近藤教授ブログ
近藤教授ブログ
コンピューターサイエンス学部・卒業研究(アントレプレナー研究室)近藤ゼミの飲み会は、八王子キャンパスでゼミや授業が終わって、少しだけ早めの夕方から横浜線で桜木町まで出かけます。まず、各々個性的で優秀な4年生であるゼミ員は、3人とも男性で成人です。彼らも不肖私も、たまたま皆横浜に住んでいるため便利だからです。これまで勉強後の気分転換のため2回行いましたが、場所は桜木町から歩いてちょいの、野毛にある『叶家』というオヤジが行く系の店です。一説によると、この店は女優・樹希きりん又はそのかつての配偶者の実家だそうだが、どこかでちょい読んだだけでその真偽のほどは不明です。
桜木町駅地下の野毛近道から程なくあの独特のさびれた飲食店街。暖簾をくぐって大きめの入り口から入ると店内はがらんと広く、テーブル席と堀り炬燵式の席に分かれている。夕方ですと、夜というよりは日中の光が残っているような何処かシラケタ雰囲気。カウンター席の前にはよくテレビが目立たない音で野球中継を流している。他の客は多くがかなり年輩の人々であり、1人で飲んでいる人も多く、1人で来ている人はそのテレビを見ているか、新聞(スポーツ新聞か競馬新聞または夕刊フジなど)を読んでいるようだ。店内は騒がしくない。サラリーマンの一行にありがちな、課長さんらしき中心人物が何か言うと皆が同調を示すためかわざとらしい声で笑う、またはフォローするといった大声は聞こえない。こうしたサラリーマンの生態は以前にも書いたが、幸い野毛にはあまりサラリーマンがいないのではないか。また、年齢の若いOLさんとか大学生の姿はあまり見えない。若い人の客は私たち(除く近藤だが)だけと思われます。
よく注文するのは、皆が好きで無難、手ごろな値段で量もある、焼き鳥(塩・たれ)盛り合わせ、鶏肉唐揚げ、ポテトフライ、冷やしトマト、大根とホタテのサラダ、芋焼酎のボトル、といったところです。蛋白質を控えるトホホの私はポテトフライと冷やしトマトに集中する。野毛の大人の店らしく総じて味はなかなかよくておいしいし、量もドカ喰いは無理なるもほどほどに良心的です。4人で大体1万2〜3千円ですが、学生の皆さんは各1千円払い、残りは近藤が払います。学生の飲み会会場といえば、八王子の居酒屋チェーン店とか、八王子みなみ野駅前の同じようなチェーン店と聞きます。そういう店はまず安いのだと皆さんは言うが、満足感を構成する各ポイントのオール込みベースで本当に安いのでしょうか。それに比べると、我が方はより味のよいものを騒がず静か(上品)に食べている。また飲み放題などというものはないので、お酒はほどほどにして一気飲みなどは決してせず、早い時間に切り上げて帰路につきます。教師としては、学生の帰路が無事であることも気になるので。
話は学生の個性に応じた将来の進路とか、卒業研究の中身のことが多い。どのように話をするのかと言いますと、なるべく学生を誉める、又は可能性がある限り伸ばす方向で話をするように、思っております。
思い出すに、私が学生だった頃の心理学の教師などは「何様?」とでも呼ぶべきか、いい気なものでして、大体において酒を飲みながら学生に対して自分の言うことが如何に熟慮の末の正しい考えであるか、また学生がいかに浅はかな考えしか持っていない馬鹿であるかといったことをとうとうと述べ立てる。その脇でガードマン役の大学院生などがそうだそうだと大きくうなずく権威主義。
といっても支払いはみごとに割り勘。ある時などは自分の取巻きの1人である女子学生に持ち合わせがないので皆でカンパ、即ちその分被ってくれなどと学生に指示した大先生でありました。何かのあらぬ事柄でかその本人の気分により頭から湯気を出して口汚く罵られたなどというのは毎度のことでして、その際丸く禿げ上がった上に髪が撫で付けてあった教師のミョウチクリンな顔付きは、私が根にもっているところがきっとあるのでしょうが、現在でも時々思い出すことがあります。年令のせいか、この頃ふと思い出すことには昔腹が立った記憶が多い、またはそういうのばかり。人生とは誰でもそういうものなのか、又は特殊私だけが悲惨なのか。
いまさらそういう教師にリベンジするでもありません。当該大先生は既に亡くなってもおります。明確に言えるのは、教師としてそうした行為には社会的な効用はまったくないということです。その教師は本人の満足を学生から吸いとっていた。教師はそのような自己虫ではいけません。自分がよき教師たらんと欲することとは、相手(学生)の自我への思いに「あの時はよかった」と、それがあれば今後も頑張れる縁になるような暖かい何物かを残すことではないでしょうか。少しは煽てることもあるかもしれません。しかし励ましであって、ただ煽てるだけとはまったく違います。教師は大学生が接する数少ない社会人の1人であり、大学生を内側外側から主観的且つ客観的に知りアドバイス出来る立場にもあります。卒業前でもその後でも、彼らがいつか思い出すと何か勇気が湧くような思い、又はそうした一瞬を少しなりとも提供出来たならと思います。
先日麻布十番を歩いていたところ、セント・エルモスファイアーなる店(バーか?昼間なのでクローズしていましたが)を見かけました。学生街でもないのに不釣合い。また、こうしたタイトルを発すること自体いかにもダサくて趣味が悪く、いまさらの時代錯誤を感じられることでしょう。しかし実際には青春を美しいものとして描くのとは一味違って、大学生又は新卒者のドジで間抜な戸惑いや挫折を描くこの懐かしいアメリカ映画、私は好きでありました(舞台になったキャンパスはワシントンDCのジョージタウン大学)。
その日本版と言われるテレビ番組、撮影に使用したキャンパスは茗荷谷の拓大ではなかったか?だいぶ風景が違う。念のため、こちらの方は何を根拠に?と感じるほど学生時代の友人仲間というか集団センチメントの筋が綿々と続き、ウジウジ感が過ぎてあまり好きではありませんでした。またあたかも心地良いといった気分を歌った主題曲もその歌手もまったく好きではありません。
ついでに言うと、顔にしわやシミが出て生活観溢れる顔つきの60才にもならんとする爺婆が大挙(団塊で)集まり、学生時代は損得勘定なく美しい時代だったなどと、ハレとケのハレにあたる同窓会を醜く楽しもうとする場所に私は行きたくないです。学生時代をハレとしてイメージすること自体が可笑しい。なぜなら学生生活にはそれなりのケがあるからであり、その部分を教師としてサポートするのが私の仕事である。きれい事ではありません。教師にとってはゼミの飲み会もまたケの日常性であります。アフターファイブまたはウイークエンドは、集団(団塊)的なハレの席より、個人的にひっそりやっている方が良いです。

2008/10/6 証券経済学会(滋賀大)
2008年10月8日
学部ゼミの飲み会はシックに(横浜野毛『叶家』)