ジャコ・パストリアス

 
・フランシス・アンソニー ・”ジャコ”・バストリアス(1951-1987)はペンシルバニア州ノリスタウン生まれ。両親はドイツ/フィンランドとアイルランド出身。父はジャズシンガー&ドラマー、そしてアルコール依存者だった。生後、家族はフロリダ州オークランドパークへ引っ越し、ジョンは父からドラムを学ぶが、彼は音楽よりも絵画の才能で注目を浴び、画家になることを夢見ていた。次の熱情は運動で、フットボール、バスケットボール、野球だった。ジャコというニックネームはシカゴ・ホワイト・ソックスの選手ジョッコ・コーランからきている。9人編成のホーンセクション、ラス・オラス・ブラスのドラマーとして、アレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、ティフアナ・ブラス、ウィルソン・ピケットとオーティス・レディングのカヴァーを演奏していた。13歳のころ、フットボールの試合中に手首の怪我して手術を受けるが、その後、「ろくなスネアが叩けなくなったため」、ドラムをやめ、「一番人気のない」ベースに移ることにした。アップライトを買ってみたが、フロリダ州の湿気に向いていないのでエレキを使うことにしたが、「フレットが鬱陶しくて」ぜんぶ外した。1974年に友人パット・メセニーとバンドを組み、1975年に出した「ブライト・サイズ・ライフ」を絶賛したブラッド・スウェット&ティアーズのドラマー、ボビー・コロンビーのプロデュースにより、1976年にソロアルバム「ジャコ・パストリアス」を出す。このアルバムにはサム&デイヴ、ハービー・ハンコック、デイヴィッド・サンボーン、レニー・ホワイト、マイケル・ブレッカー等が参加した。同時期、ジョー・ザヴィヌルと出会う。ウェザー・リポートのショーの後、楽屋へ勝手に行って、演奏が今一つ盛りあがらない原因は、自分のような世界一のベーシストがいないからだ、と言ってしまったため、ジョーに「俺の視界から直ちに消えろ!」と追い出される。が、ジョーは自分がキャノン・アダーリーに加入したときの生意気な自分を思い出して、ジャコにチャンスを与えることにした。こうしてジャコはウェザー・リポートのベーシストになる。アルバム「ブラック・マーケット」が出てから、ジャコを聴きにウェザー・リポートのショーを観に来る黒人や、大学生の白人が増えた。ある晩ジョーはジャコに「リラックスするために一杯」の酒を飲ませた。その一杯は二杯、三杯...と
し、ジャコはその日から飲む続けた。飲むと彼は物を投げたり演奏中、間違えたりして、80年の日本ツアーを期にジャコはクビになる。1981年から自分のソロプロジェクト「ビッグバンド」を結成。そのハイライトは1982年の日本ツアーのときであり、「インヴィテーション」という題名で記録されてある。

ジャコが好きだった音楽:ビートルズ、ストーンズ。

彼へのトリビュートを捧げたアーティストのリスト