2000年 アフリカ南部巡回伝道の記録

2000/11/13(月)

 関西空港発 19:10----22:25     香港着
 香港発   23:50----06:50(11/14)ヨハネスブルグ着
 
 
2000/11/14(火)

 ヨハネスブルグ発 09:00----10:10 ダーバン着
 ホリデイ・イン サウスビーチ宿泊

(メール)
 ハレルヤ 元気でダーバンに着きました。初夏の爽やかな空気と波高いインド洋を眼下に眺めてメールを送ります。今ウイリアム兄の住まいに行って来ました。なんと歩いて十分ほどの所でした。コンゴ人の友人にメッセージを渡して来ました。しばらくはゆっくり休息をとることにします。機内で書いたメモを送ります。特に監督先生方に賜った「御恩」について示されました。

*	* 関空から香港行きのキャセイ507便にて

 すごい時代になった。歓迎会は大雨(一時間に100ミリを越えた)、稲光りの中 今井先生の御用。国際通りの店には床上浸水をしたところもあったそうだ。東京からの飛行機が那覇空港に着陸出来ず、鹿児島空港に向かい翌朝、那覇に着いたそうである。智先生が姉の礼子さんに曰く「一期生ということで肩身の狭い思いをしているのよ」。翌日からはさわやかな晴天となる。政江先生と私には何だか妙にソフトタッチであったのが摩訶不思議。

*	* 香港からヨハネスブルグ行きのSA287便にて

 世的に成功する考え方の中に実は大きな落とし穴がある。愛する砂川恵茂先生がそのことを「ソロモンの大きな失敗」として話していた。箴言を書き、伝道の書を残したあの知恵者がまんまと「偶像」にひっかかって神の怒りを買い、国の分裂の源となった。ダビデの子であり祝福を得て「平安」という名前まで頂いていたのに高慢になったのである。
 
 もっとも大切なのは「謙遜」であることを主は語っておられる。主イエス様には世的な成功とは大きく離れた生き方があった事に留意したい。でも「教会」が栄えるその証しはとてもよい。困難な開拓時代を思うと感謝が溢れてくる。主様を讃美する。これのどこが悪いか。
 
 強いて言うならば、そこまで導いて下さったお方に対する御恩はどうするのかと聞きたい。いつも祈って頂いたではないか。支えて頂いたではないか。忘れたのか?讃美はよい。それだけでよいか?苦労しておられる監督先生の少しでもお力になりたいと私は思う。成功者であり富んでいたナバルは恩知らずであった為に愚か(ナバル)であり、主様によって打たれこの世を去って行った。

*	* 恩義という事

 今あるは神の恵みという。そうだ、いかにも神の恵みだ。では「ただ主のみだ」と、そこまで言ってしまってよいのか。親ともいえる監督先生方の事を、さらりと忘れてしまっても良いのか?「十戒」を出すまでもなく、親の恩を忘れてはならぬ。主のために、私たちの為に「十字架」を背負って導いて下さったではないか。こうした考えは「偶像」か?けっして「偶像」ではあるまい。

 我らを導きし者に従いこれに服せよ。

 魂が幼かった故に「報恩の気持ち」が充分でない時代が続いたように思う。今こそ我らは御恩にお報いしたい。ハレルヤ!


ダーバンにて
洗礼 19:00----20:00    South Beach Pool

1) JOSEPH LWANGI          M         1965/7/1           Congo
        67 BROAD STREET 1007 CITY HEIGHT DURBAN
                       TEL. 0832480667
2) THOKULA DURBAN        M         13 YEARS         South African
3) NIKOLUS ZUNGU DBN      M         15                 South African
4) ERK ZUNGU DBN          M         16                 South African
5) BOUSWE ZULU DBN       F          30  受霊せず      South African
6) MALIEL KYALASAT        M         13                 South African

聖霊 20:30                           Holiday Inn South Beach Roby
1) Congo Brother
2) Congo Sister
3) Congo Sister


2000/11/15(水)

 昨日と打って変わって窓から見えるインド洋は穏やかな表情をしている。香から「キゴマのイシアカ兄からのメール」が転送されてきたので早速返事を出しておいた。この度はサグワ兄との連絡が何故だか途絶えている。しかし何もおそれることはない。主様には最高のお考えがおありになる。

 昨日もそうだった。このホテルの目の前にこんなに理想的な洗礼の場所があったなんて全然考えてもみなかった。大きな波が打ち寄せるこのビーチのどこで洗礼をしたらよいかと考えていたのだ。それに昨夜のコンゴの愛兄姉たちは二ャルグスを経由した人達ではなかったので、ウイリアム兄とはここで知り合った人達だ。大切に育ててゆこう。主様の魂である。

 約束の九時少し前にプールの場所にゆくと、間もなくウイリアム兄が一人でやってきた。主様は思い掛けない時間を彼の為に与えて下さった。フランス語訳の聖書を手にしてきたので「パウロに啓示された七つの奥義」を共に開いて読み、解説は少しであったが直接に聖霊が教えて下さるのであろう。彼は声を立てて笑い、納得していた。

 安息日礼拝、日曜聖会には30名を超える愛兄姉方が集うようである。狭い部屋に身を寄せあって集う様子を想像するだけで嬉しくなる。入りきれないというならば「時間差」をつけて「集会」を何回にも分けてするように勧めた。今のところは伝道所というレベルで彼が責任者ということでよい。他の伝道所と同じように「献金箱」を置いて、その中から主様の什一を別けて保管し私がお預かりする。残りで伝道所の必要な経費をまかなうというようにしなさいと言っておいた。近い将来には彼が「献身者」として「学院」に入るように思える。それまではこの方式で続けるしかない。

 約束の三名は来なかったが、一時間半ほどの幸いな学びの時が得難いプールサイドという祝福の場所で与えられた。ハレルヤ! 夕方6時を約して別れた。

 《アフリカの貧困と悲しみについて》
 夕方「主様からのお言葉がほしい」と願ったら早速にこういう形で語りかけてくださった。

 1)さきほど電話がかかってロビーに行くと二ャルグスで救われたパピー・オンゴロ兄が来ていた。とても感じの良い信仰心のある青年である。前回来た時にも会った人と思う。話しているうちに、とんでもない、いぶかるような事を言うのである。
 「九才の弟が一週間ほど前から行方不明になっている。学校に行ってそのまま足取りがつかめない」と。警察にも捜査願いを出したが今日まで手がかりもない。共にお祈りをさせて頂いた。
 
 2)さらにはプールの前で皆の来るのを待ちながら聖書を読んでいると、一人歩いてきた中国人の風貌の人が突然後ろから若者に首を絞められ他の二人の若者に所持品を奪われる現場を見た。ほどなく警官二人がやってきたがすでに彼らの姿はなかった。警官が私にこうした事件が多発しているので注意するようにと言ってくれた。
 
 3)住んでいるアパートの部屋代のことを祈って下さいと言っているウイリアムには金銭的な関わりを決して持たない我らであることをきつい言葉で言わしてもらった。「先生どうぞ誤解しないで下さい。私は決して先生に金銭的な援助を求めているのではありません。」と言ったので、それなら大変に嬉しいと返事をした。

 明日はダーバンを発ってザンビアの首都ルサカに向かう。
2日間という短い期間であったが、主様は大切なことを思わせて下さった。

  1)救いの喜びは火のごとく。
  2)生きる事の苦しみに負けない、主を信ずる信仰の貴さ。
  3)神の御守りはありがたい。
 
 
2000/11/16(木)

 ルサカ空港にてAVISをレンタカーして出発。町まで20KM、プールに来ると前回と同じ木の下で靴の修理をしているChristpher Bwalya兄が大変に喜んで迎えてくれた。そばにいた男性も顔を見た事もあるようだし、良く祈るので「水と霊」にあずかっているのかと聞くと「まだだ」といった。では早速「洗礼」だと言うとハイと素直にうなずいた。Bwalya兄も嬉しそうにして「あすは朝の時間に妻の洗礼をお願いします」といってどこかに行ってしまった。
 
 私たち二人がプールに入って行くと、顔なじみのプールの職員達が歓迎してくれた。前回も度々使った「子供用のプール」が私たちの来るのを待ちかねたようにして待っていた。38才のGoodfellow Ngandu兄がとても神妙にして「洗礼」にあずかり、亡き父親の為の身代わり洗礼も受けた。祝祷のあと「Conglatulation」というと、彼も同じように「Conglatulation」といったので握手を交わした。彼はこの町きっての高級ホテルInter Continental Lusaka Hotelに勤めているといった。こうしてみ救いの御用があるととても幸せになる。この町がこの国が好きになるのだ。
 
