・・・」。子供部屋から寝室まで。全部見せてわたしたちを驚かせ、喜ばせ、ついにはバルコニーにゆく。突然、大雨となり広い広い庭をわたしは見ていた。
 
 雨は祝福・・・という言葉から「天からの祝福がこの雨のようにあなたに下って来るように、そして神の守りがいつも与えられるように祈ってあげましょうか?」と、隣りに立っていた大男の主人に言うと「お願いします」と優しい目で返事した。「ハレルヤ、ハレルヤ・・・・」間もなく聖霊が豊かに下って来た。異言の祈りがはじまった。雨は大降りであったが前方の高い空に大きな光が現れた。「星だ!」水谷兄が叫んだ。彼は目を凝らし「飛行機では?」と訝るがそれは動かない。「星だ、星だ、祝福の星だ!」
 
 再び客間バーに戻るとサムエル一家がいた。サムエルが祈りを求めたので「何を祈ろうか・・・」と聞くと「一つ、さらに良き仕事が与えられます様に。もう一つは、わたしたちの教会がさらに大きく成長しますように」だって。ドキンとした。本当に素晴らしい、大切なお祈りである。
 
 彼らが帰って行く。われらもこの辺で失礼しよう。その時である。礼子先生が「この奥様にも聖霊を祈って上げたい」という。お二人のご婦人の牧師先生がたにお祈りをしていただいた。奥様も敬虔な態度でお祈りを始められ、間もなく受霊された。「これからはお二人でいつも主イエスさまにお祈り下さい。これが主イエスさまのお約束の聖霊ですよ。」主人は言った。次回おいでになったらたくさんの花たちの所へご案内しましょう。そして外側の道路まで見送ってくださった。われらの車はクラクションを響かせて別れを告げた。
 
安息日礼拝のこと
 
 12月13日(土)朝方まで雨が少し残っていたが、朝食時にはすっかり晴れ上がり、安息日礼拝の時には爽やかな青空となった。民宿の内庭にしつらえられた佳き礼拝場所があって椅子とテーブルがちゃんとあった。主イエスさまに此の度伝道に遣わされた面々が、感謝に満ちて着席した。心に去来する「神の恵みの福音」が果たされた・・・という実感は喜びの中心に陣取っていた。
 
 その礼拝に賜った聖句は新共同訳で読まれた。イザヤ書41章2節から7節であったが、その最初と最後をここに引用してみる。
 
  東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き
  国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。
  この人の剣は彼らを塵のように
  弓は彼らをわらのように散らす。
  ・・・
  彼らは助け合い互いには励ましの声をかける。
  職人は金工を励まし
  大鎚を振るう者は小鎚を使う者を励ます。
  ひとりが据え付けて、良しと言うと
  ひとりは釘を打って動かないようにする。
 
 このたびは皆が「助け合い」「励ましの声」をかける伝道であった。まことに「接合(つぎあわ)せいとよし」という協力体制の良好を感じる伝道であった。水谷兄が聞いた。「職人・・・がそこに登場していますね」。ハレルヤ!まことに感謝!こうして平安と喜びと神の証しに満ちた旅が幕を閉じたのである。
 
                                            以上