第8回 マラウイ伝道の記録
 
    我は火を地に投ぜんとて來れり。
    此の火すでに燃えたらんには、我また何をか望まん。
                   (ルカ伝 12章49節)
 
2008/2/3(日) 曇り
 今日、愛媛教会の日曜聖会で「マラウイ伝道」の為に聖徒方と共に祈った折のこと、
 越智美保子姉はその異言の祈りの中で「パラダイス・パラダイス」と出て来た。
 「この意味は何でしょうか?」と訊ねた愛姉に、礼子牧師は答えた。
 「それは天国・・・という意味ですよ。」
 
 夜、渡辺家の4人がわれら二人を自家用車で見送った。ハレルヤ・感謝。
 東予港 22:40 ---- 06:00 大阪南港 (2/4) オレンジフェリー
 
 
2008/2/4(月) 曇りのち雨
 関西空港 KIX 11:10----(TG623)-----15:40 BKK バンコク 
 
 バンコクの新空港は巨大であった。
 われらは空港内のホテルで6時間ほど横になる。
 
 
2008/2/5(火) 小雨
 バンコク BKK 00:15----(TG703)-----06:30 JNB  ヨハネスブルグ
 ヨハネスブルグ JNB 11:50----(SA170)-----14:15 LLG リロンゲ
 
 リロンゲ空港にはピリ兄がひとり手を振り、我ら二人を歓迎してくれた。
 彼は黒いスーツを着、長い傘を手にして、片道5時間の道のりを歩いて・・・。
 挨拶の後、再び当たり前のように歩いて帰って行った。
 
 我らはタクシーにてリロンゲ市内へ向かい、その夜は LINGADZI INN に宿る。
 わたしが思い出したことは、この宿は初めてのマラウイ・ザレカ難民キャンプ訪問
 (2000年11月)の折に、たまたま泊まった処であった、ということだ。
 不思議なことである。翌朝のことホテルの広い緑の庭でグレイGREY氏(このホテル
 の管理人)と楽しい語らいをした。彼は熱心なクリスチャンですでに受霊をしていた。
 
 
2008/2/6(水) 晴れ
 メングエ村 MWENGWE   洗礼・・8名
 
 いま雨季の最中のはずであるが「昨日より天候が回復したのです」と、ピリ兄が天の
 祝福を指摘した。実は、今回のスケジュールが知らされた愛兄方からピリ兄に話が持ち
 上がったのは「時期をずらして乾季に入ってからの4月ごろにいらして下さい」という
 様に先生にお願いしたらどうか?・・・ということだった。ピリ兄は「それはいけない。
 神さまが導いておられるのを、感謝して受け入れるべきで、こうした頭の考えを持ち込
 みこのタイミングを変更するのは良くない。先生には『歓迎します』と返事したよ。」
 それはハレルヤ!素晴らしかったね。
 
 昨日、彼が空港から歩いて帰宅すると、ミシ村のチーフの逝去の知らせが舞い込んで
 いた。彼の名はアラフディ・チバシ・ミシALAFUDI CHIBISA MISI(58歳)という。
 彼は毎週、メングエの教会で安息日礼拝を貴ぶ愛兄であった(家族信者である)。
 
 次に、伝道の為にトラックの持ち主・運転手 チンバランガCHIMBALANGA 兄に
 今回のトラック使用料として1、000ドル(10日間代)を一括で彼に支払った。
 
 さらにはチノワCHINOWA村のチーフ・レビソンLEVISON M. CHINOWA氏が
 自転車でひとりの連れと共にやってきた。ピリ兄が彼らをわたしに紹介した。
 
 
2008/2/7(木) 雨のち曇り のち晴れのち雨
 ミシ村 MISI   聖餐・・80名
 
 ミシ兄の葬儀はわが教会の主宰であり、ドワ県の首長コミッショナー氏などお歴々と、
 村人の約1、000人の注視の中で、広場にて聖餐式(教会員80名)を執り行っ
 た。墓地にては埋葬式がなされ、そこでピリ兄の力強い伝道説教があった。
 まことの救い「水と霊」のこと。「生まるゝに時あり、死ぬるに時あり。」
 
 墓地に行く道は広く、道一杯にゾロゾロと棺を載せたトラックの前後に各500人程
 が歩いた。途中で「ジャイカの日本人スタッフ」を乗せた二台の四輪駆動車とすれ違
 った。目と目が合い、互いに手を振って挨拶を交わした。不思議な出合いであった。
 
 
2008/2/8(金) 曇りのち晴れ のち雨
 チクンバ村 CHIKUMBA  洗礼・・11名  聖餐・・50名
 
 教会活動の為にトラックに多くの人々を乗せて移動する。
 その「許可」を警察にて貰った。
 
 小川の前で車はストップ。そこからわれらは歩いて1時間、ようやく村に着いた。
 昨年、セセ伝道の折に救われたカニンガ兄の弟がこの村の住人で、福音伝道を求めたと
 いう。歩いてすぐの「美しい流れ」は洗礼の為のようであった。その時、光が射す。
 洗礼の後の烈しい雨中、稔牧師は転んで右太ももを打撲した。
 