 宿は前回と同じ「YWCA Lusaka」だ。荷物を置いて食事に行く。ブタ肉とポテトチップを頼む。大皿一杯の大きな焼肉にはビックリしたがきれいに平らげた。コーラもつけて6,000Kだから2ドルほどだ。博物館にJakson兄を訪ねる。「日本人の牧師さんがきたよ」と仲間が彼を呼ぶ。そしたら青年海外協力隊の「田島雅子さん」が出てきた。彼女はもう1年半ここで働いている。「とてもこの国ザンビアが好きだ」という。
愛媛県宇和島の人と聞いてまたびっくりした。
 
 Jakson兄が来たので彼女とは話を中断して別れた。よいことがなされればよいがと願った。彼の案内で兄のWhylosの新しい住まいに行く。祝福を祈っている間に兄の妻が受霊。顔が輝く。少しずつ広がる感じだ。家を出た時YWCAの部屋のカギがポケットにないのに気が付いた。Jakson兄の家に行く道で「主よ!」と一言祈る。家に着くと探したのになかったはずの左のポケットから出てきた。何だか手品のような不思議さである。ハレルヤ。家には妻と男の赤子が出迎えた。妻もおだやかにハレルヤを言って受霊した。静かな霊の働きを感じている。日没前に別れを告げた。今は小さな芥子種程の「生命」に希望を持っている。部屋のカギがあるので宿は喜びだけだ。
 
 夢の中で私の頭を上から見た。何と丸く禿げている。人の頭は別に気にならないが自分の頭となるとこれは一大事だ。目がさめた時、手で触ってみたらホッと安心した。
今まで通りだ。


2000/11/17(金)

 YWCAは前回につゞいて宿にした。パーキングも完備しているので私の常宿となった。安全である事は貴重であると思う。6時にはお湯が湧く。からだをお湯で拭くと実にさっぱりする。朝食はレストランでFull Breakfastを注文した。ソーセージが付いて5,500Kつまり150円だ。Jackson兄を博物館に訪ね再び案内してもらおうと思ったら9時からオープンとのことで30分ほど外で待つ事になった。日陰を求めて横に回るとよい場所があったので座った。不思議なタイミングで二人の男性がすぐ横と前に座った。「自分達に救いの話をして欲しい」と言っているかのようだった。

 「ハレルヤ」と祈ってごらんと言って私が祈りはじめると、年輩のほうがひときわ大きな声で祈り出したので手を置いて助祷した。一時してから悲しみの原因である《親を見失った「迷い子」の心》を話した後「しっかりと求めて祈ってごらん」と勧めた。前にいた若い方もしっかりと祈り出したのでこんどはその人に手を置いて祈ってあげた。なかなか「受霊」しない様子であったが博物館が開館する9時ごろになってはっきりと「異言」が出てきた。   二人とも顔元がすっかり変わって喜んでいる。手帳にSimfukweと名前を控えて後「洗礼」の話をしたら自分達は兄弟で仕事がないから時間はあると言い出した。びっくりした。

 「それなら車に乗りなさい、洗礼のためにプールに行こう」と誘うと嬉々としてついてきた。そんなわけでJackson兄の博物館 案内は後回しにして御救いがなされた。プールには先ほどからきれいな「水」が入れられていたようでちょうど一杯になっていた。「洗礼の準備が出来ましたよ」と声が聞こえるようであった。ハレルヤ!頌栄がおわるころには全く別人のようになっていた。主イエス様におすがりする信仰の大切なことを話している頃Christpher Bwalya兄がやって来たので共にお祈りをした。少しずつ主様に育てていただく。外に出て靴修理の その場所に座り込みまた4人で祈った。「ままごと」のような楽しい一時であった。Simfukwe兄弟の住まいに行く。想像していたとうりの貧乏長家であったがそこにも《主イエスさまがみ光を照らして下さる》のが感じられ嬉しくなった。

 そうこうするうちに時間が経って空港に行かねばならぬ。付近には「日本政府」の援助で「きれいな水」を供給している施設がいくつか目にとまった。町に入って行く道路は車が混雑していた。左折した時女性のポリスが「違反」だと言って止まらされた。よくあるサタンの嫌がらせだ。警察署にいって手続きをしろというのだ。とんでもない。週一便の飛行機に間に合わせてすぐに空港に行かねばならない。そっと10ドルほど握らせたら「解放」された。博物館にゆくと仕事にありつきたい男達がたくさん集まっていた。なにやらの建設工事が「日本政府」の援助で始まるらしいのだ。Jackson兄に会えたので二人を紹介して「救い」のことを話し今回はこれでおしまいと告げた。わずかの一日だがとても重い大切な時間の積み重ねであったようである。

 マラウイのリロンゲに向かう双発の44人乗りは半時間おくれでルサカを発った。

  「我 親(みづから)汝と共にゆくべし 我 汝をして安泰にならしめん」 
                  (出エジプト記33章14節)

 この聖句はいつかのアフリカ伝道出発の際、村井スワ監督先生が与えて下さった励ましの言葉である。なんと言っても監督先生方の「世界伝道」のビジョンとそれに対する大いなる励ましがあったればこそ、今現在があるのだ。このプロペラの大きな音を聞きながら監督先生方の貴い祈りを思う。

 1:54出発 双発プロペラ機44人乗り。眼下に広がる淡い潅木の緑、雨期が始まったばかりのようだ。めざすはDzaleka CampそこにはNyarugusu Campで救われたMissa兄達コンゴ難民達が居留している。

 ニャルグスの第一声は「人類はみな難民なのだ」であった。父なる神のおられるエデンの園は懐かしい《われらの故郷》である。そこには自由の天地がある。故郷へ帰りたいとの難民達の叫びを聞く時それが当然であり「神の国を求めよ」と言われる主イエス様の聖言と重なって響いてくる。栄光の望みなるキリスト。父の懐に帰る子供。ハレルヤ!与えられる恵みの大きさよ。今日も「水と霊」の御用をさせて頂いて大きな天の喜びを味わった。彼らの顔も輝いていた。

 わたしの乗っているAerospace機は積乱雲の裂け目を縫うように飛びながら降下してゆく。茶褐色の大地に帯状の緑がうねる。河のように水が低い所を潤すのであろう。その部分はことごとく緑だ。

   MALAWIに入国

 小さい国ということだが目の前に広がる緑の平原。驚くべき豊かさを感じる。
今日の宿 Lingazi Inn も広い敷地をもつこぎれいな宿である。


2000/11/18(土)

 マラウイ・リロンゲ
 
 リンガジ・インの従業員の態度その親切で丁寧な事、実に気持ちがよい。驚いた事に「日航ホテルとの提携」と掲示されていた。アフリカの一番よいところがこういったところかも知れない。鳥のさえずりとグリーンのテラス。殊に今日は安息日なのでとても楽しみである。朝食の後ひとり、部屋で「安息日」を覚えて祈りを捧げ讃美をして10時まで過ごした。

   「神の業はその遣わしたまえる者を信ずるこれなり」(ヨハネ伝6:29)

 それから伝道の一式を携えて部屋を出た。フロントで Dzaleka Refugee Camp の所在を尋ねるとすぐにわかった顔をして道を教えてくれた。空港の方向のもう少しさきらしい。何だかとてもスムーズだ。

 アスファルトの道から難民キャンプに向かう右手の道に入った時、「難民キャンプに行きたい」という青年が手を上げて乗せて欲しいと言う。「乗りなさい」と助手席をすすめてあげた。彼はブルンジ難民で名前はLeonidas Mbarusimanaといい28才であった。主イエス様の福音を語ると心を開いた。6キロの道で度々止りながら聖霊を受けるようにと勧めると素直に「ハイ」といって「ハレルヤ、ハレルヤ」と言い出した。豊かに「異言」が出だしたので、また止まって説明をしてあげると大変喜んだ。自分は英語が出来るのでリロンゲの町に出て「仕事」をしているのだ、という。私の会いたいコンゴの人「Majaji Missaさんを探して上げましょう」と言ってくれた。

 心配していた「キャンプに入る許可」などなにもいらず直ちに家のたてこんだど真ん中に入っていった。日用品や食品を売る店ばかり路地に連なっている。間もなく案内の子供がやってきたので手をつないでコンゴ地区にはいる。Missa兄は私を見つけるとさも親しい人と出会ったというように抱きついてきた。

