LUNATICMONK blog 日本語版
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2008
Being & Body Awareness
最近、Charles Genoud という人物を知りました。彼は最近、 "Gesture Of Awareness: A Radical Approach To Time, Space, And Movement"(“気づきのジェスチャー:時間、場所、ムーブメントへの根本的なアプローチ”)という本を発刊しました。これはスピリチュアルなアイデアを人間関係やからだへのアプローチに落とし込んだ内容の本です。
客体としての肉体やそこから得られる快楽への執着が強いこの時代において、この本はとても重要性があると思います。
私がもっとも感銘を受けた部分を少し紹介したいと思います:
大切なのは、“するかもしれない何か”ではない。“いま、していることそのもの”なのだ。
私たちが関心があるのは経験そのものではない。触れるものであれ触れられるものであれ。
私たちが関心があるのは在り方なのだ。
私たちが探求しているのは肉体ではなく、肉体的な気づきなのだ。
私たちの在り方は他の人に触れているとき、まさに完璧な状態にある。またはひとりで立っているときに。。。
私たちが求めるのは、身体そのものではない。
私たちが求めるのは、いまここに完全に在ることなのだ
この一節はとても美しいですね。私たちの思考や注意を、真実や大切なものに向けてくれます。アサナのプラクティスにおいて、過度にフィジカル面や肉体の表面的なディテールにフォーカスしてしまいがちである一方で、プラクティスの“成果”を“気づき”という現象に求めることが出来ているときは純粋な存在を十分に甘受することが出来るのです。もう少し引用します:
変化への意志とは、あるがままを受け入れることに根ざしている。完全に在ることによってのみ、あるがままになることができる
一方、変化への希望は“こうあるべきだ”ということに根ざしている。そしてそれは過去と未来のイメージによってのみ形成される
変化への意志とは未来を選んでいくことではない。それどころか、耐え忍んでいくことなのだ
オープンに、次に起きることを期待せず、そして起きていることにしがみつくこともせず
変化への意志とはたぶん、執着することなく完全に在りつづける覚悟ができるかどうか、ということなのだ
私たちのエゴによる陰謀や偽の本質と、気づき及び真我との闘いは永遠に続くでしょう。生きるということ、そしてプラクティスとはこれら二つの状態の区別を、不断の努力を持ってし続けるプロセスなのです。どんな小さなことであれ、この区別を忘れないために私たちが出来ることは、全てがとても大切なことなのです。
OM Namah Shivaya...!!
Govinda Kai
気づくということ:実在と肉体を通じて
08/03/31
MAE & GOVINDA
CHANTING
(Photo by hirokitamiya)
内面を見つめる時間をとりましょう。自分への最高の贈り物になるはずです。マインドと注意を、より自己の内側へと向かわせることであれば何でも、想像以上に価値のあることだと気づくでしょう。