景観破壊と地域の活性化
 
 4月24日現在、実家のある越後高田(新潟県上越市)にいる。月曜とあって図書館も休みだし、向かいの空き地で重機があげる轟音と地響きに悩まされつつ、この原稿を書いている。すこしは近所に気を使って仕事をしてほしい。
 帰省のたびにガッカリさせられるのは、子供のころから見慣れた景色がなくなり、国籍不明の町並みになってゆくことだ。中心部の商店街はずいぶん前に、雁木(がんぎ)といわれる昔ながらの町並みが破壊され、アーケードに変わった。そしてその頃から人通りが減り、いまではシャッターを閉めている店が目立つ。
 逆に、職人町といわれ、商店がほとんどなかった通りは昔ながらの雁木が残っている。週に3・4回ほどの市(いち)が立つ日には、賑わっているというほどではないが、それなりに人通りもあり、そこに暮らす人たちの生活が見えて楽しい。
 この時期の市には、近郊の畑でとれた野菜のほかに、カタクリやウド・コシアブラなどの山菜もならぶ。残念ながら若い人の姿は見えないが、売る側も買う側も、長年つき合ってきた常連がほとんどで、話を聞いていると、売り買いの話よりも世間話に費やす時間のほうが長いようだ。
 売る側も買う側も年寄りばかりという現状にはそれなりの理由がある。中心部の商店街は、郊外の大型店のおかげで商売が立ち行かなくなって閉店してしまう店が多く、車の運転ができないお年寄りのなかには大型店へも行けず、近所に店もなくなって困っている人は多い。そんな人たちにとっては、週に3・4回とはいえ、市の存在は有り難いだろう。店の人が話し相手になってくれるとあれば、そこには売り買い以上の関係もできてくる。
 しかし、かろうじて景観が保持されているからといって、この町が「元気」かというと実はそうではない。職人町といわれるように、手職で食べてきた人たちは高齢化が進み、しかも仕事が減って後継者は育たず、同居している子供たちはたいていサラリーマンをしている。平日の昼間に立つ市に、これらの人たちはとうぜん姿を見せない。そこに住んではいても、「地域で生きている」わけではないのだ。いま現在、店先で手仕事をしているお爺さんがいなくなれば、住居部分しか機能しない「町家」が残されることになる。残された子供たちが使い勝手の悪い町家を手放して郊外の住宅地に出て行けば、櫛の歯が欠けるように町は衰退してゆく。昔ながらの町並みを保持していくには、そこで生きてゆけるような経済の仕組みが必要なのだ。
 じつは、先日「勇造ライブ」を聴きにいった松本の町を歩いて、見て、軽い衝撃を受けた。メインストリートはどこの地方都市にでもあるようなビルの建ち並ぶ大通りだが、一歩中へ入ると、瓦葺きで漆喰の塗り壁という昔ながらの家がけっこう多く、しかも、古い民家や蔵をそのまま利用して今風のオシャレな店をやっていたりする。いいものを片っ端から壊してきた我が故郷とはまったく違った町づくりをしてきたようだ。
 さらに好感を持ったのは、街中を流れる側溝の水が澄んでいること。よく見ると、ときどきゴミもあるのだが、側溝の中に水草や、ワサビの仲間と思われるアブラナ科の植物が生えていたりする。透明な流れのなかにマスが泳いでいるのを見つけて、思わず「エッ」と叫んでしまった。駅前の観光案内で配っている地図には「美ヶ原西麓の扇状地松本は豊富な伏流水が湧き出す町」とあるのも、なるほどうなずけるわけだ。街中のあちこちに湧水が湧き出ているらしい。
 ライブの翌朝、土曜の朝に、花見がてら国宝の松本城を見物し、街中を地図片手にすこし歩いてみた。ちょうど桜が満開の城周辺には、中国語を話す観光客の団体が多く、なんだか北海道に似ているなと思った。中心部の川沿いの「なわて通」の一角には、古い建物を壊してショッピングセンターをつくろうという動きがあるようだが、反対派の市民による署名を呼びかける看板もあって、さすがに民度が高いなぁーと感心する。
 白い漆喰の土蔵が建ち並ぶ通りの一角では、空き地を利用した市というかフリーマーケットのようなものをやっていて、野菜がずらりと並び、人ごみができていた。通りを端から端まで歩いてみたが、土蔵作りの建物を利用したラーメン屋さんや飲み屋さんなどが軒を並べ、活気がある感じがする。開店前の早い時間に歩いたせいで、営業中のお店に入ってようすを見ることができなかったが、次回訪ねる機会があったらぜひいくつかのお店に入ってみようと思った。店の作りから想像するに、おそらく経営者も30代40代の人たちが多いのではないかと、勝手に思っている。
 さて、話は変わるが、そろそろ北海道に帰る日が近づいて来て、お土産を何にしようかと悩んでいる。いわずと知れた米所だから、いつも食べているのは新潟産のコシヒカリだし、都会では幻の銘酒と呼ばれる酒が、近くの酒屋さんでフツーに売っているのだが、かさばるうえに重量もあるので、お土産向きとはいえない。海産物は腐るし、さあて何がいいのかなと考えたときに、思いつくものがないのだ。
 浅草の雷おこしや草加せんべい・長崎のカステラのような、この場所にはこれ!と言える決定版、地域をひとことで言い表せるようなキャッチコピーが、我が故郷にはない。このあたりに、中心部の商店街がシャッター通りになる原因のひとつがある気がする。郊外の量販店で安く売っている商品を、より高いねだんで棚に並べていては、客足が遠のくのはあたりまえだろう。この場所でしか、この店でしか、買えない商品を並べるのでなければ、量販店とは勝負できないだろう。地域の伝統とか文化・歴史に根ざしつつも独創性のある店作り・町づくりが鍵を握っている、と思う。
町が元気になるために
2006年4月24日月曜日
ここでいう「町」とは、上川郡東川町のような行政の単位としての「町」ではなく、本町通りとか大町通りのような、商店街のこと。
実家の窓から見える景色
雁木(がんぎ)
通りに面した軒先を一間(約1.8メートル)延長し、歩道を屋根でおおって、雪や雨のときでも、傘なしで歩けるようにした、多雪地帯の市街地に独特な建築様式。
町家
いわゆる「うなぎの寝床」と呼ばれる長屋形式の建物で、隣接する家どうしの壁はくっつき、共有されている。表通りに面した側に店舗や仕事場が置かれ、その後ろ側のスペースが住居として利用され、裏通りに面した側に裏口(裏玄関)がある。
土蔵づくりを生かした町並み
きれいな水のながれる側溝
国宝の松本城
街の要所要所にある
「まちづくり案内」