 《御霊の子供》であることははっきりとわかるが、私にはっきりとした彼の記憶がある訳ではない。狭い家の奥に招じ入れられた。みんなで「異言」で祈ると懐かしい気持ちがおこってくる。実に素晴らしいことである。「これから安息日礼拝をします」というと「先生こちらに来て下さい」と広い集会所に案内された。正午から始めた。30人ほどが腰掛けて「霊讃歌」を歌い、聖書は使徒行伝のあちこちを開いて「初代教会」のすがたを説明するとさっそく英語の通訳の青年が語りだし皆よくわかったようであった。お祈りの時一人ひとりに手をおいて祈ってあげた。みな「受霊」しているのがわかった。午後一時半には終わり、あすは九時に日曜聖会をするからまたここに集まるように勧めた。

 再びMajaji Missa兄の家に招かれた。そこで中心的なメンバーが狭い部屋に身を寄せあって再度「異言」で祈った時彼等に「洗礼」ができればいいが、と思わせられた。間もなく「水」があるかも知れないと思われるところへ「先生行ってみて下さい」ということになり、車でゆくことになった。大の男達が四人乗り込んできた。「見るだけ」ということであったが、充分の深さのある「水」であったので「さあ受けましょう」といって洗礼用のパンツを差し出すとみな受けることになり私は大感謝になった。「あす日曜日にきっと沢山の人々が受けたいといいますよ」と彼らは帰り道で言っていた。主様に全てを委ねて今日は帰る事にした。Leonidas Mbarusimana兄と一緒にキャンプに別れを告げた。雨雲が右左に迫ってきた。でも心は喜びで一杯である。

  MAJINA YA WAUMINI

 ※ 1.  EBUELA MBOBOA                 26        M        RDC
    2.  CLEMENT NYEMBWE              37        M        RDC
 ※ 3.  CHIBANGN  PAUL                 22        M        RDC
 ※ 4.  MBUTO  BISENGETA              40        M        RDC
    5.  MKYOBOLA  MSABAH            23        M        RDC
    6.  BAHELANYA  BAMA              32       M   HAHUNGU  BURUNDI
    7.  KAHINDO  SHISHI                 32       M        RDC
 ※ 8.  KATAMAYI  MULUMBA           55       M        RDC
    9.  BINWA   CHARLINE               20        F        RDC
   10.  MAYAYI  MISSA                  26        M        RDC
   11.  LEONIDUS   MBARUSHIMANA   28        M        BURUNDI


2000/11/19(日)

 朝五時には明るくなって、小鳥のさえずりを聴きながら「霊讃歌」を口ずさむ。
「甦りの朝だ」何だか希望が膨らむ。暗い地に光がさしてくる。食堂は6時30分から開くと聞いたので、荷物は早々と車に乗せて出かけられるようにした。オムレツを注文してしっかりと腹ごしらえだ。二日分の宿の支払いはビザカードで150ドル。

 心晴々とホテルを発つ。7時40分。左手にBOOK SHOPの看板が見えた。そして教会だとわかったのでUターンして入った。パーキングには20台ほどの車が止まっており会堂の中から讃美歌と「ハレルヤ」の低い声がきこえてきた。BOOK SHOPは閉まっていたがとなりの売店で聞くと、ここのマラウイの現地語の聖書なら一冊150クワチャつまり200円である。なんと安い、二册求めた。「大判の旧新約聖書」である。空港に入る道を通り過ぎて、ふと祈る気持ちになった。

 「プレゼントしたらよいものが何かあればどうぞ教えてください」
しばらく走ると右手の掘建て小屋に牛肉の大きな固まりを吊るして売っているのが見えた。「これだ」お腹をすかしたミサ兄たちには最高のプレゼントだ。何キロあるかわからないが牛の肋骨の部分、聞くと2400クワチャ3000円である。新しい教会の発足のお祝にこれを持って行こう。後ろのトランクに入れてもらいキャンプに向かう。

 小高い丘を越えたところにめざす「ザレカ難民キャンプ」がある。色々な国からの混成キャンプだ。ミサ愛兄の家の前につくと彼は日曜聖会の場所を準備するために別の所に行っていると言う。昨日の場所はペンテコステ教会が使うので我らは小学校の教室を使う。行ってみると笑顔でミサ兄が出てきた。彼に相談をした。「導かれて「牛肉」を買ってきたがどうしたらよいと思うか」。彼は家にそれを受け取り、他の愛兄たちとも相談していた。先ずは今日のプログラムである「洗礼」をしなくてはならない。教室に戻ると、まず4人のしっかりした兄弟方が車に乗り込んできた。

 5分も走るとその「水」のあるところの近くに着く。そこでみんなに着替えてもらい私は上下の洗礼着に着替えた。昨日と同じ「水たまり」。でも十分に深い。彼らにこの「洗礼」の意味を語るとみんな心から喜んでいるように頷いた。

 「主イエス様の十字架の御血ですよ。我らの罪の為に流された御血です。」
いつものことながら一番楽しい一時である。しっかりと「異言」で祈る。輝く太陽のもと。興味深くみている村人達。子供達の身に着けているのはびりびりと破れた布切れ。貧しさが漂っている。頌栄、祝祷。「新しい人」の誕生はかくも喜ばしい。

 車の所に戻り、着替えてから「記念撮影」をした。この「福音」のすばらしさはまず彼らに「神が直接に納得させ、満足を与えてくださる」点にある。他のものでこうした素晴らしいものがあろうか。産声をあげた赤子。取り巻くものたち。そこに流れる喜びの「霊気」。それだ。よくぞ主様は「新たに生まれる」という表現をなさったものである。私はいまや「この喜びのために生かされている」と言いたい程である。

 濡れた「洗礼着」のまま運転して教室に戻ると、つぎに大人2人子供5人そしてミサ兄が乗り込んできた。再び「水辺」へ行く。「求めよ、求めよ、水と霊」子供達が歌っている。いや天使達か。何もかも終わった時みんなでしっかりとお祈りを捧げた。喜びの「至福の時」であった。教室にはほぼ8割、30人ぐらいが席に着いていた。昨日「洗礼」を受けた年輩の兄弟方も目を輝かせ「日曜聖会」を待っている。

 聖霊は我らの「助け主」、我らの腹の中より湧き溢れてくる「活ける水」である。いっぺんに心の乾きが止まる。なんと素晴らしい「聖霊」であろうか。これは深いこころの嘆きをも取りなしてくださる。しっかりと「異言」でお祈りしましょうと勧めた。難民という立場は弱いが、主イエス様に在るわれらはそうでないと言われている。

  「憂うる者のごとくなれども、常に喜び
   貧しき者のごとくなれども、多くの人を富ませ
   何も持たぬ者のごとくなれども、すべての物を持てり」
              (コリント後書6章10節)

 「霊讃歌」を6曲歌った。少しずつ進ませて頂こう。この伝道所の責任者はミサ兄、みんなに紹介すると手を叩いて喜んだ。「安息日礼拝」と「日曜聖会」を貴び、喜んで主様に「献金」を捧げ、祈りをいつもするように勧めた。人々が何故そんなに喜んでいるのかと質問したら「イエス様に救われたから」と答えるとそれがよい「伝道」になりますと話した。彼らはほとんど英語がわからない。フランス語かスワヒリ語であるが英語のよくできるEBUELA MBOBOA兄が通訳してくれた。

 「頌栄、祝祷」がおわると「神癒祈祷」となった。続々と前に出てくるのにはまた驚いた。頑丈そうな男たちが病気とは思えないが・・・。
そうして一切のスケジュールが終了した。
来年また主様はこさせて下さると信じている。手を振って別れた。
名簿がミサ兄から渡された。今日の「水と霊」である。

 ※ 1.  MBUYAMBA  LWABA                   30        M        RDC
 ※ 2.  CLEMENT NYEMBWE                   37        M        RDC
 ※ 3.  BAHELANYA  BAMA  MAHUNGU       32        M       BURUNDI
 ※ 4.  KAHINDO  SHISHI                       32        M       RDC
 ※ 5.  YUSUFU  KAHINDO                     6        M        RDC
 ※ 6.  YADA   BISENGETA                     6        M        RDC
 ※ 7.  PROMESSE  BANA                      7        M        BURUNDI
 ※ 8.  MUDA  HIGWA                         18        M        RDC
 ※ 9.  JOSEPH  MUBAMBE KAWANGA        37        M        RDC
 ※ 10.  PASIANCE   MBUTO                   13        M       RDC
 ※ 11.  ARIEI   KAKALA                       10        M        RDC