 我らのトラックはぬかるみにはまり込みスタックした。トラックは30度ほどの傾斜。
 その夜、ベスタ・オマニ兄がひとりトラックに残留。他は各自「どろんこ」になりなが
 ら帰宅した。その道のりは1500メートル。全天に輝く星空があり、我らは大きな慰
 めを与えられた。ピリ宅には妻・マギリット姉の真心の食事と沐浴が待っていた。
 
 
2008/2/9(土) 曇りのち晴れ のち雨
 チバーラ村 CHIBVALA  洗礼・・21名  聖餐・・96名
 
 朝、トラックが見事に引き上げられた。9時前であった。「ハレルヤ・ハレルヤ」と、
 喜びの大歓声と共に我らのトラックが帰って来た。
 
 正午ちかく、チバーラの小学校の教室は満堂。そこで安息日礼拝。ピリ兄が「水と霊」。
 わたしが「ルツ記」を語った。そして洗礼に行く。子供たちの群れが次々と・・・、
 その美しい風景に、光が輝いた。
 
 再び教室にて聖餐式。そして外は大雨となり、内は証し会。神癒祈祷会と続いた。
 時に、ベスタ・オマニ兄の「トラック救出」の証しがあり、運転手の彼も証しをした。
 「主イエス・キリストの助けと賜わりし救いに心から感謝する」。ハレルヤ!
 
 
2008/2/10(日) 晴れ 夜に雨
 セセ村 NSESE  洗礼・・34名  聖餐・・150名
 
 この村の群の責任者・・・カニンガ・チペニKANINGA CHIPENI兄はMP(国会議員)
 である(このマラウイ国にはMPが250人いるそうだ)。
 
 かつて彼はアフリカン・チャーチのリーダーであったが、数年前、夫妻は「真の救い」
 を求めてそこを出た。主イエス・キリストに祈ると「暫く待て」との応えがあり、
 まもなくピリ兄より「日本からのミッション・水と霊の福音」の知らせを聞き、これ
 こそ待ち望んでいた主イエスよりのもの・・・と喜んで「水と霊」を受けたと証をする。
 
 洗礼の直後であった。礼子牧師は激しい低血糖症となる。
 
 
2008/2/11(月) 快晴
 カンタンダ村 KAMTANDA  洗礼・・13名  聖餐・・130名
 
 礼子は回復した。「今日はわたしも行こう。」
 天候はすっかり回復した。あたかも雨季が終ったかの様。
 
 この村のタバコ葉は生育がよい。集会ではタバコの乾燥用の建物を借りた。
 ブリキ缶に穴を開けた「手作りギター」でいっしょに我らは讃美をした。
 カンタンダとはチェチュワ語で「小さい十字架」という意味だと聞いて、感銘している。
 
 ピリ兄の父の弟(メングエ村在)が逝去の報せが飛び込む。
 
 
2008/2/12(火) 快晴
 ツクワ村 MTUKWA  洗礼・・15名  聖餐・・90名
 
 ここはピリ宅に近い村で、運転手の隣村である。小川を塞き止めて洗礼場とする。
 夜、美しい夜空が広がり、深夜、南十字星の左となりにサソリ座が見えた。
 
 この夜、ピリ兄曰く。
 「携帯電話で伝道の依頼をしてきているのは現在、27ブランチです」と言って、
 わたしのノートにそのブランチ名を書き付けたのであった。この週の安息日礼拝は
 主が許されたならば チコモCHIKHOMO に行きます、と言った。
 
 
2008/2/13(水) 快晴
 セセ村 NSESE   洗礼・・15名  聖餐・・90名
 
 ピリ兄の叔父(CCAP信者)の葬儀にはピリ兄の家族20名ほどが参加した。
 村人こぞって別れを告げ、ここでも1、000人余の参加であったという。
 親族の一人でリロンゲ市内に住む人(会社勤め)がピリ兄から「水と霊」の福音を聞い
 た。彼は驚いて「この福音を自分の住んでいる町の人々にも是非伝えたい」と言った。
 ピリ兄曰く「次回はいよいよ首都リロンゲ伝道だ・・・!」
 
 セセではピリ兄に代わって、スタフォード兄が初御用をした。
 尊い主イエス・キリストの聖霊は立ち上がって燃えていた。
 証し人・・・ジョンバンダJOHN BANDA  自分はかつては悪人、どろぼうで、
 全き救いを求めていた。今は救われて、心の平安を得ている。ハレルヤ!
 