2000/11/20(月)

 タンザニア ダルエスサラーム

 昨夜、常宿のエンバシーホテルに着いたのが7時を相当に過ぎていた。フロントマンが私の顔を見るなり「お客さんだよ」と椅子に座って待っている二人を指差した。神の子供達 MBOKO CELESTINE IBRAHIM兄とEBUELA IBRAHIM MBOKO兄である。握手を交わした後、共に祈りスケジュールを告げた。彼らの群れにサグワ兄姉が訪ねて「聖書」を手渡してくれた事を感謝していた。それから群れの「聖なる献金」を私に渡したので手にとってお祈りをした。主イエス様の御祝福があるようにと。

 彼らに別れて部屋に入ると「洗礼着」の洗濯にとりかかる。
さすがに泥だらけであった。

 朝、銀行に行きチェックを両替し、途中で「ファックス」を愛媛に出し戻ってくると、間もなく「もしもし」と電話である。昨夜の兄弟方二人である。彼らの住まいの在るキガンボニに共に行く事になった。ホテルから歩いて15分、そして港になっている入り江をフェリーで渡るとKIGAMBONIである。真夏の太陽の下、帽子を持ってくればよかったと後悔しながら彼ら二人について歩く。この群れとの連絡用に新しく郵便の私書箱が出来た。P.O.BOX 36138 DSMである。郵便局のその箱に手をつけて祈った。住まいは長家の二部屋である。

 10月10日に長男ダニエルくんが生まれた。切開手術だったそうだ。さきほど手に入れたオリーブ油を塗ってダニエルくんと奥さんの為にお祈りをした。近所に住むすでに洗礼を受けた御夫妻もやってきたので「聖書」を開けて拝読した。主イエス・キリスト様の復活の所を英語、スワヒリ語、フランス語で読んでもらった。「信仰」が貴い事は彼らをみて思う。人生の厳しい面に決して負けない、弱らない逞しさを感じる。よく「異言」で祈る姿に主様はお喜びに違いないと思った。まさしく主様の子供なのだから聞いて下さると私にも「信仰」が来た。

 来週キゴマから帰ってきてお救いの御用が出来るとよいと思い「伝道しておきなさいよ」というと「わかりました」と、ニコニコして返事をしていた。500シリング(60円)のポテトチップを四人で分けて食べた。

 フェリーに乗って歩いてホテルまで帰ってくると、少々疲れたので昼寝をした。
ピザとファンタで夕食。また部屋にいるとYUSUFU AMISI KIGAMBONIが他三人と共にやってきた。キガンボニの兄弟方から電話の連絡が入ったということでやってきたのだそうだ。ハレルヤ。来週の水曜からの三日間の「伝道」のための打ち合わせが出来た。


2000/11/21(火)

 いよいよタンザニア奥地キゴマに向かう。信仰の戦い。「望むところを確信し目に見えないものを真とする」そのものズバリを求められている。メールが届かない。サグワからの返事がない。こうした中で「再開されたフライト」を神からの徴と心定めてこの度のアフリカ伝道に出発してきた。今までの道のりに救いの御業でもって主様は証しをして下さった。
「おそるるなかれ、我汝とともにあり」と。

 ダルエスサラ−ムの空港では大雨と雷でありキゴマ行きのチェックインは一時間前になっても始まらない。いよいよ乗り込んでからもエンジンのチェックの為か飛び上がらない。

 しかし遂にキゴマ上空まで来ると、快晴である。
運転手のシルバノス兄は言うのだ。「今朝まで大雨でしたよ」と。空港にはサグワ夫妻が手を高々と上げて「マエダセンセー」と叫んでいる。ホテルに着くと、イシアカ兄が大歓迎して「先生、水と霊をお願いします」と言う。さっそくタンガニーカ湖にみんなを詰め込んで出かけた。7名のおすくいの御用がさっそく与えられた。主様が進んでおられる。明日からの「難民キャンプ伝道」の許可もすでに取っていた。

 ハレルヤ!今までの不安はなんであったのか。霊の戦いであったと悟るのである。
夜7時半から「霊讃歌」サグワ夫妻と共に主様に捧げる。1時間半だがこれは大きな恵みだと思える。感謝して休ませてもらおう。


2000/11/22(水)

 キゴマの朝はコーランであった。長い間この世界の事は忘れていた。
外は雨が降っているが小降りになった。

 難民キャンプの伝道を主様は「我働かば・・・」と、どんどん押し進めておられる。
これには驚きを覚える。

 この秋、自分は「動かないことにした」と言った「舌の根の乾かぬ間に」こんな動きが始まって気がつくとここまで来ている。いったいこれはどういうことなのだろうか。

 一方、監督先生はケニアで学院生一同を引き連れて「マサイ」伝道のために労しておられる。

  大きな河が流れ出し、勢いを増している。
  「この水の行く処のものみな活きん。多くの魚あるべし。」
 
 漁師のように、魚のいる所へと船を漕ぎ出して網を下ろすのだ。今これしか私たちの仕事はないと「御霊」はいわれる。


2000/11/23(木)

 このルグフ・キャンプの一日がこの度の伝道旅行の白眉であったと言いたい。
見た所はたいした事がないのに・・・である。見えない「霊の部分」がすごかった。
 ピリピリ兄の輝きと長男の「洗礼」そして彼の右足首の昨日の捻挫。
「教会」の天井の作業中の転倒であったという。
 きょうは昨日に続く食料配給日、妻はその受け取りに行っていたとか。
それにしても、大人達が40名、子供は30名ぐらいか。
 「洗礼」は一人の兄の妻と二人の子供。結局、4人であり、身代わり洗礼は愛兄が亡くなった子供二人の為に受けて喜んだ。

 「霊讃歌」その他の讃美歌と聖書の一句。
  「常に喜べ、絶えず祈れ、全てのことに感謝せよ」ハレルヤ!

とても霊に力がきたのは不思議である。


2000/11/24(金)

 ルグフ教会はピリピリ夫妻の信仰がそのまま反映しているように思える。

 今日は昨日と反対に愛兄が姿を見せず、愛姉がよきお証しをしてくれた。
愛兄は急病となり起き上がれず、集会の後キャンプの路地を歩いてお祈りに行かせて頂いた。愛姉は輝いて、不思議な主の選びの証しをした。

  主人は今まで教会のメンバーになった事はなく、どの教会にもすすんで行こうとしたことがなかった。「自分の教会はない」というのであった。私はペンテコステ教会に熱心で、家の仕事もそこそこに、いつも入り浸っていた。祈るのは主人が自分と一緒に教会に足を向けてくれることであった。だが一向に主人の心は教会に向かなかった。
  昨年の事、主人の様子が一変した。ニャルグスに「伝道」が始まったという教会のニュースが主人の耳に入ったのだ。詳しくその教会のことを聞いたら、日本に興った教会で救いは「水と霊」だという。どうしたわけか、まだ見た事もないのに「自分の教会はこれだ」と決めてしまい、同信の仲間達と会堂を作るのだと山に入り木を切り出し、早速作業にかかっている。不思議なことがあるものだと見ていた。遂に「伝道」がこのルグフにも始まって、さっそく主人はその「水と霊」を受けて喜んで家に帰ってきた。
  「おまえも私の教会に入れ」という。自分は「今までの教会からでることなんか考えていない」と言い合いになった。主人はいう「私がこの家の主人だ。私の言う事がきけないなら実家にかえれ」とひどい事を言い出した。私は静かに考えてみた。おかしいことがあるものだ。長年教会には見向きもしないし、信仰に理解のない人がこんなにも喜んで、救われた事を話し、自分にも「水と霊」を受けて本当のクリスチャンになるように勧める。ではあすその教会に行って話を聞いてみようという気持ちになった。そういう次第で自分も「聖書」の教える通りの「水と霊」の救いにあずかり、この「イエス之御霊教会」の信者となった。主人は大変喜び、全く人が変わったようになった。以前は人前で話す事は嫌いで「はにかみや」であったのに、教会の御用には大きな声で讃美をしたり、話をしたりして活き活きしている。自分もこうして全家族で同じ信仰を持つ事が出来て嬉しく思っている。ハレルヤ!

 全く世の教会のパン種がないことで、《御霊の子供》としての純粋な輝きが次第に顕われてきたことがこの度感じられて、とても嬉しく思う。かえって、一般の信者達の方に世的な聖書知識がある。これに流されないようにしてゆくことが、今必要である。

 今日の「特別集会」は120名程であった。
生まれて間もない幼い子供達が今日も次々「お救い」にあずかった。
母親達のよき信仰を見るのである。大人もいれて15名のお救いであった。

 河では「身代り洗礼」についての聖書の聖句を教えてくれと、兄弟方が求めてきたので「聖書」を開けて示してあげると満足していた。彼等はきっと世の教会の人々とのやりとりがあるのであろう。こうして一足一足主イエス様に養って頂く事によって立派な「つわもの」に成長するのである。

 「異言」の祈りがとても大切だと示されていたので、よく「異言」で祈る子供に目が止まり、前に来させ「サムエルの姿」と重ねて話をした。今日は詩篇23篇1節の「主は私の羊飼いで、私は必要なものを全てもっている」という英語訳を用いて、御霊の信仰の素晴らしさを語った。

 ルグフ・キャンプに別れを告げ、カスルへ。そこへの道はとてもひどい雨であったが壊れたワイパーをものともせず突きぬけ走りとうした。車は20万キロを記録したのでともに主様に感謝を捧げ、今後の祝福と守りをお祈りした。カスルは晴れていた。

  カスルの宿はANET HOTELで夜8時から10時半ごろまで発電機で電気を供給している。食堂も併設している。


2000/11/25(土)

 ひどい夜であった。隣家の人がラジオ音楽を大きくかけっぱなしに午前3時半まで。
よくもこんな事があるものだと憤慨するが「霊の戦い」と悟るとまた別だ。
主イエス様が「わが戦いなり」とおっしゃって押し進めておられるこの「伝道」。
私は「唯そこに居ればよい」という単純な指令を受けている。「何か素晴らしい事を考え出してやってごらん」と言われると大変に難しく思えるが「何もしないでよい」となるととても気楽だ。それでも人の子、心配が心をよぎるがやっぱり今日も主様がこのニャルグス・キャンプの群れを愛して守っておられることをみせてもらった。

 昨日、車の電気系統が全てダウンしていた我らの「トヨタ・ランドクルーザー」はすっかり回復して今朝は快調である。シルバノス兄は御機嫌だ。丈夫なこの車でこの大変な悪路もなんのその、元気で走破してくれる。

 さて問題であったキャンプの責任者が代わり、今年は何と受霊したあの先のルグフ・キャンプの責任者MACHIMU兄であった。今日は彼は出勤しておらずマケレの公舎で笑顔で私を迎え書類にサインをしてくれた。最後には祝福の祈りを喜んで受けた。

 これは天の聖業であった。すべての道が開かれこうして10時を30分もすぎた頃教会の「安息日礼拝」に滑り込んだ。400名程の聖徒方と共に主を崇め礼拝を捧げた。ボコ兄は選びの中にある人であると今も思っているが「世の教会」から持ち込んだものが善し悪し相半ばしている。今日までの御導きを思うとしばしこのままでよしと思う。

 この教会から多くのコンゴ人の兄弟姉妹が主様に導かれて近隣の諸国へと巣立っていった。中にはカナダに家族で移住した人もいる。いうなれば彼らにとっては「母」なる教会なのである。愛する多くの子供達を送りだした一方ならぬ寂しさを味わっている「親の教会」といえる。

 「フラヒニ、シクゾテ(常に喜べ)オンべニ、ビラクコマ(絶えず祈れ)シュクルニ、クヮキラジャンボ(凡ての事を感謝せよ)」とみんなで何回も声をそろえた。
詩篇23篇も読んでもらった。

    「I HAVE EVERYTHING WHAT I NEED」

 五組のクワイヤーがあったが、指導的な群れのリーダーたちの讃美は「美し都の子」であった。とても驚く程立派にそろってハーモニーしていた。他にはコンゴの讃美であろう、ユニークな旋律のコーラスがあり歌う者も聞く者もしばし「故郷コンゴ」を思い出しているようであった。昨日のピリピリ姉の証しをサグワ姉にしてもらった。御霊の子供達にとって「異言」の祈りが充分に主様に捧げられることがとても願いである。両手を挙げて最後にみんなで祈った。

 礼拝が終り「神癒祈祷をして」とひとこと言うとワッと押し掛けてきた。サグワ姉に順番をきめてもらって座ってもらう。60名はいたかと思うが、一人ひとり丁寧に油を塗り「異言」で祈るように指導しながら「癒し」の与えられる事をお祈りさせて頂いた。明日の「日曜聖会」は10時から、その後「洗礼」をと予定して2時には教会を発った。途中マケレの警察隊が「強盗団の出没」の情報が入ったので警戒しているということで特にムタビラのブルンジ難民に注意をするように呼び掛けた。

 ムタビラまで55分、カスルまでは1時間40分かかってなにの問題もなく帰ってきた。
夜、讃美会にカスルのメンバーが二人加わり、主を讃美した。

 その一人であるNDIKUMANA VITATISI兄の「癒し」の証しを聞いた。
「五年前(1996)よりずうっと体のあちこちが悪く(目、胃、風邪、マラリヤ)倦怠感が続いていた。今年七月前田先生がみえた時、そのことを告げて「神癒祈祷」をしていただいたのだがそれからはすっかり癒され元気になりました。ハレルヤ!)

 嬉しそうにその感謝を伝えてくれた。イエス様ありがとうございます。今日ニャルグスでお祈りした多くの聖徒方の凡ての病いと悩みを救ってあげてください。


2000/11/26(日)

 あさから、雨が降っている。静かな夜、気持ちよく休ませて頂けた。主様の御祝福を覚える。サグワ姉が湯を湧かしてくれたので、体を拭いて気持ちよくなった。

 キゴマ行きの大型定期バスがわが「アネットホテル」の前に止まっている。ここがバスの発車場である。昨日はしきりにクラクションを幾たびも鳴らして7時5分前に出て行った。今日は7時を過ぎたがまだ準備中である。ようやくここカスルからキゴマとカスルからマケレの道路工事が始まったが、両者とも今だに大変な悪路の連続だ。
カスルからキゴマ間95キロという距離はけして遠くないが4時間もかかる。

 昨年この間をセスナ機で飛んだが飛行時間15分というわずかなフライトであった。
今日はエンジンがかかって出発の合図があり7時15分満員の乗客を乗せて出発していった。このバスはほぼ時間通りなので多くの客を集めている。かえり便はキゴマ発が1時だそうだ。

 我らは出発を前にして食事をした。部屋に来たサグワ姉が意外なことを言う。
「大切なパスポートや現金は持ってゆかないように」と。昨日の警察の情報ではムタビラ・キャンプのブルンジ難民が武装して車を襲うとか。「安全のためにそうして下さい」と言うのであった。ちょうどパスポートのコピーを持っていたのでそれを持って行く事にした。8時10分出発。空は晴れてきた。

      FURAHINI SIKU ZOTE
      OMBENI BILA KUKOMA
      SHUKURUNI KWAKILA JAMBO

 これをサグワ姉に頼んで「手帳」に書いてもらった。
40分程してムタビラの直前の丘の頂上付近で大きな車がスタックして道を塞いでいるのがみえた。わが運転手のスリバヌス兄は涼しい顔をしている。ちょうどその手前に回り道のあるのを知っているからであった。そして盗賊団がよく出没するという森を通るときは何だか気持ちが悪かったけれど、順調にすすんで10時ちょうどに「教会」に到着できた。

 すでに講壇の御用が出来るように用意されており、ボコ兄のリードで「主を慕いて」が歌われていた。日曜聖会の開会を宣した後、霊讃歌をいくつか歌いお祈りをした。大きな会堂に次第に聖徒方が満ちて最後には650名となった。サグワ姉にゆうべ聞いたNDIKUMANA VITATISI兄の「癒し」の証しをしてもらった。

 皆目を輝かせて聞いている。
つづいて導かれるままに説教をした。
この「福音」は天からきたものであって、主イエス様の御誕生と同じことである。
「この民一般に及ぶべき大いなる喜びのおとずれ」である。神が肉体をとりてこの世にきたりたもうというのが「敬虔の奥義」であって、まさに救いはここに由来する。人となられた主イエス様の聖口から語られ主の十字架で開かれた救いが「水と霊」である。この真理を高くかかげる我らの教会が天の祝福を受け平和の民となっている。

  いと高きところには栄光神にあれ
  地には平和 主の悦びたまう人にあれ

との天使たちの大合唱の通りである。

 イザヤ書49章6,7節を開けて読む。
これは神に選ばれた者は「異邦人の光」となるという幸いな預言である。
説教の後、聖徒方の中から男子、女子、青年、老年を各々代表して「讃美」をしてもらった。すごい勢いである。エネルギーが溢れている。みんなの心に喜びと楽しみが与えられているのだ。その後はいつものクワイヤー五組の合唱が続いた。
最後にしっかりと霊の「お祈り」をした。

 12時に聖会は終わり、祝祷のあと「神癒祈祷」に入ると沢山の人が前の席に殺到してきた。サグワ姉の協力をえて約140名の為に一人ひとり油を塗ってお祈りをさせて頂いた。それから「洗礼」を河ですると告げて河にむかった。今日は幼い子供も多かったが46名の「洗礼」と6名の「身代り洗礼」であった。
実に楽しい「至福の時」であった。

 さてこの群れの責任者としてボコ兄に大きな負担があるのは分かるが、ここは主の為と心得て感謝して御用して頂かねばならない。
何かいいたげなボコ兄とも別れを告げた。

 帰りの道も守られ、遠く山に積乱雲をみつつカスルに帰着した。4時半であった。
食事をして部屋に入った。夜は大雨となり、稲光りがひどい。
主の御用がかくして恵みの内に押し進められている。ハレルヤ!