 礼子は洗濯をしていて、右指を傷つけた。
 
 
2008/2/14(木) 晴れ
 チャーザ村 CHADZA  洗礼・・30名  聖餐・・95名
 
 セセ村のカニンガ兄たちが願ったので車で迎えに行かせると、15名ほどがやって来た。
 運転手のチンバランガ兄は最初渋っていたが、距離には関係なく・・・という「約束」
 であったので、この仕事を無償でやってくれた。
 
 ピリ兄は伝道説教で「三位一体」の神観を叩き、大いに気を吐いた。
 真の神は唯一、その名はイエス。
 
 洗礼は流れの早い、そして川底の浅い岩場で行った。
 洗足式は礼子牧師が引き受けた。
 すっかり夕闇に包まれ、午後8時ごろにピリ宅に帰って来た。月齢は7であろう。
 
 チノワ村 CHINOWA 洗礼・・17名  聖餐・・17名
 
 チーフのレビソン兄(74歳)が子供たち16名を連れてチャーザCHADZAまで
 やって来た。自分は両親と自分の亡くなった子供たち6人の「身代り洗礼」を受けた。
 そして聖餐にも与った。次回は是非、自分の村まで伝道に来てほしいと懇願していた。
 
 
2008/2/15(金) 快晴
 ミシ村 MISI 洗礼・・24名  聖餐・・140名
 
 礼子牧師の右手の人さし指が腫れ上がる。休養をとる。
 
 墓地のそばの大木の木陰で伝道集会をする。確かに「パラダイス」に引き上げられた
 ミシ兄が大いにこの村のみ救いの為に働いているのを感じた。
 ピリ兄叫ぶのであった。「父なる神の名はいったい何か?父とは誰か?」
 
 証し人・・・ボソニチウェBISONI CHINWE兄  自分は悪い人間であった。
 かつて教会の門を叩き、救いを求めたが、幼児の時に洗礼を受けているというと、
 「もうおまえには救いはない」と言われた。
 昨年全き救いである「水と霊」を受けてからすっかり自分はまともになった。
 
 
2008/2/16(土) 快晴
 ゴンバ村 GOMBA 洗礼・・18名  聖餐・・110名
 
 安息日礼拝はメングエMENGWEの教会にて。礼拝は9:30〜11:00。
 礼子牧師の右指の腫れが右肩にきた。とてもひどく痛むので部屋で休む。
 
 ゴンバ村はドワの中心部より郊外へ40キロ地点。
 その山里はのびやかで美しい。トウモロコシと豆がすくすくと育ちつつあった。
 柱6本を立てただけで、敷物を屋根代わりにして日陰を作っていた。
 「神の名」を知ることは祝福の源である。(詩篇91:14〜16)
 
 夜の時間。夕食後、20人程の愛兄がたを前に「ヨセフ物語」を講義した。
 
 
2008/2/17(日) 晴れ
 メングエ村 MENGWE 聖餐・・80名
 
 「第8回マラウイ伝道」の総括をする。証し会では「ミシでの葬儀は圧巻」との事。
 主イエス・キリストはまことに奇しく日本より牧師夫妻を遣わして下さった。
 ハレルヤ!ミニバスを50ドルで借りて空港へ向かう。途中で各村の愛兄姉を降ろした。
 ピリ兄が空港まで見送る。目頭に涙。彼は「美枝子」と同い年、39歳である。
 
 リロンゲ LLG 15:20----(SA171)-----17:50 JNB ヨハネスブルグ
 
 レンタカー「ハ−ツ」でプレトリアのゲストハウス ZELDAGAR へ。
 
 
2008/2/18(月) 快晴
 プレトリア PRETORIA  洗礼・・1名
 宿・ゼルダガールの使用人の好青年が洗礼。宿のプールにて(宿の女主人は快諾)。
 彼は昨年4月に「水と霊」のお勧めを受けていた。よき時を与えられたと思う。
 その名はミカエルマレテMICHAEL MALETE(1983生)くん。
 
 モテチ MOTETI  洗礼・・1名
 マーガレット姉は敷地内で美容院を始めようとしていたので、祝福祭と地鎮祭をした。
 サムエル兄の妹ヨハンナの友人の洗礼。いつもの小川にて。
 その名はイサベルマリベISABEL MALIBE(1990生)さん。
 
 
2008/2/19(火) 快晴
 ヨハネスブルグ JNB 13:40----(TG704)-----06:05 BKK (+1) バンコク
 
 
2008/2/20(水) 曇り
 バンコク BKK 09:10----(TG620)-----19:00 KIX  関西空港
 六甲アイランド発  22:40 ダイヤモンドフェリー
 
 
2008/2/21(木) 曇り
 今治港着  05:50
 
 
          「水と霊」総数・・・・・・208名
          「聖餐式」総数・・・・1、128名
 
 
 (追記)
 2月21日、マラウイのピリ兄からのメールが早速にあった。要約すると・・・、
 
 聖句は4ケ所。
  1)民数記 23:19
  2)詩篇 119:71
  3)コリント後書 12:11
  4)ヨハネ伝 4:35〜37
 
 主イエス・キリストの救霊の御業は激しく進み、すでにマラウイでは新旧あわせて
 125ブランチが開かれており、先生方には「水と霊」のご用が求められております。
 どうぞ、速やかに伝道にお越し下さい。
                            ハレルヤ アーメン
 
 
                        MAIL: mizu_to_rei@mac.com.