2000/11/27(月)

 カスルの教会のメンバーが朝、部屋にやってきたので共にお祈りと讃美をした。若いよき「たましい」である。「主を見上げて信仰にたって進む」その事がきちんとニャルグスのボコ兄を初めとして兄弟姉妹方の心に定まるように願い祈って宿を発った。連日の雨で道路は非常にぬかるんでいるが、それをものともしないでシルバヌス兄は見事に運転をした。「強盗団の出没」とか「天候の激変」とかいろいろな心配事がめぐってくるが、主様を見上げて恐れずに戦うことを教えられた「伝道」であった。

 10時、予定のとうりキャンプ内の河に着いてみるとすでに15名程が来ていた。ながい道のりを子供の手をつないで歩くお父さん方の姿が印象的であった。年輩の方々はほとんどが亡き家族の「身代り洗礼」を受け、ボコ兄の弟さんは家族の15名もの「身代り洗礼」を受けてとても喜んでいた。幼い子供達や若い姉妹方も「洗礼」をうけた。

 この群れの責任者であるボコ兄には「霊なるもの」を与えるのみに徹して、しっかりとお話をしてあげお祈りもした。彼が私に願った事はクリスマス(12/25)の時にはキゴマに住む兄弟方も帰って来るので先生にその時には来てもらいたいということであった。また聖徒方の中に「聖餐式」を是非受けたいという強い希望が述べられた事は私の心にとまった。最後に皆さん方に「エルサレムを愛する者は栄ゆべし」の聖句をとうして「教会」を愛することの恵みを語らせて頂いた。11時30分には御用が終わり、間もなく手を振ってこの群れに別れを告げた。

 カスルで燃料を入れる頃大雨となったが宿から荷物を引き取ってかまわず出発した。
5時間を覚悟して出たのだが、どうしたわけか3時間20分でキゴマに着く事が出来た。宿に入ってこの度の「伝道」のことを色々と思い返しながら静かに主様とお交わりするのが楽しみである。

 運転手のシルバヌス兄が急用が出来て遠いキボンドに明日行かねばならぬ事となり、これからカスルに引き返し早朝キボンドに向かうという。祝福を祈らせて貰った。
このことをみても神のなさる業には一分の狂いもないことが分かる。
ありがたい限りである。

 今回も毎晩「霊讃歌」の時を取らせて頂いた。サグワ愛兄姉がしっかりと讃美出来るようになってきたので、後に続く若き方々のよき「先生」になるはずだ。将来が楽しみである。「霊讃歌」のカセットが次には用意して持ってきたい。


2000/11/28(火)

 キゴマにて愛媛に《ファックス》をしようと思い書いた。

 ハレルヤ 「怖れざるは敵には亡びの徴、我らには勝利の徴」
色々な不安が迫る難民キャンプの伝道であったが、「我らの滅びざるはエホバの憐憫のつきざるによるなり」 ギネスブックに載るかと思われるような悪路の連続、我らのトヨタ・ランドクルーザー(20万キロ走行)は連日よく走りに走った。時には電気コードが焼けてしまい、電気系統がダウンしながら、またワイパーも手でしか動かない中、大雨の中を疾走する。ルグフのピリピリ兄が輝く笑顔でハレルヤ!と叫ぶが足を見ると教会の天井工事中に転げ落ち捻挫する。翌日は病気になって体が動かない。一方ピリピリの妻はまたまた輝く笑顔で証しする。

 「主人はこのイエス之御霊教会がやってくるまでは、絶対に教会などには見向きもせず自分が行くペンテコステ教会を嫌っていたのに、ニャルグスに日本から「伝道」が始まったと聞くや、自分の教会はこれだとまだみた事もない教会を心に受け入れ友人達と力を合わせて教会堂を作る為山に行き材木を切り出し汗を流した。遂に「伝道」が始まると「水と霊」を受け喜んで家に帰るなり、お前も私と一緒にこの教会へ行くのだと強要する。あっけにとられてしまった。抵抗すると自分はこの家の主人だ。自分に従えないなら実家へ帰れとまでいう。一晩考えた。 あれほど教会を嫌っていた主人がこんなに喜ぶのは本物かも知れない。そして話だけでも聞いてみようと思って翌日行って主様に捕まってしまった。今は全家族あげてイエス之御霊教会の信者となり、人が変わったように主人はほがらかに人前でも話をするようになった。」

 平日の集会であったが120名程の集まりであり、19名が「水と霊」にあずかった。
一方ニャルグスは宿からキャンプまでの道のりに「強盗」が出没するといううわさに警察が緊張している中を出かけ、三日間いつも主様に守られた。ハレルヤ! 安息日礼拝400名、日曜聖会650名の集いであった。よく訓練された「音楽聖会」とでもいうものであった。五組のクワイヤーが独特な持ち味を表現して大いに楽しませてくれた。年長の兄弟方のグループが「美し都の子」を実に見事に歌ったのには舌を巻いた。

 ここの教会員の数がめっきり減少しているのはここから各地に移住しているからである。彼らの求めはまず「聖餐」にあずかりたいという事と、クリスマスにはキゴマなどに移り住んでいる者達も帰ってくるので、先生には是非来て御用をしてもらいたいとの事であった。なかなか難しい願望である。「水と霊」は54名であった。

 主様はいつも天候をコントロールしてくださって、奇しく守りたまい何もかも終わった頃大雨となるのであった。運転手のシルバノス兄もよく心得て主の御用のために労してくれた。サグワ夫妻は私の両腕である。昨夜シルバノス兄は急用が出来て遠いところに行かねばならぬ事となり、彼の御用は祝福の内におわった。今朝はこのキゴマのイシアカ兄が家族の救いの為に6--7名を連れてやってきた。「水と霊」がこれからまたタンガニ−カ湖で行われる。

 ハレルヤ!主が進み行き給うを拝させて頂き大感謝である。今日昼からダルエスに飛ぶ。                               2000.11.28


2000/11/29(水)

 《ファックス》
 ハレルヤ いつもお祈り頂き有難う。いよいよこの度の伝道旅行も終わりに近づいてきました。今日は朝8時にアミン兄に起こされ、さっそく「水と霊」を御用させて頂きました。一度目はまだ海の水があったのですが、二度目は水が遠くまで引いており遠浅の海を相当沖までいって御用しました。あすの予定は空港付近に住む方々に福音が及んでおり、9時には10名近くがホテルにやってきて「水と霊」、昼からはフェリーに乗ってKIGANBONIへ行きそこでも「水と霊」が約束されました。

 今、サグワ夫妻は列車に乗って36時間ダルエスに向かっており、あす午後には着く予定です。高橋兄への「車」の代金の送金はあさっての朝、銀行をとうしてドル払いすると言っていました。彼らは奇しく主イエス様から祝せられ、この度のコンテナ受け入れの税金や港内においておく費用その他もろもろの出費の為に、主様に祈っていたそうですが与えられたそうです。それはずっと以前ニャルグス・キャンプに納入の「こげつき」代金がようやく回収できて本当にありがたいと言っていました。金曜の朝には私に港に一緒に行ってコンテナをみて、祝福の祈りをしてもらいたいと申していました。パーツがよきお客に巡り合えてよき商売が出来ますようにとのことです。

 私は金曜(12/1) 夕べにはヨハネスブルグに向かいます。

(ミノルの独り言)
鍵について
まず鍵といえば主イエス様がペテロに与え給うた「鍵」の事を思う。
  「われ天国の鍵を汝に与えん、おおよそ汝が地にて繋ぐ処は、
   天にても繋ぎ、地にて解くところは天にても解くなり。」
                (マタイ伝 16:19)
ここには、非常に大切な奥義が隠されている。
今、主の為し給うた「事実」に注目してみると、主の御弟子達のなかでペテロに「鍵」を与えるとおっしゃった。天界の約束事の中に「神の選び」というものがある。神が選んだ「人」を通して、天界と地界とが繋がっている。この真理に着眼せねばならぬ。
この「選び」という点からペテロを初めとして「使徒」達をみると、彼らは主イエス様によってこの暗い世界に「遣わされた」といえる。
  「汝われを世に遣わしたまひしごとく、我も彼らを世に遣わせり」
                (ヨハネ伝 17:18)

 「使徒とか予言者」とかいう人達はそうした「使命」をもった方々であった。
旧約の予言者エゼキエルはどうであったか。

  「彼われに言いたまひけるは人の子よ起あがれ我なんじに語はんと。
   斯くわれに言いたまひし時、霊われにきたりて我を立ちあがらしむ
   ここに我その我に語りたまふを聞くに、われに言いたまひけるは人の子よ、
   我なんじをイスラエルの子孫に遣わす。」
                (エゼキエル2:1--3)

 イザヤはどうであったか。

  「我またエホバの声を聞く曰く、われ誰をつかわさん誰かわれらのために
   往くべきかと、そのとき我いひけるはわれ此にあり我を遣わしたまへ」
                (イザヤ6:8)

 主の花嫁なる「教会」はイエス樣とそして彼らを土台として建てられるのである。

  「汝らは使徒と予言者との基の上に建てられたる者にして、
   キリスト・イエス自らその隅の首石たり」
                (エペソ2:20)
  
 天にはわれらの霊魂の故郷である「エルサレム」があると、聖書は告げている。その「神の家」の「しきみ」の下から「水」がまず東のほうに流れだしている。不思議なことにその「水」の流れが、下流に行くにしたがって水かさをまして遂には「泳ぐ」ほどの深い河となっている。エゼキエルは御霊によってこう言っている。

  「凡そ此の河の往くところには諸々の動くところの生物みな生きん、
   又はなはだ多くの魚あるべし。この水至る所にて癒すことをなせばなり、
   此の河の至る所にては物みな生くべきなり。」
                (エゼキエル47:9)

 ダビデは「神の河に水みちたり」(詩篇65:9)と言っているが、この水をわれらの内に引き入れる「鍵」がまた大切である。「聖霊」は助け主、慰め主であるから天のこの「水」という豊かな富をわれらに与えて下さる「鍵」であるといってもよい。

 「聖霊」で祈れば祈る程どんどん天から生命を与える「水」が我らの心の内に流れてくるのだ。この秘けつが分かると人々に「聖霊」を崇めることの貴さを語り、祝福をえてこの人生の勝利者となってゆけるのだと教えるよき教師になれる。
そのためには我ら自らが「聖霊」の祈りの人になることが先決である。


2000/11/30(木)

 SLIPWAY BEACHに3回、キガンボニの海岸で1回「洗礼式」をさせていただいた。
計11名。 キガンボニの魂の純なこと、まことに麗しい。
その海岸の遠浅を沖合まで歩いて行った。間もなく潮が満ち始めた。
夕方、サグワ夫妻がホテルに来たので、夕食を共にした。

(ミノルの独り言)
  
  「時に霊(みたま)われを上に挙げしが我わが後(うしろ)に大なる響きの
   音ありて、エホバの栄光のその処より出る(いづる)者は讃べきかなと
   言ふを聞けり」                      (エゼキエル3:12)

 この聖句の意味はその前段をみるとよく分かるが、神に遣わされて出かけてゆくエゼキエルに対して捧げられた讃美である。 村井ジュン先生が極力さけようとなさったのはこうした類いの「讃美」、人に向かう讃美であった。

 何故だろうか?
戦争遂行のための「天皇」利用をおしすすめた軍部の政策があった。
終戦までの「天皇神格化」は戦争をおしすすめる為の必要な政策であったこと。
そして敗戦となり、その反動としての「民主主義」政策「天皇の人間宣言」が戦後の「平和国家日本」という国造りにすすむ。かくして人を「偶像」視することの危険を強調していた時代背景が続いた。

 その結果として現在の「日本の乱れ」がおこっている。当然敬うべきものを敬えないのは神の立てた権威を認めようとしない、いわゆる「平等主義」の行き過ぎである。大切な「縦」の線が弱いことが「原因」と理解できる。

 わが「イエス之御霊教会」にみられる「離脱」現象は、遡れば初代監督「村井ジュン先生」がやりのこした部分に起因するといえる。

 つまり、当然神に遣わされた予言者エゼキエルに対して
  「エホバの栄光のその処より出る(いづる)者は讃べきかな」
というこの讃美はなさるべきことであり、けして「忌む」べきことではない。

 初代監督先生は「秩序の祝福」を語りつつも「監督一任主義」にはできず「牧師一任主義」ということにしなければ、教団を引っ張ってゆけないと思われたに違いない。民主主義謳歌の時代背景を思えばやむをえなかった。あまりにも幼い者たちばかりであれば「おもちゃ」も必要だし「お子さまランチ」も必要である。

 翻って考えてみると、「乱れた今の日本」の責任は神に遣わされた「使徒」であり「予言者」である監督先生を正しくキャッチ出来なかったわれら「教団人」にあると言える。そのことがあたかも「偶像崇拝」であるかのごとく錯角したところに間違いがおこった。

 村井純基先生が神によって立てられた「監督先生」であることは勿論のこと、
「使徒」であり「予言者」であることをはっきりと認識せねばならぬと思う。
こうした「縦の線」が我らの内に確立することによってあらゆる諸問題が正常な状態に復帰できるのである。


2000/12/1(金)

 食堂にて京都大学の大学院生と語る。彼はすでに一年間「ドドマ」の農家に住み付いて素朴な「半農半畜」の人々の生きざまを克明に調査している。大家族制度で「牛」を飼うのはみんなの協力でやるが日々の生活は小カップル単位である。「牛」が財産の目安で、どれだけ「牛」を増やしたかがこの家におけるその人の貢献度となる。

 雑穀類が彼等の主食である。米が唯一の換金作物であるとか。財産形成は結婚のときが大きな節目で、花嫁側に「牛」を「結納」という形で納めるという。

 彼が「ここタンザニヤに来て自然に「宗教」に関心を抱くようになった」というので、私は今自分が考えていることを話した。

 天の河から導入する「水路」のコネクションが「唯一の神なる主イエス」であって、正しくセットされると我らの中に生命の水が届く。世界にみられる「キリスト教会」の周辺がこんなにギクシャクするのはこの重要なコネクションが正常にセットされていないためである。実は彼らは「三位一体の神」という神観を持っている。
日本に興された我らの「真の教会」の存在は天の祝福をこの世界にもたらす源、正しいコネクションを神に委ねられていると自負している。

 いよいよ12月、最終の月を迎えた。20世紀も終わろうとしている。
スワ先生が誕生なさって100年。「真の全き教会」が興された世紀であった。

 サグワ姉がやってきて、私をパーツの保管場所に連れて行った。ニエレレ通りの大きな倉庫であった。思っていたより大量のエンジンなど車のパーツを前に「祝福」のお祈りをさせて頂いた。その時「自分はスイッチマンだ」と悟った。スイッチを開けば天からの「活ける水」が流れてくるのだから・・・。

 タンザニヤを発ってヨハネスブルグに向かう為空港に行く。
空港内の電話で愛媛に電話すると何だか様子が違う。緊急な話があるという。
「池田徳造先生が召された」私が弔辞を書いて礼子先生が読む。これは監督先生からの御指示とか。早速鉛筆を握った時、懐かしい「池田先生」の面影が思い出された。
私はどうも重要なときには日本にいないことになっていると思った。

 サグワ兄姉の神から与えられた「事業」のこと。

 最初のステップはなかなか困難がつきもので悩み祈るよき機会である。車のエンジンなどパーツの販売はどうしても息の長い忍耐のいる仕事になる。最初考えていたように一括して売ろうとしたが、買い手もさるもので、原価を大きく割る数字しか出さない。サグワ夫妻は考えた。店を構え展示してよい客を得て「利益」の出る方法を取ろうとしている。ダルエスサラームの中心にちょうどよい場所を見つけた。

 幸いな事に、この度の高橋兄からのコンテナと車の引き取りの為のタンザニア側の諸費用は奇しくもサグワ兄姉に全部主様が用意させて下さった。それはずいぶん前にニャルグス・キャンプに納入して焦げ付いていた「代金」が二回にわたって「支払い」をして頂く事が出来た。半ば諦めていた「代金」であったそうである。
だからこそ「この仕事は神様から与えられたもの」と確信しているそうである。
  
 この「代金」がこの度役に立ち、パーツの引き取りと保管代、車の引き取りと諸費用に使う事が出来た。車はサグワ姉妹の兄が6,172ドルで買い取った。サグワ兄が払った税金と名義登録費が2,098ドルで、この度高橋兄に送金できる金額は4,074ドルである。
  
 サグワ兄の手元に残ったその2,098ドルが店を借りるさしあたっての費用となる。その店が開くと保管場所から少しずつ運んできて展示してよい顧客をえて利益につなげたいと考えている。売れて「代金」がはいればつぎつぎに日本側に送金する予定である。更にはそこで、中古自動車の宣伝販売をするそうだ。それは高橋兄からメールで紹介された「車」の詳細と日本送りだし価格それに「カラー写真」がその内容である。客はそれだけ揃えば検討して発注することができる。買いたいと思った客はまず日本側に「送金」する。それから後は前回と同じ手続きがなされ、最終的には客は車と引き換えに残金をサグワ兄に払うということだ。


2000/12/2(土)

 南アフリカ、プレトリア
 
 この国で「水と霊」第一号のサムエル兄という人は不思議な人だ。ひとけのないところへ私は入っていった。そこに一人ふとんをかぶって寝ていたのが彼。驚いて「パスターマエダ」といって起き上がってきた。そして安息日礼拝を二人で貴ぶ。不思議な満足感。彼には一歳七ヶ月の娘がいるという。勤めは警備員だ。夜七時から朝七時までの仕事。月に七日の休みがある。

 「母はもう今まで行っていた教会に行っていない。私は母にこの「本当の教会」の話をしている。次回は家族全部一緒に洗礼をしてもらいたい。」

 ホテルまで帰ってきてゆっくりした後、また行きたくなった。
ドアを叩いたが誰もいない様子、仕方なく帰り出した。そこにサムエル兄がシャワーから出てパンツ一丁でやってきて言った。「あす朝7時10分にあの交差点に来て下さい。それから母のところに行きましょう。」50分のドライブは楽しかった。ああこれで一歩前進できる。

 沖縄の「離脱」。
香のメールはこたえた。
予想は前からあったが、本当になるととてもこたえる。
しばらくは声が出ない。


2000/12/3(日)

「交差点」に彼があらわれない。どうしたわけであろうかといぶかりながら、二度目のサムエルの家の戸を叩こうと近づくと戸が開いている。彼がいた。
「アア、パスタ−マエダ」。打ち合わせの交差点が違っていた。
ハレルヤ。嬉しくなって、私たち二人は「母」のいるあの田舎 Denniltonの「家」に車を走らせた。

 一時間半で着いた。昨年初めて来た時はまだトタン屋根がなかったが今は古いながらもトタンがのっている。これなら住める。そとには三人の男達が朝からビールを家の陰で飲んでいる。彼らは私が何者であるかをすでに知っているとみえて、真面目な顔つきをしている。
 
 サムエルの母はニコニコして私に握手し歓迎してくれた。サムエルの弟と妹も出てきて握手を交わした。私の為に家の陰に錆び付いたパイプ椅子をおいて「これにどうぞ」という。座ったら間もなく、母がグレーの座ぶとんを持ってきて椅子の前の土の上にポンと置くなり「ハレルヤ、ハレルヤ」と深々と頭を下げて祈りを始めたのには感心した。貧しくはあっても敬虔な信仰を持っている。彼女はよく「異言」で祈る。前回もこの人はよく祈ったのを覚えている。しばらく私たちの祈りがつづいた。終わるとそこにいた男たちもひとり一人その座ぶとんの上に膝を立てて祈る。聖霊が豊かにくだる。ハレルヤ。

 最後の「妹」ヨハンナまで全部、敬虔なようすで祈った。それから、部屋へ「どうぞ」ととうされた。ブロックを積み上げただけの未完成の家であったがとても暖かいものを感じた。この国で自分の家を持てるのは素晴らしいことである。サムエルはしばらく仮眠をとると言って寝室にいった。弟のヨハネと妹のヨハンナが「霊讃歌」を私について歌おうとする。「霊」のとても純粋なものが伝わってくる。こうした家庭に主イエス様が救いの御手を差し伸べてくださっているのはとても嬉しいことである。三時には空港に着いておきたいので、この家を引き上げるのは12時半である。きっちりとその時間に出発した。後ろには母と叔父が乗った。

 来年には全家族の救いにもっていって下さるであろうと希望をもって別れた。

 ヨハネスブルグ 17:25発


2000/12/4(月)

 香港 16:40着

(ミノルの独り言)
香港に着いた。12時間40分のフライトであった。
航路のマップによるとベトナムの沖を通ったとの事。
「ミス・サイゴン」は「美枝子」とリンクしている。何故か?
ニューヨークのプレゼントはそのドラマであったもの。愛する者の為の「自己犠牲」これがやはり永遠のテーマなんだよね。神様からしてこれなんだから。私たちはともすると八方めでたしめでたしを求めてしまうけど。そうはいかないのがこの世だ。「金」が渦巻く「香港」を横目で見ながら「暖かい心」のサムエルの家族を慕わしく思う。いよいよ21世紀は「アフリカ」に引かれるようになるだろう。

  息子達を失ったこのマサイの母親に平安と慰めをどうぞ与えてあげてください
  私には平安と慰めを与えないで・・・

と祈られた監督村井純基先生の御言葉はまさにイエス様のお心だもの。

 さあ「沖縄」は甘えを許されない厳しい世界を見るのだ。確かに太平洋戦争によって「沖縄」は犠牲を払った。そして50年。今の恵みはその上に築かれた。ここで監督先生に犠牲の道をとらせたとするならば、けして良くないと思う。

 真理のためには「甘え」とも潔く決別せねばならないが、「沖縄」は手に手をとって「離脱」とは実にあまりにも悲しい。

  「あゝアブサロム、アブサロム、我が子よ、我が子よ」

 ダビデの嘆きと、村井監督御一家の嘆きとが重なる。

 福音の神髄に触れるためにはひとり自分の足でたち主様と向き合う「伝道」に踏み出すことだ。自然に謙虚に向かう「心」の姿。今までちゅうちょするところがあったがこの度の「伝道旅行」で大いに補強されたという気がする。

 何故、踏み出す事に躊躇したのか?
1)吉田 恵先生の「事故」に起因する色々な言葉とその考え方に耳を傾け反省する数々があった事。
2)キゴマへのフライトが無くなって、難民キャンプ伝道が困難になっていた事。
3)サグワ夫妻からの連絡が途絶えて、心に苦しみがあった事。
4)教団からの「離脱」が相次いだ事で心の動揺を覚えた事。
5)ギルガルに到着したという確信と共に「癒えるのを待つ」という光がきた事。

こうした一連の理由にもかかわらず
「東北大聖会」直後、突然の「復活」のメッセージと徴を頂き、主イエス様を見上げて踏み出した事により、大きな果実を得たと今は言える。

1)ダ−バン・・・6
「主のみを見上げる」祈りの必要を感じる。
2)ルサカ・・・4 
オリンピック・プールは得難い「お救い」の場所だ。
3)リロンゲ・・・15
難民キャンプにはアフリカ各地への広がりが期待される。
4)ダルエスサラ−ム・・・14
キガンボニの群れの麗しさよ。
5)キゴマ・・・11
イシアカ兄の燃える霊は注目に値する。
6)ルグフ難民キャンプ・・・19
ピリピリ姉の輝きは明けの明星である。
7)ニャルグス難民キャンプ...54
ボコ兄を中心にしっかりとまとまっている。
8)プレトリア・・・0
サムエル兄の家族に御救いが次には及ぶ。

 香港 16:40-----20:00 関西空港

 ハレルヤ! かくして大感謝もて帰国することができた。 栄光主にあれ!


                         MAIL: mizu_to_rei@mac.com.mailto:mizu_to_rei@mac.commailto:mizu_to_rei@mac.com?subject=%E3%80%8E%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%8D%97%E9%83%A8%E4%BC%9D%E9%81%93%E3%80%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8shapeimage_1_link_0